2012年03月17日

津浪で失われた風景 (春の海-海岸沿いをゆく-大熊-請戸)


津浪で失われた風景

(春の海-海岸沿いをゆく-大熊-請戸)


ookumasea11111.jpg

熊川-請戸(写真)
http://musubu2.sblo.jp/article/17459204.html


過去の情報としてこれは貴重だった。熊川から海に出た所だった。ここは明かに津浪にやられた。
家もあったからその家も流されたし死んだ人もいるだろう。
浜通りで海をみて俳句を作っていた人がいた。農家の人だった。


harutttttt22222.jpg

春耕や一時休み沖に船


耕しというのがあった。海辺の農家だったら海を見ている。そういう風景は普通にある。
海江田とか海田という地名はあっている。広島県安芸郡海田町があり海田駅もある。瀬戸内海辺りだとそれは日常的な風景だろう。この辺は海が荒いし海は親しみ安いものでもなかった。


ともかく大熊や浪江は警戒区域で入れないのだからこの写真は貴重である。熊川の桜も津浪で流されたかもしれないし人が入れない、請戸の港の写真も貴重である。あそこは一軒の家もなくなった。
土台しか残っていないことが信じられないのだ。この辺は全く春が来ない、春が失われてしまったのだ。

春耕がこの辺では見られない、南相馬市では耕作していないからだ。相馬市に行けばまだ春耕はありうる。いづれれにしろ海辺の方は津浪の被害で春耕という平和な景色は見れない、殺伐としているのだ。

posted by 老鶯 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

初音(下男となっていた夢)


初音(下男となっていた夢)

hatuneee111.jpg

買い物に小雨ふるなか初音かな


下男にも小雨のふりて初音かな


六号線小雨の中に雲雀かな

変な夢を見た。自分が働いていたのは他人の家だった。下男のように働いていた。家事をしして働いていた。そこは自分の家ではない他人の家だった。考えてみれば今やずっと家にいても下男と同じだった。家の主となれば忙しく家事に追われることはないだろう。三食用意されているから家の主といえる。前は自分は恵まれていてそうだった。今は家事全般をする下男なのである。


それで母のことを考えると母は嫁いできたとき鍋一つ買ってひどくしかられたという、その時戦後まもなくものもなにもないときだからそうなった。それでも自分の家としてはひどいことだった。そして女中のように働きづめの一生だった。その世代は大正生まれなどはみんな働きづめの一生だから趣味もなにもない、趣味とかはやはり時間かけて自ら育てない限りできない、俳句のようなものでも余りにも忙しかったらできない、暇があるからこそ学問も発展したのである。


風流は別に働いていてもありうる。ただ仕事していると仕事のことに心を奪われるから自然を感じる余裕がない、数を計算していたりともし自然に注意すると仕事がおろそかになり失敗するだろう。
人間は二つのことに注意をはらうことができない、そして車に乗っていると風流は感じない、風とかが感じないからだ。今日は小雨がふっていたからぬれても自転車で買い物に行けた。それで初音も雲雀の声も聞くことができた。


六号線は小高から南は警戒区域で入れない、六号線は東京まで通じていることに意味があった。それがないから常磐線も通じていないからなにか南の方は閉ざされてしまったから江戸時代にもどったような気分になる。なんとか仙台の方にゆくには便利である。ただ高速バスは直通で東京にでていることは便利である。