2012年03月17日

津浪で失われた風景 (春の海-海岸沿いをゆく-大熊-請戸)


津浪で失われた風景

(春の海-海岸沿いをゆく-大熊-請戸)


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熊川-請戸(写真)
http://musubu2.sblo.jp/article/17459204.html


過去の情報としてこれは貴重だった。熊川から海に出た所だった。ここは明かに津浪にやられた。
家もあったからその家も流されたし死んだ人もいるだろう。
浜通りで海をみて俳句を作っていた人がいた。農家の人だった。


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春耕や一時休み沖に船


耕しというのがあった。海辺の農家だったら海を見ている。そういう風景は普通にある。
海江田とか海田という地名はあっている。広島県安芸郡海田町があり海田駅もある。瀬戸内海辺りだとそれは日常的な風景だろう。この辺は海が荒いし海は親しみ安いものでもなかった。


ともかく大熊や浪江は警戒区域で入れないのだからこの写真は貴重である。熊川の桜も津浪で流されたかもしれないし人が入れない、請戸の港の写真も貴重である。あそこは一軒の家もなくなった。
土台しか残っていないことが信じられないのだ。この辺は全く春が来ない、春が失われてしまったのだ。

春耕がこの辺では見られない、南相馬市では耕作していないからだ。相馬市に行けばまだ春耕はありうる。いづれれにしろ海辺の方は津浪の被害で春耕という平和な景色は見れない、殺伐としているのだ。

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2012年03月20日

福寿草(春彼岸)


福寿草(春彼岸)

世話になる人同じ墓所春彼岸


北風のまたうなりふき蔦からむ


石二つ動かず幸い福寿草


福寿草つつみ隠さず光受け咲き開き外に雲雀なくかも


蝋梅の長くも咲きぬ水玉の一時光り消えにけるかな

春彼岸はあまり遠方からは来ない、お盆には遠方からくる。墓というとき警戒区域では墓参りすらできない、墓すら流された人もいる。家もなく墓すら津浪でなくなった。死んでから意外と家より残るのは墓である。墓は最後の場所として残る。家はこの辺でも津浪でなくてもなくなっている。
人は死んでもそれで終わりとならない、その後の処理がある。それで迷惑をかけるから困るのだ。
だから親戚関係は嫌でも縁だけ切るなと言われる。なぜなら墓の問題やら事務的な処理でも縁をきると連絡もできないからそうなる。現実に自分の実家の一つは縁が切れた。でも墓参りはしているがもう顔合わせることも連絡もとることもできなくなった。向こうから縁切りしてきたからだ。だから嫌でも簡単に縁だけは切るなとなる。


近くの同じ墓所には世話になった人の墓があり墓参りした。そしたら墓銘碑にその人の夫の名前は刻まれていたが死んだ世話になった夫人の名前は刻まれていない、そこは相当に貧乏だから名前を刻まなかった。でも息子は近くにいても親不孝だと思った。金がないことはわかるがそのくらいなんとかしてやるというのが息子だろう。名前刻むだけで3万かかったとかあり倍もかかることがある。
線香があがっていたし花も供えられていたから供養されてはいる。でも墓銘碑に名前が刻まれていないのは肝心なものが欠けている。死者も浮かばれないということがあるだろう。その家は生きているときから母と息子の夫婦の関係は良くなかったから死んでもそうなっているということもある。

ともかく人間の因縁は一代だけでは終わらない、必ず二代目までその因縁はつづくのである。嫌だと言っても因縁は簡単に切れないのである。墓参りとかでもつづくのである。特に田舎ではそうである。
いづれにしろこの辺では今までいたところに留まることができたのは幸いだった。知人の人が山形に小学生の息子を連れてゆくと言っていたが急遽会津に移ることが決まったという、この辺は親子が祖父母とかがばらばらになる。一緒に住めなくなっている。放射能問題でそうなったのである。
自分は一人残されていろいろ家のことをやらせられるから大変である。


福寿草がまばゆく光を受けて咲き開いた。自然は包み隠さものがない、人間は罪を必ず犯すからつつみかくす、しかしいかに罪を包み隠しても必ず暴かれる、秘密のままにはならない、例え警察につかまらなくてもそうである。警察がつかまえるのはほんの一部であり大部分の犯罪はつかまらない、人間は罪を犯さない人は一人もいない、罪のない人は一人もいない、これだけはまちがいない、なぜなら悪意をもっただけでそれも罪だとすると具体的な罪を犯さなくても誰も悪意をもたない人はいないから罪人なのである。それにしても東電とか政府の罪も原発事故でこれほど暴かれたことはない、裁判関係者も罪を犯していて裁かれる方だったのである。原発訴訟では常に原発推進者側についていたのである。そして東芝や東電でも天下りしていたのである。それが津浪で暴かれたのである。

 

津浪とロトの妻の運命 (財産に未練を残した結果死んだことでは同じ)


津浪とロトの妻の運命

(財産に未練を残した結果死んだことでは同じ)

一刻も早く町の外に脱出すること。そして、低地に留まらずに山中に逃れること。また、山中に入っても、いかなる事態になろうとも、決して後ろを振り返ってはならないということなどである。  
 しかし、その忠告にもかかわらず、ロトの妻は、残して来た財産への未練なのか後ろを振り返り、塩の柱に変わり果てて死んでしまうこととなる。


今回の津浪ほど驚いたことはないし恐怖したことはない、まさにこの世の生き地獄だった。だから未だに現実ではない、夢のような感覚からぬけだせないのだ。現実に被害にあった人はなおさらそうなっているだろう。村ごとなくなってしまっている、街すらなくなってしまった。それも一瞬にしてである。それが現実に思えない、ただ茫然として津浪の跡に立っている。これは戦争中のような焼け野原のような体験がないから余計にそうなのかもしれない、異常なことを体験していればこういうことは世の中にある、戦争体験者ならそう思うかもしれない、戦後60年はあまりにも平和な時代だったとなる。


一時は津浪原発事故でこの世の終わりかとさえ思った。本当にこの世の終わり聖書で予言する終末が来たのかと真剣に思い驚愕した津浪と原発事故はそういうこの世の終わりともなるような恐ろしいものだった。放射能については恐怖していなかった。放射能の怖さを知らないからこの辺では屋内退避だったけど外に出ていた。本当は爆発したときなどこの辺にも3時間くらい20マイクロシ-ベルトとかになっていた。その時ヨウソを吸うと甲状腺癌になっていた。これは8日間で消えるが大量に被曝したらそうなっていた。だから避難しなかった人や浪江のように津島などの飯館方面の山側に逃げた人は被曝した。ヨウソは大量にばらまかれそれらは8日間で消えた。だからこそ最初の時期に素早く避難することが必要だったけど放射能の無知からそうしなかったし政府でもそうさせなかった。
その時も安全だ、安全だと言っていたのである。つくづく人間は危険から素早く避難できない、それは津浪でも起こったことである。


