2011年11月23日

暗示にかかりやすい人間心理 (科学も万能でないから暗示にかかる)


暗示にかかりやすい人間心理

(科学も万能でないから暗示にかかる)


●暗示にかかりやすい人間心理

人間の心理として暗示にかかりやすい。病気は気からだというときこれも病気を科学ですべて解明できないからそうなる。体を機械のように考えられないからそうなる。科学的思考、根拠を頼りにだけできないから病は気からとなる。またあなたの体はこれこれしかじかの科学的根拠で直ることがないと言われても直るかもしれないと思うのも人間である。あきめきれないから科学的根拠を無視する。そういうことで以前としてそこに宗教が入りこめる余地が残されている。また必要でもあるのだ。
ただカルト宗教の場合はそうした人間の不安な心理につけこんで勢力拡大、権力拡大を計る。そうでなければ宗教が全部悪いとは言えない、仏教だって神道だってすべてを否定はできない、ところが仏教だと戒名を商売にしたり金儲けの種にするのがあまりにも多すぎるのだ。宗教をすすめるなら一切金をとったり選挙の一票代わりとか権力獲得のためとかそうした目的なしでやるべきである。でも組織化した宗教は全部勢力拡大を目的としているからそういう人間の不安な心理につけこみ自分たちの権力拡大、利権を得るための駒にされるのである。


人間の不安な心理につけこむ商売はいろいろある。週刊誌も必ず不安をあおっている。貯金もパ-になるとかこの頃不安がつきない、するとその不安をあおりたてる。それで週刊誌も売れる。ただその記事も全く根拠がなかったら人は読まない。この世の中すべて不確実だからそうなる。確実なものがないから不安になる。原発でも本当は科学者は危険なものだと知っていた。だからこそそれを知られると困るから安全神話を作り上げたのである。科学的根拠は別にしてただ安全、安全と唱えさせていれば安全なように東電でも保安員でも科学者すら錯覚に陥っていたのかもしれない、まさに科学的思考が喪失して一種の宗教になっていた。題目をただ唱えていれば願いかなうとかと同じである。安全、安全と唱えていれば本当に安全のように暗示をかけられて本当のように思えてしまう。戦争中もそうだった。日本は勝つ、勝つ、勝つと唱えていれば勝つように実際に思えてくる。日本には言霊信仰があったというのもそのことだろう。科学的思考ではなく言葉が呪術化する。それで日蓮宗や真宗の題目だけを唱える信仰が生まれた。これも日本的の言霊信仰だったのである。


根拠はないにしろ日本は神国だから負けないというのも安全神話と同じ心理状態に陥っていた。人間はそもそも科学的思考合理的思考よりそうした単純な暗示にかかりやすいのだ。百回嘘を言えば本当になるというナチスの手法もそうした人間の心理を利用したのである。人間はつくづくむずかしいことにはかかわりたくない、面倒なことをしたくない、だからインタ-ネットでも長文は嫌われる。即席で簡単に理解するものがいいのである。だから題目を唱えるのが一番誰でもわかる、題目を唱えればすべて解決すると教える日蓮宗や真宗の信者が多いのはそのためである。その内容より簡単だから理解しやすいからあれだけの数がふえたのである。暗示にかかりやすい人間が多いから数が増やせるのである。人間は知的なことでもめんどうなことはしたくないのだ。調べることだって嫌がる。そうした人間の怠惰が操りやすい人間を作っているのである。


●科学も万能でないことが不安を作る


科学の時代で科学的思考や合理的思考が不可欠でも一般大衆でも科学者でもカルト宗教にはまったように人間はとてもじゃないが万能ではないからそうなる。知識にしても膨大でありすべてに通じることはできない、医者にしたってほんの一部しか知らない、すると不安になる。あらゆることが知り得ないから人間は不安になるのだ。これだけ複雑な文明だとそもそも仕事も多岐に分かれていて理解するのがむずかしい。だから推理ドラマなどを見てこんな職業もあるのかとか役に立つ、職業だってあらゆる職業の人と直接話すことなどできないからである。だから現代社会そのものを理解することが困難を極めている。人間はこの文明社会の前で蟻一匹のようになってしまう。巨大な迷路にまきこまれる蟻一匹だから不安になる。皮肉なことに江戸時代辺りだと現代のような不安はなかったろう。非常に狭い世界に生きていたから世界の果てで起こったことなど全く無関心でいられたからである。人間は今やグロ-バルな不安におびえる。世界中の騒乱で不安になる。不安は今や尽きることなく日々増産されている。決して不安がなくなったりとまることはない、世界のどこかで必ず事故があり騒動が起きているからだ。


原発も今や大きな不安要因である。前からも不安だったけどそれは安全神話で隠されていただけである。今やいかに不安なものか危険なものか身をもって知ることになった。不安が具体的なものとなった。もはや不安を払拭することはできない。科学も地震や津波に無力なことが露呈した。科学者は万能でないから安全神話を暗示で大衆を洗脳した。政府さえ今や信用できない、検察もアメリカの指令で動き権力を乱用するから信用できない。マスコミはまた大衆に暗示をかける方だった。テレビは対話がないし質問できないから一方的だから暗示をかけるのに催眠療法のうよになりやすい、テレビは人を考えさせないメデアなのである。本を読むということは多少は能動的になり考える。テレビは考えさせないメデアである。テレビは暗示をかけるのに大きな力をもったのである。そもそも大衆自体も何かわからない、マスメデアというときマスを支配するためにメデアがあった。科学さえ暗示力を利用する。微量の放射能は危険ではない、危険ではないとテレビなどで何回も放送されれればそう思う人はでてくる。眼にも見えないしわからないからだ。

