2012年02月26日

津浪の跡の朝の雪野


津浪の跡の朝の雪野

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パノラマ写真

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四五本の残れる松や雪野かな


夜の明けぬ凍る雪野に烏かな


村の跡凍てつき朝の浪の打つ


寥々と津浪の跡に四五本の松の残りて雪野の明けぬ


寥々と凍る雪野や夜の明けて津浪に消えし家の跡かな

津浪の跡の景色を見ていると本当に不思議である。この辺は干拓される前はこんな風景だった。それ以後松原と砂浜があったが砂浜は浪の浸食でほとんど消えた。海辺は縄文海進のときは深く海が入り込んでいたから千年単位とかそもそも変わりやすいのである。万葉集の真野の草原が歌われたのは奈良時代である。その時真野の入江があり塩崎まで海だった。そこに船着や市庭という地名が化石のように残っているから港だった。草原は地名だった。八沢浦が元の入江になったとき信じられなかったように美しい入江だったのである。万葉集の謎はそれたけ海辺は景色が変わっているから昔の自然状態をイメ-ジしないと読解できないものがある。だから真野の草原もこれも最大の謎だったのである。


今朝は寒いし雪が溶けない、凍りついていた、こういう風景はこの辺ではめずらしい、雪は消えやすいし春の雪は消えやすいからだ。だから余計に寒々としていた。水たまりも凍っていた。遠くに浪しぶきあがり津浪に壊滅した海老村とかが見える。この荒寥とした風景はいつも何なのだろうと思う。俳句だと写生だからそのまま見たものが今や驚くべきものになってしまったのである。

四五の松が残っている、それか凍てつく雪野の中に残っている、それが驚くべき光景となってしまった。これは北海道の風景である。原野にもどった風景である。原野化したから荒寥としているのだ。残った四五の松が何とも心に凍みるのである。

 
 
 


 

家のもっている(家霊)の力 (NHK-家で死ぬということ-を見て)


家のもっている(家霊)の力

(NHK-家で死ぬということ-を見て)

今日のドラマでも家に執着して家で看取られ死んでゆきたいということをテ-マにしたドラマを見た。今どこで死ぬのか死にたいのかということが問題になっている。たいがいは今は病院で死ぬ。
このドラマでは病院で死ぬのがいやで自宅で死ぬことを望み自宅に帰り死んだ。その場所は白川郷でありドラマとして設定した。あそこの家は合掌作りで有名だから選ばれた。代々人は家で看取られ死んだ。だから家への思いが強い。家がそれだけ重みをもっていたのは養蚕などで家が生産の場になっていたからである。白川郷の合掌作りは二階、三階が蚕を置いた。そういう作りは今でも阿武隈山地でも残っている。家の重みは社会の変化と共にあったのであり家族関係も社会の変化によって変えられたのである。農家だったら江戸時代だったら前田とか門田が中心となり生活があった。だからこそ前田という地名が多くそこが家の中心であり村の中心であった。そうして代々生活してきたから家に重みがあった。今は働く場所がみんな家の外になったとき家の重みがなくなったのである。みんなサラリ-マンになってしまったのである。家の重みは家族だけでも作られなかった。村では屋号がついた家が多いのはそこが一つの会社のようになっていたからである。商人でなくても農家でも屋号が名前代わりになっている。ドラマでもそうだった。ただ白川郷は観光地として栄えているのだからその様子は今や現代社会を反映したものとなっているから現実は違っている。外からの人を大量に受け入れて成り立っているのだから変わらざるをえないのである。



家霊は、
住む人の思いで力が強まっていきます。

つまり、自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


住む場所の持っている運気と合わないときは心がソワソワして精神が不安定になる体がに不調を感じる・一人でいると誰かに見つめられているような感じがする・家の中に誰かがいるような人の気配を感じる・家に帰ると気持ちが沈む・極端な場合、家の中に誰かがいて姿が観えるような現象を訴える人もいます。これらの現象は前に住んでいた人の念の作用によることが多いものです


建てた家の階段を上り降りするとき人が横を通り抜けるような気配を感じると相談に来た人がいす。大工さんの両親が亡くなり家を建てているとき悲観的な念を家に込めてしまったのが原因でした。家を建てる大工さんと人間関係は良好にしておくと良いでしょう。
http://www4.ocn.ne.jp/~sti5mti5/toti/toti.htm

 


