2012年04月19日

怪しい地名の研究(島野氏)の解読


怪しい地名の研究(島野氏)の解読


ikkeshi123.jpg


●日本のニは湿地帯の意味

「日新」「新田(にった)」など語尾はいろいろであるが、語頭が「ニッ」で始まる地名は縄文地帯の東日本に明白に偏在する。「にっぽん」「にほん」の「ニッ」あるいは小さな「ッ」が脱落した「ニ」は「湿地帯」「しめった」と解釈した。(怪しい地名の研究7)

日本(にほん)が二に注目するとニはそもそも湿地帯のことは明らかなようです、新田(にった)は地名では多いですから間違いないでしょう。
日本は湿地帯の国、豊葦原瑞穂国の国です、そこで邪馬台国とは台であり湿地帯の中で高台になっているところでしょう。湿地帯があり高台に国ができた。日本が最初は縄文時代は東が東北地方が人口が多く栄えていた。「日高見国」がもともと大和の前の国号だった。日本の地名は湿地帯が多いから湿地帯のニのつく地名と台のつく地名が対称的になって多い。台から低地の湿地帯と住む場所を広げた。海側でなくても奈良盆地でもとともと盆地の真ん中は湖であり湿地帯でありその山辺に日本最古の道ができた。飛鳥も前が海のような地形だから鴎が飛んでいる歌が万葉集にのっている。ヤマトとやはり山の戸(門)であり山口のことでしょう。
山の入り口は神社の入り口-鳥居のある場所で結界になっていた。奈良の三輪山は山自体が御神体ですから山そのものに対する信仰があったのです。


東日本の内陸盆地のみならず、奈良盆地にも多くの「いそ」「ふね」「おき」など海洋を思わせる地名が散在する。「くじら(櫛羅)」さえ居る


奈良盆地は海とつながっていたという説がありするとこの地名はその太古の状態をさしているとすると地名はそれだけ古いとなる。自分も今回の津浪でヒントを得て書きました。海になったときクジラが入って来たということになると地名がどれだけ古いかともなる。


太古の奈良盆地
http://musubu2.sblo.jp/article/45685693.html


「ほ」が「穂」であるという解釈を力づけてくれる


稲作は南から入ってきたとすると東から入った二(湿地帯)と南から入ってきた穂が合体して日本となったというのは理屈的にはあう。なぜならもともと縄文時代は東中心であり日高見国(ひだかみのくに)があったからである。


●川(かわ)沢(さわ)はわの人たち、東日本に多い

「沢」地名の、明確な東日本偏在を考えると、「わ」の人々は氷河期には陸続きであったサハリンから徒歩で南下してきた人々だと考えた。

カワ(川)のワがわの人たち、民族集団をさしていた、さわはさ-わでありわの住む人たちでありカワのワもそうである。この人たちは北から南下した人たちだというのはユニ-クな解釈である。
川と沢はにている。人間はもともと水のある川や沢の場所に住みはじめた。水がないことには生活できないからだ。南から来た人たちはネの人たちであるというのも独特の解釈である。島根とかそうでありネの人たちは日本海回りで来たのかもしれない、確かに倭人というのワの人たちのことですから一字が部族名であり一部族が拡大化して倭人になったとは言える。ただ日本語そのものがどこから来たか謎ですから言語学的にはいろいろ問題があるでしょう。

funemojiii111.jpg


船(ふね)米(よね)であり金(かね)はネ族のものがもたらした言葉である。言ってみれば外来語であり新しい文化をもたらした言葉だとなる。船も米も金も縄文人にとっては新しいものだったといえる。これなどからネ族が南方系の稲作文化をもたらした人たちだという推測はあたっているかもしれない。そもそも船は丸木舟でも縄文時代使っていたとしても金(かね)や米(よね)は縄文時代はないからだ。だから縄文人はその言葉を知らないとなる。そういう分け方はわかりやすい、中国から入った漢字と大和言葉を分けることはわかりやすいのである。