科学的根拠をいくら言ってもなかなか理解できなからそうなる。科学が万能でないからそうなっている。一方でチェルノブエリで放射能の被害にあってその後を見てきた医者は放射能を余りに意識してストレスをためるのは良くないという助言をしていた。そのことによってかえって放射能よりストレスで影響を受けて病気になったりするという。放射能がどれだけ人間の体に影響するのか本当のところがまだわからないからそうなる。すると過剰反応してストレスがたまりかえってそれが原因で病気になる。人間は科学だけではすべてが解決しない。つまり地震や津波でも科学は無力だったように放射能に関しても実際はすべては知らない、となると科学的に放射能すら対処できないからあまり過剰反応すると過剰防衛になると負担がストレスが大きくなりかえってそれが原因で病気になる。


●科学万能主義は頼る人々によっても作られていた


地震や津波に対して科学は無力だったのである。科学はこれまで起きた経験科学でありこれまで起きていなかったことは考慮しない、でも地球が何十億年でできたとするときそき一万年くらいのことしかわかっていないとしたら科学の力も本当は小さいものだった。何か人間が作ってきた科学的なもの合理的なものシステムなどが崩壊した様を見た。だから想定外のことはこれからも起こる。宿命的にそういう運命のもとに人間は生きているのだ。科学も万能ではない、人間も万能ではない、だからこそ人間は昔から宗教にたより神に頼ってきた。科学が発達しない前は宗教があれだけ力をもったのは宗教しか頼る術がなかったからである。庶民の地蔵信仰にしても耳から眼から腰が悪いとか祈る地蔵が分業化していた。地蔵さんに祈るほか術がなかったからそうなった。今はみんな病院に行くのである。だからこれほど医者があがめられるのだ。でも医者も医療も万能でないからやはりここでも常に不安が生まれ暗示にかかりやすいのである。


科学者の医者の言うことを神のように聞いていたら直るということでもない、科学的なことが暗示ともなる。薬だってすべてきくとは限らない、薬には必ず副作用がありそれが体を悪くする。それは科学的根拠がある。薬がすべてきかないにしても祈るような気持ちで薬を飲むのである。だから薬は高くても売れる。自分も一か月6千円近くかかるのは高いと思った。その中に不用な薬が入っている。薬には無駄な薬を必ず与えられるのである。結局人間は万能でないし弱いものだから暗示にかかりやすい、何かに頼らざるをえないから暗示にかかりやすい。幸福の科学などというものも科学的なものを宗教にするのもそのためである。科学と切り離せない社会になっているとき当然そういうカルトが生まれても不思議ではない。オウムだって科学と切り離せないカルトだった。科学がそれだけ力をもった時代である。そもそも宗教自体が病気で困ったとき宗教者に相談にきた。でも最初の内は奇跡で直したというのは本当である。でもだんだん本当に万人を直すには宗教ではできない、それで科学が発達したという経緯がある。

科学や技術はそれだけ実効力があったからこれだけ科学の時代になったのである。でも科学には限界がありそこで常に人間は不安にかられ暗示にかかりやすいのである。

実際に医者が直らないといった癌でも直った人もいる。医者が万能者ではない、直せないものは直せない、医者自体がその無力感を言っている。人間を直すのは医者ではない、人間自体がもっている抵抗力でありそれがなくなるとき人間は病気を直せないのである。人間が本来もっている治癒力が病気を直す根幹にあり医者が直すわけでなはいというのは本当である。科学が万能ではない、しかし科学を軽んじることでもない、科学には科学の役割がある。それがあまりにも大きくなるとき危険なのである。原子力も危険なものであったしその効力があまにも大きいものだから危険を見逃すようになった。医者が万能者のようにみるようにまた医者に頼りすぎるように科学者に頼りすぎるということがある。医者も科学者もすべてを知っているわけではない、そういうことが双方にあって問題が起きたのである。


病気は不安になると悪くなる。病気に対する不安が強く、もっと悪くなるのではないか、死んでしまうのではないかと不安になり、不安を自分で打ち消せないと病気は悪化する。 悪くなるという自己暗示によってあなたの身体はあなたの暗示の通りになる
http://www16.ocn.ne.jp/~fukiages/new_page_41.htm


医者自身が言っているのだから説得力がある。科学的に対処しても対処しきれない、それは人間の体と心は一体だからそうなる。薬のんでもこれはきかないと思えばきかないかもしれない、水を飲まされてそれが良くきく薬だと思ってのめばきいたりする。体にも心が作用するからすべてを科学で人間は処理できないのである。


頼るべきところは頼り
すべてを頼りきりにしない
この世に万能者はいないから
それはすべての分野で言える
政治家でも役人でも医者でも
宗教家でも科学者でも法律家でも学者でも
・・・・・・・・・・・
頼るべきところは頼る
しかしすべてをまかせ頼るべきではない
最終的には自己判断の決意であり
個人の信仰であり集団の信仰ではない
確かにそこには自己責任が生まれる
でも結局は誰もすべてを他者に頼りまかせることはできない
あなたの責任を全部他者が負えるわけがないから


posted by 老鶯 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連