2012年03月13日

旅の思い出(松島から宮古まで)


旅の思い出-俳句十句(松島から宮古まで)

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松島を神の残すや春暮れぬ


荻浜に昔の航路冬の暮


涼しさや海にそそげる北上川


ひぐらしや唐桑めぐる湊かな


隠されし湊々や合歓の花


轟きぬ神割崎や夏の海


鬼百合に白波寄する気仙沼


(大船渡)


曙光の湾にまぶしや霜の朝


釜石に海の見えじも冬の暮


宮古より盛岡遠し冬の暮


亀島に咲きそむ桜海の風なお寒しかも白波よせる


荻浜の裏山の社桜散り我がたずねしは昔なるかな



津波のあとにふりかえるとこの辺は旅をしたけど被害が大きい所だった。海に面して風光明媚な所だったからショックだった。なぜかといえばこの辺は被害が大きいから今は観光というわけにはいかない、当分そうだろう。内陸部はそういうことはない、観光しても悪いという感じではない、しかしこの海岸沿いは本当に凄惨な津波の被害にあった。街ごとなくなったところもあるから悲惨である。
そういうところには観光には行けない、つくづく普通なり海は実に穏やかであった。というのは湾がある所だから海が穏やかに見えたのだ。福島県は湾がないからいつも荒波が打ちつけていた。一方陸前高田市でも広田湾などは実に穏やかに見えたのである。松原もいい松原だった。
南三陸の志津川も湾になっているから穏やかだと見えていた。あんなところにこんな津波の被害があったことはショックだった。ただ三陸は前から津波の被害が何度もあった地域であるから名取りから南の福島県とは違っていた。それでも逆にあの辺の湾は穏やかだなとうらやましかったのである。


一回は松島から牡鹿半島から唐桑半島から気仙沼まで自転車で旅した。あの辺の地形は複雑だった。後ろが結構急峻な山となっていてひぐらしが鳴いていた。そして隠されたように小さな湊があり魚をとっていた。港にはもともと適した地域である。宮城県の漁獲量は水産だかは800億であり福島県は100億だった。福島県の水産業は盛んではない、宮城県は港が多いから盛んだった。それにしても松島でもそうだが地理がわかりにくい、複雑である。地形的には福島県などよりずっと魅力があった。
変化があり湾があるからである。その港がどこも津波の被害にあった。津波には弱かった。

この辺は福島県の浜通りから海の領域として共通性があったのだ。だから津波の被害を同じ様に受けたのである。ただ一つの救いは松島が神に守られたようにほとんど無傷で残ったことである。
神が残してくれたとさえ思う。あそこの松などが海岸線のようになぎたおされたら絶望だった。
松島は今でも観光を普通にできる。他は被害が大きいから観光とはいかないだろう。鉄道も一部破壊されている。今になると行けないとなるとああ、あそこに行ったなと思い出は余計に貴重になる。

ただ旅は忘れやすい、だから記憶が大事だった。デジカメなどで詳細にとっていれば思い出すことがある。プログに書いたことでも自分で忘れている。それで読み返して思い出してまた書いた。


旅はデジカメでなるべく記録させておくべき・・