2012年02月20日

医者には愛郷心がない、土着性がない職業? (福島県から流出する医者の問題)


医者には愛郷心がない、土着性がない職業?

(福島県から流出する医者の問題)



東日本大震災で原発事故に遭った福島県で、医師の流出が深刻な問題になっている。
県内138病院の常勤医が、原発事故当時から71人減少していることが判明。
看護師の減少も続いている。放射線への不安から首都圏などの大学も医師派遣に二の足を
踏んでおり、医療機能の停滞が復興の遅れにつながる恐れも。危機感を強める地元では
優遇策の検討も始めた。

福島県によると、震災から9カ月の昨年12月1日時点で、県内の常勤医は1942人。
震災当時(3月1日調査)に比べて71人も減った。

中でも、原発に近い沿岸部の相双地域では震災前の120人から61人に半減。
県全体では4月以降さらに7人が減る見通しだ。

*+*+ Sponichi Annex +*+*
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/17/kiji/
K20120217002650120.html

 


まあ、医者や看護士はどこ行っても仕事あるから
移動しやすいってのもあるだろうね
俺の従妹のねーちゃんも福島で看護士やってたけど
他県に引っ越したよ


医師免許を福島でとった人は
福島でしか医療活動できないようにすべき

そうしないと医者がいなくなる

県立医大卒業した奴は県外での勤務を禁止しろ。
それに違反したら1億円くらい罰金を取れ。

毎年100人くらいの卒業生がいるわけだから65歳までを現役としたら
4000人くらい医者がいないとおかしい。
元々半分は県外に流出していることになる。
福島県民は怒らないと駄目だぞ。


医者じゃなくてもわざわざ住みたい人なんていないでしょ
福島どころかそこそこの地方の公立病院でさえ
勤務医不足で閉ざされてしまった科も多い
税金投入して医者を育てても
卒業したら都会で美容整形医や眼科医とかになる人多すぎ
大学病院でさえ金持ち中国人で商売しようとしている
国が決定的な政策を打ち出さないかぎりもう無理だと思ってしまう


医者が福島から逃げるのって、本人の意志じゃないケースがほとんどなんだけどな。

親、嫁、嫁の親族などから相当なプレッシャー受ける。
福島から離れないと離婚させると嫁の親に迫られ、辞めた人を何人も知ってる。
うちはいわきで線量もたいしたことないからやめないけどね。


医者は土着民と違ってしょっちゅう転勤しているので引越しに対する抵抗感がそもそも少ないし、
再就職先はいくらでもある。
今現在被曝のリスクは殆ど無いにしても、また揺れれば再爆発の可能性はあるわけだし、
引っ越すために払うコストが医者の場合は極小だから念のため引っ越すのは当たり前。


もともと大学から派遣された勤務医ってのはローテーションみたいに交代するのが普通。
そうでないと、たまたま都会に赴任できたヤツと、ど田舎に赴任したヤツとで不公平になる。
持ち回りで一時期我慢しなければならないならお互い様、という論理だ。

これは別に福島だけで起こってる訳じゃ無い。全国の田舎で起こってる医師不足と全く同じ。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1329433779/



●第一次産業主体の社会から移動社会の変化が社会を変えた


土着性などというと何か古い感じになるけど土着性と愛郷心は密接に関連している。一番土着性があるのは第一次産業に従事している人たちである。農民であり漁民であり林業であれそうである。そういう職業は代々受け継がれてきた。そもそも農家が三代つづいて農民として認められるというのもそのためである。林業にしても木が育つのに50年かかるとすれば一代で収入が得られないから気の長い仕事なのである。そういう一次産業主体の経済が戦後10年くらいまではつづいていたのである。山では炭焼きしていたし炭が燃料だった時代は江戸時代から戦後10年までつづいていたのである。そういう時代が長いのであり最近の石油を頼りにしているとか原発になったとかはまだ非常に日が浅いのである。第一次産業を主体にしているときの感覚、価値観、物の考え方、モラルと非常に短い時間でもの考えることはかなり違ったものとなる。そもそも人と人の信頼は長い間にしか築かれない、だからともかく長い間つきあいのある人は相手がどうであれそれなりに信用する。そこが信用の基本だった。はじめて来るような人を家に入れるのがどれほど危険なものか身をもってしった。


農家ではすでに一代だけでは仲間に入れてもらえない、信用されないということがある。そんなことは封建的だとかいろいろ批判はあるが物の見方は多様なのである。ある一面からみれば別な見方がでてくる。土着性とかから原発事故を見ている人はまれかもしれない、外部からは簡単に移住しろとか無責任に言うけど人間はそんな簡単に故郷を移住できるのか?故郷というのが何なのかこの辺では故郷を失って考えるようになった。故郷と土着性が密接に関連している。戦後十年くらいまでは大方日本人は土着的に生きてきた。その後工業化が進展して東京などに労働者が金の卵として移住した。労働人口が流動化した。それまでは第一次産業主体だからそんなに全国的に人口が流動的になることはなかった。交通の発達も今のような車社会でもなかったから近くでも移動すること自体容易でなかった。江戸時代でも長屋暮らしであり何か今の社会からイメ-ジするから頻繁に移動しているように見える。でも実際は同じ長屋で暮らしそこで死ぬ人が大半であった。だからこそ親密な関係や助け合いも生まれたのである。そういう社会のことが今はイメ-ジしにくくなったのである。


