2012年02月12日

故郷を奪われし人々の詩 (仮設住宅に暮らす人を思いて・・)

 

故郷を奪われし人々の詩

(仮設住宅に暮らす人を思いて・・)

故郷の住み慣れし土地や家を奪われ

仮設住宅に住む人こそあわれ

今何を思うや日々つとめもなく

故郷の我が家や土地を耕す

常なる日々を奪われぬ

ある者は遠く都会のマンションに

ある者は雪に埋もれし会津に雪かき

思わざることにしあれや悔し恨めし

森の香気につつまれし山の里

広々とした海を望むあたたかき地

そこに生業のありて暮らせし日々を思うかな

ああ 故郷にいつの日帰らむ

祖父母の父母の眠る故郷

老いにし人もあまた辛しも

先祖の培い育みし故郷の大地

そこを継ぎ耕す日々を偲びけるかな

 


万葉集の歌と心境が一致する避難者
http://musubu2.sblo.jp/article/45938544.html


なぜこのペ-ジが常に読まれているのか不思議である。どう考えてもそういう心境の人が読んでいる、避難した人が読んでいる。ただ普通の人は万葉集は読んだりしないような気がするから不思議である。


ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに 山上億良


他人(ひと)の植うる田は植えまさず今更に国別れして吾はいかにせむ 228 狭野茅上娘子


おそらくこういう心境だからこそこれを読んでいるのだろう。仮設住宅でもインタ-ネットしている人はいる。時代的にインタ-ネットしている人は思った以上今は増えている。だからそれなりに影響がある時代になった。


故郷を奪われたというとき自分は確かに仮設住宅には住んでいないけど30キロ圏外だけど何か心境的に共通している。自分にしても飯館村とかは故郷の一部のように行っていたし相馬藩内は歴史的にも故郷だとも言える。一つの体でありその体の半分が奪われた感じになるのだ。そして浪江とか2万人もいたとすると経済的にも南相馬市であれ相馬市であれ影響が経済的にも大きかった。相馬藩内は一つの経済圏としてあり仕事のつながりもあった。それが六号線とか鉄道が遮断されたことでわかった。浪江の二万人小高の一万人、他に一万以上とかそうした人口が失った。小高の人は南相馬市に移ったが他は移っていない。ともかく自分にしてもやはり故郷を奪われた一人だから心境的に一致する。そうしてこういうふうに故郷自体を奪われ住民すべてが移住させられるようなことが歴史的にあっただろうか?こういうことは確かに十津川村で災害にあい北海道に集団移住したことあったけど全村民が移住したということはない。こういうことを過去に体験したということはなかったかもしれない、戦争でも故郷自体を奪われるということはなかった。啄木の望郷の歌は啄木という一人の天才の放浪者の身勝手から生まれた個人的な望郷の歌だった。今回は故郷自体が奪われて故郷を偲んでいる。それは個人的なことではない、何万人の人が故郷を失ったという歴史的なことだった。確かに外国では民族同士の抗争が激しく奴隷にされた人が多数いた。その時故郷から移住させられ外国で使役された。ユダヤ人は故郷を失い2千年国もなく過ごした。これは国自体失ったのだから故郷が失うのとはまた違う。


それにしても故郷自体が奪われ住めなくなるということが信じられないのである。未だになぜ故郷を離れ仮設住宅に住まねばならないのか、納得しえない人々は多数であろう。これは津浪の被害で仮設住宅に住んでいる人たちとも違う。原発事故による避難は別のものである。ともかくすでに津浪から原発事故から一年にもなる。これからいつまで仮設暮らしがつづくのかとか、仕事しない人がパチンコとかサウナに通って遊んでいるとか土地の人に非難されている。それも困ったことなのである。仕事は食うためにもあるけど人間の本源的なものとして生きがいとして仕事がある。それが奪われるということが深刻なのである。特に農業などに従事していた人はやはり土地とか家と一体化しているから特にそう思うだろう。仮設住宅はまさに仮の住まいであり土地の人となるわけではない、だから仮設住宅の建設地を貸してくれと市で頼んでも断った土地所有者がいた。それは一時的なものでありそこを住宅地にすると農耕地にできなくなるとかの問題が生じるからである。いづれにしろずっと長く仮設に住むことはできない、もし故郷を離れるなら他の土地で仕事をもち暮らす他ない、そういう人たちも若い人にでてきている。そうして仕事をもち暮らすなら土地の人にも受け入れられるのである。仮設住宅暮らしは土地の人には受け入れられないのである。


 

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連