2011年11月12日

相馬六万石の城下町(フランスの詩と自分の詩の比較)

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相馬六万石の城下町

相馬六万石の城下町
城も見えずに残る濁る堀
狭き門一ついづこが城や
その名残も知れじ


街中に菊畑映えて
塀の内に柿のなる
昔の武士の屋敷にあらじ
通りをゆく人あわれ秋の暮


街のはし橋一つものさび古りて
塩地蔵常にしありしも
我がここを行き来して
病院に枯木三本堅く立ちしも


田町は昔栄えし所
柳長々と垂れしかも
相馬駒焼き代々の主
無愛想にいぶせく棲みぬ


城下町曲がれる路次の多しも
残る虫の音なお聞こゆ
晩菊の静かに日のあたり
古本屋により書を読みぬ


誰が眠る街中の墓所の静けく
相馬藩代々つづきぬ菩提かな
野馬追いに受け継ぐ
武士の勲し誉れ蘇りぬれ


相馬六万石の城下町
日頃知られぬ街なりき
この街訪ねる人もまれなりき
駅前に落葉してひそまりぬ


街を離れて昔の街道行けば
松並木に昔を偲びぬ
刈田の道も静かに農家かな
昔郷士や伝来の旗を蔵しぬ


城下町誰か棲みぬれ
畳屋の灯ともり仕事かな
野馬追いの今もつづけば
鎧師のなお技伝えぬ


月曇り六万石の城下町
鈍き銀色の雲の棚引き
華やかな栄のなしも
月影のもれし屋並かな


墨絵の色の地味な街
質素なる暮らしの昔かな
四方に田野の広がりて
城はつつましく暮れにけり

 



仏蘭西の小都会
            アンリイ・ド・レニエェ


起き出て我朝に街を出ずれば
道の敷石に足音高くひびきて
太陽の若き光は古びたる甍を暖め
Lirasの花は家々の狭き庭に咲く


人の歩みに先(さきだ)ちて足音の反響は
梢にそびるゆる苔の土塀の長きに伝わり
磨り減りし敷石は白き砂道に連なり
場末の町より野辺に走れり

やがて険しく上る山道より
日に照らされて丘のふもとに
悄然として狭く貧しく静かなる我が生まれし街の
見慣たる懐かしき屋根の見ゆるかな

長々と彼処に我が街は横たわる。流るる河ありて
その水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ
散歩の道に茂りし木立は街にそびゆる
鐘撞堂の石と共に古びたり


うららうに澄み渡りて狭霧なき空気に
我が街は太き響きを我に送りくる
洗濯屋の杵と鍛冶屋の槌の音
打ち騒ぐ幼子の甲高くやさしき声


変わりなきわが街の浮世に思い出もあらず
繁華光栄の美麗もなくて
わが街はいつの世までも
今見るごとく小さき都にあらむ


我が街は耕せし野辺,高原、荒れし野に
又は牧場の間に立つ数ある街の一つなれば
何れとわかぬ小さきフランスの街の名に
旅する人はわが街の名さへ知らで過ぎぬべし


しかれども朝より夕べに移る徒然歩きの
長き思ひの一日は過ぎて
麦の畠のかなたに日はかくれ
林に通う細道暮れそめて


物のあいろもわかぬ夜
歩む足音険しき道にとどろきて
堰越す水音はるかに聞こえ
吹く風運河の木立に騒ぐ時


つかれて我は帰りくる街近く
ふと仰ぐ辺りの家の窓
帳さへなきガラス越し、ランプの壺に
石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば


杖にて探る夜の道、自ずと足も急がれて
われ思ひしる、我が墳墓の国土
懐かしき眼に闇の内よりいとも優しく
我が手をとりて引くがごとしと



外国は日本と全く違ったものと思う人もいる。でも外国を旅していると人間の住んでいる所は必ず共通性がある。ギリシャでもあそこは特に風土が地形が日本とにていたから親しみがあった。菜の花が一面に咲いていたのを見たとき、これは日本と同じじゃないかとつくづく思った。ギリシャは日本の地形と本当ににていたのである。ヨ-ロッパはフランスやドイツは山がほとんどないから地形的にはにていない、でも歴史的にはにていたのである。特に封建時代があり中世は城の時代でありにている。各地に領主がいて支配していたし騎士は日本の侍とにている。封建時代があるのはヨ-ロッパと日本だけである。中国にはない、巨大な帝国はあっても地方に領主がいて城で支配していたという歴史がない。今でも廃墟になった小さい城の跡が多いから日本とにているのだ。そして中世の時代は長かった。日本の城下町と中世の街もにているところがある。いかに古い石畳の路次がありそこを踏み歩むと歴史を感じるのである。そこはまさに日本の城下町でもあった。ただ石造りということが違っていた。石畳の道は中世からつづいている道である。その路次には聖人の像などが祭られていたりするが日本では地蔵になったりする。


