2012年01月26日

黒茶碗(日本人なら茶道はわかる)


黒茶碗(日本人なら茶道はわかる)

skiyacha111.jpg


松風や抹茶を飲みぬ冬の朝


黒茶碗二つや茶室冬の暮

黒茶碗通販で買い冬籠る


通販で一つ黒茶碗を買った。最近本でもアマゾンでかなり買った。DVDの映画も買った。輸送量で300円くらいとられるとなかなか買いにくいが無料だと買うようになった。そもそも通販で買うものは近くでは売っていないものである。田舎では通販とかインタ-ネットは便利なのである。都会だったらいろいろ品物があるにしても田舎ではない、ただここは原発事故で一時通販もできなかった。今でも一部はできない、古本でもアマゾンから直接配達されるのは配送されるがその他は配達されない、六号線などが通じないからそうなっている。今日も寒かった。石油スト-ブなど危険なものは使えないので寒い。エアコンも自分は使っていない、このくらい寒いとやはり辛い。

雪に埋もれるよりはいいが家の中で過ごす時間がふえるとテレビとか本とか読むことが多くなる。テレビもデジタル化して番組がふえた。映画も一度だ見ても忘れているのだ。本もそうである。本は書斎に整然として並べると意外とそのままになってしまう。本を書店のようにばらばらにして一つ一つを手にとって中味を立ち読みする感覚だと本にかえって親しめる。それも全部読もうとすると読めない、要点だけ大雑把に読もうとすると読めたりする。本もいくらあっても全部は読めないから要点だけを読み記憶することが大事である。あの本にはあんなことが書いてあってあそこは文章を書くとき必要だから覚えておこうとかなる。そういう点でインタ-ネットは橋に興味をもって書いていたら「道行名残の橋づくし」という文楽が地図を利用して作っていた。あれは面白い。一つの番組として作ったのだろう。

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc13/map/index.html


大阪市長の橋本市長が文楽の協会の予算を減らすとか言っていたが市費で文楽の文化を維持しているからここもその予算で作った。文楽には興味がないけど文楽の物語は全国に伝わった。東北でもその関係の物語が残っている。


江戸時代の中頃に、四国阿波や、淡路島、大阪浪速の人形遣いから伝えられたと言われています。


これは相模とかではあるが他でも伝えられた。


茶の湯も東北ではあまり盛んではないしなかなか庶民まで茶を楽しむというのは今でもししていないだろう。そういう文化の背景がまだまだないためだろう。それなりに暇と金がないと文化は発達しないという面はある。自分も茶道がなにかなどほとんどわからない、ただやはり日本人だから茶道とかは別に勉強しなくてもその風土と一体化してできたものだから理解しやすいとなる。数寄屋作りは外国はシメントリ-を重んじるが数寄屋はそのシメントリ-建築とは対称的なもとして作られた。石が素材でないから木や竹や壁でも土を素材にするとやはり煉瓦などとも違い自然の素材そのものを活かすものとなるから日本的な生の文化となる。新潟の凌雲閣が一室一室が別々の装いで茶室になっているのは面白い。茶室でも同じではないそれぞれ個性がある。ただ茶室は空間だからそこに入ってみないとわかりにくい、実感がもてないのだ。写真で見てもだからその茶室がどういうものかわかりにくいのである。建築でもやはり空間的なものだから写真だけではわからないのだ。外国でもガウディの建築は曲線にこだわるようになったから茶室の数寄屋とにている。直線とシメントリ-の世界だけだと疲れるということもあり新鮮味がなくなったからあのような曲線を志向する建築も生まれたのである。


茶道といってもやはり日常的にそれを楽しむ生活に活かさないと活きてこない、茶碗にしても飾っていただけでは活きてこない、使うことによってその価値がでてくるのだ。何事使われないものは廃れる。言葉だって古語でも使われないと廃れるのだ。茶道にしてもそれは生活と分離した特別なものとしてあると活かされない、華道にしても別に花を活かすことであり理屈など必要ない。それは日常的に行われてこそ活きてくるのである。芸術は芸術だけがあるのではなくその背景に基盤に日常的な生活があって成り立つのである。それがなくなれば芸術はありえない、だからこの辺では日常的な生活、農民が土を耕すなどがなくなっているからそういう基盤が喪失したから芸術は宙に浮いたようなものになってしまうしありえないとなった。芸術だけではないそもそもコミニュティのつながりやら自然とのつながりや時間で作られた歴史などが断たれるという危機になった。様々なアイディンティティが喪失するという危機になったから深刻なのである。


合成写真もパソコンの芸術である。合成とか加工に向いているからだ。ARTは技術だった。技術を駆使するとア-トになってゆく、それはまさに技術だから技術を習得すればできるとなる。印象派でも技術として習得してはじめて印象派の作品ができた。絵が描けなくてもア-ト(技術)だから素人でもその技術を駆使してア-トを楽しめる。ただあまりやりすぎると著作権違反になるから気をつけろとなる。

fuyugomornewiii12345.jpg

fuyugomoriiyuki222.jpg