2012年01月18日

新年のあらたまの歌の再考 (失われた悠長な時間感覚)


新年のあらたまの歌の再考
(失われた悠長な時間感覚)

あらたまの、年は(き)来ゆきて、玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)の来(こ)ねば、霞立つ、長き春日を、天地(あめつち)に、思ひ足(た)らはし、たらちねの、母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(こも)り、息(いき)づきわたり 我(あ)が恋(こ)ふる、心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば、松が根(ね)の 待つこと遠(とほ)み、天(あま)伝(つた)ふ、日の暮(く)れぬれば、白栲(しろたへ)の、我(わ)が衣手(ころもで)も、通(とほ)りて濡(ぬ)れぬ


正月も終わりだけどこの歌はなにか昔の生活が如実に歌われている。玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)の来(こ)ねば・・・というとき現代は使ひが多すぎる。たまに来るから使ひも貴重になるけど今は情報過多であり絶えず暇なく使いがニュ-スが耳に入ってくる。考えてみると殺人事件にしても全国レベルとか世界レベルになればめずらしものではない。人間社会では常に起きてきたことである。

万葉時代辺りはそうしたニュ-スが聞こえない、聞きようがないのだ。使(つかひ)はめったに来ないから玉づさのとして貴重なものとして枕詞になった。使ひにしてしも歩いて来たりして伝えるとなると貴重だとなる。万葉人の満足は天地(あめつち)に、思ひ足(た)らはし・・であり常に天地に思いはせて天地の中にあった。繭(まよ)隠(こも)りというのも養蚕は万葉時代から戦後10年くらいまでも養蚕は盛んだった。養蚕のために二階で繭を飼うための作りの家が今でも残っている。随分古い歴史があったけど養蚕もすたれてしまった。どこの山の中でも養蚕があった。だからこの歌は時代的に別にかけ離れたものではないし最近まで日本人がつづけていた生活だった。確かにそういう二階が養蚕をするために作られた家々はまだ阿武隈高原辺りに今でも残っている。


心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば、松が根(ね)の 待つこと遠(とほ)み・・・ここにも何か悠長な時の流を感じる。性急に思いを果たすというようなものはない、松が根というのは待つにかけている。ここに時間の悠長さがあった。繭(まよ)隠(こも)りというとき外界との交渉があまりない生活だった。霞立つ長き春日を・・・これも山深く隠されているような感覚になる。万葉時代は時間の感覚が今とは違いすぎる。江戸時代でもそうだからそれ以前の万葉時代の時間感覚はそれ以上に悠長である。明治維新以後生活のリズムがあまりに変わりすぎた。天地を思うようなことはほとんどない、時計に追われ車に追われ情報に追われ金に追われ何かに追われつづけている。こうした天地のリズムにあわせた時間感覚からあまりにも離れすぎた生活になった。古代文明でもエジプト文明でもマヤ文明でも常に思っていたのは天地のことだった。そのためのピラミッドであり神殿であった。

現代では天地より石油であり原発とか科学や機械が天地より大事になった。そして天地すら操ることができるとして原発が作られた。天地より人間が作ったものが機械の方が技の方に関心がある。毎日株に一喜一哀している。そういう生活はやはり何か人間を天地から離れさせて人工的な世界がすべてのようになってしまった。そこに落とし穴があった。津波なども天地の成せる業でありそれは人間の思いを越えていた。
 

岡崎の月見に来ませ都人かどの畑芋煮てまつらなむ  大田垣蓮月


【通釈】岡崎に月を見にいらっしゃい。都の人よ、門の畑で採れた芋を煮てご馳走しましょう。

【語釈】◇岡崎 京都市左京区岡崎。◇かどの畑芋(はたいも) 門のそばの畑で収穫した芋。◇まつらなむ 御馳走しましょう。「名月へのお供え物として捧げましょう」の意にもなる。


京都市でも広いからこういう場所がまだあった。江戸時代から明治でもあった。こういうもてなしが本当のもてなしになる。前の畑でとれた新鮮なものを出される。それこそなんともいえぬ安らぎを与える。現代生活はいろいろ便利なんだけど失われたものも多い。人間が営々と変わらない天地との生活が喪失した。


鶉ふす門田(かどだ)のなるこ引きなれてかへりうきにや秋の山里(建礼門院右京太夫集)


かへりうきにや・・・都へ帰るのも憂(う)し・・ということなのか、大原の生活も慣れたからなのか?大原は一回行ったけど本当にここは京都からはかなり遠い、当時だったら都ははるかに遠い雲の彼方になる。バスで行っても二時間とかかかるから遠いのだ。門田とは家の前の田で重要な田であった。前田もそうである。家を中心にして生活があったからだ。都の暮らしを思いつつ大原の生活も慣れたということがあったのか?人間はどんなものでも慣れるというのは本当である。不便な生活でも不便なりになれるということもある。ただ一旦便利な生活をしたら不便な生活にもどれないことも人間の性(さが)である。昔がいいというとき現実としてはわからない、昔の現実を今も生きている人がアフリカや後進国に現実にいるからだ。その人達の仕事は薪を集めることや水をくむことが仕事でありインドでの嫁の仕事は遠くから水をくんでくることだったりする。それが重労働で長生きできないとなると労働に追われて体力を消耗している悲惨な生活だったとなる。もちろんまともに医者などにもかかれない生活である。ただこれだけ便利になっても天地から離れて失ったものがある。だから現代からは過剰に過去への郷愁が募ってくる。飯館村でもそうだがこの辺はまだ素朴な田舎でもあった。変わったにしろそれなりに素朴な田園風景が残っていたところである。それが原発事故で失われたから余計にそう思う。


母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(こも)り・・というとき母が中心としての家があった。母の重みが家と共にあった。それは家で仕事していたからである。会社に勤めているのではないからそうなった。いづれにしろこの万葉の歌は心なごむ歌である。何かそうした当たり前の人間的なものをうしなったから余計に現代からなつかしいものとなっているのだ。心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば・・・というとき今はあまりにも言いすぎる。語りすぎるということがある。すべてを人は他者に語りようがない、いくら思いがあってもただ黙って待つほかないというのがいいのである。