ロトの妻は、残して来た財産への未練なのか後ろを振り返り、塩の柱に変わり果てて死んでしまうこととなる


津浪では野良仕事にでていても避難勧告がでて家に通帳とかなにか取りに行った人は死んだりしている。野良仕事していたらそのまま逃げなければまにあわない、そういうことを語っていた人がいた。それほど時間が切迫していたのである。財産に未練があり家に帰った人は死んだケ-スがかなりあった。タンス預金もあったろうし通帳は大事だから通帳だけはと家にもどったりした人は死んでいる。緊急のときはそういう余裕すらない、着の身着のまま逃げるほかない、もし財産に未練残していたらロトの妻のように死んでいる。津浪の被害にあった人はロトの妻と同じ様な恐怖を味わったのである。

ソドム、ゴモラも一瞬にして消失した。その後に海の水が流れ込み死海が生まれた。地殻変動があったから巨大な地震が起きたのかもしれない、今回の地震でも地盤が沈下したからだ。街自体がなくなるという光景が信じられない、でもヒロシマ,ナガサキは原爆投下で焼け野原になったから津浪の被害よりケタが違っていた。その凄まじい光景は津浪より恐怖であった。大きな街が一瞬にして消失するということが過去にもあった。それは別にソドム、ゴモラだけではない、日本にもあったし被害にあった人も目撃した人もまだ生きているのだ。草戸千軒なども災害で消失したのだろう。ただ東北では神戸の地震被害もヒロシマ、ナガサキも遠いからなかなか実感しえないものとしてあった。ただ今度の津浪の被害は目の前で起こったからショックだった。こんなことがありうるのかというショックであり被害にあった人人も夢うつつになっているのではないか?あまりにも急激な変化を人は受け入れられないのである。


ただこうした緊急の危機の時は財産に執着すると命も助からない、命あってのものだねとなる。現実に着の身着のままで逃れて仮設住宅に住んでいる人がかなりいるのだ。その人たちはただ命が助かったというだけであった。それでもだんだん時がたつと失った財産が惜しいとか財産への執着がでてくる。金も必要になってくるからどうしてもまた失った財産のことを思うようになる。


一刻も早く町の外に脱出すること。そして、低地に留まらずに山中に逃れること・・・・・


ソドム、ゴモラは低地にあり海とつながり海の水が流れてきて水没もした、低地はやはり危険なのか?低地には水がながれこむ、人はもともと低地には住まなかった、海に接ししていても低地には住んでいない、邪馬台国というのは台とあるのは高台のことである。水の危険を感じていたし低地は湿地帯などであり住むことができなかった。


もう一つは一刻も早く街から脱出すること・・・それは家が密集している街から脱出しろ・・・ということである。そこは火の海になったり建物が壊れその残骸が流れて危険になる。家の密集した所は災害のとき危険になる。ということは東京や大都会はもはや街から一刻も早く脱出できないからいかに災害に弱いかわかる。帰宅困難者とかあふれ大パニックになる。古い建物が密集しているところもあり神戸のように火事になったら最悪である。つまり東京などは山中や高台など逃れる場所がないのだ。津浪ではまだ後方に逃れる場所がある地域だったがと東京などは逃れる空き地もないし高台も山もないのである。その恐怖をリアルにイメ-ジしたら戦慄するだろう。今からでも東京を脱出しておく方がいいと逃れる人がいても異常ともいえないのである。すでに大地震が近々予測されているし確実なのだから。


今回の津浪のような大災害はやはり人間の想定を越えているから何らかの神意があって起きたのかと思う。原発のような危険なものを作るなとか日本人に対しての神からの警告だった。しかしなぜその警告をまた無視して原発を再稼働させようとしているのか?さらなる災害が今度は西の方に東京の方に起きることはまちがいない、日本人はまだ真剣に反省していない、最後のとどめをさす災害が起きる。そして日本は海に囲まれて逃れる場所がない、放射能でも狭い日本では逃れる場所がない、日本は滅亡してしまう。放射能で飢饉が起きる、日本で放射能汚染で食べるものがなくなる。それでも日本人は原発に固執する、映画で原発を神と崇めて滅んだ人々のように、あれはアメリカであった。
日本もまた同じ運命をだどる。核は軍事力としてもあり平和利用はいいとされたが核で滅びるというとき核戦争でも原発でも滅びることで同じだったのである。核そのものの利用が人類を滅ぼすことになっていたのだ。それにヒロシマの被害者は気づかなかった。原発に賛成していたのである。

 
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南相馬市鹿島区寺内の二番目の仮設住宅 (一軒家風でペットが飼える)

 

南相馬市鹿島区寺内の二番目の仮設住宅

(一軒家風でペットが飼える)

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一軒家風であるが二組が一軒である。
木の仮設は感じがいい、それにしても仮設が増えた


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赤い色の仮設が新しくできた仮設
道で通じているから行き来できる

寺内の桜田山の下にできた仮設住宅は一番最初にできた。キクチス-パ-がすぐ近くだから歩いて買い物ができるから便利である。その仮設から新しい道ができて上ってゆくとまた新しい仮設住宅ができていた。墓所の隣の仮設だった。木の仮設であり一軒家風になっているが二組入れる。
こんなに仮設ができたことには驚きである。あれで終わりだとか犬を散歩していた人が言っていた。原町区にはまだできるらしい。仮設暮らしは暇じゃないですかと聞いたら「除染」に行くとか言っていた。すると除染で収入になる。原発避難者の場合、一人十万もらってその他に除染の仕事で金がもらえるとなると恵まれているとなる。6人家族のような大家族も田舎ではまだある。すると一か月50万とか60万とかなったらその収入はかえって働いているときより田舎では多い。

金がたまって貯金すらできる。これは津浪の被害者とは違っている。津浪の被害者は東電からも国からも補償かないから金銭的には相当辛い。

何かその犬を連れている人は明るい顔していた。金銭的にはかえって事故前よりいいとかなっている人がいることは確かである。それもいつまでもつづくとはならないのが問題である。

今のところ原発の避難者はそれほど困ったという感じではないのかもしれない、ただ20キロ圏内の警戒区域と20キロの圏外になると補償はない、そこにかなりの不公平がでる。でも郡山市とか福島市は何の補償もないとなると補償としては警戒区域でも恵まれている。
飯館村などでは除染費用を村民がもらって一億円で出直したいという人もいる。津浪被害者はそうはいかないからその点では随分違っている。ただそれだけの代償があってもしかたないという面はあった。

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2012年03月22日

原発事故にも関係していた 「天の時、地の利、人の和」 (地理を知らずしてすべての学問は成り立たない)

 

原発事故にも関係していた 「天の時、地の利、人の和」

(地理を知らずしてすべての学問は成り立たない)


