2011年11月21日

白鳥来る(老後は鑑賞することが仕事)


白鳥来る(老後は鑑賞することが仕事)


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晩年や苔に冬日や石の庭


白鳥の今年も来るなお生きつ美しきものに我がふるるかも


人も来じ姉の悲しき白鳥に餌やることを我が思い出す

今日は寒い。その寒空に夕べ白鳥が三羽飛んできた。寒くなったから白鳥が来るのにふさわしかった。人間はやはり最後まで美しいものにふれたい、そのために生きている。この世には醜いものが多すぎる。それでも自然は美しい。放射能で汚れたといっても自然はそれほど変わっていない、チェルノブエリでは木まで枯れたからショックだった。不思議に原発のある回りの森はどれくらい放射線の影響があったのか森は枯れていない、1000ミリシ-ベル単位の放射線量が建屋の中ででている。でも森は枯れていない、チェルノブエリの方がやはり影響がずっと大きかった。人も相当死んでいる。

ただ山とか森から流れる水から放射性物質も流れだしている。その量がなかなか減らないのである。森から泥のようなものにたまって流れだした放射性物質がたまる。山や森に放射性物質はたまり除染できない。福島市の渡利地区などがそうだった。そもそもなぜあのよう遠い所が放射線量が高いのか解せないのである。渡利地区でも阿武隈川をわたって所であり福島市内とさほど変わらない、ただ小高い山や森があるだけで違っていた。山や森があるとそこに放射性物質が蓄積されてしまったのである。


姉は社交的な人だったけど認知症になってから親しい人もよりつかなくなった。認知症は馬鹿になったのとも違っている面があるけど今になると親しくした人もどうつきあっていいかわからなくなり来なくなってしまうということはあった。でもあれだて親しくしていた人が二年間一度も来なかったというのはやはり冷たいと思った。死んでから線香あげにきたりししているがそのことがあるから何か許せないものがある。ただ白鳥に餌をやりに行ったが認知症でも動物は受け入れてくれる。だから認知症にはペットがいやしになることは確かである。人間はまず動物より醜い冷たいことは確かである。だからロバなどみていると本当にいやされる。その眼は優しく正直であり馬鹿正直である。その心が形となって神が現したからなのだ。蛇はまさに最悪のものとして神が作ったのである。動物は心がそのまま形になったものなのである。白鳥も神が作ったものでありこれ鳥としては最高の美を現しているのだ。


まあ、晩年は落ち着いて生きたいということが願いなのだ。人間は老後はみんなそうである。老人になると体力は落ちても精神的な面では充実してくる。鑑賞力がそなわる。芸術などもなかなか鑑賞力がもてない、俳句一つにしても短歌にしてもなかなか深く鑑賞できないのである。60以後深く鑑賞できるようになった。いろいろなことがたいがいよめるようになる。推理ドラマのようなものでもやはり人生経験積んでいないと深く鑑賞できないのだ。天才でない限りなかなかこの世にあることが理解できない、学問でもそうである。そういうものが理解できるから精神的には充実してくる。そこが若いときとは違っているのだ。実際先人の残した良きものがこの世に無数にある。でも鑑賞できないのである。鑑賞力がなければそれも宝の持ち腐れになってしまうだけなのである。一般的に普通の人にとっては芸術など関係ない、そういう鑑賞力がもてないからそうなっているのだ。


今日は屋根のマルイチという水戸辺りにある屋根の会社で一部直してもらった。地元では順番待ちとかなっていて申し込んでいなかった。ちょっと落ち着いたので外部からも入ってきた。屋根は軒込めやられた。直していないところがまだまだある。古い屋根瓦だから直すほかなかった。グシが曲がったとか家をもっているのもいいが修理や増築でこの家はすでに一千万以上もかかっている。家をもつことは結構金かかるから嫌になった。でも瓦が落ちてくるとか直さざるを得なかった。
瓦屋でも田舎では外部から入ってくるのはむずかしい面がある。親戚に瓦屋がいないとか聞いたから田舎は縁故関係で仕事している人も多い。それで外部の人は入りにくい。でも今回はとても地元だけで処理しきれない。まだまだ震災の後遺症はつづいている。家だって本などが散乱したままでかたづけていない。二階はゴミ屋敷のようになっている。かたづけるのが一仕事なのである。

2011年11月22日

情報は権力によって操作されたものである (渡部恒三を中心にした権力の構図)


情報は権力によって操作されたものである

(渡部恒三を中心にした権力の構図)

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●松下政経塾グループ-創価池田大作-渡部恒三-アメリカが結ばれる


 そして、反小沢勢力である松下政経塾グループを組織して「7奉行の会」という派閥を作り、民主党を分裂に追い込んだのは渡部恒三であり、背後にはジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授)と息子の渡部恒雄(元CSIS研究員)がいる。

 息子の恒雄は若い優秀な日本人留学生をアメリカのエージェントに仕立て上げる目的で「ヤングライオンズ」(http://www.younglions.jp/members/)という在米留学生の団体の顧問(アドバイザー)の立場にある。何も知らない善良な留学生は知らない間に、渡部恒雄の助言によって、アメリカの無自覚的なエージェントに仕立て上げられていくわけである。
http://chikyuza.net/n/archives/10943


