2012年03月25日

春眠(電車が走り出す-そして地震で覚める)


春眠(電車が走り出す-そして地震で覚める)


春眠や寝ていて電車の走り出す


春眠や地震で目の覚む浜通り



電車での旅が長かったから良く電車の夢をみる、今日は半日くらい寝ていた。春は眠たくなるのかな、学生時代からまず寝て暮らすということを覚えてしまった、学生時代を過ごした人がよく会社人間になっていることが不思議である。でもなまけることも楽じゃない、今この辺で仮設住宅に入っている人が食っちゃ寝、食っちゃ寝で嫌になったと言っていたけどそういう経験していないで働いてばかりの人はそうなる。どうもここ五年間旅行していないと家にばかりいると時間が何倍も長く感じる時がある。旅行していると時間が早くすぎる。同じ所にいると時間が長く感じる。ただ何か書き物しているときなど時間が短く感じる。何もしていないと時間が実に長く感じる。

団塊の世代は65才でたいがい退職するというときそのあとまだ先が長いとする暇をもてあます人々を大量に生むことになる。あらゆることが仲間も生きがいも会社だという人は何をしていいかわからなくなるだろう。ただライフワ-クのようなものをもっている人は違っている。老後に実るようになる。芸術などはそうである。芸術だけではない晩年はその人の仕事の集大成になる。いい面でも悪い面でもそうである。その人の人生の答えがいやおうなく出てしまうのである。いいかげんな人生を送った人間はいいかげんな最後となる。若いときの犯したちょっと罪も最後に深く意識されるのも不思議である。あらゆることが最後に結果が現れる。知識なんかもその一生の積み重ねなのである。その人の学んだものが最後に書くものに現れる。それは偽ることができない、そして人生は終わりに近づけば自分のしたことやなぜこうだったのかとかいろいろな謎が解けるし思想的に哲学的に深いものが理解できる。だから別に知識のない老人でも何か悟ったような知恵ある老人に見えたりする。

でも60代では男女ともまだ男として女として本能的であり性の欲望も強くなっていることに驚いた。もともと自分は体が弱かったから本能的欲望に時間を費やされなかった。

意外と青春をそうした本能的のものが強いから精神まで欲望で消耗されのが多い。確かに一時期は誰でもそうだがそのことが後年大きな時間のロスだったとことを気づくだろう。青春を清らかに過ごさなかったものは天才をのぞいては実りはあるものとはならない.でもカルト宗教団体とかで青春を費やす人も実に多い。それも無益なことだったと晩年に気づいてもおそい。すべて晩年は結果であり何事も手遅れでありそのことがショックとなる。無益な罪を罪と思わないような時間を過ごした人ほど人生を悔いることはない、時間こそが一番貴重だったことを知るからだ。その時間が一番浪費されているのだ。今日も長い一日だった。


春眠と言っても夜に地震があった。震度4だから結構怖い、もっと長いゆれがつづくような地震の感覚だった。でも短くて終わった。余震がもう一年以上つづいている。余震がこんなにつづくのか、
まだ大きな余震がくるだろうとかいわれる。あれだけの地震だから余震も長くつづく、こんなことは日本でもあまり経験していないだろう。もう一度大きな余震が来たら原発はどうなるんだろうかと不安になる。春眠といっても今までの春眠とは違っているのがこの辺なのである。