家というのには本当にその家に長く住んでいた人が以前としている。病院で死んだりしても病院にその人はいない、でも家には確かに死んだ人が以前として霊としてでも住み着いている感じがするのだ。自分の家は築40年以上すぎている。事情は複雑だけでこの家は姉が重に建てたものでありその思いがこもっている。柱は橲原の同級生のキコリの人が太い柱として材料を提供してくれたことを何度も言っていた。白川郷でもユイという組織があり家は村の人が全員で茅葺きの家を作っていた。とすると村人全員の思いが一つ一つの家にこもっている。村人全員の心がこもっていることになる。今日ニュ-スで二本松油井字中田とかあるがこの油井は結いであろう、鎌倉の海岸の由比もそうだろう。
千恵子の家も由比地域にあった。日本全国で村にはユイがあった。 ここで大工さんのことが出てきたが大工さんの念が影響したというのも確かに家作りにしても人間がするのだから大工さんの心の状態が影響するということがある。でも今は家はプレバブのように組み立てる家が多くなったからあまり大工さんのことは考えない、ただ人間のかかわりは単に物を買い売るという貨幣関係だけでいなものが必ず生じる。そこに心の問題が生じてくる。


自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


自分の家を誇りにもつとか感謝するとかそういうことが現代ではあらゆる所に欠けている。現代とは今しか生きていない、今がすべてなのである。だから白川郷のような家の物語はない、団地やマンションのうよな所に住んだりただ住むだけの家にはそれも40年とか住んで建て替えるとかなると家の重みがなくなる。それでも40年くらいでも家の重みはでてくる。ヨ-ロッパの家は200年とか300年とか継続して住んでいるから家の重みがあり歴史の重みを伝えることができる。日本では最近は特に家の重みがなくなった。昔だったら江戸時代だったら庄屋とかがあり村の中心がありそこから歴史がたどりやすかった。今はそうした村の中心となるべきものが希薄化した。農民すら全国民の一割しかいないとかなり農業が国の基でなくなった。それでこの辺では実際は原発が町村の中心になっていたのである。こういう生活の変化が家の重みを喪失させたのである。


だから死でも重みのない死となる。田舎の冠婚葬祭がわずらわしいしいいとはいえない、ただ代々伝えられる家の重みがあって人間も作られてゆく。漬け物のことを言っていたが家ごとに漬け物のつけ方や味が違っていた。そういうものも代々伝えられてきたのである。そういうものも喪失してゆく、文化が喪失してゆく、ではすべて新しいものとなったとき何かそこに重みのある意味あるものを作れたかとなるとそうはならなかった。代々伝えるべきものはなく病院の無機質的環境でモノのように死んでゆく、それは重みのある死ではないから不幸でもあったとなる。家からのパワ-ももらえないとなる。家なんか古いんだ、何でも古いんだというときでは新しいものに何か重みのある意味あるものが作り出されたかとなるただ破壊して喪失させただけだったともなる。

ただ人間社会は変わるのだから人間の生産の場は別なところ移っているのだからそこに思いが移る。それは一生働く会社になったとか別な場所に移った。それでも人間の基本は家に生きて家とともにありたいというのが本能的なものとしてあった。だから家の価値を見いだすドラマが作られたし看取りでも家で死にたいその思いをかなえたいという人がふえてきた。しかし現実的に国でもう金をだせないから在宅介護にシフトさせているのであり家で死ぬということ看取るということは家族自体少ないのだからそれを補う今回のドラマのような村人もいないのだからその重荷を背負わされた人は大変なことになる。ともかく社会の変化で家族も変わったのであり家族も社会によって構成されるということからまねがれないのである。


言えることは家の中には確かに死んだ人がまだいる感じがする。だから古い家などを借りた場合、そこにはそこで生活した人が死んでもいるという感じになる。その家と関係ない人でもそう感じるのはそれだけ家に執着しているのだ。もちろんそこに一緒に住んだ人は死んでもその家の中にいる感じが最も強く感じる。家には家霊が住んでいるというときそういうことなのだろう。家でもそうだが人間社会というのはあらゆるものがモノでもそこから何らかの気が発している。その気に影響を受ける。だから悪い気がでている家、家霊もありそういうところに出入りすると何らか影響を受けるということはさけられないかもしれない、そんなものは迷信だというけど誰も自殺したアパ-トとか古い家に
住めるかとなるとなりにくいというのはやはりそうした所から悪い気が発生するから本能的に嫌だとなる。そういうことを普通にあるとき人はむしろそうした気に左右されているのである。

近くの家は不幸な家族で絶えたがそのあとに若い女性が一人住んでいる。いつもいるという感じではない、でも家も住む人によって雰囲気が変わる。別にそこから悪い気が発しているとは今は感じない、やはり住む人によっても家の感じが変わるのである。
暗い陰気な不運な人が住むと家も暗い感じになり辺りにその悪い気をだすのである。ただそういう家はどこにでもあるからそういう場所をさけて住むことはできない、確かに家はモノでありそのモノも人間と関係しているから人間がモノとかかわりそのモノに影響しているのである。