松下政経塾グループとあるがやはりこれは一つの政治勢力として結成されたものなのだろう。松下政経塾と創価の池田大作は結びついていた。それは政治を操作するため権力を操作するために結ばれた。松下政経塾とか創価などは表看板はきれいごとを並べている。仏教を看板にしていること自体今では信じられない、松下政経塾もPHPとか発行していてカルト宗教めいた所があるのだ。そして盛んに日本の技術は優秀だと企業をほめることを趣旨としている出版事業を行っている。それは農協関係の家の光とか雑誌とも共通していた。団体の権益のために働くのである。聖教新聞はあまりに露骨だから一般人は読んだりしない市販されていない、でもPHPはそうした露骨な団体色組織色を出していないのである。何か常識的なものであり過激性はない、だから大衆が洗脳されやすいということもある。特に技術的なことはわかりにくいから余計にそうなのである。


●権力に操作される情報


情報は権力に操作された情報としてでてくる。それは組織や団体の権益を守るためのものとしてでてくる。実際に松下政経塾とかも一つの団体として権力を操作する団体として結成された。創価もそうである。そして渡部恒三もその息子がGEの社員でありアメリカの工作員の一員として働いていたのである。それらはみな原発推進をしてきた。こうした大きな組織や団体の意向として情報が操作されるのである。こういう団体や組織をみればなぜ小沢氏が選挙で負けて首相になれなかったのか?松下政経塾が反小沢になっているのかわかる。小沢氏は中国よりでアメリカにとっては首相にしたくないから組織団体を通じて権力を操作して首相になれないようにする。民主主義だと公平な選挙で決まるように見えても実質は大きな組織や団体の意向で決められているのだ。だから情報も操作されたものでありマスコミもそうした組織団体に操作されたものである。


現実に福島民報社で聖教新聞を刷っていたり地方新聞社で刷っていること自体創価の意向が反映されるようになっている。マスコミはほとんど原発推進だったのは東電から宣伝費をもらっていたからである。マスコミは金がかかるから宣伝費をもらなければ会社が成り立たない、だから表に出てくる情報はそういう組織団体の意向にそったものになる。マスコミ自体で自主判断した報道はしないのである。一見そういうふうに見えても実質は巧みに操作されているのだ。その操作された情報で大衆は判断する。原発事故は政府までその情報操作していたのだから鬼に金棒だった。プルサ-マルに反対した知事がなぜ突然失脚させられたのだろうか?それは渡部恒三とかGEの社員の息子とかその甥の佐藤雄平知事とかがかかわっていたのである。それは小沢が首相になれないと同じ構図ではないか?いづれにしろある団体組織に情報は常に操作されたものとしてでてくる。個人の意見などはない、それが美名のもとできれいごとのように見えるが裏では常に情報は巨大な権力かかわっているのだ。情報はより巨大な権力によって操作されるのだ。アメリカが最も大きな権力だとするときそれによって操作される。検察官僚もアメリカ側につく、とするとなぜ小沢が首相になれず前の佐藤栄佐久知事が失脚されたのか見えてくる。渡部恒三と組んだその息子やアメリカによって失脚されたとなる。


●表に出ない情報が重要


原発を建てるときもその後も原発は危険だという情報はこのようにして権力により隠されていた。政府まで加担して検察まで背後で動いていたら反対者はつぶされる。ただプルサ-マルは地元の人も県議会員もほとんど強力な賛成者だった。議員にもそれだけの圧力がかかっていたのか?すべてやはり利権の金で動いていたのかとなる。漁業権のこともそうだった。これは非常に強力な権利だった。
その権利を利用して東電から補償された金は大きかった。上から大きな権力が働いたにしろ地元でも権益のために動いていた。金で動いていた。現代の一番の権力は金てあり金にはマスコミだろうがどこだろうがひれ伏すからである。言論人の矜持など戦争のときも今もない、現実にマスコミか全部原発推進だったことでもわかる。今は全部反対してしいるのは戦争のとき同じだった。そして指導者は誰も責任をとらないのも戦争とにていたのである。


東京地検に知事の後援会幹部が呼ばれて出頭した部分を抜粋します。そこでは検事から次のように言われたとの事です。
「知事の悪口をひとつでもいいから言ってくれ」
「15分以内で言え」
「想像でいいから言え」
「会社を潰されたくなかったら言え」

 評判の良い知事でしたから、事件性がないことであってもとにかく新聞社が飛びつくネタが欲しかったのでしょう。
http://okwave.jp/qa/q6676286.html


佐藤栄佐久知事は本当に評判良かった。聖人とかまで言われていた。それが突然検察にとらえられたときは驚いた。その時も福島県の報道関係はその裏事情は伝えていない、だから福島県人は何があったのかなと唖然としていた。その変わり方が白から黒になったからとまどったのである。自分なそれにしても何にも話題がないから話題作るためにミスのない知事がこんなことでネタができたと喜んでいるのは恐ろしいことではないか?マスコミはテレビでも事件を話題にして視聴率をとっている。事件がないと話題がないと視聴率がとれないのである。そのために事件がなかったきにやらせまでやらせていたこ恐ろしさがある。視聴率をとるために演技して話題作りしていたとにているのだ。そもそも事件がないことはいいことだった。今やこの辺は事件と事故と災難つづきで嫌になってしまうし疲れてしまうのである。

