2012年01月31日

風花(冬の灯ともる原町の病院)


風花(冬の灯ともる原町の病院)


kazehana111111.jpg


風花の舞いつつ眠る鴨の群れ


夕闇に風花舞うや眠る石


原町の病院にともる冬の灯や入院したる日を思ふかな


原町の病院になおも働ける人のありしや冬の夕暮


津波にて流さる船のなお一つ留まり残る冬の夕暮

今年は寒い。自転車がパンクして原町から歩いてきた。東京辺りだと地震で帰宅できない人があふれた。それで自転車で帰ったというけど最後は自分の足だけが頼りになるということがある。田舎だったら帰れないということはない、それだけ東京辺りは災害に弱いのである。三陸辺りでは水道も電気もなくても井戸水や裏山の清水を利用していた。燃料も回りにあるものを利用して助け合ってしのいだ。自分の場合は電気は来ていたから燃料に困ることはなかった。米があってそれだけでもしのぐことができた。燃料や電気がなくなったら苦しくなったろう。東京辺りでは電気も通じなくなる可能性が強い。食糧を備蓄しているといってもどれだけもつのか、人数が多いから援助するにしても大変なことになる。都会は便利なのだけで便利なものに頼っていると災害には弱いことを経験した。車に頼っていればガソリンか配給されなくなったとき車があっても使い物にならなかったのである。そういうことが地震では起こる。日頃便利なものが全く役立たずかえって不便極まりないものになる。最後に頼るのは自分の足だけだとなる。東京辺りでは歩いて帰ることもできなくなる。神戸と東京は規模がまた違うから予想すらつかないのである。想定外のことが次々に起きてくる恐怖である。


この辺では雪はふって積もることはほとんどない、積もってもすぐ消えてしまう。この辺は雪というと風花なのである。これは人を害すことはない、美的なものとして日本人の季語として作られた。大雪になって家が雪に埋もれるような世界を見ていると雪も災いになる。この辺では雪の災害はないのがいいとなる。ただこの辺では雪を見たいとなれば雪の降っているところに行くほかない、だから冬はいつも雪が降っている方へ雪見に行っていた。雪の世界はこの辺ではわからない、飯館村でも雪はそんなにふらないし積もらない、やはり風花の世界である。ただ飯館村は標高が高いから寒い。だから米作りには適した場所ではなかった。ともかく浜通りから避難して会津の仮設住宅に住んだ人は今年は雪がどういうものか実感したろう。


原町の総合病院に冬の灯がともる。ああ、あそこに一か月入院していたな、世話になった看護師やらお医者さんはどうしているだろうな、まだやっているだろうかなとか思う。実際に半分くらい看護師がやめたということが報道されたし正常化していないだろう。原町の総合病院のいい点は建物がいいということと見晴らしが抜群だったことである。海の方も見えたし海から朝日が昇るのも見えた。山に陽が沈むのも見えた。回りに高い建物がないから見晴らしがいいのである。建物も立派だから気持ちいいとなる。ヨ-ロッパでは駅も神殿や聖堂のように立派なものがあるから何か偉くなったような気分になる。ヨ-ロッパでは建築で偉くなったような人間に威厳が与えられているのだ。日本ではそういうことを感じさせる建物がない、建物の影響も実際はかなり大きい。どうしても立派な家に住んでいれば家によって威厳が与えられるということはある。ただそうした家が立派でも人間が立派でない人はいくらでもいる。ただア-チの大きな建物はヨ-ロッパのいたるところにありそれが人間に威厳を与えている。原町の病院はだから気持ち良かったのである。それに比べると相馬市の総合病院は何か古いし貧弱なのである。建物ですべて評価できないが病院もやはり総合的に見れば建物も見なければならない。


どいうわけかまだ一艘かたずけられない船が六号線に残っている。一つだけ放置されてそのままである。あとは大きな船はかたづけられた。あれは記念として残すのか?津波の後遺症はまだまだつづくし正常化するには時間がかかる。第一元にはもどらないから津波の跡が残りそこに建つと荒寥としてくる。今年はともかく寒い。