2011年11月20日

冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


fuyuuyuyale1111111.jpg



大原に老人残り冬夕焼け


牛越城五輪塔や冬夕焼け


みちのくの冬夕焼けや光堂


石垣に冬夕焼けや六万石


頬伝う時雨や枯れて残る松


重き荷や自転車に坂時雨かな


山茶花の白にほのかに紅の色媼(おうな)のひそか街に残りぬ

fuyumattukkk.jpg

今日は冬でもあたたかった。イオンに行く時、昔の浜街道を行く、植松から五本松に出るところで曲がった急な坂がある。あそこを年取った人がうしろにトイレットペ-パ-積んで運んでいた。あれは楽でないと見た。あの坂は急なのである。自分の電動自転車は坂に強いし荷物にも強いから行ける。そうでないと原町まで行くのにも疲れる、最近筋肉が疲れやすいのである。今日は時雨だった。
芸術は別に変わったことを求めるのではない、当たり前の日常的なことに芸術がある。


ただ俳句は短いから説明がないと背景を知らないと鑑賞できない、明かに老人が自転車で行くというところにこの句の意味があった。五本松には一本だけ枯れた松がまだ残っている。あの松もいつ倒れるのかと思う。自分の母親もそうである。やっと息している感じだが歩いたりしているから寝たきりではないからなかなか死ぬとも見えないのが不思議である。あるときぽっくりといくのか人間はこんなに生きるものかと不思議になる。あの松も実際は完全に枯れて死んでいるけど倒れてはいないのだ。

冬夕焼けはみちのくにあっていた。冬夕焼けと平泉の金色堂があっていた。それからイオンの側に牛越城があった。その牛越城を見て青田氏の五輪塔があった。それも冬夕焼けにあっていた。

この辺は一体どうなるのかと何度も思う。そもそもこうして故郷を俳句にしているけど20キロ圏内は立入禁止区域だから入れない、とするとこうして普通に昔を偲んだりその風景と一体としてあった人の営みが喪失したのである。浜街道にしても小高区から立入禁止だから通じていない、道は通じていてこそ効用がある。途中できれてしまったら鉄道でも道でも死んでしまう。風景とともに人と一体化してあった故郷が喪失する、人が住めなくなるということなど想像したこともなかった。だからこれは一体何なのだろうとそれぞれが思う。なかなか現実のものとして納得できないのである。それで飯館村ではあれだけ放射線が高くても帰らせようとしているのだ。


原町などは人は住んでいる、空家には見えない、ただ子供は外に避難して帰ってこないらしい。半分くらい帰ってこないらしい。すると実際は老人は残っているが子供がある若い所帯はいないということがある。ス-パ-キクチで相当数の人員を募集ししているチラシが来たのも労働力が不足しているのかもしれない、働く若い人はいないのかもしれない、その影響は大きいのである。植松の老人ホ-ムは休んでいるみたいだ。福祉関係のサ-ビスも低下している。働く若い人が不足しているいうこともある。


山茶花で白色で回りがピンク色のがある。ほのかにピンク色だった。媼(おうな)とは老人のことだけど今は個人差があるけど60代では媼(おうな)とはならない。何かギラギラした欲望に満ちている女性が多い。自分などはすでに20代くらいで老成していたから人間の欲望の深さを簡単に消えるものではない。それが普通である。60代の女性は要注意である。これから男女でも問題が起きやすい。なぜなら欲望は強いし今は枯れていないからだ。山茶花と椿は花がにていてもまるで違ったものである。椿は春に咲くけど山茶花は冬に咲くからである。もっともわび、さびにふさわしいのが山茶花なのである。


病院で知り合った老人大原の大きな家には一人でいる。子供のいる所帯は避難した。病院からながめたときは秋夕焼けだった。今は冬夕焼けである。やはり田んぼとかが耕されてこそ風景かある。それがないということは異常である。