●勤務医は土着性なく開業医はある


ここの問題でも福島県で育てた医者が県外に流出することが問題になっている。せっかく県で金かけたのに県に残らないのでは育てる意味もないとなる。南相馬市で医者とか看護師が一時半分も流出したし今もなかなか回復しない、医者は外部から入ってきている人が多い。だから愛郷心がない、土着性がないことはわかる。看護師は地元の人が多い。その人たちも流出した。子供をもっている人が多いから放射能不安で流出した。看護師は愛郷心がないとはいえない、地元で育った人が多いし親も祖父母も地元にいるというのが多い。医者は開業医だと地元に根付いた人が多い。ただ新しい開業医もいるけど土着性がある。だから原町の産婦人科の医者は最後のミッションだとして尽くしていた。年でもありその土地や人と一体化して愛郷心があるからそうなった。ただ一般的に医者は地元に愛着がないとかいうのはわかる。だから放射能問題で医者だから敏感になって移るということもあるしどこでも医者や看護師は仕事ができるからそうなる。土着性がない職業でもあった。ただ自分が思うに医療という仕事が本当に体だけを診るものなのか?医療にかかわる分野は広い。特にタ-ミナルケアとかなると医者だけではない、回りの環境が大事になる。もちろん建物も関係してくる。その点南相馬市立病院は理想的だった。建物の立地もいい、見晴らしもいい、環境的に癒される所だったのである。病院に求めるのは他の人も景色のいい病院に入院したいという希望をもっていた。それは東京のような所ではなかなかありえない、田舎だったらそういう病院が結構多いだろう。ただ相馬市立病院は見晴らしが良くなかった。建物も劣っていた。医療というのは単に体の一部分をみているのではない、環境まで関係してくる広範囲のものとしてみる必要があるのだ。死ぬときは眺めのいい所で死にたいということもある。無味乾燥な病室だけを見て死にたくないとなる。そういうことにも病院は関係している。病院というと病気だけを直すということを見ている。でも実際はその病気にしろ自然環境から癒されるということもある。


●土着性がないと安定して仕事もできないし文化も生まれ育てられない


本来仕事は土着的なものだった。江戸時代から戦後10年までは人はこんなに移動していない、一カ所に留まり仕事していたのである。その変化がいかに大きいものだったか自覚していないのだ。山伏とかが山に籠もり何か自然の神秘な力を見につけて加持祈祷するというのはそのためだった。そんなもの今じゃ非科学的であり迷信だとかなるが自然には人間を越えた神秘な力が未だ働く、癒しがあるのだ。もちろん現代の医療技術の進歩には眼を見張るものがあるからこれは否定できない、でも余りにもその急速な進歩により目を奪われ人間的なものが見失われてしまった。人間という存在は自然と宇宙とも密接に結びついた一つの生命体であり医療となればやはりその自然や宇宙の生命体としての癒しが必要になる。ものと心は一体なのである。ものとは自然や宇宙のことである。西洋医学では思想ではすべてを部分として分割して見る傾向が強い、東洋的な思想は全体として見る傾向が強い。医療もそういう違いがある。でも西洋医学の方が効果が現れやすいから東洋医学は漢方などは忘れられた。確かに人間は機械なのかということを思うことがある。血管でも人工血管やら人工心臓、人工心肺まで可能である。人間の体が機械に肩代わりできることは人間の体も機械なのかということもある。だからこそ医者を神のように崇めるようになった。つまり昔はそれだけの効果を期待できないから科学信仰になったことはわかる。


でも土着性というときそれは薬師堂のようなものに例えられる。今どき病気になったら薬師堂にお参りしたりはしない、みんな病院に行く、でも開業医などは薬師堂とにてい役割がある。開業医は勤務医より土着性がある。その土地に根付くようになるから土着的になる。流出している医者は勤務医の方が多い。仕事には何か土着性、長く腰を落ち着けてするということが必要である。それは別に農家でないにしろ必要である。文化的なものだってそうである。文化がcultureが耕す意味から来ているのも当然なのである。その土地の自然から文化が生まれてきているからだ。その文化が生まれのには育つのには長い時間が必要なのである。薬師堂はどこでも村の中心にありそれは病気が治らないまでも癒しとして機能するものだったのである。そんなもの何にも役に立たないとか今では思っても歴史的にはそういう役割があったからこそ今も残っているのである。人間の問題は決して一部分に留まるものはない、どんなものも全体に影響するし全体の関係から逃れられない、医療の問題でも自然環境まで考慮する必要があるようにあらゆるものがそうなのである。そういうように全体の関係を考慮せずに原発などを作るからとりかえしのつかない事故となる。今必要なのはこの全体の思考なのである。原発事故にしてもそもそも津浪のことを考慮しない、地震のことは考えても津浪のことを考えないことから起きた。全体的地球的思考力の欠如だったのである。人間は部分を見るのは得意でも全体をみることが不得意なのだ。現代のように極端に細分化して専門化した時代は特にそうでありそれが致命的なものとなる危険性をはらんでいるのである。

posted by 老鶯 at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連