2012年03月15日

昨日は東風今日は北風 (無常の世、仮設で一冬越した)


昨日は東風今日は北風

(無常の世、仮設で一冬越した)


昨日は東風(こち)今日は北風浜通り


春の雲隣の街へ連なりぬ


春の日や汽笛のなるも相馬まで


恨めしき警戒区域に入られじ春の雲浮くかなたを見るかな


人の世は常ならぬかも仮設にそ一冬越して春となるかな


大きなる我が家にうなる北風や我の一人し働き守る


昨日は明かに海の方から吹く東風(こち)だった。今日はひゅうひゅう北風になった。今年はいつもの年より寒い。飯館村の不運は風にあった。この頃東風が吹く、それが山の方に吹いた。福島市や郡山市の不運もそうだった。いわき市は近いけど放射線量は低くかった。これも風と地形のせいだった。朝は春の雲が浮き原町の方へぼかぼかとつらなっていた。前だったら原町からさらに小高浪江双葉と道は通じて心も遠くへと向いていた。そこは警戒区域で入れないことが信じられない。その点飯館村は放射線量が高くても入れる。だから春になったら行ける。浪江の高瀬川などは行けない。別に放射線量が高くても気にしない人は気にしない、それにしても人が住まない町や村は不思議である。
春になったらぽっかりと街の上に春の雲が浮かんでいる。しかし誰も住んでいないのだ。
そんこと今まで経験しているだろうか?


いづれにしろ人間の世は本当に無常である。自分の一身上でもここ五年間は無常の連続だった。
身内が死に介護だとか家族がばらばらになるとか自分が病気になり火事場泥棒にあうとか人間の醜い面をいやというほど見てきた。そしてなぜか津浪と原発事故で回りも最悪の状態になった。
仮設住宅に住んでいる人自体も信じられないだろう。なぜこんなふうに故郷を離れ仮設に住んでいるのかとなる。個々人ではなく全体が常ならぬものを経験した。無常をいやというほど経験した。戦争の時とにている。すでに一冬越して春となっている。神戸の地震のことは遠いから身近でなかったからわからなかったけどこの辺と同じ様に家がなくなったり大量に人が死んだからにたような状態だった。同じ様なことを経験していたのだ。

人間は90になろうが世の変遷をまねがれられない、自分の家でもそうだった。何が起きてくるかわからない。だから団塊の世代は非常に恵まれていた。高度成長時代を順調に生きて大きな災難にあうことがなかったのである。自分なども特に恵まれていた。それがここにきて最悪になったのである。
いづれにしろ人間の平和は長続きしない、必ず不運があり災難がある。六〇年平和だったら必ず災難がやってくる。自然も地震や津浪といつも平穏であるわけではない、必ず災いをもたらす。恵みをもたらすが災いをもたらすのも自然だったのである。


この辺で廃業がふえた。街中で二軒の店がとりこわされ空き地となり一軒の歯医者は家ごとなくなった。一体どこに移ったのだろう。長く歯医者をしていた。大きな印刷屋も消えた。ふえたのは仮設住宅だけである。人はふえてもその人たちは働いていないのだ。一時的にいるものだから定住して町をもりあげるということはない、自分の家は昔風の家だから大きいことは大きい。でも住宅風でないから住みにくいということはある。ただ今は自分が一人で働き守っている。結構楽じゃない、家事全般をやると結構な労働なのである。それが一人でもできているのはインスタント食品とか機械化されているからである。洗濯機とかいろいろないととても一人では家すら維持できないだろう。家事は機械化で省力化したから主婦でもパ-トで働けるようになったのである。

いづれにしろ津浪でなくても突然に家も人も全く消えてしまうことである。何代もつづいた家もあるが突然に家も人も消えることがありうる。そこにまた家が建てばそういうことはない、津浪の跡のように空き地になっているから余計にそう感じた。一方人がいなくなった貸家でも代わりに若い女性が住んでたりすると前の人のことは忘れる。そこに春の日がさして犬が眠っていて平和なのである。


草の戸も住みかはる世や雛の家 芭蕉


こういう感じになる。草の戸だった家に華やかに雛が飾られている。そういう変化とにている。
こういうことは江戸時代であり人間の世界では常にあったことなのである。芭蕉は放浪の旅に出たけどまさに家すら一時的な仮の宿と心得ていた。そういう生活であった。この辺では津浪で家がなくなり空家や空き地になる所も多い。そういう無常を個人的なものではなく全体として感じる状態になったのである。