2011年11月11日

医者の傲慢の危険 (人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる)


医者の傲慢の危険

人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる

> つまり金持ちが優遇、優先されるということか
> 外国での臓器移植も割り込むために大金がいるみたいだしな


日本だって、謝礼さえ出さないような無礼な患者は
練習のための稽古台に過ぎん。モルモット扱いが当たり前。

コネがないなら、金を出せ。



こういう医者が現実にいることが怖い。自分もモルモットにされた。研修医に治療してもらってそれがミスしたことはまちがいない。管の交換だったけど小便でなくて三回も死に目にあった。タクシ-で行ったり一回は真夜中で救急車を呼んだ。小便でないと人間死ぬことある。研修医の明かにミスだった。一回は開業医が偶然まだやっていたので管を交換してもらい助かった。原町ではその時週に何回かしかやっていないかった。もしそこでやってもらわないと大変なことになった。その頃この辺は原発事故で医療崩壊していたからだ。福島市の方まで搬送された人もいた。明かな研修医のミスだったけど文句も言えないのが病院だった。病院には医者には本当に文句も言えない、あとあと怖いということがある。この辺はそもそも医者を選ぶことができない、病院はもう限られている。そしたら何か文句言って断られたら死んでしまう。現実救急医療を断られたのだからそうなる。研修医でもそういうとき患者にわびてもいいような気がする。そういうことをしないと医者の卵の時代から人間に対して傲慢になる。患者は単なるモルモットにすぎないとなってしまう怖さがある。この人は確かにそういう医者だった。そういうふうに育てられた医者は患者にとって怖い。もちろん医者にもミスはある。そのミスをとりたてて患者が追求するとは限らない、問題はこうした傲慢な態度で患者に治療する医者がいたら患者もなんなんだ、この医者はと思う。それは技術以前の問題だろう。医者には人格的におかしな人間がいるというとき謙虚さがたりない、傲慢な人が多いということである。


医者だけではない、人間はその職業によって傲慢になってしまうものがある。地位でもそうである。医者などはそうなりやすい職業である。お医者様でありいつも礼を言われている。それは命に直結しているからそうなる。だから手術でも良くしてもらいたいから謝礼に金を払うということもある。この世の中弱い人間は自分をふくめつくづくお礼ばかりしていなければならいなことがわかった。
ちょっとした手違いだ致命的な傷を受けることもあるし死ぬことだってある。そういう職業だとするとき研修医の失敗でもそれが死につながることだってあるんだよと指導すべきなのである。ともかく病院の問題でもあるから研修医には謝らせない、それが医者は多少ミスしてもいいという安易な考えになってしまうかもしれない、必ず病院がミスしても守ってくれるという考えになる。人間は医者でも科学者でも官僚でも会社の社長でも上に立つ地位があると権力をもつと傲慢になる。医者は病院は大きな権力をもっているのだ。患者は弱い立場である。すると医者に謙虚さがなくなってしまうのである。科学者もまた傲慢になる。原発事故でわかったように謙虚さがない、東電では莫大な金で官僚だろうがマスコミだろうがおさえることができる、思いのままにできると思い上がったことが大きなミスした原因でもあった。人間はまたかえって優秀な人が謙虚さをなくしてしまう。有能なできる人間はどうしても有能でない人間を馬鹿にする傾向がある。才能に奢り美貌に奢りとか男女でもいろいろ奢りがあり謙虚さを失う時、そこに危険が生じる。

神は人間の傲慢さを許さない、人間の奢りを神は厳しく罰してきた。人間は英雄的な有能な人間を神の使いとして選ばなかったのは人間は傲慢になるからだ。何も自分はもっていない、有能さもないという人を選んだのである。

何も誇ることがないという人を選んだのである。つくづく人間は何に誇っても無力をしらされる。あれだけ健康で優秀だった人間が認知症になりすべてが崩壊したことに驚いた。そのことをまじかに見たので書いてきた。人間がいかに体が強いとか言ってもそれも必ず最期は崩れてしまう。必ず病気になってしまう。いかに頭がいいと言っても認知症になったりしてこれも全く頭脳が崩壊して痴呆になるというほど驚いたことがない、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも認知症になったからでてある。人間はそれだけ優れた人でも最期は弱い人になってしまう。だから聖書では自分でやったということを言わせない、神が成したものとして神をたたえていた。自分がやったとか言うときそれは非常に怖いことになるか。激しい神の怒りをかったのである。原発事故も人間の科学者などはじめあらゆる上に立つ人の奢りの結果として事故が起きたともいえる。ともかく医者とか上に立ち権力をもつと人は奢り高ぶる。その奢り高ぶることが必ず神の怒りをかうのである。


ただ奢(おご)るにも奢れない人はいる。そういう人はそもそも謙虚になるというよりおごりうるものがないのである。自分なんかも全く体力もないし才能もないからそうであった。だから天才はキリスト信者になれないというとき天才は余りに天分にめぐまれすぎているのだ。だからニ-チェのように自分が神だとなってゆく。キリストに従うことができない、そういう人が天才でなくても一番医者はなりやすい、医者には謙虚な人が少ないというのはそのためだろう。そういうふうに回りからされていることもある。医者が全能の神のように何でも直せるならいい、実際は直せない、そういう点やはり謙虚になるべきなのである。原発事故の原因も奢りがあった。謙虚さを失っていった。学者が千年前の津波のことを忠告したときも東電では聞かなかった。いろいろな面で忠告しても聞かなかった。事故など起こらないと思っていたし危険を隠していたのである。また隠す権力ももっていたのである。そういうことは医療の分野でも常に起きている。ミスは人間につきものであるのは人間が万能ではないからである。そういうことで謙虚にならなければなちないのだが人間は必ず傲慢になるのだ。そして大きなミスを犯す。それが原発事故でもあったのだ。人間の奢りに対して神は恐ろしい罰を与える放射能などの問題もそうである。ミスしたら住めなくなったり遺伝子が破壊されたりと本当に放射能の恐ろしさを知った。それは核を破壊したりするなんても科学で操作することへの人間に対する恐ろしい罰だったのである。