磨り減りし敷石・・・というのはまさにそうである。流るる河ありてその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・ここは日本とは違っている。河が大陸では運河のうよになっている。流れているか流れていないのかわからない、自然の河のようには見えないのである。だからその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・というのはうまい表現である。日本の河は絶えず流れて滝だと外国人が言ったが外国の河はまさに眠っているという表現がぴったりである。そして橋はいかにも古い石の橋でありそれは街と連結していて街の一部のうようになっている。この辺は違っていてもこの詩は全体的に自分の作った詩とにていると思った。ランプの壺に石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば・・・これは日本では江戸時代なら行灯だった。江戸時代の風情は城下町に多少残っている。相馬市がなぜいつも行くとしんみりするのかというと高い建物が街の中にほとんどないからである。それは昔の江戸時代の街並みと同じである。江戸時代に高いビルはない、だからこそ「月天心貧しき街を通りけり-蕪村」これが現代のように高層ビルだったら月も映えないのである。江戸時代の江戸でも高いビルはないのだから自然が太陽でも月でも映えるのである。そこが昔を錯覚する。高いビルは情緒を壊すのである。外国でも旧市街と新市街は分かれている。旧市街は歴史地区であり歴史を偲べるのである。

いづれにしろ相馬市をたずねても何もないと旅人は感じる。それはこの詩と同じである。しかし城下町だからそれなりに歴史がある。相馬市はまだ野馬追いがあるから他よりはいい、ここが野馬追い発祥の地として自覚するからだ。ただ城もないしここが一体どこが城下町なのかとなる、武家屋敷もない、最近堀の跡が発見されたとか残っているのはあの濁った堀くらいなのである。そうすると他からここにきて昔を偲ぶということはなかなかむずかしい。一般的に昔を偲ぶということはむずかしいのである。現代のものだけが目に入りやすいからだ。でも相馬六万石でも城下町の歴史はあったのだから他とは違っている。原町とは違っている。細い路次が多いのもそのためである。田町は昔繁栄して馬屋などが並び漢詩にも残された。そういう残されたものからも昔を偲ぶことはできる。風景は変わっても回りは田んぼだからそんなに変わってもいないからだ。ともかく自分の作った詩とこの詩はにている。やはり人間はどこに住んでも人間である限り共通性が必ずでてくるものだと思った。エジプトなんかはなかなか現代からすでに理解しにくい、でもギリシャなどは理解しやすいのである。


江戸時代は墨絵の世界だった。着ているもの地味だったというし侍でも質素であり派手な暮らしをしてしいない、今ほど派手な暮らしをしている時はないのだ。現代は余りにも社会が変わりすぎてしまった。車社会というのも情緒を破壊した。TPPにしても車社会と関係している。車社会になったとき街の商店街は消失したし様々な古いものが破壊されたのである。そして財界がTPPを押し進めるのは自動車を売りたいとかのためでありその圧力が大きいのである。農家の人でも名古屋辺りでは車の生産に関係しているのだ。下請けになっていたりする。車の方が売りたいから農業は二の次にされる。車を売らなければ豊かな生活はできない、農業ではできないということでそうなっているのであり
車社会がそうしていることが根底にあることを見ないと事の深層はわからないのである。車社会が必然的に街の通りと商店街を破壊して農業も破壊してゆくということがあるのだ。車を売ってその税金で国が農家に補償しているということもある。そういうジレンマが常に現代にはあるのだ。


ともかくヨ-ロッパは日本と意外とにている。中国辺りだと大きすぎてとらえどころがない、封建社会もなかったから歴史的にもにていないのである。確かに漢字は共通でも社会自体はにていないのである。スケ-ルが大きすぎるとわかりにくくなるのだ。距離の感覚でも何でも日本とはかなり違っているのだ。ヨ-ロッパの中世は感覚的にわかりやすいのである。教会もカトリックだと日本の寺とにている。役所の一部でもあった。日本でも戸籍係のような役目を寺が果たしていたのである。寺の権力も結構大きかった。ヨ-ロッパの方が大きかったにしろにている。ただ外国でも昔を知ることはむずかしい。外国人でも日本に来たら東京辺りだとほとんど昔を偲べない、偲ぶものがない、皇居だって城がないのだから偲べないのである。やはり何か遺跡として残っていないと外国は特に昔を偲ぶことはむずかしいのである。