2012年04月11日

相馬市の日立木の「日下石(にっけし)」「日ケ子(し)」で地名の謎が解けた 怪しい地名の研究-鳥野博文氏


相馬市の日立木の「日下石(にっけし)」「日ケ子(し)」で地名の謎が解けた

怪しい地名の研究-鳥野博文氏
 http://www005.upp.so-net.ne.jp/unolab/timei4/timei4.htm



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津浪の浸水地域(相馬市日下石-磯部)

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「西(にし)」と「東(ひがし)」


「太陽の昇るのが東で、沈むのが西」と教わり、同じ事を子供たちに教える。このフレーズは何回発せられたであろうか。日本人に限らず世界の多くの人々が方位の認識に「太陽」利用している。
ところで、正反対の方位である「にし」と「ひがし」はともに末尾は「し」である。

東日本に分布が厚い「橋」の付く地名の語源解釈のなかで、「は」は「端(は)」で、「し」は単なる部分ではなく重要な部分という意味ではないかと考えた。「橋」は「端の重要な部分」ではないかと考察した。

東は太陽(ひ)の昇る方向であり、太陽にとって重要な部分すなわち「日ケ子(し)」ではないか、とだれでも考えることだと思う。



相馬郷土史研究をしているので地名も研究しています、もともと小生は学問に興味をもったのは旅をして地名に興味をもったからです。「怪しい地名の研究」はプロ級だと思い感心して読みました。
ただこの頃原発事故のあった所に住んでいるので他のことに注意が向きません
怪しい地名の研究も読んでいませんでしたし深く検討もしていませんでした。 今回ちょっと読み直して発見がありました。相馬市では津浪がありました。津浪には本当に驚きました。津浪によって今までわからないことが明かにされたことが多々ありました。その中で縄文海進時代の海の状態が明らかになった。再現されたことには驚きました。縄文海進時代が目の前に再現されたのです。


この辺では「日下石(にっけし)」という地名はアイヌ語で解明していました。日本語では解明しにくいからそうなったのでしょう。それで「日ケ子(し)」と書いてあることに驚きました。まさにここの日下石(にっけし)そのものです。その日下石(にっけしのすぐ近くまで津浪は来ていました。
あの辺に磯部から死体が流れ着きました。磯部の被害は大きく、相馬市磯部村 1,813人 497世帯
このうち250人死んだとすると13パ-セントが死んだことになる。家は一軒も残らずもともと砂州だった所が砂州に戻ったのは驚きです。


最近出版された「この地名が危ない」楠原祐介は興味深いものでした。小名浜(いわき)女場(おなば-小高)とか女川(おながわ)は男波(おなみ)であり津浪のことだという指摘など津浪関係のことが書いてあった。どうも怪しい地名の研究でも日本語の一字から解明しているけどこれは縄文語にも通じる古いものだった。アイヌ語ではない縄文時代から使われていた言葉だった。ヨコがヨから解明していたりネという言葉やワという五十音の一字に注意していたのは自分もそれを解明しようとしたができなかった。南相馬市小高の縄文時代のことを書きましたがやはり縄文人が住んだ所の遺跡はもともと海だった所をさけて住んでいた。それより海だから住めなかったのです。そこが本当に津浪で海になったから驚きです。海側の地名は縄文海進時代からものでそれだけ古いことがわかった。これは津浪でわかったことです。


最近原発事故とかのことで忙しいので「怪しい地名の研究」などでも読んでいません。最初からこれほど研究されていることに驚きました。そこまでインタ-ネットでは出さないから学者並だと思っていました。大和言葉の五十音の一字一字には深い意味がある。そこが怪しい地名研究の発見ではないでしょうか?そこから新しい地名の発見があるでしょう。それが「日下石(にっけし)」が「日ケ子(し)」という発見だったのです。


「にし」とは「土、地面」の上のどこかにある「日」の没する重要な部分ということになる。日の昇る場所が「日ケ子」で、日の没する場所のあるところの重要な地面が「土(に)子(し)」である。九州到達までは方位の定義としては適切である。


