2012年01月23日

寒椿(津波で消えた家の写真)

 

寒椿(津波で消えた家の写真)

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寒椿雪に映えつつ朝散りぬ

松支ゆ雪の重さや家の蔵


我が一人母の介護や冬深む


鹿島区に小高の人と冬深む


冬しらず我が庭に植え石に向く


蕪村死す鍵隠町誰が訪ぬ京都の冬の暮れにけるかな

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     松支ゆ雪の重さや家の蔵


この家が津波で流され消えた、土台しか残っていない。



今頃は寒椿になる。冬椿はまだそんなに寒くないときである。この辺は雪もふらないし寒いというほどでないから冬椿があっていた。今年は雪がふったし多少積もった。でも雨で消えたりしたが残っている。雪の中に咲いている寒椿はやはり雪国でないと見れないだろう。雪に映えてちってゆく寒椿のように人もありたいとなる。美の追求でもそれは人生全体が美の追求であり美と一致した生き方がなければ美にはならない。芸術家で推理小説などで犯罪者になっているがそういう人はほとんどない。華道であれ陶芸であれ画家であれそういうものは心が汚れたら致命的でありいいものは作れない。
悪徳や官能の芸術もあるがそれはまた別なものだろう。芸術家でも金儲けばかり考えていたらいいものは作れない。芸術も修行であり禁欲がないといいものはできないだろう。ただ天才というのは別なのだろう。普通の人はやはり芸術だって俳句だって精進であり修行であるから禁欲が必要なのである。才能がなくてもそういう禁欲的に修行しているといいものが生まれてくる。


俳句とか短歌の問題はちょっと俳句を作っただけですぐに賞がどうのこうのとなっている。俳句短歌の問題はあまりにもデレンタントが多すぎるのだ。相手にするのもそういうちょっと俳句を作って自分も芸術家だと思ってしまう、そういう人が本当に俳句短歌には多いのである。それは絵などとは違って誰でも簡単に一応作れるということにある。小学生でも私も五七五と並べて俳句作ったよとなるような俳句を作ってもそれで自分も芸術家になった思っている人が多いしそれでそういう人は今度はすぐに賞をもらいたくなる。そういう人があまりにも多すぎるのである。そういう心の態度からはいいものは生まれない、だから日頃の生活が芸術の基盤にあるということは確かである。芸術だけの生活はありえない。
普通に真面目に生きていない人がとてもいいものが作れるとは思えないのだ。才能の問題にする前にそういう当たり前のことができていないなら芸術もありえない、そういう点は自分にも責められる点があった。その辺のかねあいがむずかしい。才能あってもあまりにも労働に酷使されたら才能は伸ばすことはできない、そうしてどれだけの才能がつぶされたか、ただ環境が悪いためにそうなったのである。


今日の教育論では成長社会から成熟社会へ正解社会から修正社会へ情報は情報編集社会へと変化しているというのは本当だろう。高度成長時代から成熟社会は高齢化の新しい隠居文化を創造する時代になる。その主役が団塊の世代となる。つまり成熟社会と高齢化社会は一体なのである。成熟するのはまさにいろいろ経験を積んだ六十代以上の人だからである。ただ六十代でも旅にしても旅行会社に消費されるように仕組まれる旅では創造的になれない、創造的消費が生産が必要になってくる。消費といっても本を消費するとなるとそれはすでに知的生産なのである。本を読むことは腹を充たす行為とは根本的に違っている。それは自分の知的創造のために本を読んでいるからだ。食べることは単に消費につながり生産につながらない、インタ-ネットでも情報編集にならないと活かされない、成熟社会は一方通行ではない、編集することは料理することともにている。そういう能力は今の学校教育から生まれない、画一的であり情報の一方的消費だけだった。成熟社会になったとき明治以来のそうした画一的教育はあわなくなったのである。


雪の松の写真は津波で流された家の写真だった。多少海から離れた地域だったけど流されて土台しか残っていない。津波に流される前の写真は貴重になった。あそこに確かに松があり蔵があり家があった。それが今になるとないから不思議である。家がなくなるなど想像もしなかったからだ。
確かにあの家が残っていればこんな状態になっていた。もう何もないから写真だけが残ったのである。津波で流された家は家族の写真とかだけが思い出となったことは確かである。小高の人が鹿島の仮設住宅に住んですでに半年以上になった。これも不思議といえば不思議である。会津の方の仮設住宅に移り住んだ人は雪に埋もれて会津を肌で知ることになる。ともかく今年は寒いけどまだ自分の部屋は石油スト-ブもエアコンも使っていない、使えないということもある。でも別にそれほど寒いと感じない、何日かは寒かったがこの辺は別に石油スト-ブがなくても耐えられる寒さなのだろう。