●すべての学問の基礎に地理がある


自分は旅に明け暮れたから一番興味をもったのが地理であり地形であった。そこで全国の地名に興味をもった。地名は地理と地形の学問分野の一つだった。最近出された本で「この地名が危ない」(楠原祐介)という本は面白かった。津浪に由来する地名が今回の津浪で話題になった。地名には不明なものが多いしいろいろな解釈があり本当の所はわからない、だから科学的に証明することはむずかしいから一つの学問分野になりにくい。でも地名からいろいろ地理とか歴史に興味をもったからそのことについてずいぶん書いてきた。学問の基礎となるべきものに明かに地理がある。地理がわからなければ世界のことすらわかりようがない、世界で起こっていることでも日本で起こっていることでも地理がわからなければわかりえようがないのだ。世界の歴史もほとんど地理がわからなければわからない、その地理は自らその土地を踏まないとまた実感しえないのである。だから世界史はその土地を踏んだ人の方が本で読んだりして理解するより直観的にわかるのだ。グランドキャオニンなど百聞は一見にしかずでありいくら日本で想像してもわからない、ここが地球なのかと思うような地であり別な惑星に来たのかと思った。日本では想像しえないものでありそれがアメリカだったのである。
ホイットマンの詩もアメリカの地を踏まない限り理解できない、スケ-ルが余りにも違いすぎたのだ。中国でもそうである。大陸では川は巨大な運河である。四大文明が川の側から生まれたのは当然である。インド文明もガンジス川から生まれ、エジプト文明もナイル川から生まれた。中国も黄河や揚子江から生まれヨ-ロッパもライン川やセ-ヌ川や川が重要な要素となって生まれた文明である。川というとき日本の川とはまるで違う。日本の川は滝だと外国人が言うように外国の大河とはまるで違う。
外国の川は文明を生む、文化を生んだ源であり全存在にかかわっている。だから日本では外国の河を理解できないから世界史も苦手なのである。他に砂漠とか草原も日本にはないから世界史を理解しにくいのだ。

●地の利を考慮した東北電力は原発事故からまねがれた


「天の時、「地の利、人の和」これは三国志から出た教訓だから戦争に関係しているものかと思っていたがそうではない、現代でも古今の歴史でも通じる、科学時代の今日でも通じる真理だったのである。それが原発事故となんの関係があるのか?現実にあったのだ。それも最も肝心な所で原発事故と関係していた。それは地の利だったのである。東電の大失敗は地の利に通じていなかったことだった。なぜ女川の原子力発電所が津浪の被害をまねがれたのか、それも危機一発で助かった。津浪の想定を高くしていたから助かった。あらかじめ東北には津浪が来るということを想定していた。三陸沿岸が特に何度も津浪に襲われているから高く津浪を想定していたのである。地元だから地の利に通じていた。地の利を考慮していたのだ。それで今は南相馬市になっいる小高区と浪江の間に東北電力で原発を建てることが決まって工事もしていた。それは今回の津浪でとりやめになった。でもそこは20メ-トルという台地でありそこには今回の津浪で避難した人がいて助かった。20メ-トルは相当に高い、でも今回の津浪ほど高い津浪はなかった。現場に建てばその高さに驚く、原町区の中古自動車販売の島商会の工場の前の駐車場まで津浪が来ていた。あそこに立てばわかるけど原町区が一望できる本当に高い所なのだ。そんなところまで津浪が来たということに驚嘆する。それほど高い浪おしよせたのである。これは津浪の現場にたたないと実感できないのだ。


そして地の利というとき福島県の地の利を理解するのは外部からむずかしい。浜通りと中通りと会津は地理的に隔絶されている。浜通りと中通りは阿武隈山地で隔絶されている。だから地理的に意志疎通ができないと一体感がもてないと書いてきた。そして放射能問題でも風の影響がその複雑な地形に影響して飯館村が一番汚染された悲劇の村となった。それも風と地形の地の利によって悪い方に影響したのである。これはある意味で意外だった。海に面したところは五キロ圏にある請戸港でも放射線量は低い、海に風で流されたのである。いわきでも南相馬市でも相馬市でも海に風で流されたから放射線量は低かったのである。反面中通りの郡山市や福島市は放射性物質が風で流れて堆積してしまったのである。その意外な結果をもたらしたのも地形のせいだった。地の利だったのである。地の利に通じていなければこうした現象も科学的現象すら理解できない、原発を立地するにはまずこの地の利に通じてなければならなかった。これは戦国時代と同じだったのである。戦争でも信長の桶狭間の急襲のように地理に通じていたからこそ勝利した。そういうことは歴史でもいくらでもある。それが原発でも同じだった。まずその土地の地理をしり地の利を地形を知り戦略をたてるのが戦争に勝つ基本だったのである。原発のような危険なものは戦争するような覚悟で作らねばならないものだった。
だから指揮官がいて戦略をまず第一にする。個々の戦術、技術的なものより指揮官は戦略を第一にして原発を構築せねばならなかったのである。そういう戦争なのだという危機感とか覚悟に欠けていたのである。個々の専門的技術とかばかり問題にしていた。原発はそういうものではなかった。


●原発のような巨大技術は地の利を基にした戦略が必要だった


巨大技術は個々の細部にこだわる技術的なものにこだわったら構築できない。そういうものだという認識に欠けていたのである。日本人はそういう大局的にグランドデザインする戦略は不得意である。大陸では戦略的思考が得意である。それはその土地のスケ-ルの相違によっている。土地の広さがあまりにも違いすぎるからだ。アメリカや中国でも土地の感覚がまるで違っている。そこから思考されることも根本的に違う。戦略的思考がその土地からまさに地の利として自然と湧いてくるのである。だから文明や文化でも地理から地の利が作られてくるのである。そしてアメリカではこの地の利の上に原発を建てていたのだ。地震や津浪がある西部には原発は建てず東部にほとんど建てていた。日本では地震や津浪からまねがれない所に建てていた。そして津浪のことをフクシマ原発では考慮しなかった。地下に予備電源を置いたのもアメリカが竜巻で被害があるから地下に設置したのであり日本では津浪の方が怖いのだから高台に設置すべきだったが津浪は考慮されなかったのである。日本人の技術者はこうした自分の住んでいる地の利について全く考慮しなかったのだ。ただ東北電力では地元だから地の利を考慮して津浪の被害をまねがれた。この地の利は原発事故のあとの放射能問題でも関係していた。飯館村に核の廃棄物の処理場を作るというときそこから放射性物質がもれたら水などとともに南相馬市やら相馬市に流れて水で汚染される。今でも真野ダムのことが問題になるのはそのためである。飯館村の問題は下流の南相馬市や相馬市の問題でもあるから飯館村だけで決められるものではない、そういうことは原発が浜通りの極狭い範囲で作られたことも問題であった。それで中通りの郡山市や福島市の方が放射線量が高くなっていたことでわかったのである。


