2012年04月15日

統計で見る浜通り-相双地域 (原発、火力発電地帯の恩恵の大きさ)

 

統計で見る浜通り-相双地域

(原発、火力発電地帯の恩恵の大きさ)


福島県市町村民経済計算の概要
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=17021

統計とかグラフで見るとやはり相双地域は原発や火力発電所とか電力供給地帯として潤っていた。産業は電力だった。さらに今居住困難地域となった原発に一番近い大熊とか双葉は収入が県内で一番良かった。普通南相馬市から大熊まで働きに行くということはないけど原発関係でない人も働きに出ていた。働き口もあった。原発関係でも東電の人も南相馬市にもいた。それから火力発電所でも南相馬市にも相馬市にもあり千人も雇っていた。この経済的影響は大きいのである。原発は燃料費が安いからコスト的に電力会社では推進したいことがわかる。石油だと高すぎるのだ。原発は電力会社でも地元でも金のなる木だったのである。そして一時産業農水山林業とかなるとグラフで見るといかに少ないか一目瞭然である。一割にも満たない、ところが感覚的には土地をしめているのは田んぼであり山林である。飯館村でも7割が山林であり除染がむずかしくなっている。ここに田舎に住んでいるものの現代の錯覚がある。経済的には農林とか漁業の経済でしめる割合は極端に少ないのが現代なのである。ただ感覚的に農林漁業が主体のように見えてしまうのが田舎なのである。農協でも以前として票田として力をもっている。でも実質は農林漁業ではなく収入は別になっている。会社とか工場勤めの収入であり専業農家は少ない、兼業農家が多くそれでも田をもっていれば国から補償される。

そういう矛盾が原発事故問題にも現れていた。戦前までは八割は一次産業であった。ほとんどが東北では特に農民で貧しかった。そこで問題になっていたのは土地をもたない小作であり地主に対する恨みが深かった。ところが経済の一割くらいしか経済でしめる割合がなくなったとき農業の実体は変わってしまった。田舎に住んでいると田舎を支えているのは田畑をもっている今でも農民だと感覚的に思ってしまうのである。でも現実は変わっている、第一次産業のしめる比率は一割に満たないのである。

だから今回の津浪や原発事故で一番困ったことは交通の問題だった。車がガソリンなどが入らないことで物資が入らないことだった。南相馬市では特に放射能を恐れて物流が途絶えたのである。食べるだけだったら米だけでも一二週間ならまにあう。ところがその前に物流が途絶えると不足するものが現代の生活では多すぎるのだ。医療では薬とかが不足して外から入らず困ったことでもわかる。

医療関係も第一に困ったのである。困る優先順位は必ずしも食糧ではない、水道とか電気や道路、交通のインフラだった。水道が壊れたところもあり電気も通らなくなったら米があっても米もたけないのである。かえってこういう時は自給自足している生活は強い、現実に三陸の方では牡鹿半島などでも水源に裏山の清水とか利用して薪を燃やして米をたいていたのである。水道も電気も途絶えればそうせざるをえない。田から都会などは災害には弱いのである。電気も水道も途絶えるとお手上げになってしまうからである。現代は外からいくらでも物資が入ってくる時代である。でも交通が途絶えたら何も入ってこないからかえって災害には弱いとなる。なるべく近くのあるもので生活していれば災害には強いのである。


いづれにしろいかに浜通りが電力供給地として経済的に大きな割合をしめていたかグラフでわかる。だから原発事故の影響は計り知れなく大きい、もちろん浪江町とか双葉とか大熊も町として消滅すれば全体的に経済は縮小してしまう。田舎を支えているのは今は第一次産業ではない、だからこそ漁業権者は原発から多額の補償金をもらっていた。福島県では漁業がなくなってもそれほど影響がない、原発とか火力がなくなることの方の影響が大きすぎたのである。農業もそれほどの影響がないというのも感覚的にわかりにくくても実質の経済ではそうなっていた。でも農業などは第一次産業は経済的統計的にだけ見れるものかどうかはわからない、田舎に住んでいれば感覚的にそうはなっていないからだ。田んぼに人がいないで耕していないということは田舎ではない、すでに都会と同じになってしまう感覚なのである。でも実質的には第一次産業が一割にも満たないということは経済的影響は少ないとかなる。おそらく農業漁業がなくなっても他の産業があれば市町村が経済的には成り立つ、それがどんな市町村になっているのか今は想像しにくいし未来を描けないのが実情である。

経済規模が縮小して若い人がさり高齢者だけがふえて限界集落のように高齢者の街になってしまう。限界集落化してゆく恐怖がある。

南相馬市では原町区で震災前は4万7千であり震災後は3万2千である。
鹿島区で震災前は1万1600であり震災後は一万三千くらいである。
鹿島区であれだけ仮設住宅建ったのに人口は2000くらいしかふえていないのは意外である。
少なくとも5千人くらい増えた感じがする。
小高の人は一万二千人いても全国に散ったのである。他の人も親戚などを頼り全国に散った。
南相馬市内に移動している人はどれくらいなのか、意外と南相馬市より外に出ている人も多い。
鹿島区に小高区の人が多いと思ったが意外と少ないから全国に散らばったのである。
南相馬市のホ-ムペ-ジでは5千人は南相馬市以外に転出した。

南相馬市立病院の看護師が130人にいたのが108人まで回復したのは心強い。一時半分以下になり崩壊状態だった。病床数は半分である。医者の数はどこも3人くらいへっているからこの回復が問題である。
看護師の数をみると確かに前よりは意外と増えているから何か安心する。でも医者の数は以前として少ない、医療関係は高齢化社会では重要なインフラだからこれが弱いところに高齢者も住みたくないとなる。


南相馬市の統計資料
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/sinaijokyo/hinan-jokyo.jsp

posted by 老鶯 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連