2012年01月30日

鴨 (蔵書を手に冬籠もり) (本とインタ-ネットの相違)


(蔵書を手に冬籠もり)


(本とインタ-ネットの相違)


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冬日さし蔵書を一冊手にとりぬ


冬日さしペ-ジをめくる厚き本


冬籠もる部屋を埋めたる本の山


蔵書の整理に追われている。地震で本が散乱したが未だに整理できない、それだけ本が多くなっていた。家すら傾く重さだった。本は読むより積んどくでありただためる方が多かった。本を買うと知識を身につけたような錯覚に陥っていた。知識も金がいくらあっても買えない、知識はむしろ時間の蓄積が必要であり時間の方が大事である。時間がないから読書もできなかったことが老人になればわかる。会社勤めの人などは忙しくてまともに本など読めないだろう。忙しいということで人生の貴重な時間が失われるのだ。人生はいかに貴重な時間を失わせられるものか老人になればわかる。くだらないことで時間はまさ飛んでゆく。Times flyである。様々な欲望に追われいつのまにかに時間は飛んでゆき時間は消失してなくなる。若いとき時間などいくらでもあると思っている。時間が一番貴重なものであることがわからないのである。時間は有限であり死ぬということはその有限の与えられた人生の時間が消失することである。

本というのはやはりパソコンで読む電子文字とは違っている。冬の日が古い厚い本にさしてペ-ジをおもむろにめくる、そういうことでなつかしく記憶が蘇ったりする。本は一つの物であり知識として集積した財産なのである。だからこそアレキサンドリアでは世界中の本を集めた図書館を作った。

図書館が知識を集めていたのである。マルクスもイギリスの大図書館に毎日通っていた。それが仕事だった。ロ-マ帝国の都市ではでもすでに立派な図書館が街の中央にあった。あのうよな立派なものがすでに二千年前ほどにあったということに驚く。ロ-マは現代からかえりみてもさほど変わらないから人間的に理解できる。ともかく図書館はそれだけ重要なものだったのである。本はそれだけ重要なものだった。本はものだから何かその本に愛着する、手触りとかあり冬の日がペ-ジにさしてめくるときパソコンの画面に向かっているのとはかなり違ったものでありそこで頭に入るということがある。


そもそも本は選ばれたもの書いたものだから内容が濃いのが多い。インタ-ネットは無駄なものが雑音が多すぎるのだ。ただインタ-ネットは他者のものを読むというより自分で書いて発信することが余りにも簡単であり便利だからこうして書いている。本にしようとしたらすでに何もできない、本を出せる人は限られているのだ。書店でも売れない自費出版などおかない、だから今になるとかえって書店にいい本はなくなっている。昔の方がいい本がでていた。本の弱点は何か調べるとき不便である。インタ-ネットは素人が出していても例えば郷土史でも市町村が一ペ-ジ紹介しただけで他の人に役立つことがある。それを本にしていたら読むことさえできない、だから地方の図書館にいい資料がいくらあっても役たたないのだ。そういう点ではインタ-ネットは優れている。例え近くに図書館があっても調べようとするとめんどうなのである。暇人でないとできない、前はできたけど今はできない、だからここでも近くに立派な図書館できたけど今は行っていないし福島市に巨大な図書館があっても利用できないのである。そして本でも資料でも手元にないと役立たない、文章を書きながら調べるという点ではインタ-ネットが便利なのである。ただその内容は貧弱でも役に立っている。
要するに将来的にグ-グルが目指しているのはアレキサンドリアの図書館なのである。世界中の本を電子化してインタ-ネットで読めることを目指しているのだ。



橋の下の鴨



いつも買い物に行く橋の下

鴨は里の川に群れぬ

波紋もたたず群れて憩いぬ

自然なるものは悪を知らず

それ故に乱れず幸いなり

北風は樹々に唸り冬籠もる

蔵書を手にとりペ-ジをめくる

冬の日がその古びた本にさす

我が家もすでに建てしより四〇年過ぎ

この家を建てた姉は死に

我が母は寝ながらひなたぼこ

時節の流れは早く無常迅速

津波事故の被害の後遺症は癒されぬ

鴨は世の人の移りを知らじや

穏やかな光に群れてむつみあう

いつも買い物に行く橋の下に・・・



ほとんど毎日買い物に行き仕事は家事である。最近退職した人で料理をする団塊の世代がふえたということがわかる。その団塊の世代は男だから道具にこだわり特別の鍋とか包丁にこだわるというのもわかる。女性と違った感性を男はもっているからだ。退職してからの人生も現代は長いかもしれない、ただこれはそれぞれである。介護していたりしたら意外と時間に追われる。妻がいて三食用意されたりしていたら暇だとなる。自分は前はそうだった。三食用意することが結構手間なのである。
料理は時間がかかるからしていないけどインスタントで結構今はいいものがある。だからそういうものを買っているだけでなんとか料理になる。老後はやはり落ち着いて暮らしたい。それがこの辺では津波原発事故で阻害された。 毎日同じ道を行っているけど群れている鴨を見ているだけで心がなごむ。自然は常に癒すものをもっている。それか放射能騒ぎでその自然すら汚されたことは余りにもショックだった。田舎から自然をとったら何もなくなるのではないか?自然があるから不便でも田舎がいいはいう人はいた。特に老後はのんびりと自然の中で過ごしたいという人が退職者にいたしそういう人がこの辺でもいたのである。それが放射能騒ぎでだいなしになったことが許せないのである。