2012年01月21日

雪の俳句十句-(会津→新潟) (凌雲閣)(フランス-リヨンのことなど)


雪の俳句十句-(会津→新潟)

(凌雲閣)(フランス-リヨンのことなど)



yukiomoruhaiku1111.jpg
クリック拡大!

会津なれ墓所も深くも雪埋もる


雪ふぶき城は要や会津かな


喜多方の蔵の梁黒く積る雪


檜枝岐雪に閉ざさるかなたかな


線交じる小出を発つや雪の朝


機織れる昔やあわれ雪埋もる


足軽の長屋残るや屋根に雪


雪埋もる石垣もなき高田城


雪埋もる凌雲閣の一間かな


皓々と月に氷柱や凌雲閣


雪埋もる駅舎やあわれ飯山線


雪降らぬ街に住めども心にし雪はふるかなみちのくに棲む


雪の嶺に夕日の映えてみちのくの奥に入りにき電車のすすむ

uoyakawa11.jpg
魚野川


凌雲閣のプログ
http://blog.ryounkaku.net/page/3



会津から只見線で小出に出てそれから飯山線で十日町に出た。十日町は通りすぎただけだからわからない。今日テレビで見て十日町のことを写していた。十日町絣とかがあった。東北でも海に面した所は雪深く埋もれる冬の長い時期を過ごす感覚が肌で感じにくい。雪かきで人が死んでいる。仮設住宅で浜通りの人が雪かきしている姿も不思議である。雪とも一つの戦いである。海も実際は海との戦いであり漁師は楽なものじゃない、自然との戦いが人間の暮らしであり歴史でもあった。しんしんと雪がふりつもる世界はただ詩的にイメ-ジすると美しいとなるが現実そこで暮らすとなると日々雪との戦いの暮らしになる。特に高齢者にとっては厳しい生活環境となる。限界集落では雪かきする若い人がいないとか生死にかかわる。十日市の近くの新潟の栄村では地震でかなりの家が崩壊して仮設住宅に入ったがその雪かきで四十代の人が死んでいる。雪深い中で昔はどういう暮らしがあったのか興味深い。囲炉裏に薪を燃やして暖をとりそこで寝ていた。雪の中に野菜を貯蔵していた。機織りもしていた。一方でそういう豪雪地帯では江戸時代は江戸に出稼ぎに出た人も多かった。そういう雪国の暮らしに思いをはせるのだがもう一つ現代は便利になりイメ-ジできなくなった。雪の季節も旅は趣深いものとなる。旅もその土地のことを良くしらないとただ通りすぎるだけになる。


外国の旅などは特にそうだった。日本のように建物一つをとっても何を意味しているのかわからなかった。あとでいろいろ情報に接すると見えてくるものがあった。フランスのカレ-は石炭の産地で有名であそこにゴッホが牧師として赴任して炭鉱夫と一緒になり働いたこともあると知ったとき興味を覚えた。フランスでは余り石炭はとれずイギリスの方がとれていた。ということは蒸気機関車がイギリスで発明され発展したのも燃料があったためなのかとも思う。


モンス・シャールロワ間のソントウル運河とブラッセル・シャールロワ運河を使って船でブラッセルに運ばれていました。船といっても現在のようにエンジン付の船ではありません。運河の両側に設けられた小道で、人や馬が石炭や貨物を満載した船にロープを付けて引っ張って行ったのです。そしてブラッセルの運河には、この作業道に沿って様々な工場や会社が並び、多くの労働者が肉体労働に従事していました。
http://blogs.yahoo.co.jp/prof_japonais/3946797.html


こんな時代だったということも想像しないだろう。船を引いていたのは日本でも引き船があったからにている。ただ外国の川はそもそも運河になっているから違っている。石炭はその頃貴重な燃料となっていたことは日本と同じである。