●ヒの謎

ヒについてはこれも謎が多い。干潟-干るというのは見ずが引いたからであり日をあてるのではなくもともとひあがる・・・水が引くことを意味していた。水が引いたり上がったりすることであり太陽のことではない、海に囲まれていたから潮の満ち引きには敏感である。潮が引いたらそこで干潟になり鳥も餌をついばみにくる、人もそこで貝をとったりするからヒは干上がるということが基本にありヒル(昼)は潮が干上がった時が昼であった。アサヒも浅く干上がった干潟のことである。太陽のことではないとなる。海辺に住んだ人たちの生活感覚から生まれた言葉だとなる。縄文人は貝塚があるように貝を主食としていたから干潟は大事だった。生活の根拠となる場だったからヒが生まれた。ヒは太陽と関係なく潮の満ち引きと関係しているとなるとヒが日になり太陽となったのか解せない、ヒは家族語だというのはどういう意味なのだろう。?家族語の意味がわからない。

干上がるということで干潟を中心に生活していたヒ族がいてサワとかカワとか川を中心にして生活していたワ族がいてヤマを中心に生活していたヤマト族いたのか?船(フネ)をあやつるネ族が南から入ってきて縄文人と交わったのか?一番の疑問はヒの解明でしょう。引く(ひく)は日本では引地とか引いたという地名が多い。それは水が引いたですから潮の満ち引きとにている。

higata1111.jpg

日高見国(ひだかみのくに)とは干潟(ひ-がた)-高見の国である。とすると干潟の高見にある国となる。干潟を見下ろす高台にあった国となる。干潟を中心として貝をとって暮らしていた縄文人なのだろうか?この辺の新地はそういう地形であり海が近く高台に貝塚があった。そして手長明神の伝説がある。貝をとって暮らしていた巨人がいたというから地形的にはあっている。
たた日高見の国でも内陸部にもあり北上は日高見だともいうし海岸とは限らない。
要するにヒが解読できないことに問題がある。

ヒラが平たいとからが複数形のようだとヒはやはり干潟のことなのか?
人(ヒト)とはなになのか?日がとまると解釈するが干潟(ひがた)に止まっている人なのか?
ヒトとは干潟にいつもいて貝をとっているからヒトになったのだろうか?
縄文時代は確かにそうだった。

百済や新羅から入ってきた地名

百済とか新羅とかから入った言葉が地名化したのはなかなか証明しにくい


みちのくの真野の草原(かやはら)遠けれど面影にして見ゆというものを・・笠女郎


この歌の草原(かやはら)は地名だと解読した。草(かや)は伽耶のことでもあり入江のことを意味していると近江の人も言っている。草原(かやはら)を奈良から面影にして見るというものにはなりえない、地名のことだったと解釈した。現実に入江は塩崎まで入り込んでいて今回の津浪で船着という近くまで船が烏崎の港から流されてきたのには驚きました。

ともかく地名の解読はむずかしいです、どうしてもあてつけが多くなりますから・・・
では今回はこのくらいでまた暇があったら書いてみましょう
posted by 老鶯 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

桜咲く(戦争の話しを老人に聞く)


桜咲く(戦争の話しを老人に聞く)


春日さし昔を語る老爺かな


春日さし石あたたまり里に老ゆ


梅の香の流れたたずむでで虫の一匹歩む朝の静けし


みちのくは未だに花の咲かざりき南は盛りを過ぎて散りしを


みちのくにようやく咲きし桜かな仮設に住める人も歩みぬ



88歳の老人と道端で話した。この年だとやはり戦争の話だった。東京の飛行機作る工場で働いていたという。地方からも人を集めていたのだろうか?特攻隊を見送る話しをしていた。直接見送ったわけではない、女性が花束を特攻隊員にささげて別れた。油は帰る分がないので帰ることはできないし死ぬのだから帰ることはないと攻撃したのだからそれでも良かった。

この人は直接戦争に行ったわけではないし人を殺したわけでもない、志願兵で行った人は本当に人を銃剣で殺している。中国人を殺している。だからそのところは詳しく語らなかった。今日あった老人は人に聞いた話であり経験した話ではない、戦地に行っていない、ただ東急空襲を経験している。

人づてで聞いた話で中国人を並べて戦車でひいたと語っていたがこれもよくわからない、ソ連兵は日本人を戦車でひいたことは確かである。天安門でも戦車でひいた。これはあまりにも残酷なことである。人間は戦争になればそこまでやるのかとなる。戦争に関しては生きている人もすくなくなり経験者よりその話を聞いたという人が多くなっている。この世代の人は必ず戦争のことを語る。姉も死ぬまで戦争のことを語り続けしんだ、死ぬ前まで語っていた。シンガポ-ルに4年間も従軍看護婦で働いていたからである。そのことが忘れられないのである。人間はこうした強烈な事件は経験は忘れられない。それは戦争でなくても人間の一生のなかで起こることで強烈な印象になることは忘れないのである。だからそのことを延々と語ることになるのだ。