ども政治には興味なかった。原発も遠いと思い関心なかった。中通りあたりも遠いから関心ない人が多かったと思う。でもこれだけの被害が出て今さらながら佐藤栄佐久知事の失脚には関心をもつべきだったのである。検察というのも昔の戦争中の特高と同じだった。権力はそういう面が常にある。情報は背後の権力によって操作されたものである。とするとその背後の権力が何なのかわからないと判断できないのである。検察官僚の背後には常にアメリカがいるということである。日本はアメリカの植民地であり原発の原子炉の不良品も買わされる。後進国は武器でも古いのを買わされ戦わされて武器で先進国は武器商人はもうける。そういうことは今でも普通に行われている。アフリカなどがそのために内戦で多数犠牲になっている。アヘン戦争ではアヘンを売りつけられたりしたからTPPもアメリカが有利になり日本がアメリカの利益のために損を引き受ける。そういう構図は戦後変わらなかったのである。

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冬薔薇(老後は落ち着く場所が大事)


冬薔薇(老後は落ち着く場所が大事)


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冬薔薇三輪静か落ち着きぬ


三輪に一輪増えぬ冬薔薇


虻一つここに眠るや冬薔薇


古池に鯉の浮かばず冬薔薇


この道に松一本や冬薔薇


佐須にしも人の長らく住みにしを灯のともらずに冬の夜ふけぬ

畑に咲いていた冬薔薇である。前は三輪だけど今日は四輪にふえていた。これも基本は写生である。前は三輪であり次は四輪になった。冬薔薇は特別な趣がある。静寂の極みに咲く冬薔薇である。
その冬薔薇に虻がとまり眠りにつく、これも神秘的ではないか?なぜここに虻がいるのか?寒くてこのバラの中で動けなくなったのだろうか?まだ今年はそんなに寒くなかったから虻がいた。でも寒くなってここで動けなくなったのだろうか?生き物は実際はみんな神秘的である。だから放射線にしても実際どういうふうに生物に影響するかわかっていないのだ。まだ良く研究されていないということである。晩年とか老後はとにかく落ち着きたいのだ。その落ち着く場所が奪われるということが一番辛いのである。この辺はどうにも落ち着かないのである。俳句が写生というとき何も作る必要がないのだ。この冬薔薇の中に虻が眠っているというだけで俳句になり不思議があった。この写真自体なかなかとれないものではないか、だから貴重になる。自然は毎日近くでも様子が変わってくるのだ。


佐須というのは焼き畑の意味でありこれは全国にある。焼き畑地名は多い。なぜなら米を作る前は田んぼになる前は焼畑をしていたからだ。15夜お月さんにあげるものが団子とか芋なのはやはり焼き畑でとれたものをあげていた。太陽信仰は稲作がはじまってから生まれた。その前は月の信仰だった。それは焼き畑と関係していたのである。それにしても飯館村は不思議である。佐須辺りでも焼き畑地名だから人は古くから住んでいた。そして人が住まなくなったということが不思議なのである。

そんなことありうるのかというが現実にそうなのである。家は残っていても人が住んでいないのだから灯もともらないのである。佐須自体が何か神秘的な場所だった。そこに人が住まなくなり灯もともらない、ただ集落は人の住まない家とともに残っているのだ。その家も荒れていない、廃屋とは違うからなんとも不思議である。突然人がいなくなった村というのが今まであっただろうか?6千人も一時にいなくなるということはありえなかった。相馬藩で飢饉でも一度に6千人がいなくなるようなことはありえないのだ。前代未聞のことかもしれない、飯館村はまだまだ人がいなくなっても本当に人がいなくなったようには思えない、その辺からひょっこり人がでてくる、家の中に人影あり人がいる気配するのだ。それが何とも不思議なのである。

2011年11月23日

暗示にかかりやすい人間心理 (科学も万能でないから暗示にかかる)


暗示にかかりやすい人間心理

(科学も万能でないから暗示にかかる)


●暗示にかかりやすい人間心理

人間の心理として暗示にかかりやすい。病気は気からだというときこれも病気を科学ですべて解明できないからそうなる。体を機械のように考えられないからそうなる。科学的思考、根拠を頼りにだけできないから病は気からとなる。またあなたの体はこれこれしかじかの科学的根拠で直ることがないと言われても直るかもしれないと思うのも人間である。あきめきれないから科学的根拠を無視する。そういうことで以前としてそこに宗教が入りこめる余地が残されている。また必要でもあるのだ。
ただカルト宗教の場合はそうした人間の不安な心理につけこんで勢力拡大、権力拡大を計る。そうでなければ宗教が全部悪いとは言えない、仏教だって神道だってすべてを否定はできない、ところが仏教だと戒名を商売にしたり金儲けの種にするのがあまりにも多すぎるのだ。宗教をすすめるなら一切金をとったり選挙の一票代わりとか権力獲得のためとかそうした目的なしでやるべきである。でも組織化した宗教は全部勢力拡大を目的としているからそういう人間の不安な心理につけこみ自分たちの権力拡大、利権を得るための駒にされるのである。


