2012年03月16日

原発事故の原因-縦割り行政 (文明崩壊破綻の象徴が原発だった)

 

原発事故の原因-縦割り行政

(文明崩壊破綻の象徴が原発だった)



自ら所管する分野では非常に高い管理能力を有しながら、むしろ相互協調メカニズムが欠落しているため、常に深刻な効率低下を招いてきた。

いわゆる縦割り行政とは、日本政府の各省庁が上から下を管理する、という中央から地方につらなるピラミッド型の公務員システムのことであり、それは極めて大きな既得権階層を形成した。


政府が絶えず首脳を交代させても、各機関は平常どおり機能する。官僚システムを制約するのは首相官邸や閣僚の命令ではなく、規則と制度であり、常軌を逸してもいろいろと口実を設けて埋め合わすこともある。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2011-03/28/content_22237378.htm


東京電力は先ず、原発立地町村の自治体を取り込む。トップは首長であるが、実質的には総務課長、教育長、、など、従来からのやり手職員が東電と結託していくのだある。
首長が交代しても結局は原発を安全神話プロパガンダを発信続けることができるのは行政執行部である。
http://blogs.yahoo.co.jp/chikako_5155/5805956.html


文科省は学校での被曝のことだけ、


農水省は食事のときの被曝のことだけ、


観光庁は旅行の時の被曝のことだけ、


班目春樹・原子力安全委員長らは聴取に「文科省が勝手に決め、安全委に(公表の役割を)押しつけた」と証言した。事故調は「文科省が安全委に一方的に役割を『移管』した」と推定。「文科省の対応は、責任回避を念頭に置いた組織防衛的な兆候が散見され、公表遅れを招く一因になった可能性は否定できない」とした。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120228k0000e040165000c.html

 



縦割り行政というとき江戸時代までは横の力が強かった。地方の力、藩の力を基にした国造りであった。それはそもそも農民を中心にした社会であり土地を基盤にした封建社会だから当然だった。
燃料も炭であり山の薪だったし地方地方で自給自足が建前の社会だから横に力は分布していた。
縦型社会になったのは明治維新からの工業化であり欧米列強に抗する為の富国強兵のためである。
そのためには日本を強力な中央集権国家にすることが急務だった。それで廃藩置県を実行して中央が国が強力に地方を支配する国家造りになった。それはあらゆる面でそうだったのだ。情報分野でも新聞が全国に配達されるとき新聞の力は大きかった。本も出版されたがそれも東京経由でしか出版されないとか文化も東京中心の世界を作った。標準語も東京中心の中央集権国家から必然的にそうなった。情報は中央集権的一方的なものとして縦割りとして統制されたのである。こういう強力な縦割り社会は戦争とかするには機能的なのである。横の力、地方の力はあらゆる面で弱体化したからである。

東京電力は先ず、原発立地町村の自治体を取り込む。トップは首長であるが、実質的には総務課長、教育長、、など、従来からのやり手職員が東電と結託していくのである。
 

中央からの力が東電や官僚や政府が一体となった力が自治体の幹部をとりこみ原発の安全神話を作らせる。それで富岡町長の5億円入っていた金庫が津浪で流されたとか噂になった。それはまさにこうした縦割りの行政になっているから噂されたしそういうことがあっても不思議でないとなったのだ。上層部を抑えれば下々も従ってゆく、操作することができるという縦割り社会になっていた。

東電の力は国家並の力をもっていたしそれと同調してし経団連もあるのだからその縦型の圧力が結託すれば下々のものは逆らえない、そこに情報を管理するものとしてマスコミも結託する。それは戦争体制そのものだった。そしてそのヒエラルキ-には東大とか東工大とかも結託して中央の国の管理を強化する。裁判官も原発訴訟でも原発は安全だと安全神話を作った側でありその一人は東芝に天下りしているとか法の番人も原発事故の大きな責任があった。縦割り社会行政のなかでトップの責任はやはり重いが問われることもない、これは戦争と同じだったのである。現実に戦争を推進した人たちは罰せられることなく戦後も国の重要な要職についていたのである。

今回の津浪と原発事故ではいろいろなものが暴かれた。それは日本の敗戦と構造がにていた。

縦割り型の強力な中央集権的国家体制が起こした犯罪とも言える。地方自治体の力は余りにも弱すぎたのである。トップはスピ-ディも公表せず一番危険な場所に住民を追いやった。浪江などは一番放射線量が高い津島に避難したのである。地方自治体は東電から政府からも安全神話だけをおしつけられ肝心な放射線の情報など入ってこなかったのである。これは徳川幕府支配ともにていた。民には見ざる、聞かざる、知らざるである。放射能のことは見せるな、聞かせるな、知らせるな・・だったのである。それは今でも疑心暗鬼になりつづいている。モニタリングポストが各地の公園に設置されたがその下の土をとったりすれば放射線量は低くおさえられるというのも本当である。だから実際は回りはもっと高いところがあっても一番低く表示されるとかなる。政府のやっいることが信じられなくなったのである。信頼関係がなくなったのである。甲状腺ガンの検査でもポリ-プができても福島医科大学では国の管理下に入ったから本当の情報は出さないから信用できないから山形の大学で調べてもらうとかなる。そういうふうに中央集権の縦型社会行政が信じられなくなったのである。


文科省は学校での被曝のことだけ、


農水省は食事のときの被曝のことだけ、


観光庁は旅行の時の被曝のことだけ


原発事故でも様々な分野の人が管理してたけど土建屋は土建屋で自分たちの専門に口だすなとか原子力の専門家は原子力について放射線について素人はわからないとか互いに専門家同士の意志疎通もなかった。今でもこうして部門ごとに省ごとに分化して責任逃れしている。そのことはすでに政府の問題だけではない゛文明自体の問題でもあった。ナチスについてもそうした文明の専門家、多様に部分化したなかで自分の部門だけのみの責任でありあとは知らない責任がないとなる。上司の命令でガス室送りのサインを押しただけであり私には責任がないとかなる。下のものは殺人でも上司に責任がありとなり上司は上司で他の部門の責任があり私の部門の責任ではないとなる。そういう社会体制が原発事故が起こした原因でもありそのあとの放射能の処理でもそうなっている、問題は継続しているのだ。原発はこんな縦割りの無数に分化した体制では管理できない代物だったのである。

こうした文明が作り出したものが文明自体を破壊してしまう。そういう代物だったのである。
被曝に関しても総合的被曝としては計算されないことでもわかる。結果的に被爆量は低いものとなる。原発事故はやはり文明の崩壊、破綻のシンボルだった。自ら作り出したものを遂にはコントロ-ルもできず放棄さえされる状態になった。今でも原子炉の中が何になっているかわからない、もう一度大きな地震が来たらまた再爆発したりメルトダウンしたりして手に負えなくなるとかの恐怖から解放されないのである。

posted by 老鶯 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連