2012年02月08日

石巻の津浪の被害を見に行く(短歌十首)


石巻の津浪の被害を見に行く(短歌十首)

 

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袖の渡しの松は残っていた

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この松は枯れるだろう
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遠くに田代島-網地島が重なり見えた



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この寺だけが残り前の住宅地は壊滅した

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千人風呂とあるからまだ風呂に入れない人がいるのか?
共同の風呂なのか?



冬鴎車窓より見て亘理かな


風花や仙台の通り鳩歩む


松二本根元結ばれ冬深む


津波後冬満月の照らす海


冬満月海を鎮めむ津波跡


(袖の渡し)


津波にも残れる松や我がよりぬ袖の渡しや冬の日暮れぬ


石巻悲しみ深く冬の暮残れる松に我がより去りぬ


この河を津波上りて大川の小学校の悲劇語り継がれむ


(日和山)


日和山松風鳴りて残る雪かなたに重なる島二つかな


冬のくれ牡鹿半島の小さなる島一つ見ゆ日和山かな


みちのくに我が住みにつつ日和山冬に上りて沖に船見ゆ


日和山松の太しも船を待つ冬にしあれど我がより去りぬ


日和山上りて遠く松島の島一つ見ゆ冬のくれかな


石巻海の光りて冬の暮日和山に松風鳴りぬ


日和山松島近く瑞巌寺ありしを思ふ冬のくれかな


 

凄まじき津波の跡に墓残り松風鳴りて冬の日暮れぬ


街中を津浪の襲う石巻傷跡深く住む人語る


津浪にて流さる家のその跡やたずねてあわれ北風の鳴る


石巻なお死ぬ人ありにしと傷跡深く冬の日暮れぬ


石巻相馬の津浪語りつつ北風鳴りぬ海に面して


生き死にのくりかえしつつ人の生津波襲うも定めなるかも



石巻まで行ってきた。津浪の被害のことはその場にたたない限り実感がわかない、テレビで見ていても実感がわかない、テレビでも写真でも一部を切り取ったものであり実感がわかない、人間はやはりその場に立てば五感が働く、視覚だけではない、情も働く。自然でも人間でも物でも人間の情がうつる、反応する。だから津浪の被害は確かにテレビで見ただけで写真でも悲惨なのだけど本当の実感はその場にたたないと実感できない、感覚的にわからない。物見遊山で観光で津浪の被害を見物すべきではないというのも言える。でもそもそも津浪の被害のひどさはその場にたたないと実感できないのである。それで石巻に行ったのは自分で確かめてみたいからだった。北上川沿いは意外と家が残っている感じだった。実際は土地の人からすると当時はひどかった。空き地になっているところ結構あるけど家も結構残っているなと感じた。近くで村自体消失した一軒も家がないところを見てきたので特にそう思った。松川浦とにている。山陰の所は家は残っていた。


でもあの川沿いを上って大川小学校があり悲劇が生まれた。津浪で川は危険である。でも川沿いに意外と家は残っていた。津浪は一回だけではない、何回も来る。一回目はたいしたことがない、そのあと大きなものが来る。石巻でも何度も津浪がきた。あとのほうが大きくなった。磯部でも最初たいしたことがなくて油断した人がいた。水があがってから車で逃げて助かった人がいた。津浪が来てから助かる人もいる。日和山の海岸に面した所は全滅だった。昼間で働いていた人たちも犠牲にあった。水産加工場が多かった。車で逃げた人も死んだ。やはり渋滞になったらしい。後ろの日和山に逃げれば良かったように思うが車だと物を積めるから車で逃げたのかもしれない、着の身着のまま逃げるというより何か車に積んで逃げようとしたときそれが徒になったのかもしれない、日和山がすぐ後ろにあるのだから歩いて逃げた方が助かった。ただあの辺の状態がどうなっていたのかわからない、寺が一軒あり無残にそこは墓だけが辛うじて残っていた。あとは家は全滅だった。寺は墓を守っているのだから墓は残ったといえ肝心の家は全滅したのである。あそこは一番悲惨だった。墓が残るより家が残ってほしかったと思っているだろう。


日和山の喫茶店で話ししたが高いところは何ら被害受けなくて良かったですねと言ったらみんな被害にあった人と関係しているからそういうことはない、下の水産加工場に勤めていて死んだ人もいる、今日も死んだ人の所に行くとか言っていた、まだそうして死ぬ人がまだいるということである。だからまだ観光というわけにもいかない、日和山の下には多数の死者が出たから手を合わせる、供養しなければならないような状態である。ただ日和山にはいい松があり景色もいい、宮城県沿いの石巻までの海岸線の松は全滅というのではない、半分くらい残っているみたいだ。石巻でもそっくり松原が残っていた。衝撃がそれほど強くなかったのか?相馬の方の松はほぼ全滅だった。ただ宮城県は全般的に福島県の浜通りより津浪の被害は大きかった。海岸に面した地域が多かったからである。石巻の被害は街の中まで及んだ。駅まで津浪が来たというのには驚いた。それだけ広範囲に津浪が来たし人家が多いから被害も大きかった。店を閉めたり空き地化している所も所々見える。こんなところまで津浪が来たのかと驚く。だから石巻はもう十年くらいは津浪の被害が尾をひく、神戸でも十年かかった。まず津浪で全滅した海に面した所には前のように家はたたないだろう。そうするとそのまま生々しい津浪の跡がそのままに残ることになるのだ。だからまだ観光で訪ねような場ではない、日和山の下で多数の死者がでている、その上で観光気分になれないし地元の人もそんな気持ちになれない、供養するとか寄付とか復興の応援をかねて訪ねるようになる。でも日和山からの風景は実にいい、その美しさまで否定することはないだろう。


今度はなんとか相馬-原町間が電車が通るようになったので遅く帰ることができた。バスの外は冬満月だった。海が近くなったから海を照らしていた。月でも地球に関係しているかもしれない、天体が地震とも関係しているかもしれない、月も太陽も星も宇宙も全体として関連している。ただそれがまだ人間はすべてわかっているわけではない、だからこそ想定外のことが起こるのだ。ただ津浪も人間が縄文時代から生死をくりかえしてきたなかで必ず津浪は何度も来ていたのだ。それは海側に住むものの定めだったのである。そういう自覚がいつのまにか忘却してしまったのである。

posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係