2011年11月10日

相馬市晩秋俳句十句 (病院に行き相馬市を歩む)


相馬市晩秋俳句十句

(病院に行き相馬市を歩む)


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晩菊の色それぞれに定まりぬ


朝静か三本の枯木や病院に


橋古りて柿の熟すや塩地蔵


菊畑街中にあり城下町


相馬なる路地を曲がりて木の葉散る


相馬なる通り歩みて秋の暮


三色の晩菊静か城下町


城下町路次を曲がりて残る虫


冬の日や老人と話す住宅に


我が町に帰りて駅前落葉かな



相馬市の病院はいつも混んでいる。50人待たなければならなかった。このくらいはいつでもそうである。それで近くで暇つぶしに歩いた。市営住宅がありそこで老人と話した。あそこの市営住宅は数が多い、仮設住宅ではないがちょっとにている。市だからあれだけ多いのだろう。家賃は3千くらいだからここも同じだった。大きな家のことをうらやましがっていたけど家をもっているとつくづく金がかかる。すでに家を直すために一千万くらいかかっている。増築したのでかかったのだ。今度は瓦屋根を直すと大きな家だからやはり金がかかる。家をもっていても金がかかるのだ。郡山市の瓦屋から電話が来て修理のことを言っていた。地元の人は忙しく順番待ちである。今年中でにできるというが足場組むようになるとできないとなればできない、家が高くて大きいから困るのだ。今は外からこの辺に相当建設会社が入ってきている。バスで来たら前を札幌の建設会社のトラックが三台ドロを積んで走っていた。意外と遠くから来ているのだ。まだまだこの辺は建設関係の仕事があり屋根を直していない家が多い。屋根は被害をほとんどの家で受けたから仕事がある。あそこの市営住宅の前のス-パ-で惣菜を買ったが作り方が違うので一味違ったものとなる。相馬市とか原町だと買い物でもいろいろ選べる。特にオカズで困っているから惣菜が大事なのである。大きな海老フライも売っていた。それらを買った。


相馬市はやはり城下町だから情緒がある。路次が多いのが特徴である。街は歩いてみないとわかりにくい。歩いて見えてくるものがある。李龍という中華料理店でランチを食べた。その窓から外を見ていたら人が歩いていた。その歩くことに情緒を感じる。歩くことが珍しくなったからだ。車で通ったら人の姿は見えない、商店街が廃れたのは車社会になったからである。通りを歩めば一軒一軒を見るから買い物に立ち寄ることがあるからだ。ともかく歩くことが詩になるということ自体、いかに今が車時代になってしまったかわかる。人間が歩くことは絵であり詩であった。だから江戸時代の浮世絵はその歩く姿が絵になっているのだ。着物姿の女性の人が歩いていたりすると城下町にあっている。最近新しい城の堀の跡が発見されたとかやはり城下町だからそういう話題がでてくる。


今日は寒いということはない、それでも立冬が過ぎたから冬である。冬というよりは晩秋なのだろう。病院に枯木三本あるというときこれは写生である。俳句は写生でありその三本の木がいかにも相馬の病院にはふさわしい。南相馬市の病院には何十本の桜の樹があった。あれはあれであそこにあっていたのである。今は半分の医師と看護師がいなくなったので通常の診療ができなくなった。ともかく一番困ったのは病院である。病院というとき週刊誌にでていたが癌になった人などはあまり治療せず痛みをやわらげることをしたりケアに重点を置く病院が人気で他からもきていて満員になっているというのもわかる。最期はもう過度な治療したりするより最期の時間を有意義にすることの方が大事である。過度な治療は病院の経営のためにするというのはおかしいのである。相馬の病院では行くたびに先生が変わり手術だと何回も言われたので準備もしたし今すぐ入院せねばならないと思いあせった。何しろ自分のような身寄りもない人は手術だ入院だとなると大変なことになった。そのために大被害になった。だから簡単に言われると困るのだ。家の鍵まであづかってもらうほかないしそういう準備ができないと20キロ圏内の立入禁止区域と同じになる。空家となり泥棒に入られるのである。そういうことを経験したから本当に今は近くの人でも油断できない。今は福祉のサ-ビスがいい市に移り住むというのもわかる。故郷にこだわる時代ではないともいえる。サ-ビスがいい親切にされるとなれば故郷でなくてもいいとなる。そして富士山でも眺められるならさらにいいとなる。


バスで帰ってきたが今年中に原町-相馬間は電車が通る。それでも相馬から何年も常磐線は開通しない、バスでゆくとなると不便だから仙台に半年も行かない、行けないのだ。介護でも行けない。
鹿島区では歯医者一軒やめて家を壊していた、隣の家も壊した。倉庫も壊した。印刷所のビルも壊した。近くの惣菜屋もやめた。何か衰退してゆくだけの市となっている。ふえたのは仮設住宅だけだった。人の世はつくづく変化が激しい、無常の世だった。無常とは常なき世だった。ここに家があったけどなくなった。それもまた無常である。ここに住んでいた人はどこに行ったのかわからない、いる人がいなくなる、これも無常である。人が死ぬのも無常である。津波で大勢の人が死んだのも無常である。原発事故で起きた変化も無常だった。人間はいつの世も無常の世を生きていたのである。


晩菊というとき老人を思い浮かべる、色はすでに定まっている、その個性の色は変えられない、その人はそういう人だったという評価が定まってしまう。犯罪人はもう犯罪人であり改悛もしない、歳になるとできないのである。歳になるとあらゆることが変えることはむずかしくなる。ひでに人生の結果がでているからだ。もう変えることができなくなっているのだ。