いづれにしろ地の利に通じない、考慮しない地元でない、東電がフクシマに原発を建てたことが事故の大きな要因であった。地の利があらゆるものの科学でさえ考慮せねばならないものだった。そういう認識が欠けていた。液状化現象でも地の利に通じていないためだった。あらゆる問題の根底に地の利がある。地の利に通じていなければ何事も成し得ない、それは歴史にも通じることでありそういうことを知らないと考慮しないと今回のような大失敗をしてしまう。その地の利に通じている地元の日本がその考慮を怠ったのである。それは科学者ですらそうであった。ただ事故の原因はその他いろいろある。天の時、人の和という問題もあった。早急にアメリカの古い型の原子炉を導入したり急いだり人の和を無視して危険なもの一方的に作ったとかもある。ともかく原発事故や津浪は様々なもの隠されたものを暴いたのである。地の利を無視した科学がいかに危険なものとなるか?それも大失敗だったのである。



トップの判断の責任の重さ(東電と東北電力の相違)
http://musubu.sblo.jp/article/54780044.html

世界史を地理風土から解明する 世界の地理から首都の位置から世界史を読む
http://musubu2.sblo.jp/article/52950415.html

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2012年03月23日

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故 (2) (若い人たちと老人の分断化が進行している-仮設にも多い老人所帯)

 

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故 (2)

(若い人たちと老人の分断化が進行している-仮設にも多い老人所帯)

http://musubu2.sblo.jp/article/47825858.html

津浪で死んだ人も実に高齢者が多かった。神戸のような都会ではない、高齢者がもともと多い地域であり問題になっていた。農業に従事する人の年齢がすでに60から70才とかになっている。そして跡継ぎもないとか高齢者の問題がもともとありそこに津浪原発事故が襲った。原発の避難騒ぎで高齢者が衰弱死した人が百人くらいいる。一人も死んでいないというけど避難して死んでいるのだ。
漁業関係も実際は零細であり跡継ぎもいない、老人が三陸地方などの小さな港には多かった。
石巻や気仙沼は水産工場などがあったから別だった。でも小さな港では高齢化した人が細々と漁業や牡蠣の養殖などをしていた。そういう小さな港も軒並み津浪で壊滅的打撃を受けた。高齢化しているからもうあれだけの被害があると漁業でも農業でもあきらめる人がでてくる。60以上ではそれだけの気力もでてこないからだ。のんきに隠居でもいいとなる。

これは原発避難者にも言えるのだ。南相馬市では小高区から避難した人が大半である。南相馬市だけで一万五千戸もの仮設住宅を作った。この数は二倍にしても3万人とかの人口になる。これは明かに南相馬市内だけではなく浪江とか飯館とか他からも受け入れている。今は原町区に増設している。

でも聞いたところでは中に人が入っていない仮設があるという、形だけ入って支援されている。洗濯物だけ干していて中に人がいないという、ええ、そうなのと不思議だった。仮設に住んでいないで他の家に住んでいる?元の家に住んでいる。小高区などは警戒区域だから入れないとしたら住めない、津浪被害の人は住んでいても数が少ない。仮設に入っていると支援が受けられるから形だけ入っている言うのも解せなかった。そしたらもっと仮設に入りたい人がいるのだからそういう人に入ってもらいたいとなる。


仮設に入っている人たちは無駄に甘やかされていると思います。
ほぼ毎週NPO団体やらが物資を持ってきたり
散髪のボランティアがきたり・・・・・・。
何が必要なものを言うとすぐに送られてきます。
しかし、仮設も入っている人たちの中には家屋が全流出した人だけでなく
リフォーム工事の合間に入って、すぐに退去(揃えてあった家電は持っていく)する人たちもいると聞きます。
支援する団体にすれば、仮設のように、被災者が密集した場所が都合のいいことはわかります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1368399793


こういうことが仮設にあった。援助物資を得られから仮設に仮りにいる。一部にしてもそういう人たちもいる。仮設には予算の無駄使いがかなりある。復興にはかなりの金が出ているから義援金でもその金がどこに流れたのか不明になっている。それで相馬市などでは200万が議員に流れたとか噂になったがまんざら嘘ともいえないのがそういう事情があるからだろう。市長も病院を建てたとか病院関係に使っていて一般の人に金が回らないというのもそういうことなのか、義援金は未だに配布されていないが市長には権限があり使っているのかもしれない、義援金には不透明な所が多いのだ。

確かに復興バブルのような現象が起きた。金が入らないところに一時的に金が入ったのである。

原発避難者の仮設でも老人が実に多いのだ。若い人は老人と姑などと一緒にいるがいやで補償金をもって他に移りたいからもう老人のいる地元に帰ってこないという、この際、いい機会だから別れて暮らす方がいいと若い家族は子供ともに故郷を離れて行く、いろいろな方面に若い人が住居を移しつつあるのだ。そして老人だけがとりのこされてゆく、これも明かに高齢化した社会の一面が津浪原発事故で露骨に現れたのである。仮設に入った老人は買い物すらなかなかできないから県から委託された復興支援の車が仮設を回って野菜など売っている。その売っている人も若い人ではない、年の人であり売るのも高齢者なのである。そして高齢者は津浪でも原発避難者でも小高でも帰れないからずっと住み続けるようにししてもらいたいとか言っている。若い人は老人の世話はいやだから市の方でしてくれとなる。そのために相馬市では長屋風のずっと住める住宅を作る。一種の安上がりな老人ホ-ムが必要になっているのだ。それは津浪原発事故前から要望があった。そういう施設をつくることが強いられることになった。復興の力となるの若い人のはずだが老人だけがふえてくるから復興とはなりにくい、福祉関係の高齢者を保護するような施設が必要になる。若い人たちが去り老人だけが取り残される、姥捨て山になる恐怖がある。自分もそうだが老々介護とかそういう人たちだけが取り残される。高齢化問題が津浪原発事故で深刻化したのである。


やはり仮設の期限が切れてももう地元に帰れないとかいう人がでてくるのか?なぜなら若い人たちがいなくなったら街自体維持できないしインフラでも街を建て直すことがむずかしくなっている。広野町では避難解除地域になっても地元住民がもどらないというのもそのためである。そこの一番のネックが高齢化の問題があるのだ。深刻なのは若い人たちと高齢者が津浪原発事故で分断化されてしまったことである。それは飯館村でもそうだしほとんどの市長村でそうなっている。確実にこの辺は老人の町になってしまう。老人の町ということは未来もないということである。ただ高齢化社会でも老人だけで住むということも他の場所でも起こりうる。現実に都会でも団地は今や老人がふえて老人の団地になっている。そこもまた都会のうば捨て山になっているのだ。そういう高齢化社会の問題が津浪原発事故で深刻化した。原発避難者は政府や東電からずっと補償された方がいいとなる。でもみんながそうはいかない、若い人たちがいなくなれば老人も住めなくなる。老人はかえってこの際お荷物として捨てられる、ていのいい姥捨山の町にされてしまう。そういう高齢者をどうするのかということはここだけではない、日本全国の問題なのだがここは津浪事故で露骨に現れたのである。


