2011年12月21日

年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)


年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)



冬の暮電車通りぬ一区間


町中の墓所のそば冬椿


年の暮整理しきれぬ本の山

今日は電車が原町-相馬市間で開通した。八カ月ぶりだった。でも相馬市から仙台までと磐城までが開通するのはいつになるのか?磐城は原発事故で開通できない、津浪の被害は線路にはないから原発事故の放射能問題が解決すれば開通できる。それも先が長くなるのだろう。放射能問題は先が長いのである。三十年で廃炉とかなんとかその長さが問題になった。相馬市から先は津浪で駅も流されずたずたになったから別に線路を作るとなると五年はかかると言われている。これも先が長い、バスは相馬市から三十分おきにでているから電車で行けるから改善した。電車が通じないとやはり遠くには行きにくくなる。そもそも自分もの場合は遠くに行くことができない、誰も代わって介護などしてくれない,介護などでも人に頼むとなるとどれだけ大変なものか身をもってわかった。あとでいろいろ大変なことになる。だから簡単には頼めない、だからどうしても自宅で楽しむためにテレビを大容量で記憶するレコ-ダ-を今日買った。テレビもその時間でみるよりは記録したものを選択してみるようになった。ちょっとパソコン化している。テレビでもそうだが情報の整理に追われている。

テレビですら実は自分なりに編集するとそれが一つの意味をもってくる。編集というのは映像ですら必要だった。テレビの番組をただ一方的に見ていると洗脳されるのである。そしてテレビだけではもはや情報がたりない、もっと専門的に詳しく見ようとしたらインタ-ネットで調べたり解説が必要になる。自分の得意分野でテレビの解説ができる。テレビは大衆にわかりやすいようなものしか放送しない、もっと詳しく専門的になるとどうしてもインタ-ネットでも本でも解説をさらに加えないと深く知ることはできない、その作業がめんどうなのである。BSもテレビでは多少専門的になっているがやはり視聴率をとるということから逃れられないからどうしても大衆向きから逃れられないのである。


読書のコツは何かというと自分の経験では奇妙だが本を読むことではない、自分のテ-マとか自分の研究をすすめるためにはそれに関した本を集めることであった。一定数の本を集めない限り自分なりのものは書けない、たいがい本を出している人は小説家でも学者でも一定数の蔵書をもっている。有名な小説家だったら一軒の家を書庫にするくらいもっていた。司馬遼太郎みたいなるとしたらそうなっていた。図書館があるからいいではないかというと図書館でも自分の関心のあるものがあるわけではないのだ。そして思考しながら読むというなると自分の家が小さくても図書館になっていないと自分なりのものは書けない、本というのは一冊だけ読んでは自分なりのものは書けない、それに関してのかなりのボリュ-ムの知識の集積が必要になってくるのだ。

そして今近江商人というのに興味をもって知識を集積しようとしたら自分の集めた本の中にあった。それらを編集すれば自分なりのものが書ける。それを次にプログで紹介しよう。本というのは厚い一冊を全部読むのではなくその中の一部が自分なりに表現しようとするとき必要になってくるのだ。それを自分はインタ-ネットで引用して編集して発表してきたのである。ただインタ-ネットにはまだ専門的なものがそれほどでていない。

本には膨大な知識の集積があるのだ。ただどこにあるのか意外とわからない、だからそうしたそれぞれの分野でのテ-マをもって調べるときそれなりの本が必要なってくるのである。本の問題はキ-ワ-ドでは調べられないことなのだ。インタ-ネットだったらキ-ワ-ドで調べられる。でも近江商人を調べるならキ-ワ-ドで本を検索して集め読む必要があるのだ。何か研究する場合、本一冊をまるごと読む必要はないのだ。部分が編集のために必要なのである。だから本をぱらぱらとめくりこれは自分の文章に必要だというときマ-クしておくのでただのべつとなく本を読むことは効果的ではないのだ。


ともかくいろんな整理があり整理しきれない、家のことも全部自分一人でやっている。家事も一人でやるとなると大変である。家計から食事の用意から洗濯から掃除から全部自分一人でやることは大変である。だから整理がつかないのだ。そして知識は何かで活かさない限り活きてこない、原発とか津浪とかのテ-マで知識を活かそうとするとき知識が活きてくる。そういうことを津浪や原発事故で書いてきた。すでに原発事故のことだけで大変な知識が必要であった。とても一人では手に負えないものだった。でも現実問題として自分にもふりかかった問題だからなんとか知ろうとした。知識は何か切実なものとして知る必要ができたとき活きたものとなるのだ。病気だってわからないなりに自分の問題になればみんな真剣に知ろうとする。その時むずかしい医学でも科学でも法律でも知ろうとするのである。原子力発電は最初から科学者でも危険だと警告していた人はそれなりにいた。三十年前とかからいたのである。そういう本は残っている。でも大きな声とはならなかった。そこが一番の問題だったのである。

なぜ大きな声とならなかったのか?危険を警告しても大きな声にならなければそれは意味をもたなかった。本を出して警告しても大きな声とはならず見逃されていた。一般の人はむずかしいから関心がなかった。自分なども近くても30キロ圏外であり遠いと思っていたのである。それは事故になってはじめてこれだけ広範囲に影響することを身をもってしった。ともかく大きな声にならなかったのは結局情報は権力によって操作されたものしかでてこない、原発が危険だという声は大きくさせられなかったのである。それはすべてのマスコミも加担していた。福島県の新聞であれ雑誌であれ全く警告もしていない、だから前の福島県知事の佐藤栄佐久氏が原発村に逆らったのは重大なことだった今になって知ったのである。あとは原子力村によって情報は操作されていたのである。


ともかく今年も終わろうとしている。なにかやと疲れた一年だった。すでに五年間ふりまわされた。まあ、自分が病気にならない限りこんなことはなかった。健康ほど大事なものはない、健康でありさえすれば困難もなんとか乗り越えられるのだ。健康がなくなったときすべてが崩れてしまうのである。だからすでに健康ではないのだけどなんと健康でやっていけることを祈るほかないのである。