「日ケ子」は日下石(にっけし)でありニに日(陽)をあてたのは正解です。太陽のことです。津浪でわかったようにまさに太陽が昇る所だったのです。地名には重要なことが隠されているようです。

誤解があった-日ケ子(ひけし)?であり日下石(にっけし)である。

陸の方向「土(に)子(し)」だとする日下石(にっけし)は西の方角になる。日ケ子(ひけし)のことですか?東はひんがしであり日が昇る岸でしょう。不思議なのは日下石(にっけし)まで海になったとき太陽は沈むのを見ました。それは日下石(にっけし)西の方に沈んで行ったのです。つまり陸地の方に向かって沈んでゆきました。その前は海でした。ということは陸からみて陽が昇る岸がひんがしであり西は海から陸になる地帯である。ともかく海から見た感覚であり陸地から太陽を見ていないとなる。日本人は海洋民族であり海から望むということは船で陸地を見ている人の感覚である。
日下石(にっけし)が西の方向という感覚はわかりにくい、海に接しいるのだから西となると海側から見て陸地だから西だとなる。日はひではなくニに当てた字である。

地名は科学的に証明するのがむずかしい。統計的に証明しようとしたのは科学的に証明しようとしたからその努力には驚きました。

最近、原発事故のことで忙しいのでいろいろ読めません、本を献呈されても深く読めません。

インタ-ネット上で暇があったら相馬郷土史研究の一つとしてまた発見があったら書いてみます。
どうもコメントやら本の献呈やらの申し出ありがとうございます、アマゾンでも買えるようですから買うかもしれません。いろいろ本も読むのが今あり目を通せません


ところで津浪に関しての地名についてインタ-ネット上で書いているでしょうか?
書いていたらお知らせください、今津浪のことを継続して研究していますのでよろしくお願いします



あとがき

 
海から渡ってきて陸の方に太陽が沈む、陸を意識して西のニが土だということはわかる。つまり陸からみて陸に沈む太陽ではなく海から見て陸に沈む方向が西だった。これが大陸だったら陸から昇り陸から沈むから日本人の感覚にはならない。日本人は海を意識した民族というのは海に囲まれているから当然である。だから津浪と海岸線の地名は深い関係があるかもしれないということはありえますねこの辺が今回の津浪で解明されれば興味深いし警告にもなるということです
posted by 老鶯 at 21:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 地震津波関係

南相馬市小高区は16日警戒区域解除-でも帰る状態ではない・・・ (分断される原発事故の被害地域・・・)


南相馬市小高区は16日警戒区域解除-でも帰る状態ではない・・・

(分断される原発事故の被害地域・・・)


 
警戒区域が16日解除される南相馬市は7日、立ち入りに関する注意などについて住民説明会を開いた。住民は県外からも参加し、会場に入り切れずに急きょ2回に分けて開催。期待と不満から激しい質問が相次ぎ、国の対応の遅れにいらだちの声が上がった。

97歳の母親を亡くした経験を話す。林さんの母親は事故後、老人ホームを転々と移されたあと、遠く離れた施設で昨年4月に亡くなった。だが東電は、林さんが受けたと主張する精神的損害600万円の支払いを拒否した。林さんが東電にその理由を尋ねると、単に請求は「補償の範囲外」とだけ説明した書簡が送付されてきたという。


 それから間もなくして、妻の輝子さんが心臓の手術を受けた。医者によると、避難のストレスで健康状態が悪化したことが原因だった。林さ
ん夫妻は避難所となっていた学校の体育館の床で1カ月、寝泊まりし、その後4カ月はホテルの1室を別の夫婦と共有していた。だが東電は、輝子さんが請求した精神的損害賠償1000万円について、既に医療費を支払ったとして拒否した。
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/article/4579


宿泊禁止で、水道もトイレも使えない。家庭ゴミやがれきの処理、除染は国の責任で行うが、日程すら決まっていない。桜井勝延市長は「許可や時間制限なく帰宅できるようになるが、住める訳ではない。避難は続く」と説明した。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20120408ddlk07040060000c2.html


準備区域解除は、除染やインフラ整備の終了、病院や学校の再開にめどがつくことが条件。「早く復旧しないと、誰も戻らなくなる」などの意見もあり、復旧は住民帰還に向け時間との闘いになる。