いづれにしろ津浪原発事故は様々な問題をさらに浮き彫りにした。その一つが高齢化の問題だった。本当に政治的課題というのが山積みなのである。政治に関心なかったけど被災地にいると無関心ではいられない、関心が強いられる。一体被災地の市町村はどうしたらいいのかというのはそれぞれの個々人にとっても深刻な問題なのである。農家の人が米を作らないでどうするんだとか子供を放射能から守るためにどうするんだとか問題が山積みでありそれぞれどう解決していいか暗中模索になる。
農家は米とか野菜と作れないけど花の栽培だったらできるなら花を栽培して花畑にするばいいとか思ったりする。花は放射能汚染と関係ないのである。口に入るものはすべて放射能と関係してしまうのである。ひまわりを植えたが放射性物質はセシウムは吸収しないことがわかった。でも一面ひまわりの畑になれば荒地になっているよりはいいそのひまわりを見たいという人もでてくる。レンゲの畑はなくなったけどレンゲの畑や菜の花畑になったら米は作れなくてもきれいな場所だとなり人もくるかもしれない、そうしたいろいろな問題が山積みになっている。だから一人一人が政治家的になり政治の課題となり政治家として果たす役割が日々ある。でも議員が何かしているということでもない、高齢化した地域の問題をどうするのかということも大きな政治的課題なのである。それは自分にもかかわってくる問題である。

 
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2012年03月24日

古代文明と原発事故 (科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


古代文明と原発事故

(科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


●未来は過去から作られる


「岩戸隠れ」神話とは、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な行為に怒り、
天照大神が天の岩屋にこもると、世の中が真っ暗になり、


困り果てた神々が相談して、一計を案じ、岩戸を開けて大神を外へ連れ出すと、
世の中がもと通り明るくなった、という物語です。


天文学者の斎藤国治氏は、この物語のモチーフを皆既日食と見て、
日本列島上で起こった日食を分析したそうです。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-4.htm


古代文明というと原発と何の関係があるのかと思うが今起きることはいかに複雑高度化しても常に過去と関係していないものはない。すべての期限は過去に求められる。だからこそ歴史が人間にとって欠かせない知恵の源になる。歴史を忘れれば人間に未来すらない、未来は過去から起こるということを知らねばならない、明治維新も日本古来の伝統の復古、維新があり国が改められた。今度の津浪ほどそれを意識されたことはないのだ。こうした災害すら過去をふりかえることが歴史がいかに大事なものだったか思いしらされたのである。なぜなら三陸のリアス式海岸では何度も津浪に襲われているから津浪対策をしていた。それでも巨大津浪で大被害を受けた。そして仙台平野とか福島県までの浜通りは津浪は来ないと思っていたから警戒もしなかった。でも過去に400年前に相馬藩の記録に700人溺死した慶長の津浪の被害があったのである。ただそれを取り上げる人も話題にする人もいなかった。一行700人溺死としか記されていなかった。その前に貞観津浪があり相馬市の奥まで津浪の堆積物が発見されたことを最近になり科学者が発表していたしフクシマ原発でもそのことを警告していたのである。

津浪でもいかに過去をふりかえることが大事だったか思いしらされたのである。過去をもっと重視していれば津浪も予測できたのである。そして今回いかに予測するということが大事なものか生死にかかわるものか思い知らされた。未来を予言することが人間にとってもっとも大事なことだから聖書が生まれた。聖書は予言の書であり予言者は未来を予言するものであった。ノアの方舟でも誰も大洪水のことを言っても信じなかったから津浪のように水にのまれて死んでしまったのである。人間は未来を予言する予測することがいかに大事なことか思い知らされた。今は予言者の代わりを科学者がしている。それで貞観津浪のことも科学的な物証として提示して警告していたのであったが無視された。原発に従事する科学者はフクシマ原発は百万年に一回の割合でしか事故にならないと確率論で計測した。これがいかに馬鹿らしいものだったか露呈した。貞観津浪のことをすでに知っていたのだからその規模の津浪が来れば確実に原発は破壊されたのだ。ということは千年に一度の大津波が来たら破壊された。百万年に一度しか事故にならないというその科学そのものがまるででたらめだったのである。


●権力の源泉は古代も現代も科学技術だった


古代文明と現代の高度な文明が原発が何の関係があるかというとき古代文明も文明だから今の文明と由来は同じ面があるのだ。文明とは人間の力を神のような力をもつものとして作られる。神のような力をもつにはどうすればいいのか?それは権力をもつことである。どうしたらその権力をもつことができるのか、そこに原発と同じ起源があった。科学の力によって権力をもつのである。エジプト文明でもマヤ文明でも高度な知識をすでにもっていたのである。マヤ文明は謎であるが宇宙人が作ったとか言われるほど高度な文明だった。その力は天体の知識にあった。王は神殿に立つとき背後から太陽の光にまばゆく映えるように設定され建築されていたのである。それはエジプト文明もナイル河を観測して氾濫の時期を予測して権力をもつようになった。テクノクラ-ト、科学技術神官が権力をもつようになった。今なら科学技術官僚であり東電の会社である。つまり権力と科学技術はすでに古代文明から権力の源だったのである。これを考えれば古代文明と原発は人間の文明の歴史の流れとして必然的に生まれたことがわかる。技術の進歩の極限として核が原発が生まれた。日食にしてもその日食の日をあらかじめ予言すれば民衆は科学技術神官に従うことになる。神のごとき力をもつことになるのだ。つまり権力の源泉は古代文明と現代の文明と同一であり変わらなかったということである。
人間は本質的には古代から変化していないともなるのだ。


権力というとき歴史では宗教が大きな力をもっていた。それはエジプト文明でもマヤ文明でも同じである。その宗教の力の源も科学と密接に結びついていた。最初は奇跡の力が宗教の力となった。次に奇跡より科学的なものが技術が人間の権力をもつ力となった。宗教も結局は科学や技術と同じく力をもちたいということでは同じである。病気になれば宗教に今でも頼っている。科学が医学でもいくら発達しても万能ではないからだ。カルト宗教団体がこの科学全盛の時代になぜこれほど増えているのかそれはこの世の人間のことが以前として科学だけで解決できないからそうなっている。人間がいかにしてし権力をもつか権力の源泉は何なのかと問えばそれは今と同じ様に科学やそこから発した技術にあった。人間はこの科学技術にひれ伏すのだ。もともと天皇が日本の王が鉄の王だったというとき鉄が権力の源だったというときこれも科学技術がテクノクラ-トが権力をもち支配者になったことと同じである。権力はテクノクラ-トが持ち王もそのテクノクラ-トの上にある。


それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうだった。農業の上に実は鉄器を作り得る技術が必要だった。鉄器は鍬や鎌など農業生産を増大するのに不可欠なものだった。だから天皇は鉄の王だったというのもそこからきている。つまりテクノクラ-トによって日本も支配されていたのである。そのことを顕著に示したのがオウムだったのである。サリンを製造して権力を持とうとしたのがオ-ムだった。テクノクラ-トが優秀な理系の人が集ったのもそのためである。それは原発を作った技術官僚や科学者や会社の技術者と同じ構造だったのである。権力の源はまさにその科学技術を操作するものにあったのだ。それに付随したのが政治家でありマスコミでありカルト宗教団体でもあった。巨大な利権がそこに生まれたからである。金が紙幣が権力の源泉ではない、金を生み出すものが権力の源泉である。それが科学技術であり原発だったのである。


●文明の崩壊は科学技術(テクノクラ-ト)の破綻から起こる


その権力がもろくも崩れ去ったのはまさに科学技術神官が未来を予測できない、予言できない、ヒュ-マンエラ-のためだった。科学技術神官の権威と権力は事故で一挙に失墜した。それはマヤ文明の崩壊とかともにている。何らかで科学技術神官が権威を失墜したのである。それは原発事故と同じ様なことが起こったのかもしれない、太陽が衰えてゆき死んでゆくとかの迷信に陥ったためかもしれない、それは日本の天の岩戸神話と共通している。それは明かに原発事故とにている。この事故によって科学技術官僚、神官の権威は権力は一挙に失墜した。もともと政治家やマスコミには権力はなかった。科学技術にこそ力の源があった。だからそこに巨利を生むから政治家や官僚やマスコミが群がったのである。現代でも古代でも権力の源泉は科学技術だったのである。天皇が鉄の王だったとするとき電力を生むものが王になっていた。東電は電力会社はテクノクラ-トであり国家より政治家より力があったのである。マスコミなどは軽くとりこむことができた。現代の文明は電気の文明だった。その前は鉄の文明であったから天皇は鉄の王となっていたのだ。その権力の構造は変わらなかったのである。そして人間にとって未来を予測することがいかに大事かそこに生死がかかわっているかわかる。でもその未来を知るのは神のみである。


個々人の運命すら神が支配している。なぜなら未来がどうなるかわからない、一寸先は闇なのである。別に津浪がこなくてもそうである。突然の病に倒れるものもいるし認知症とかわけのわからない病気になる人もいる。人間がいつ死ぬのかもわからない、百才近くになっても死にそうでも死なない人もいるし突然若くても死ぬ人もいる。人の死ぬ時期は知り得ようがないのだ。人間の未来は神しかしりえないのである。そこに人間の限界があるのだ。それはどんなに科学技術が発達してもそうである。その科学技術がいかにもろいものだったか原発事故で思い知らされた。完全な科学技術などありえないのだ。人間が作るものは不完全であり必ず事故が起きてくるのだ。百万年に一回などという科学者の馬鹿げた確率論がでてきたのもそのためでてある。人間は全能ではない、神のみが全能だからそうなる。文明が崩壊するというとき科学技術文明が崩壊するということである。人間は全能の神のような力をもちえないからである。


鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)
http://musubu2.sblo.jp/article/47022054.html

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古代文明と原発事故 (科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


古代文明と原発事故

(科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


●未来は過去から作られる


岩戸隠れ」神話とは、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な行為に怒り、
天照大神が天の岩屋にこもると、世の中が真っ暗になり、


困り果てた神々が相談して、一計を案じ、岩戸を開けて大神を外へ連れ出すと、
世の中がもと通り明るくなった、という物語です。


天文学者の斎藤国治氏は、この物語のモチーフを皆既日食と見て、
日本列島上で起こった日食を分析したそうです。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-4.htm


古代文明というと原発と何の関係があるのかと思うが今起きることはいかに複雑高度化しても常に過去と関係していないものはない。すべての期限は過去に求められる。だからこそ歴史が人間にとって欠かせない知恵の源になる。歴史を忘れれば人間に未来すらない、未来は過去から起こるということを知らねばならない、明治維新も日本古来の伝統の復古、維新があり国が改められた。今度の津浪ほどそれを意識されたことはないのだ。こうした災害すら過去をふりかえることが歴史がいかに大事なものだったか思いしらされたのである。なぜなら三陸のリアス式海岸では何度も津浪に襲われているから津浪対策をしていた。それでも巨大津浪で大被害を受けた。そして仙台平野とか福島県までの浜通りは津浪は来ないと思っていたから警戒もしなかった。でも過去に400年前に相馬藩の記録に700人溺死した慶長の津浪の被害があったのである。ただそれを取り上げる人も話題にする人もいなかった。一行700人溺死としか記されていなかった。その前に貞観津浪があり相馬市の奥まで津浪の堆積物が発見されたことを最近になり科学者が発表していたしフクシマ原発でもそのことを警告していたのである。

津浪でもいかに過去をふりかえることが大事だったか思いしらされたのである。過去をもっと重視していれば津浪も予測できたのである。そして今回いかに予測するということが大事なものか生死にかかわるものか思い知らされた。未来を予言することが人間にとってもっとも大事なことだから聖書が生まれた。聖書は予言の書であり予言者は未来を予言するものであった。ノアの方舟でも誰も大洪水のことを言っても信じなかったから津浪のように水にのまれて死んでしまったのである。人間は未来を予言する予測することがいかに大事なことか思い知らされた。今は予言者の代わりを科学者がしている。それで貞観津浪のことも科学的な物証として提示して警告していたのであったが無視された。原発に従事する科学者はフクシマ原発は百万年に一回の割合でしか事故にならないと確率論で計測した。これがいかに馬鹿らしいものだったか露呈した。貞観津浪のことをすでに知っていたのだからその規模の津浪が来れば確実に原発は破壊されたのだ。ということは千年に一度の大津波が来たら破壊された。百万年に一度しか事故にならないというその科学そのものがまるででたらめだったのである。