人間の不安な心理につけこむ商売はいろいろある。週刊誌も必ず不安をあおっている。貯金もパ-になるとかこの頃不安がつきない、するとその不安をあおりたてる。それで週刊誌も売れる。ただその記事も全く根拠がなかったら人は読まない。この世の中すべて不確実だからそうなる。確実なものがないから不安になる。原発でも本当は科学者は危険なものだと知っていた。だからこそそれを知られると困るから安全神話を作り上げたのである。科学的根拠は別にしてただ安全、安全と唱えさせていれば安全なように東電でも保安員でも科学者すら錯覚に陥っていたのかもしれない、まさに科学的思考が喪失して一種の宗教になっていた。題目をただ唱えていれば願いかなうとかと同じである。安全、安全と唱えていれば本当に安全のように暗示をかけられて本当のように思えてしまう。戦争中もそうだった。日本は勝つ、勝つ、勝つと唱えていれば勝つように実際に思えてくる。日本には言霊信仰があったというのもそのことだろう。科学的思考ではなく言葉が呪術化する。それで日蓮宗や真宗の題目だけを唱える信仰が生まれた。これも日本的の言霊信仰だったのである。


根拠はないにしろ日本は神国だから負けないというのも安全神話と同じ心理状態に陥っていた。人間はそもそも科学的思考合理的思考よりそうした単純な暗示にかかりやすいのだ。百回嘘を言えば本当になるというナチスの手法もそうした人間の心理を利用したのである。人間はつくづくむずかしいことにはかかわりたくない、面倒なことをしたくない、だからインタ-ネットでも長文は嫌われる。即席で簡単に理解するものがいいのである。だから題目を唱えるのが一番誰でもわかる、題目を唱えればすべて解決すると教える日蓮宗や真宗の信者が多いのはそのためである。その内容より簡単だから理解しやすいからあれだけの数がふえたのである。暗示にかかりやすい人間が多いから数が増やせるのである。人間は知的なことでもめんどうなことはしたくないのだ。調べることだって嫌がる。そうした人間の怠惰が操りやすい人間を作っているのである。


●科学も万能でないことが不安を作る


科学の時代で科学的思考や合理的思考が不可欠でも一般大衆でも科学者でもカルト宗教にはまったように人間はとてもじゃないが万能ではないからそうなる。知識にしても膨大でありすべてに通じることはできない、医者にしたってほんの一部しか知らない、すると不安になる。あらゆることが知り得ないから人間は不安になるのだ。これだけ複雑な文明だとそもそも仕事も多岐に分かれていて理解するのがむずかしい。だから推理ドラマなどを見てこんな職業もあるのかとか役に立つ、職業だってあらゆる職業の人と直接話すことなどできないからである。だから現代社会そのものを理解することが困難を極めている。人間はこの文明社会の前で蟻一匹のようになってしまう。巨大な迷路にまきこまれる蟻一匹だから不安になる。皮肉なことに江戸時代辺りだと現代のような不安はなかったろう。非常に狭い世界に生きていたから世界の果てで起こったことなど全く無関心でいられたからである。人間は今やグロ-バルな不安におびえる。世界中の騒乱で不安になる。不安は今や尽きることなく日々増産されている。決して不安がなくなったりとまることはない、世界のどこかで必ず事故があり騒動が起きているからだ。


原発も今や大きな不安要因である。前からも不安だったけどそれは安全神話で隠されていただけである。今やいかに不安なものか危険なものか身をもって知ることになった。不安が具体的なものとなった。もはや不安を払拭することはできない。科学も地震や津波に無力なことが露呈した。科学者は万能でないから安全神話を暗示で大衆を洗脳した。政府さえ今や信用できない、検察もアメリカの指令で動き権力を乱用するから信用できない。マスコミはまた大衆に暗示をかける方だった。テレビは対話がないし質問できないから一方的だから暗示をかけるのに催眠療法のうよになりやすい、テレビは人を考えさせないメデアなのである。本を読むということは多少は能動的になり考える。テレビは考えさせないメデアである。テレビは暗示をかけるのに大きな力をもったのである。そもそも大衆自体も何かわからない、マスメデアというときマスを支配するためにメデアがあった。科学さえ暗示力を利用する。微量の放射能は危険ではない、危険ではないとテレビなどで何回も放送されれればそう思う人はでてくる。眼にも見えないしわからないからだ。

科学的根拠をいくら言ってもなかなか理解できなからそうなる。科学が万能でないからそうなっている。一方でチェルノブエリで放射能の被害にあってその後を見てきた医者は放射能を余りに意識してストレスをためるのは良くないという助言をしていた。そのことによってかえって放射能よりストレスで影響を受けて病気になったりするという。放射能がどれだけ人間の体に影響するのか本当のところがまだわからないからそうなる。すると過剰反応してストレスがたまりかえってそれが原因で病気になる。人間は科学だけではすべてが解決しない。つまり地震や津波でも科学は無力だったように放射能に関しても実際はすべては知らない、となると科学的に放射能すら対処できないからあまり過剰反応すると過剰防衛になると負担がストレスが大きくなりかえってそれが原因で病気になる。


