2012年02月21日

津浪の後の冬の海

 

津浪の後の冬の海

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冬の浪遠くにしぶく津浪後


冬の海遠くに猛る津浪後


荒寥と津浪の跡や寒烏


晩年や近くの行き来冬の鳥



津浪の後に遠くから海が見えるようになった。この光景も何度もみているけど不思議としかいいようがない。こんな光景を毎日見るようになるとは思いもよらなかった。ただこの光景はもともと海辺はこんな光景だったのだ。北海道に行けばこういう風景は残っている。海はやはり怖いものだった。
海は遠くから眺めていた方が良かったとなる。荒々しい浪がしぶきをあげるのが遠くから見えるようになった。今までは松原だから浜通りでも仙台までも海は遠くから見えなかった。遠くから海が見えることは海を絶えず意識するようになる。外からきた人もここは海が近いということを意識する。これまでは海を見なければ海を意識しなかったのである。だから浜通りでも仙台までも海を意識しなかった。ともかく以前として津浪の跡は荒寥としたままである。そこに寒烏が一羽飛んでくる。

つぐみは川にいたけど近くで見かけなかった。ちょんちょんといつも冬には飛んでいた。この鳥は高く飛ばない、原発の回りでは鳥がへったという。この辺ではそういう感じでもない、飯館辺りはかえって鳥がふえるということもありうるのかもしれない、人間がいなくなると自然にもどるといういこともある。放射能は目に見えてわからない、別に木が枯れるわけでもないし水が濁るわけでもないし花が咲かなくなったりしない、それがなんとも不思議だからなぜこんなに騒ぐのだろうとなる。
騒ぎだけが大きくなるとしか思えない、その放射能騒ぎでかえってノイロ-ゼになってしまうのである。毎日毎日放射能がどうだこうだということで疲れてしまうのである。放射能という言葉さえ聞きたくないとなる。別に放射能を意識しなければわからないのである。