知らないことが致命的になる時代
(卵子が老化することを知らず子供が生めない)
●社会の変化に対応できない知識の吸収
NHKのクロ-ズアップ現代で卵子が老化して35才くらいになると子供がうめないことを知ってショックだったという女性を問題にしていた。仕事を持つ女性が増えて妊娠する時期遅れてしまったためである。避妊治療については知っていたが卵子が老化して子供が生めなくなることを知らなかったという。人間はつくづくある一つのことは知っていても避妊ということに注意を払っていても卵子か老化するということを知らなかった。教育もされていなかった。これがなぜ問題になったかというと社会の変化が原因していた。女性が普通に働く時代忙しく子供を生む時を逃してしまった。そういう社会の変化がありそれに対応する教育が成されないことなどがあった。社会が変化するとき今までの知識では用が成さない、現代ほど変わりやすい社会はない、その社会の変化に対応するには大変である。
この変化は高齢化社会と呼応している。90まで普通に生きる時代はすぐそこまで来ている。現実90才はめずらしくない、そういう時代に若いときなら女性でも仕事を中心になるのはやむをえないことなのだ。人生設計だって90まで生きるのが普通になれば変わる。60までは社会の経験や学問の積み重ねをして60から成果を出してゆくでもまにあうとなる。人生50年だったらこんな悠長なことをしていたられないのだ。そうなると別に急いで成果を出す必要はないのである。いろいろ分野で個性や才能も活かせる時代になる。子供を生むにしても90まで生きる時代は40頃子供を産むに適している。だからこそ卵子が老化しているということが今になって問題になったのである。科学技術というのもこれに対応できなかった。研究は進んで40でも卵子が老化しないとか若い卵子の核と入れ換えるとか研究がはじまったのもそのためである。40で子供を生むのが適している高齢化社会の問題がここにもあったのである。
●江戸時代なら知らなくても良かった
人間知らないということが致命的になることは誰でも経験しているだろう。江戸時代なら見ざる、聞かざる、言わざる・・であり知らないことが当たり前でありそれで通っていた。知るにしても非常に狭い範囲であり政治の責任は侍にあり庶民にはなかった。ということは知らなくてもすむ時代だったのであり知らなくてもあきらめろという時代だったのである。現実に病気のことを知ったとしても治療しようがないから大方あきらめるほかなかった。現代では知らないということは各自の責任になるから困るのである。知らないで住まされないから困るのだ。知らないとそのことで自己責任にされてしまうのだ。知らないあなたが悪いとなってしまう。ところが現代は江戸時代の一億倍の知識と情報に接していなければならない、するとどうしても知らないということがいくらでもでてくる。あなたが知らないことはあなたの責任だともいえないのである。法律知識でも膨大でしりえようがないし、科学の知識でもむずかしくてそうである。それを全部民主主義だから個々の責任だとなるときこの社会を生きることは大変なことでありス-パ-マンにでもならなければとても生きていけないとまでなってしまう。それほど知識でも情報でも膨大であり多様化しているからとても一個人で対応できないのである。
今は医療の情報は膨大であり知りすぎても知らなくても損する。自分も早めに医者にかかっていれば薬くらいですんでいた。自分で情報を積極的に知ろうとしなかった。誤った偏見もあったし医者にかかれない事情もあった。ここでも避妊治療にばかりに注意を払って別なことに肝心の卵子の老化に注意がはらわれなかった。こういうことは原発事故でもあった。地震ばかりに注意を払い地下に非常用電源を置いた。津浪のことに警戒せず一旦高くした土盛りを低くしてしまったのである。人間は総合的に見ることがいかに不得意かわかる。一つのことに注意をはらったら別なことに注意できないのである。交通事故なども右にばかり注意していたら左からやられたとか二つの方向に注意が向けられないのが習性でありそれで事故が起きるのだ。
●原発事故も知らないことが致命的になった
津浪でも知識の欠如から起きていた。400年前に相馬藩でも700人死んだと記述されたものが残っていたがそのことを知っている人はまれだったろう。でもそれは重要な記録だった。津浪がこの辺でもそれだけの被害を出したときがあったのだから警戒してもよかった。でも全然警戒していなかった。仙台でもその津浪の被害のことを科学者が警告したら宅地造成する人などから脅迫されたという。重要なことを知らせても聞かないということもある。原発のこと放射能の危険のことなど全く知らされていない、安全神話を信じさせられ放射能の危険のことなど聞くことすらできなくされていた。原発は危険なのかというときそれを知ることは容易ではない、でもその知らないということが致命的になったのである。素人は放射能などわからないからいいようにされていたのである。今になっていろいろ知識が入り理解するようになった。科学が苦手でも人間は説明されればそれなりに理解することがある。身近なものだから科学が苦手も細胞に線が走りそれがくりかえされれば細胞やDNAが傷つけられ癌とか奇形になるのだとか説明されると放射線障害とはそういうものかと素人でも知ることになる。だから体内被曝が怖いのだということは実感した。
おそらく現実に体験することで放射線の危険を実感した人はこの辺でふえた。そもそも原発は安全神話が強固に形成されその危険性は知らされなかったのである。その危険を言えば原発は建てられないからである。情報は権力によって操作されていたのである。民主主義でもすべて知り得ることにはならない、権力を持っているものが知らせないということが多々ある。権力者によって隠蔽されくることもある。原発がそうだった。東電のような国と並ぶような経済力をもっていればそういうことができた。国も知らせないということで安全神話を作っていた。情報は常に権力によっていいように操作される。なぜ国では保安院が最初土台を高くしていた盛り土していたのにその土を切って低くしたことに異議も唱えなかったのか?コストタカッタ-として出世した社長の言いなりにしておいたのか?東電はそのために政府関係者の天下り先とかいろいろな便宜を計ったしマスコミにも計った。東電の言うがままに操作されていた。政府の役目は安全を計ることであり安全神話を作ることではなかった。どうしても一営利企業はコストを第一にするからである。
●知らないことは何でも民主主義では自己責任?