またフランスのリヨンは絹織物で栄えた。そのためにその刺繍のデザインをする人がたりずそういう仕事をする人が必要だった。リヨンは京都の着倒れの街だというのもにている。リヨンも立ち寄ったけどそうした歴史を全く知らなかった。そういう所から画家が生まれたりするのも必然だった。それは西陣織りとかでもデザインする人が必要になる。そういう素地があって画家も生まれてくる。芸術も日常的な生活のあるところから生まれてくる。
ミケランジェロのような彫刻家にしてもあれだけ石の教会とか石の加工技術、職人がいたからこそ生まれたのである。織物とデザインは絵画的なセンスが不可欠に結びついている。そしてその土地土地の織物があった、それは八丈島とか与那国島にもあったからその土地から育まれたものが江戸時代にはあった。

雪というときyoutubeでハイデルベルグの塔に雪が降って積もっているのを見た時は感動的だった。ドイツは相当に寒い地域であるから雪がふるのは当たり前だが現実として実感できないのが外国だった。実際雪質は日本でも違っているように外国だったらまた違っている。


心から 信濃の雪に 降られけり


外は雪内は煤ふる栖かな 


これがまあこれがまあついの栖(すみか)か雪五尺


一茶


信濃の雪は暗い感じだった。煤(すす)けるというときいかにも一茶らしい。黒い梁があり蔵の棲家で一茶は最後に死んだ。喜多方では蔵が喫茶店になっていて外には雪が積もっていた。蔵に冬籠もりしている雪国の姿がある。


ともかく現代は世界が同時間でリアルタイムで一体化している。日本だったら確かに時間的一体感はあった。でも雪の時に旅することはできない、だから芭蕉でも雪の俳句にいいものはないのは当然である。雪のときでも旅できることが現代の幸福になるといえばなる。雪で苦しめられる人にとっては旅をするのは贅沢だとなるが観光地だったら客として来てもらいたいとなる。凌雲閣は一回泊まってみたい宿である。自分は安宿しか泊まっていないし駅から離れると泊まりにくいから泊まっていない。でも旅館でも歴史的なもの謂われがあるところはそれでけで価値がでてくる。あの建築は相当に価値がある。やっぱり時間をかけて職人の技術をいかしたものは違っている。職人も言っていたが最近は金持ちが庄屋などがいなくなり時間をかけてゆっくり技を磨けないといっていた。最近の住宅は建て売りでありこれも安いから一様化して昔のような重厚な建物が建てられないのである。


そのことは文化の衰退につながっている。金持ちも実際は文化的な面などで必要なのである。しかし現代はあまりにも平等化を推進した結果、大衆化した結果、文化すら喪失した。不思議に貧乏でも江戸時代には各地に織物が発達したように郷土料理も貧しい所から工夫して作っていたように文化を作っていたのである。いづれにしろこれから中世的江戸時代への回帰が起こるからそうした新しい地方の文化、隠居文化も生まれかもしれない、それは大衆的マスメデアからは生まれない、インタ-ネットのような個々のメデアから生まれかもしれないしそういう過渡期になっている。隠居文化というとき茶道が見直されるということがありうる。茶道は茶室とか茶道具とか茶碗とか四季を感じるセンスとか日本の総合的文化として作られた日本独自の奥深い文化なのである。だから凌雲閣の一間一間がみな違っていて茶室になっていた。そういう旅館はまれであるから一回泊まる価値があるだろう。ただ料金が高いから泊まりにくい、でも写真でも見てイメ-ジして泊まるということもできる。そういう感覚でここに書いたのである。

orimoono111.jpg



  同時間の世界


今人は極東の日本にあれど

パリの灯を思いパリは身近なり

今ハイデルベルグに雪はふり

その雪の我が心にも積もりぬ

今人は同じ時を共有して

世界の一体感をますます深めぬ



パリの冬路次行く人の交じりつつセ-ヌ河畔に我もありしも


ノ-トルダム嵐のあとに月さやかパリの街行くその一人かな

 

このペ-ジに関連したリンク

リヨン刺繍博物館について
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/backnumber/0409/museum_0409.html


雪国のトンネル
http://www.musubu.jp/jijimondai21.htm#saigai


虞美人草から地方の産物を読む
http://www.musubu.jp/jijimondai13.htm#gu