●権力の源泉は古代も現代も科学技術だった


古代文明と現代の高度な文明が原発が何の関係があるかというとき古代文明も文明だから今の文明と由来は同じ面があるのだ。文明とは人間の力を神のような力をもつものとして作られる。神のような力をもつにはどうすればいいのか?それは権力をもつことである。どうしたらその権力をもつことができるのか、そこに原発と同じ起源があった。科学の力によって権力をもつのである。エジプト文明でもマヤ文明でも高度な知識をすでにもっていたのである。マヤ文明は謎であるが宇宙人が作ったとか言われるほど高度な文明だった。その力は天体の知識にあった。王は神殿に立つとき背後から太陽の光にまばゆく映えるように設定され建築されていたのである。それはエジプト文明もナイル河を観測して氾濫の時期を予測して権力をもつようになった。テクノクラ-ト、科学技術神官が権力をもつようになった。今なら科学技術官僚であり東電の会社である。つまり権力と科学技術はすでに古代文明から権力の源だったのである。これを考えれば古代文明と原発は人間の文明の歴史の流れとして必然的に生まれたことがわかる。技術の進歩の極限として核が原発が生まれた。日食にしてもその日食の日をあらかじめ予言すれば民衆は科学技術神官に従うことになる。神のごとき力をもつことになるのだ。つまり権力の源泉は古代文明と現代の文明と同一であり変わらなかったということである。
人間は本質的には古代から変化していないともなるのだ。


権力というとき歴史では宗教が大きな力をもっていた。それはエジプト文明でもマヤ文明でも同じである。その宗教の力の源も科学と密接に結びついていた。最初は奇跡の力が宗教の力となった。次に奇跡より科学的なものが技術が人間の権力をもつ力となった。宗教も結局は科学や技術と同じく力をもちたいということでは同じである。病気になれば宗教に今でも頼っている。科学が医学でもいくら発達しても万能ではないからだ。カルト宗教団体がこの科学全盛の時代になぜこれほど増えているのかそれはこの世の人間のことが以前として科学だけで解決できないからそうなっている。人間がいかにしてし権力をもつか権力の源泉は何なのかと問えばそれは今と同じ様に科学やそこから発した技術にあった。人間はこの科学技術にひれ伏すのだ。もともと天皇が日本の王が鉄の王だったというとき鉄が権力の源だったというときこれも科学技術がテクノクラ-トが権力をもち支配者になったことと同じである。権力はテクノクラ-トが持ち王もそのテクノクラ-トの上にある。


それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうだった。農業の上に実は鉄器を作り得る技術が必要だった。鉄器は鍬や鎌など農業生産を増大するのに不可欠なものだった。だから天皇は鉄の王だったというのもそこからきている。つまりテクノクラ-トによって日本も支配されていたのである。そのことを顕著に示したのがオウムだったのである。サリンを製造して権力を持とうとしたのがオ-ムだった。テクノクラ-トが優秀な理系の人が集ったのもそのためである。それは原発を作った技術官僚や科学者や会社の技術者と同じ構造だったのである。権力の源はまさにその科学技術を操作するものにあったのだ。それに付随したのが政治家でありマスコミでありカルト宗教団体でもあった。巨大な利権がそこに生まれたからである。金が紙幣が権力の源泉ではない、金を生み出すものが権力の源泉である。それが科学技術であり原発だったのである。


●文明の崩壊は科学技術(テクノクラ-ト)の破綻から起こる


その権力がもろくも崩れ去ったのはまさに科学技術神官が未来を予測できない、予言できない、ヒュ-マンエラ-のためだった。科学技術神官の権威と権力は事故で一挙に失墜した。それはマヤ文明の崩壊とかともにている。何らかで科学技術神官が権威を失墜したのである。それは原発事故と同じ様なことが起こったのかもしれない、太陽が衰えてゆき死んでゆくとかの迷信に陥ったためかもしれない、それは日本の天の岩戸神話と共通している。それは明かに原発事故とにている。この事故によって科学技術官僚、神官の権威は権力は一挙に失墜した。もともと政治家やマスコミには権力はなかった。科学技術にこそ力の源があった。だからそこに巨利を生むから政治家や官僚やマスコミが群がったのである。現代でも古代でも権力の源泉は科学技術だったのである。天皇が鉄の王だったとするとき電力を生むものが王になっていた。東電は電力会社はテクノクラ-トであり国家より政治家より力があったのである。マスコミなどは軽くとりこむことができた。現代の文明は電気の文明だった。その前は鉄の文明であったから天皇は鉄の王となっていたのだ。その権力の構造は変わらなかったのである。そして人間にとって未来を予測することがいかに大事かそこに生死がかかわっているかわかる。でもその未来を知るのは神のみである。


個々人の運命すら神が支配している。なぜなら未来がどうなるかわからない、一寸先は闇なのである。別に津浪がこなくてもそうである。突然の病に倒れるものもいるし認知症とかわけのわからない病気になる人もいる。人間がいつ死ぬのかもわからない、百才近くになっても死にそうでも死なない人もいるし突然若くても死ぬ人もいる。人の死ぬ時期は知り得ようがないのだ。人間の未来は神しかしりえないのである。そこに人間の限界があるのだ。それはどんなに科学技術が発達してもそうである。その科学技術がいかにもろいものだったか原発事故で思い知らされた。完全な科学技術などありえないのだ。人間が作るものは不完全であり必ず事故が起きてくるのだ。百万年に一回などという科学者の馬鹿げた確率論がでてきたのもそのためでてある。人間は全能ではない、神のみが全能だからそうなる。文明が崩壊するというとき科学技術文明が崩壊するということである。人間は全能の神のような力をもちえないからである。


鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)
http://musubu2.sblo.jp/article/47022054.html

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2012年03月25日

春眠(電車が走り出す-そして地震で覚める)


春眠(電車が走り出す-そして地震で覚める)


春眠や寝ていて電車の走り出す


春眠や地震で目の覚む浜通り



電車での旅が長かったから良く電車の夢をみる、今日は半日くらい寝ていた。春は眠たくなるのかな、学生時代からまず寝て暮らすということを覚えてしまった、学生時代を過ごした人がよく会社人間になっていることが不思議である。でもなまけることも楽じゃない、今この辺で仮設住宅に入っている人が食っちゃ寝、食っちゃ寝で嫌になったと言っていたけどそういう経験していないで働いてばかりの人はそうなる。どうもここ五年間旅行していないと家にばかりいると時間が何倍も長く感じる時がある。旅行していると時間が早くすぎる。同じ所にいると時間が長く感じる。ただ何か書き物しているときなど時間が短く感じる。何もしていないと時間が実に長く感じる。

団塊の世代は65才でたいがい退職するというときそのあとまだ先が長いとする暇をもてあます人々を大量に生むことになる。あらゆることが仲間も生きがいも会社だという人は何をしていいかわからなくなるだろう。ただライフワ-クのようなものをもっている人は違っている。老後に実るようになる。芸術などはそうである。芸術だけではない晩年はその人の仕事の集大成になる。いい面でも悪い面でもそうである。その人の人生の答えがいやおうなく出てしまうのである。いいかげんな人生を送った人間はいいかげんな最後となる。若いときの犯したちょっと罪も最後に深く意識されるのも不思議である。あらゆることが最後に結果が現れる。知識なんかもその一生の積み重ねなのである。その人の学んだものが最後に書くものに現れる。それは偽ることができない、そして人生は終わりに近づけば自分のしたことやなぜこうだったのかとかいろいろな謎が解けるし思想的に哲学的に深いものが理解できる。だから別に知識のない老人でも何か悟ったような知恵ある老人に見えたりする。