現代社会は知らないことは各自の責任にされる。住民にしてもお前たちには十分な金をやった、お前たちはもっと放射能のことを知るべきだった、知らないのが悪かったのだとされる。それは他の地域の人からも言われる。知らないということが現代では致命的になり自己責任になる。ところが人間はあらゆることをしりえようがないのである。そして情報は権力によって操作されている。カルト宗教団体がこんなに跋扈するのか、それは信教の自由だから止めることができないとか常に言われる。しかし創価などは政治とかかわりすぎて宗教の分野を逸脱している。政教分離の法律にも違反している。しかし民主主義は何でも自由であるとなり誰も規制できない、そして不思議なことだがカルト宗教団体の被害にあった人が法律で訴えたりしているのは驚いた。でもこれも自己責任にされてしまうのである。カルト宗教団体は宗教というものでないにしても規制できない、それに入るのは自由でありやめるのも自由である。
ところが権力によってカルト宗教団体の批判はできないようになっている。そういうものが原発と同じ様に社会に公認されていし批判もないから無防備で入る人がいる。つまり自分にしても知らないからそうなっていた。人間はあらゆるところで知らないから致命的になるのだ。宗教なども別に宗派に関係なく偶像崇拝は危険だということを教えるべきだろう。必ず偶像崇拝に陥り安いからこそイスラム教のような宗教になった。宗教が人に頼るときその教える人も偶像になりやすいのである。そういう基本的なことを知らないから誤った宗教に入る人があとをたたない、でも誤ったものでも一旦権力を持ったらもう規制はできない、現実に創価は批判できない、公務員や警察でも批判できないようにしている。この町でも自分の本を置くのが拒否されたことでもわかる。
言論の封殺などいくらでも過去にもあった。戦争中は普通にあった。原発もそうした言論封殺があり危険など知らされないのである。ではそ
の責任は誰がとるのか、結局知らない庶民がとらされるのである。戦争で400万人死んだのも敵国のこともいろいろ重大なことが知らされないから勝つと盲信して膨大な民が犠牲になった。原発も同じだった。重大なことが知らされないから民が犠牲にされたのである。マスコミも権力あるものに加担することは戦争でも原発事故でも何でもそうである。決して庶民の見方ではない、庶民もまた権力者の言いなりであり地元では利益優先だから積極的に知ろうとしなかった。それも問題だった。民主主義は自由に情報が公開され知らされることが大事なのだがそれが権力によって成されない、一個人などの意見は簡単に権力をもっていないから抹殺される。
ただ集団化組織化して圧力をかければそれが害あるものでも通用する。いづれにしろ権力というのは諸刃の剣であり危険をともなっている。科学技術はまさに現代で最も権力化しているものだから危険と隣合わせなのである。、科学技術でも宗教でも何でも権力化するものを規制できないことが致命的なのである。会社でも東電のように突出した権力をもつと今回のような事故になったりするし何でも巨大権力化するとそれが必ず災いの元になる。だから独占禁止法などかできたのだが国と結託して原発は進められたのだから規制しようがなかったのである。結局権力には権力でもって対応させる。
それが民主主義の基本にある。一党独裁を拒否するために政権交代可能な選挙の仕組みがある。でも政治ではそうなっていても現実の権力は東電の国と匹敵する会社にあったりする。すると会社支配の国家でありそういう巨大会社を規制するにはどうするのかとなる。規制されるのは国になっていたからである。警察官僚の天下り先になっていた東電を検察が規制できるわけがないのである。