警戒区域内工場を閉鎖=大日本印刷と藤倉ゴム−再開決断企業も
 大日本印刷と藤倉ゴム工業は6日、福島県南相馬市小高区の「警戒区域」内にある工場を閉鎖する方針を固めた。工場周辺は16日、東京電力福島第1原発事故の影響で立ち入り禁止となっている同区域から解除されるが、両社は既に他県への生産移転を決めており、「コスト面から再開は難しい」と判断した。
 震災発生から1年。「被災地の復興に水を差しかねない」と閉鎖や撤退の判断を先送りしてきたが、「いつまでも放置できない」(藤倉ゴム)として、警戒区域の見直しを機に決断した。(2012/04/06-21:03)


昭和53年 浪江町に福島工場新設 エスエス製薬福島工場閉鎖(エスカップ生産)



警戒区域では富岡、双葉・大熊≫浪江≫南相馬市小高区≫南相馬市原町区≫南相馬市鹿島区


この順序で被害も住民意識の違いが現れた。富岡、双葉、大熊は原発の恩恵を一番受けていたが被害も一番大きかった。真意はともかく富岡町長の5億円の金庫が話題になったのもそのためである。
浪江で富岡、双葉・大熊が原発を積極的に誘致したためだと恨む人がでている。浪江の被害も大きかったからである。次に小高区もそれほど放射線量が高くないのに警戒区域になったので被害が大きかった。ただ浪江と小高の間に東北電力の原発が建てられることが決まっていたので南相馬市内で原町区や鹿島区で今になって避難する人たちがいる。自分は知らないし知らない人もいた。原発は秘密裏に行われ知らないという人が結構いる。政府も東電も知らせないのである。スピ-ディを最初に知らせたのはアメリカ政府であり日本政府でなかったことでもわかる。政府も東電も安全管理などしていなかった。事故はほぼ絶対に起こらないという安全神話の上に成り立っていたからである。だから危険な山側に浪江の人たちは避難した。双葉とか大熊は埼玉とかに避難したから放射能の危険を知って遠くに避難した。それなりに情報が入っていたのか、事前の準備があったのか、浪江とは違っていた。飯館も全く放射能のことは知らないから知らせられないから避難しなかった。一時1000マイクロシ-ベルトになった所があったというから驚く。危険は政府からも東電からも知らせられなかった。
一か月あとくらいに要約政府東電以外の専門家が入って危険を指摘して避難したのである。

小高区はやはり警戒区域になり強制的に避難させられたから精神的被害の補償を要求している。体育館などに避難した人はそうである。避難の過程で高齢者が弱って死んだ。その数は100人くらいいるとか表にでてこない。自分でも高齢の母親を介護しているから避難したら確実に死んだ。避難するほかないと言ったときふるえていたからである。避難する体力もなかった。南相馬市原町区は緊急時避難区に指定された。30キロ圏内でありここでも避難することが要求されたが妊婦とか子供をもっている人は避難したが高齢者や介護している人は残っていた。ここでも補償は要求している。南相馬市鹿島区は30キロ圏外であったが市役所の人が避難するように言ってバスで避難した人がそれなりにいた。ただ残った人も多かった。屋内待避だった。あとで補償金をもらった。相馬市は補償金はゼロだけと耕作禁止にもならないから普通に暮らしている。でも原発の被害はそれなりに受けている。


原町区は精神的補償の被害などを要求できるが鹿島区はできない。でも体育館などに避難した人はしているだろう。こうして原発事故では市町村で被害が違っていてそこで住民感情が違ったものとなってしまった。住民が感情的に分断されてしまったのである。特に南相馬市は四つくらいに分けられて分断させられた。居住困難地域もわずかだがある。これは双葉や大熊でも他でもも放射線量が多い地域と少ない地域がありそこで地域のまとまりがなくなり分断される。伊達市の小国地域などがそうである。隣は避難できて援助があっても自分の家はないと嘆いている人がいる。こういうふうに分断されるのは政府とか東電にとっては都合がいいのかもしれない、もちろん全部補償しきれないということもある。でも地域のまとまりがなく分断されれば自治体の力は弱まり政府や東電の言いなりになるということもある。