●科学万能主義は頼る人々によっても作られていた


地震や津波に対して科学は無力だったのである。科学はこれまで起きた経験科学でありこれまで起きていなかったことは考慮しない、でも地球が何十億年でできたとするときそき一万年くらいのことしかわかっていないとしたら科学の力も本当は小さいものだった。何か人間が作ってきた科学的なもの合理的なものシステムなどが崩壊した様を見た。だから想定外のことはこれからも起こる。宿命的にそういう運命のもとに人間は生きているのだ。科学も万能ではない、人間も万能ではない、だからこそ人間は昔から宗教にたより神に頼ってきた。科学が発達しない前は宗教があれだけ力をもったのは宗教しか頼る術がなかったからである。庶民の地蔵信仰にしても耳から眼から腰が悪いとか祈る地蔵が分業化していた。地蔵さんに祈るほか術がなかったからそうなった。今はみんな病院に行くのである。だからこれほど医者があがめられるのだ。でも医者も医療も万能でないからやはりここでも常に不安が生まれ暗示にかかりやすいのである。


科学者の医者の言うことを神のように聞いていたら直るということでもない、科学的なことが暗示ともなる。薬だってすべてきくとは限らない、薬には必ず副作用がありそれが体を悪くする。それは科学的根拠がある。薬がすべてきかないにしても祈るような気持ちで薬を飲むのである。だから薬は高くても売れる。自分も一か月6千円近くかかるのは高いと思った。その中に不用な薬が入っている。薬には無駄な薬を必ず与えられるのである。結局人間は万能でないし弱いものだから暗示にかかりやすい、何かに頼らざるをえないから暗示にかかりやすい。幸福の科学などというものも科学的なものを宗教にするのもそのためである。科学と切り離せない社会になっているとき当然そういうカルトが生まれても不思議ではない。オウムだって科学と切り離せないカルトだった。科学がそれだけ力をもった時代である。そもそも宗教自体が病気で困ったとき宗教者に相談にきた。でも最初の内は奇跡で直したというのは本当である。でもだんだん本当に万人を直すには宗教ではできない、それで科学が発達したという経緯がある。

科学や技術はそれだけ実効力があったからこれだけ科学の時代になったのである。でも科学には限界がありそこで常に人間は不安にかられ暗示にかかりやすいのである。

実際に医者が直らないといった癌でも直った人もいる。医者が万能者ではない、直せないものは直せない、医者自体がその無力感を言っている。人間を直すのは医者ではない、人間自体がもっている抵抗力でありそれがなくなるとき人間は病気を直せないのである。人間が本来もっている治癒力が病気を直す根幹にあり医者が直すわけでなはいというのは本当である。科学が万能ではない、しかし科学を軽んじることでもない、科学には科学の役割がある。それがあまりにも大きくなるとき危険なのである。原子力も危険なものであったしその効力があまにも大きいものだから危険を見逃すようになった。医者が万能者のようにみるようにまた医者に頼りすぎるように科学者に頼りすぎるということがある。医者も科学者もすべてを知っているわけではない、そういうことが双方にあって問題が起きたのである。


病気は不安になると悪くなる。病気に対する不安が強く、もっと悪くなるのではないか、死んでしまうのではないかと不安になり、不安を自分で打ち消せないと病気は悪化する。 悪くなるという自己暗示によってあなたの身体はあなたの暗示の通りになる
http://www16.ocn.ne.jp/~fukiages/new_page_41.htm


医者自身が言っているのだから説得力がある。科学的に対処しても対処しきれない、それは人間の体と心は一体だからそうなる。薬のんでもこれはきかないと思えばきかないかもしれない、水を飲まされてそれが良くきく薬だと思ってのめばきいたりする。体にも心が作用するからすべてを科学で人間は処理できないのである。


頼るべきところは頼り
すべてを頼りきりにしない
この世に万能者はいないから
それはすべての分野で言える
政治家でも役人でも医者でも
宗教家でも科学者でも法律家でも学者でも
・・・・・・・・・・・
頼るべきところは頼る
しかしすべてをまかせ頼るべきではない
最終的には自己判断の決意であり
個人の信仰であり集団の信仰ではない
確かにそこには自己責任が生まれる
でも結局は誰もすべてを他者に頼りまかせることはできない
あなたの責任を全部他者が負えるわけがないから


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2011年11月24日

冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ


冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ



晩秋や楽器作りや古き街


石畳踏み古き楽ひびく


鐘のなる石畳の路地冬に入る


ハルダンゲル・フィドル(Hardanger fiddle)。英語ではハーディングフェーレ(Hardingfele)。飾りのついた小型のヴァイオリンのように見えます。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/oslo/2010/02/post_18.html

ノルウェ-には行っていない、テレビで見たらノルウェ-はフィヨルドとか森だ多い。森があるところは世界で少ない、ヨ-ロッパでも少ない、ノルウェ-は北海道とにている。ギリシャは瀬戸内海辺りとにている。日本の風土は多様であり世界中のミニモデルのようなものになっている。南から北と風土が多様なのである。平原とか大陸のどこまでもつづく平地とか砂漠とかないものはある。これはなかなか理解しにくい、一番にていたと思ったのはギリシャだった。


