2012年03月12日

松島-多賀城の春の俳句短歌と写真


松島-多賀城の春の俳句短歌と写真

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冬の海波うちしぶき沖に船

荒寥と津浪の跡や冬の海


磐根付く古木くねりて残る雪


松島の松の残りて春の風


春日さし松風鳴りて五大堂


鴎浮き春日穏やか双子島


春の昼金華山見ゆ赤い橋


赤い橋鴎のとまり春の島


松島や島陰の渚残る雪


島陰に雪を残して暮るるかな


瑞巌寺竹の清しく残る雪


瑞巌寺鐘楼鳴らず冬の暮


見張塔瑞巌寺守る冬の暮


瑞巌寺去るや杉の間残る雪


瑞巌寺海よりそよぐ春の風


島々の松の緑や春の鴨


多賀城跡浮島神社や春の暮


多賀城の正殿跡や春浅し


枯葦に昔の面影砂押川


早春の多賀城駅や鴎飛ぶ



太き松その間に見える小町島春の日おだやかまたたずねけり


松島の春やしきりにかもめなきむれつつ飛びて島のうるわし


松島の海穏やかに春の日に照り映えにつつ津浪まねがる


太しくも末の松山二本の残りし松に春の風吹く


太しくも末の松山二本の松の契りや椿赤しも


多賀城に末の松山沖の石津浪の跡や春の日暮れぬ

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子供の検査で甲状腺に腫瘍が見つかり心配で山形に移る (震災から一年先が見えない不安)


子供の検査で甲状腺に腫瘍が見つかり心配で山形に移る
(震災から一年先が見えない不安)


甲状腺に腫瘍があるのは人口の1%程度。丸森町は子供の20%近くに腫瘍が
直径5・1ミリ以上のしこりなどが確認され、二次検査の対象となったのは26人(0・7%)だったが、検討委座長の山下俊一福島医大副学長は「原発事故に伴う悪性の変化はみられない」と説明している。二次検査が不要の3739人(99・3%)のうち、1117人(29・7%)は5・0ミリ以下のしこりなどが確認されたが、県は「良性」と判断している。


それは「検討委員会」の座長・山下俊一福島県立医大副学長が、全国の日本甲状腺学会員あてに
>次回の検査を受けるまでの間に自覚症状等が出現しない限り、追加検査は必要がない」というメールを送っているからだ。

福島の子供の甲状腺に半端ない異常が起きてる件
http://www.youtube.com/watch?v=be9F21sxCIo

 


南相馬市原町区の知人の孫が検査したら喉にポリ-プがあったとい。この甲状腺のポリ-プは見つかっている数が多い。これからもまだ発見されるだろう。それで原町には孫を置けないから山形でみてもらい移るほかないとか言っていた。というのは福島医科大学は国の管理化に入っていたて都合の悪い情報は出さない、情報操作をしているからだという。医大の副学長になった山下氏はその役をになっている。その人はこのポリ-プは結節は危険なものではなく甲状腺ガンになるものではないと言っている。ただ国で管理するところでだまされたのだから信用できない、放射能については国の出す情報が信用できなくなっている。それで山形でみてもらうとなった。福島市でも山形は近いから移っている人が多い。自主避難で移っている。そもそも郡山市でも福島市でも南相馬市より放射線量は高いのである。子供を心配する人はどうしても移る。やはり安全だといっても腫瘍だとなると心配になる。youtubeの説明はわかりやすいしやはり良性でもガンになる可能性はある。子供が影響が大きいから一番心配することになる。


ともかく放射能の負担が大きい。放射能にふりまわされている。回りがそうだから子供をもたない人でもふりまわされる。すみずらいのである。津波でも山元町とか被害の大きかった町は人口が一割とか減っている。実際にあの津波の跡に立ったら「これはだめだ」と思ってしまう人はいる。ここではもうやっていけないと判断する人がいるのは当然である。それは原発被害地域でも起きている。
もう帰れないとかここには子供を置けないとか仕事もないからここにはいられないとかそういうことがうずまいている。盛岡の医者が大槌町とかで役に立ちたいと診療しているのは感心する。医者でもいたくないという人が多い、この辺では放射能で医者も看護師も半分いなくなったとか深刻である。農家の人だって農業できないとなれば絶望的になる。そしてパチンコばかりしているわけにも今後いかないだろう。全体的に心も荒廃してくる。津波被害とものの被害もあったが心の被害も大きい。
いろいろなストレスをかかえる。さらにこういうときはいろいろな問題が重なり追い打ちをかける。借金で苦しむ、親の介護で苦しむ、病気で苦しむ・・・負のスパイラルになってくる。
こうなると平和時の仕事ができない、福祉であれ教育であれいろいろなこれまでの普通の活動が阻害されるのだ。

自分も親の介護とかずっとかかえてきたしそういうところにこういう被害が重なると辛いとなる。

自分の仕事のまとめとしては詩の創作のまとめがあった。これまで旅行した所を思い出して俳句や短歌にする。他にも継続した創作的仕事あった。年をとると評論に向いている。評論は結構力量がないとできない、誰かを批評するにしても一段上にたたない限り批評などできないからだ。こういうことも余裕がないとできない、それがこういう回りの状態とかでなかなかできない、芸術どころじゃないということもある。でも仮設に入っている人などは暇なのである。暇だということは芸術家活動もできるということである。ただそういうことをしていなかったからパチンコをしているだけなのである。ともかくこの辺もそうだが先の見通しがたたない、復興というのが目に見えてこないのが津波の被災地でもそうだし原発被災地でもそうである。ただ混乱状態がつづいているだけである。


津波で流された水産加工場が復活して仕事ができると女性の人が海に向かって祈っていた。同僚の名前を呼んで祈っていたのが印象的である。前のように同じ仕事ができるということに感激していたのである。そんなこと当たり前だったけど当たり前でなくなった。久々に漁に出て魚をとれたことに感激していた漁師もいた。この辺でも農家の人なら今度は米作りでも農業できれば感激してやることになる。実際にいつなったらこの辺では農業ができるのかわからないのだ。あきらめる人もいるだろう。農業関係の人も多いのが地方の特徴である。田んぼがない世界というのを農業しなくても想像すらできなかった。都会だったら田んぼがないのが普通である。田舎だと田んぼがないと何か生活基盤が失われた感覚になる。でも東京などあれだけの人が住んでいて田んぼがない、それでも現代は食糧に困ることはない。金さえあれば現代は飢饉になったりしないのである。田舎ではどうしても田んぼがあって何か生活の安定、心の安定もあった。その感覚が都会とは違っているのだ。

posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連