2011年11月21日

白鳥来る(老後は鑑賞することが仕事)


白鳥来る(老後は鑑賞することが仕事)


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晩年や苔に冬日や石の庭


白鳥の今年も来るなお生きつ美しきものに我がふるるかも


人も来じ姉の悲しき白鳥に餌やることを我が思い出す

今日は寒い。その寒空に夕べ白鳥が三羽飛んできた。寒くなったから白鳥が来るのにふさわしかった。人間はやはり最後まで美しいものにふれたい、そのために生きている。この世には醜いものが多すぎる。それでも自然は美しい。放射能で汚れたといっても自然はそれほど変わっていない、チェルノブエリでは木まで枯れたからショックだった。不思議に原発のある回りの森はどれくらい放射線の影響があったのか森は枯れていない、1000ミリシ-ベル単位の放射線量が建屋の中ででている。でも森は枯れていない、チェルノブエリの方がやはり影響がずっと大きかった。人も相当死んでいる。

ただ山とか森から流れる水から放射性物質も流れだしている。その量がなかなか減らないのである。森から泥のようなものにたまって流れだした放射性物質がたまる。山や森に放射性物質はたまり除染できない。福島市の渡利地区などがそうだった。そもそもなぜあのよう遠い所が放射線量が高いのか解せないのである。渡利地区でも阿武隈川をわたって所であり福島市内とさほど変わらない、ただ小高い山や森があるだけで違っていた。山や森があるとそこに放射性物質が蓄積されてしまったのである。


姉は社交的な人だったけど認知症になってから親しい人もよりつかなくなった。認知症は馬鹿になったのとも違っている面があるけど今になると親しくした人もどうつきあっていいかわからなくなり来なくなってしまうということはあった。でもあれだて親しくしていた人が二年間一度も来なかったというのはやはり冷たいと思った。死んでから線香あげにきたりししているがそのことがあるから何か許せないものがある。ただ白鳥に餌をやりに行ったが認知症でも動物は受け入れてくれる。だから認知症にはペットがいやしになることは確かである。人間はまず動物より醜い冷たいことは確かである。だからロバなどみていると本当にいやされる。その眼は優しく正直であり馬鹿正直である。その心が形となって神が現したからなのだ。蛇はまさに最悪のものとして神が作ったのである。動物は心がそのまま形になったものなのである。白鳥も神が作ったものでありこれ鳥としては最高の美を現しているのだ。


まあ、晩年は落ち着いて生きたいということが願いなのだ。人間は老後はみんなそうである。老人になると体力は落ちても精神的な面では充実してくる。鑑賞力がそなわる。芸術などもなかなか鑑賞力がもてない、俳句一つにしても短歌にしてもなかなか深く鑑賞できないのである。60以後深く鑑賞できるようになった。いろいろなことがたいがいよめるようになる。推理ドラマのようなものでもやはり人生経験積んでいないと深く鑑賞できないのだ。天才でない限りなかなかこの世にあることが理解できない、学問でもそうである。そういうものが理解できるから精神的には充実してくる。そこが若いときとは違っているのだ。実際先人の残した良きものがこの世に無数にある。でも鑑賞できないのである。鑑賞力がなければそれも宝の持ち腐れになってしまうだけなのである。一般的に普通の人にとっては芸術など関係ない、そういう鑑賞力がもてないからそうなっているのだ。


今日は屋根のマルイチという水戸辺りにある屋根の会社で一部直してもらった。地元では順番待ちとかなっていて申し込んでいなかった。ちょっと落ち着いたので外部からも入ってきた。屋根は軒込めやられた。直していないところがまだまだある。古い屋根瓦だから直すほかなかった。グシが曲がったとか家をもっているのもいいが修理や増築でこの家はすでに一千万以上もかかっている。家をもつことは結構金かかるから嫌になった。でも瓦が落ちてくるとか直さざるを得なかった。
瓦屋でも田舎では外部から入ってくるのはむずかしい面がある。親戚に瓦屋がいないとか聞いたから田舎は縁故関係で仕事している人も多い。それで外部の人は入りにくい。でも今回はとても地元だけで処理しきれない。まだまだ震災の後遺症はつづいている。家だって本などが散乱したままでかたづけていない。二階はゴミ屋敷のようになっている。かたづけるのが一仕事なのである。