音楽は苦手だけど一時期理解しようとして楽器をやったがうまくいいかなかった。ただ暇だからクラシックを聞いて理解しようとした。それで教会のミサ曲の古いチェンバロの音が心に残った。あういう音楽はやはり当時の街の雰囲気とともにあった。それは石畳の古い路次を歩めばその音色はしんみりととけこむのである。音楽もその当時の街と一体化してあった。現代はあらゆるものがごちゃまぜになってしまった。一つの音色はない、あらゆる音色があり統一されない、クラシックとポピュラ-が一緒にひびいてくる。現代は常に調和がない世界なのである。

このハーディングフェーレも教会側からすると俗なものとして禁止されようなことがあった。すべてが宗教で統一されていた時代が長かったからそうなった。科学もガリレオのよう認められなかったし音楽もそうだったのである。


楽器も偶像とまでは言わないけれど目に見える形あるものという点で偶像と同じと考えられていた)、人間の声による歌だけが重んじられていたのです。
http://poco-a-poco.chu.jp/lothlorien_music/03/post_66.html


ボ-カルしかなかったというのも意外である。ユダヤ教から発した一神教では偶像崇拝ほど怖いものはない、人間は宗教というときほとんど偶像崇拝に陥っている。偶像崇拝しないだけで宗教はわかる。イスラム教を見ればわかるだろう。唯一の戒めは偶像を崇拝しないことである。なぜなら人間は偶像崇拝に一番陥りやすいからである。日本なども神道でも偶像崇拝に陥っているから怖い。何か偶像を拝んでいるようで怖いのである。八百万の神も偶像になる。そもそも日蓮宗でも真宗でも紙に書いた題目を拝んでいるけどそんなものに神があるはずもない、だから当然そんなもの破る人もでてくる。それを破ったからといって何も起きない・・・・それは神ではない、ただの紙にすぎないとなる。それは自分が実証しているし他の人もそういうことはわかっている。偶像はいづれすべて破壊される運命にあるのだ。だから偶像崇拝は最大の戒めだったのである。偶像崇拝はまた強制される。戦時中の天皇もそうだったともいえる。人間が神を求めるとき偶像を神とする傾向が古代からあったのだ。

ヨ-ロッパの魅力はやはり歴史である。その歴史もヨ-ロッパ全体が重層的になっている。だからこそルネサンスが生まれた。ヨ-ロッパを歩けばどこでも歴史を感じるのである。ただその歴史を現場で理解することはむずかしかった。それで今思い出して勉強して歴史をイメ-ジする作業をする。そういうことが冬の静かな日にあっているのだ。


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冬の石畳の街



古い石畳の路地

その道を踏み歩む

古いチェンバロの音がひびく

中世の静かな街並み

人々はひっそりと暮らしていた

奥まった部屋に身をつつみ

女性は顔を出さない

教会の晩鐘が鳴り

冬の日は路次深くさし暮れる

石の壁は歳月経て重みを増している

その石にチェンバロの音が厳かにひびく

石の城、石の教会、石の市壁、石の橋

石に刻まれたヨ-ロッパの歴史

遠い昔を石に偲ぶ


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ヨ-ロッパの中世はやはり江戸時代である。江戸時代も城がありヨ-ロッパと共通していたのである。日本とヨ-ロッパの歴史は共通していた。もしかしたら明治維新が成功したのもそういう江戸時代の歴史があったからかもしれない、封建制があったのはヨ-ロッパと日本しかなかったからである。
アメリカなどは全く異質の国だった。歴史もなく突然大平原とかに現出した国なのである。その驚嘆を詩にしたのがホイットマンだったのである。何にもない所に都市が現出したのである。

写真はここがいい
http://bellano.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-3107.html

石畳の道を切り取って良く見たら確かに日がさしていた。前画面からきずかなかったのである。
部分を拡大化すると部分詳細に見るということがあった。写真の見方でもいろいろ方法がある。

2011年11月25日

福島国際復興マラソン


福島国際復興マラソン


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真野川をわたる

テレビにでていた学者の人がいた。あの人は最初原発事故の説明のとき頻繁にテレビに出ていた。
それで顔を覚えていた。コンビニの前で会うとは思わなかった。何やっているのですかと聞いただけである。ハンガリ-だ、ル-マニアだ、ドイツ、フランス、スイスとか福島復興国際マラソンだという。こんなところを走るのをめずらしくて自転車でついていった。市役所まで行った。

フクシマは何か世界でも有名になった。南相馬市長もyouyubeに出て有名になった。
フクシマは世界に旅したらフクシマですと言ったらあの原発事故のフクシマかとして通じるだろう。チェルノブエリと同じくなった。ヒロシマともにているだろう。


でも主催している人は御用学者と言われる人である。最初にテレビに出た人は安全だ安全だ、メルトダウンしていないと何度も言っていたが嘘だった。あの時は最初だから皆目放射能がわからなかった。放射能は最初発見したキュ-リ-夫人だけどフランスでは美容にいいとか使われ放射能が害になることがわからなかった。今になるとキュ-リ-夫人とかもがっかりしているだろう。世の中に役に立ちたいというのが願いだったという。こんな危険な悲惨なものとなることを予測できなかった。

