2012年04月22日

コンビニの前で戦争の話しを聞く(2)


コンビニの前で戦争の話しを聞く(2)

コンビニ前でこの前話しした老人がまた酒を飲んでいた。
あの人は話しができる人だった。全然話しができない、聞けない人もいる。
88才まで生きていても体が小さい、肉体労働には向いていない、でも長生きするのは体力とは関係ないみたいである。最近力道山のような肉体派の有名な俳優が病気で死んだ。
その人は何にも負けるような人には見えない人だった。その人もここ十年は病気で苦しんでいたのである。息子から膵臓か肝臓かもらって移植していた。
60代なるとあのような体力ある人も病気になり死んでいる。
60代とか以降は金があるより地位があるよりも健康なことが第一なのである。
自分も痛切にそのことを感じた。


その人は前も書いたが東京で飛行機を作る工場にいた。それで東条秀樹が乗っている車を見たという。これはなかなか本物を見るということはない、映像で見ても本物を見るというのはない。
飛行機を作る工場でありその前を頻繁に軍用の車などが通っていたという。
その頃のトラックなどはしょっちゅう故障して修理していたという。
今の車とは大違いだから故障していたことがわかる。
それから自転車で物を運んでいたこともわかる。
車に乗っている人はまれだった時代である。


御所の職員は職業柄、そんな事はできず、御料(殿下のご食糧)
    にも事欠く状態であった。


     そこで御所の周辺の空き地を畑にして、食糧を自給自足でき
    るようにしようということになった。職員たちは勤務の余暇に
    にわか百姓となって、空き地の開墾を始めたが、草を刈り、根
    を掘り返す重労働に、手は豆だらけ、体はくたくたになってし
    まった。それでも手に包帯を巻きながら、作業を続けた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h21/jog624.html


天皇家でもこういうことがあったのだから宮家では買い出しをしていたのかもしれない、でも
「食べ物をゆずってください」と買い出しに出るとなればいかに日本全体が食糧に窮していたかわかる。


それから話しを聞いていると
「オ-ストラリアでは2000町の土地をもっている」
「飛行機で種まきしているからな」
「とても、かないっこないよ、日本と比べられないよ」
「この辺で38町もっている農家の人いて驚いたけどな、2000町は驚きだな
38町でもめったにいないよ、日本では・・15町の人がいたけどそれで大農家だよ
5町で平均よりも上になるのか、日本ではそんなもんだよ」


この会話で2000町と言ったことでその土地の広さを実感したのである。なぜならヘクタ-ルとかなるとわかりにくいのだ。2000町となったらとんでもいな広さだと即座に実感したのである。


「ものがないから日本は負けたんだよ」
「戦争するにも弾がないけりゃ、何もできない、竹槍で戦おうとしていたんだからな、日本は」
「朝鮮人は多かった、どこにでもいたよ、みんな金かせぐために日本に来たんだよ」
「朝鮮は日本の属国だからパスポ-トもなち入れただろう、入り安かったからなあの頃は」


物資の不足は日本では致命的だったのだ。それからその時朝鮮人が大量に入ってきた。それは強制的というより日本で仕事ができて金になったからである。原町の大原の発電所辺りでも働いていたという。全部が強制的ではない自主的に働きに来ていたのである。

80代くらいの人の話は60代の人はあわせられる。でも若くなるに連れてあわせられなくなる。
車もない時代も知っている。物がない時代も子供の時に経験している。だから話をあわせられる。
ものが豊に出回った世代になるとその辺のものがない時代がわかりにくいのである。

歴史というとき郷土史でもやはり直接に話しを聞くことがリアルに歴史を感じることになる。
話して何かわかることがある。そもそも人間の体験はみんな同じではない、だから戦争の体験もみんな同じではない、働いた場所も違うしそれぞれ違った体験をしている。その一人一人の体験を総合するとき何があったのか見えてくることがわかる。前に書いた戦後梅毒にかかった人は全国にいた。
だからそれは戦争のためだったということがわかる。数が多いからわかるのだ。


戦争の話しを老人に聞く(1)
http://musubu.sblo.jp/article/55380545.html

posted by 老鶯 at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)