人間はともかく金のことになると目の色を変えるし妥協はしない、親族の遺産争いがそうであり金がからむと人はばらばらになる。そもそも原発自体が金のなる木であったことに問題を発していた。

金になるのなら危険もかえりみない、それは政府でも官僚でも自治体でもマスコミでも莫大な金が流れたからそうだった。人間の欲が深くからんでいたのである。そして第一産業でも農家でも漁業でも跡継ぎがいないとか建築土木関係も公共事業の減少で衰退していた。だから仕事かないと盛んに言っていた。小高の大工さんも原発ができれば景気よくなるとか言っていた。そして大堀の相馬焼の人も東京に避難したが斜陽産業だからつづけられるかどうかわからないと告白していた。相馬焼も焼き物も斜陽産業なのかと思った。 小高区の人で南相馬市立病院でしりあった人はエスエス製薬のエスカップの生産にたづさわっていた。昭和53年 浪江町に福島工場新設とあり浪江町の工場があって通っていた。こういう工場の閉鎖は大きな痛手となる。これは斜陽産業ではないだろう。


不思議なのは回りが田んぼだと田舎は第一次産業が中心だと感覚的に思ってしまうけど今は違う。工場とか会社かなくなったら働く場所がなくなり住めなくなる。浪江の人で二本松に工場を移して通っていた人がいた。会社とか工場がやはり重要な役割を果たしている。昔だったら第一次産業が中心の世界だったら田畑を耕さないから死に直結していた。そういう危機感が全くないのも不思議である。食糧は金さえあればどこからでも全国から世界中から入ってくる。だから米を作らなくても別に金さえあればいいとなる。でも田もない畑も耕されないとなると荒寥としてくるのが田舎である。原発事故は放射能汚染であり一番第一次産業に影響した。山林が汚染されたし水も汚染されたりとか生活の基となる所が一番汚染されたのである。都会の場合だったらまた違っていた。食糧をもともと生産していないのだから他から買えばいいとなっているからだ。でも放射能汚染はアスファルトの道でもコンクリ-トのビルでも汚染されると削るほか放射性物質をとる方法がないからこれまた除染ができないとなる。
樋の下のコンクリ-トの所は高くいつまでも放射線量が高いのである。一方森とかの放射性物質は泥と共に川に流れたりしてへってゆく、コンクリ-トの中にしみこんだものはへらないのである。


いづれにしろ住民が補償金のことで感情的に分断されていることは政府や東電にとっては都合がいいから放射能汚染地帯の自治体は何か手を打つ必要があるのかもしれない、それより本当は広い範囲で原発は反対しなければとても政府とか東電とかの財力に負けてしまうものだった。原発に関してそういう認識がなかった。原発はここから遠いと思い安心していた。中通りの郡山でも二本松でも福島市でもそうだろ。自治体が分断されている所には原発はもともと建てやすいということがあったのだ。福島県全体で反対していれば原発は建たなかったのである。前も書いたけど非常に狭い範囲で決められていた。他の人は門外に置かれた。被害があってはじめて原発が遠くも危険だと認識したのである。今になれば中通りの人も被害にあったのだから郡山と福島市の人たちが反対したらとても原発は建てられなかった。一地域の住民エゴで原発が建てられたから今になって問題になった。そして今度は補償金の問題で地域が分断されている。金で分断されている。金がからむと人の心は分断される。これまた金であり金が諸悪の根源だともなる。補償金で目がくらんでいる人もいる。一億円補償してもらうとか現実味帯びてくるとそれで目がくらみ金の勘定ばかりして原発事故のことなど忘れる人もでてくるかもしれない、問題の本質は忘れ金の問題だけになってしまうこともありうる。金がなくても故郷で先祖代々の地で仲間と暮らすのが一番いいのだとかいう心の問題も喪失してしまう。一億円もらって移った方がいいとなる。そしてそれは政府とか東電には都合がよく核の廃棄物の処理場にされてしまう。人間は金がからむともう眼がくらみ本質が心の問題は無視されるのである。

posted by 老鶯 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連