科学者でも全く予測できないことが起きる。最初の動機は博士号をとりたいということだけだった。それがこんな結果になることは予測がつかなかった。自分の発見発明したものが社会的にどう影響するのかなど科学者は考えない、科学には薬でもすべて副作用があるように危険がある。薬も毒でもある。放射能も毒にもり薬にもる。ただ毒の面があまりにも恐ろしかったのである。人類を滅亡させるほどの猛毒だったのである。


猿の惑星の続編だったが映画で核爆弾に祈っている人が最後に生き残っていた。人類は最後に核爆発とともに滅びた。人間の最終兵器で
人類が滅びる。それが核戦争でそうなると思っていたが実際は平和利用の原子力利用でもそうなる。それも誤算であった。科学は社会にどう影響するかわからないもの予測つかないものとして影響する。想定外のことが人間社会に起きる。そこも問題だったのである。

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飯館の方は今日は雪だった、北風吹いて寒かった
マラソンした人も寒かった。


後で思ったこと


これだけの国籍の人が自主的に福島を応援するようになるとは思えない
第一、ハンガリ-とかル-マニアとかなるとそういう人達が集まり福島を応援しようなどと
相談すること自体理解しにくい、大学関係で主催者が集めたのか?

他でも御用学者が国際復興マラソンを主催しているから自主的なものではない
ただアイデアとしては良かった。一緒についていったら
世界の人が応援してくれているんだとかなれば元気になることは確かである。

ただ何かこういうものも主催するものがありそれで団体化して活動する
個々人が自主的に参加するというのはデモだってなかなかない
主催者がやはり原発事故の時最初に安全を言っていた学者だった。
その顔を知っていたのでそこからどうかなと思ってしまった。

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冬の菊(仕事は生きがい)


冬の菊(仕事は生きがい)

変わらずにここに勤めむ冬の菊


誠実に勤め変わらず冬の菊


冬薔薇しみ入る色や夕暮れぬ

今日は冬の菊というときあっていた。山は雪になり寒かった。北風も吹いた。
最近この年でわかったことは人生の真実や芸術なども実際は本当に単純なものだった。
シンプルなものでありむずかしいものではない、むずかしく解釈する必要もない。

菊というとき昔は女性の名前に多い。今はわけのわからない名前になった。名は体を現すというときやはり名前も大事である。キクという名前は日本の伝統的なものを伝える名前である。
皇室の紋章が菊であることも菊も日本を象徴したものとしてある。
ただ野菊などはドイツには日本と同じ様に咲いていた。ドイツと日本もにた所がある。
ヨ-ロッパは意外と日本とにている。中国はかえって日本とにていない。やっぱり大きすぎることが影響している。


菊は秋でも晩菊から冬の菊になる。寒菊となるとさらに一月以降の寒い時である。今日は山も雪であり飯館も雪だったろう。飯館には人は今住んでいない。やはり自然でも自然だけでは自然も活きてこない。人間があってこそ自然も生きる。人間は自然と共に生きるとき喜びがあるのだ。そのために自然のように心も清くないと自然も映えないのである。人は人間に勤めるというよりまず自然に勤めるものではないか?この美しい自然に勤める、都会だとそこはビルだらけであり家だらけであり自然に勤めるという感覚はでてこない、田舎だとまず自然と接するから自然に勤めるとなる、大きく言えば天地に従い天地に勤めるとなる。仕事が勤めるというとき根本にそういうことがある。


今のこの辺の状態は異常である。仕事ない人であふれている。別に避難している人でも一人10万もらっているとしたら生活には困ることがない、でも何もすることがなくなり繁盛ししているのはパチンコ屋だけだというのは異常である。パチンコ屋には車が一杯である。知人もパチンコ屋で働いている。人間はやはり収入のことばかりいうけど仕事なかったら淋しいだう、生き甲斐もなくなる。

そして仕事は勤めというより宗教的な意味もあったのだ。農業なんか本当は仕事自体からすると最も生き甲斐のあるものではなかったか、米が安い、野菜が安いといっては農家はやりたくないというけどもともとはそうした消費のことを考えなければ仕事自体は最も天然に従う聖なる勤めのごときものではなかったか?それをつくづく放射能災害で荒地になった農地を見て感じたのである。仕事がなくなった農家の人も自分のしていた仕事のことをつくづくふりかえっている。牛ととも働きたいというときやはり牛と共に働いていることが生き甲斐だったとなる。そういう農家の人が商店とか工場で働けるものだろうか、そういうことをやはり避難した人自体が感じている。


冬薔薇にしてもその色が深く不思議に夏の色とは違っている。深くしみ入るような色になっている。冬は趣がある。人間最後に冬となり老年こそ最後の豊かな実りの時だったのである。

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2011年11月26日

原発の安全対策は戦術ではなく戦略が必要だった (日本は巨大技術に向いていない)


原発の安全対策は戦術ではなく戦略が必要だった

(日本は巨大技術に向いていない)

