2011年12月04日

冬の雨(それぞれの家には歴史が-家を離れられない訳)


冬の雨(それぞれの家には歴史が-家を離れられない訳)


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寂けさや冬の雨ふる松と石

庭の石見つつ暮れにき冬薔薇


I am watching the stone
in my garden
winter roses in bloom
it comes to a close again


争わぬ二色静けき冬薔薇


two deeply coloured roses
in winter with no harm
and battles


一本の庭の松にし北風の鳴りてなお生く老母と二人


山帽子のなお実のなるや冬日さし母の介護を我はするかな


我が家に店営むも遠きかな忘すられゆくや北風鳴りぬ



昨日は雨であり今日は家がゆれるほど北風が吹いている。この家に住んですでに60年以上過ぎている。子供のときはトタン屋根の平屋のヤハな家だった。その後店が繁盛して大きな今の家を建てた。その新しい家も40年過ぎている。今回かなり痛んだけどまだ生活できる。家はやっぱりそれぞれどこでもそれなりの歴史をもっている。農家ならさらに先祖からの長い歴史をもっている。家が新しくなっても家族は代々住んでいるのだ。そこが都会とは違っている。自分の家は代々つづいた家でないにしろ60年くらい住んでいるとやはりそれなりに長いなと思う。でもすでにここで店をやっていたとか忘れられてゆくかもしれない、すでに思い出すだけの過去になってしまう。ただやはり同じ家にいるのだからいろいろここでの暮らしが家と共にあったことをふりかえる。家はそれだけ人間の生活で重みをもったものである。


だから原発事故で避難した人が特に50代以上では帰りたいという気持ちが痛いほどわかる。故郷や家や土地から離れたら自分のアイディンティティというものがが失われる。この辺は難民の避難者になる人もでてくるというのは現実だろう。難民の流れ者になってしま。若いなら他の土地で一からはじめられるかもしれない、しかし老人はそういうことをできない、特に土地と一体化していた農民は他の土地で暮らすことがしにくい、代替え地で農業をはじめた人もいる。そしてつくづく60代の人がもう一度借金しても農業がたい、あと十年は貴重だ、仕事は生き甲斐だ、仕事がしたいと何度も言っていた。農家の仕事のことを楽しく語っていた。農業は実際はその仕事自体は生き甲斐のあるものであったことをかみしめていた。農業は常に金にならないと言っていたが仕事自体をしたいという人はいる。農業は極めて自然と直結しているから人間の本源的というも言うべき充足をもたらすのである。仕事しないでぶらぶらしているより仕事したい仕事したとうことが叫びのように今なっているのである。


ともかくどんな家でもそれなりの歴史がありだから50過ぎたらなかなかその家を捨てて新しい土地に移りやり直すことがむずかしくなるのだ。自分の家も複雑だったが歴史があった。そしてまだ母は生きている。その苦労を思い介護している。ただあまりの苦労が心を歪めてしまった。それは苦労しすぎた人はそうなりやすい、働くだけが人生だというのはやはり異常だったのである。

俳句は何度もいうけど俳句ほどシンプルなものはなかった。そのシンプルななかに深みがあった。

冬の雨が降っている、庭に一本の松と石がある。ただそれだけのことだけど何か心にしみるものがある。古い家だったら老松があり冬の日がさしてしいる。そういうものは自分の家にはない、この庭だって最近作ったものである。それでもやはり60年は長いのである。