でも60代では男女ともまだ男として女として本能的であり性の欲望も強くなっていることに驚いた。もともと自分は体が弱かったから本能的欲望に時間を費やされなかった。

意外と青春をそうした本能的のものが強いから精神まで欲望で消耗されのが多い。確かに一時期は誰でもそうだがそのことが後年大きな時間のロスだったとことを気づくだろう。青春を清らかに過ごさなかったものは天才をのぞいては実りはあるものとはならない.でもカルト宗教団体とかで青春を費やす人も実に多い。それも無益なことだったと晩年に気づいてもおそい。すべて晩年は結果であり何事も手遅れでありそのことがショックとなる。無益な罪を罪と思わないような時間を過ごした人ほど人生を悔いることはない、時間こそが一番貴重だったことを知るからだ。その時間が一番浪費されているのだ。今日も長い一日だった。


春眠と言っても夜に地震があった。震度4だから結構怖い、もっと長いゆれがつづくような地震の感覚だった。でも短くて終わった。余震がもう一年以上つづいている。余震がこんなにつづくのか、
まだ大きな余震がくるだろうとかいわれる。あれだけの地震だから余震も長くつづく、こんなことは日本でもあまり経験していないだろう。もう一度大きな余震が来たら原発はどうなるんだろうかと不安になる。春眠といっても今までの春眠とは違っているのがこの辺なのである。

2012年03月27日

津浪から一年すぎた松川浦-(海老村)の写真


津浪から一年すぎた松川浦-(海老村)の写真


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海老村は墓所が残り家はほとんど消えた。

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パノラマ写真

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八沢浦干拓の碑

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磯部の近くの神社の杉

塩害で枯れるから切ったのか?はらまち一葉松も塩害心配されている。

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岩の子の蔵は残っていた

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岩の子の塩釜神社

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慶長津波の後に復興して建てられた

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船溜には船が積み上げられていた
あそこは一軒も家がなくなった


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パノラマ写真(クリック拡大)

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原釜に残った松

沖には船が見えた。


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パノラマ写真クリック拡大

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新沼までは津波は来ないにしろかなり近くまで来ていた。
飢饉のことはもう忘れて春の日がさしていた。
しかし津波は近くまで来ていたのだ。飢饉は語られていたが津波のことは
語られなかった。津波の被害も大きかったはずなのに語られなかった。
飢饉で三分の一人口へったから飢饉の被害の方は語られ続けていたのである。


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沖に船海面光りて朝雲雀

津浪こぬ高台にさす春日かな

春日さし遠き昔や飢饉の碑


家消えて墓所のみ残る海老村に春の日さすもあわれなるかな


大杉のここに一本社あり春の日さして形見と残す


津波にも残る文字島春日さし向き合う形しげしげと見ゆ

津浪にも残れる松や春日さし船の入りくる原釜の港


春北風(はるきた)に松川浦の波だちぬ鴎飛びつつ港の跡かな


船溜(ふなだまり)春の日させど荒寥と松川浦に松の残骸

飢饉の碑遠き昔や春日さしまじかに迫る津波の恐怖


海近く湿地の沼に春の日のまばゆく光り雲雀鳴くかも



家とか松原がなくなったから見晴らしが良くなった。遠くに船が見えて春の日に光り雲雀が鳴いていた。海老村では墓所だけが高いところにあり家は消えた。墓参りはできても家がないからがっかりするだろう。この逆だと良かった。墓は流されてもいいから家が残っていればなと思うだろう。
他でも墓は残って家がなくなっている。石巻がそうだった。墓は残り先祖に祈り家はないというのも奇妙である。


磯部は古磯部がありそれは高台の方であり磯部で古く住んでいたのは高台の方だったのだ。古町が古いのであり古磯部が古いのである。低地に住んだのはあとだった。磯部は砂州のような地形になっていた。そういう危険な場所に住んだのは慶長の津浪の後だろう。でもその記憶があれば怖いから住まないとなるが便利だから住むようになった。松川浦から魚をとるようになって住むようになった。
磯部は家が多かったから被害も大きかった。一軒の家も残らなかった。

磯部から少し離れたところに神社があった。あそこにあったのを知らなかった。大きな杉が一本あった。それもきられた。半分残っているのが奇妙だけどずいぶん大きな杉だったことがわかる。


松川浦には杉の残骸がまだかたづけられず大量に残っていた。どれだけの松が流されたかわからない。岩の子に蔵が一つ残っていた。あそこはかなり津浪の被害が大きかった。浦にも近いから津浪の衝撃も強かったが蔵はそっくり残っていた。蔵は津浪にも強いのかもしれない、岩の子の塩釜神社は小高い丘にあった。あそこに逃げれば助かった。あの神社は慶長津浪があった次の年に復興して建てられた。小高から中村へ今の相馬市に城を移したのが慶長津浪から一か月後であり次の年に復興したとあるから津浪の被害があって復興したと記したのかもしれない、ただ神社が建てられたのはそれより300年前とかになっている。それが本当だとすると神社もずいぶへ古いとなる。津浪は余りにも被害が大きいし驚くべき恐るべきことだから何らか記念として残すということがあっても不思議ではない、ただ時間がたつにつれて忘れられてしまったのである。


文字島が残ったのは不思議である。あれだけの津浪だから破壊されても不思議ではない、でも残っていた。津浪に残るというだけでそれが貴重なものに見えるのも確かである。この形が人が向き合う形でもある。一方は男であり一方は女にも見える。この島にはさほど注目していなかったが津浪に良く残ったと思い今回は注目した。


原釜の津神社(つのみや)は高台にある。あれも慶長津浪の記念に建てられたのか縁起は記されていない、でもあそこに逃げれば確実に助かった。松川浦は一軒食堂をやっていたが閑散としている。
高台は春の日がさして助かって良かったなとぽかぽかした気分になるが被害のあった地域は悲惨である。高台で家が助かっても回りが悲惨だし仕事も松川浦全体でしていたから影響をもろにうける。高台で助かったとしても回りの影響で仕事にならないとか空き地や空家があった。これは石巻とかでも同じである。あそこも全体への影響があまりにも大きすぎたのである。


松川浦の原釜から新地の方に行くと沼があった。溜池らしいが湿地帯の沼に見えた。もともとこの辺は湿地帯で沼が多かったのだ。海岸近くは湿地帯であり沼地だったのである。

原釜とか釜石とか鎌倉とある釜は噛まれたような地形と指摘していたがそうかもしれない、それより釜は鎌であり鎌の形をした地形である。原釜もそうであり鎌倉もそうである。地名は地形と密接に関係していたのである。

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