戦争で確かなことはやはりその人が身近に見たことなのである。梅毒になって死んだ人を近くで知っているから梅毒が蔓延したことはまちがいない、その人も近くでそういう人がいたと言っていたから各地に戦争帰りの人で梅毒になった人がいたのである。


(4)10年以降、中枢神経系と循環器系を中心に全身が冒され、麻痺や痴呆、精神障害


戦争が終わって10年後になるということでもわかる。近くの人もそうだった。梅毒は戦争と共にもたらされたのである。


 フランス王の シャルル 8 世 ( 1470〜1498 年 ) は イタリアの ナポリの王女と結婚した父親の遺産を相続し、ナポリを自分のものにするのは当然と考えました。そこで兵を進め 1495 年には港町の ナポリを包囲し陥落させましたが、征服軍の兵士たちはここで売春婦などと遊び興じたために、多くの兵士が新大陸直輸入の新種の病気である性病の梅毒に感染しました。

上流階級の男性の間では インディオの女奴隷を 賞味すること が流行したためであり 、その女奴隷を通じて新大陸の風土病であった梅毒に罹ったとする説がありました。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/koronbusu.htm


人間の病気はいろいろありなぜこんなに病気になるのかと思う。梅毒は戦争から生まれたということは戦争により人間の性が乱れることが原因している。韓国女性の従軍慰安婦もいろいろ言われるがすべては否定できないだろう。そういう女性を必要としていた。戦争は人間をアブノ-マルにしてしまうからだ。人間の病気は罰なのだろうか?性の乱れからだとするとエイズなどもそれと関係しているしソドム、ゴモラも同性愛とか性の乱れから滅ぼされた。ともかく戦争は露骨に人間の悪の側面が現れる。その一つが性の乱れである。梅毒とかエイズとかは他の病気とは違う、文明病とか言われたように戦争とかが原因でなっていたのだから他の病気とは違う、心臓病とか脳梗塞などは普通にある病気だけど梅毒は戦争を通じてもたらされたから違っている。戦争から様々な悪が生じてくるのである。


今日話を聞いた老人の顔は子供のような顔していた。そこに悪を感じない、素直な童顔であり飾り気のない子供のような顔をしていた。もう欲望もないしいい顔だと思った。88才までも病気にもならなかったのかもしれない、だから幸せな顔していたのかもしれない、まず今は60代は老人とは言えない、なお欲望でぎらぎらしている。これも女性でもそうだったから60代は危険な人が多い。個人差はあるにしろ全く枯れていない、ただ80以上の人は義理人情とか素朴な人がまだいる。そういう農家の人にあった。素朴な人は接していて顔を見ていてわかる。何か悪さをするという感じが見えないのである。正直であり素朴なのである。個人差はあるにしろそういう人は結構多いのかもしれない、60代はそういう人はまれである。以前としてぎらぎらした欲望がむきだしになっているのだ。そういう人だということを知っていればもっとを気をつけたが失敗だった。そういう人と接すると害を受けるから怖いのである。


ともかくこの辺では農家の人でも田んぼや畑を耕さないのだから昼間から酒飲んでいる人が多いのである。その人は仮設の人ではない、地元の人でも農家の人はやることがないから酒飲んでいる。
88才になれば何もできないからだが仕事できる人もできないから酒飲んでいる。この辺はどうなってしまうのか? ぼかぼかと石が春の日にあったまるようにいられるならいいがいられなくなった老人もいるから悲劇である。


この辺もようやく桜が咲いた。多少落ち着いたが自分はいろいろと生活に追われている。家事だけでも一人でやることが大変なのである。最近身内が死んだがその貯金を全部下ろしていなかったのだ。それで連絡がきたが通帳はすでに捨てた。通帳があれば引き出すことが簡単にできた。それがないので戸籍謄本とかを送ったりかなりめんどうなことになる。相続問題がでてくるからだ。一人の人間が死ぬことは財産があったりするといろいろあとあとまで整理が大変なのである。自分の場合は相続する人が一人だったりしているから楽だったが兄弟がいたりしたらめんどうになる。
死んだら通帳は必ず見てもらった方がいい、ここは盲点だった。いろいろ証書があってわからなくなっていたのである。