●戦略と戦術


戦略(strategy:ストラテジー)
全体的な方針。
変更は困難。


戦術(tactics:タクティクス)
戦略に基づいて細かい個所を決める。
戦略に基づいていることが必須。
変更は可能。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/7769/hard2a/senryaku.html


人間は日々個々の戦術に生きている。目の前の利益を獲得することは戦術である。あらゆる人がどうしたらもうけられるかとかどうしたら売れるとか日々の戦術に生きている。人間は宿命的にそうなっているのだ。戦略を考えるのは特殊な人であり一般人は日々の糧を得るための戦術に生きているのだ。ところが戦略となると個々の利益を得る戦術的思考と違ってくる。全般的総合的な視野が必要になってくる。でも日々の生きるための戦術に生きている大多数の人にとって戦略的に思考することはできない、それを担ったのは戦国時代なら君主になる。戦争になったら総大将になる,城主になる。
信長とか秀吉になり家康になる。戦略的に優れていなければとても勝つことはできない、布陣するにもそれは戦略であり戦術ではない、大軍の布陣は戦略であり個々の戦いは戦術になる。戦略は戦争の最初に決められてあとで変更しにくい。戦術は戦争のなかでも変えられる。戦略全体を見渡さなければ作れない。地形とか相手の人間を見たり様々な視点から決めれる。天候なども関係してくる。
総合的判断力が必要になってくる。諸葛亮孔明などは戦略であり戦術家でもあった。そういう人はまれである。


●現代文明は総合的に判断する戦略家は育たない


戦略を考えるとき何も戦争のときだけではない、平和時でも戦略となると総合的判断が必要となると学問でも最初は総合的に見る人が偉大とされていた。それが哲学者だったのである。学問のはじまりは哲学からはじまった。総合的な視野をもった人が学問の指導者だった。今回の原発事故で問題になったのはまさに総合的に考える指揮官がいなかったことが事故につながった。現代は無数に細分化して専門化しているときそれらを総合する人はいなくなった。総合する人はどういう人かも思いつかないだろう。今は総合してものを考える人、哲学者が一番低い位置にある。というより総合家は存在しえないし見えないのである。すべてが専門化して部分化し細分化している。それが原発事故につながっていた。

原子力発電は戦艦大和を作り動かすのとにている。国の命運を背負って作り動かすものだと学者が言うときそういう気概と総合的な力を結集して運営するものだったのである。でも専門家同士の意志疎通もできないし総合的に判断することができなかった。社長でも国の首相でもできなかった。唯一実務を担当した現場の所長がその役割を果たしたのである。それだって原発を建てるときは力をもっていない、社長がもっていても社長はコストカッタ-として知られていた。それが安全をないがしろにしたのである。様々な危険が指摘されても真剣に考慮しなかった。原発にしても生きるか死ぬかだとかそういう戦国時代のような意識をもっていない、そもぞれの専門家もそうした意識をもっていない、建設するにしても地盤やら地震やら津波のことやら天候のことやら歴史的な災害の記録やら何やら総合的判断が必要とされていたけどそれをできる人はいなかったのである。現代文明自体がそういう総合的にみること自体不可能になっていることもありそれが要因となり大事故につながったともいえる。


太平洋戦争でも最初から戦略がまるでなかった。真珠湾攻撃でも追い詰められて暴発したのであり戦略的なものではない、その後もずっと暴発的侵攻であり戦略的侵攻ではない、戦術はあっても戦略なき戦争だったのである。あれだけの戦争となれば世界的総合的戦略が必要になるがそれはまるでなかった。ただ暴発して戦略無き無謀な戦線の拡大だったのである。そして医者のような責任意識に欠けていた。医者は何かに言っても手術するとかなると責任をもたされるから責任意識が強い。だから手術するとき合併症のリスクのことを盛んに言っていた。、、、なになにだから危険ですよ何度も言っていた。原発を運営するものにはそういうことはなかった。だからリスクを覚悟するということもありえなかった。ただ安全だ安全だとしか教えられない、だから事故があっても避難することもできない、安全しか教えられていないからどう避難していいかもわからなかったのである。結局個々に専門家は原発にかかわっても総合的に見て判断する人はいなかった。要するに全体の責任者は誰もいないのである。だから戦争のときと同じ様に誰も責任者をとる人はいないのである。想定外の暴発だとなり戦争と同じだったのである。


●日本は巨大建造物を作るのに向いていない


確かに日本の技術が優秀な面はある。それをあえて否定するものではない、しかし技術はすべての面で優秀ではない、原子力はやはりフランスとかアメリカの方が進んでいたのである。安全対策も進んでいた。アメリカは宇宙開発のように巨大な技術開発に向いている。ここは地球なのか火星なのかとかそんな広大な土地であり宇宙基地を作るにしても向いている。原子力発電所も巨大技術でありそういう巨大なものを扱うのには向いている。これは中国でもそうかもしれない、万里長城を作ったような国だから巨大なものを作るのには向いているのかもしれない、スケ-ルが日本では考えられない巨大なものを作る。エジプトのピラミッドもそうである。大陸には巨大なものを作るのに向いているのだ。日本はそういう巨大な技術を開発するのに風土的に向いていなかった。日本は太平洋戦争でも指揮系統もばらばらであり全体を指揮することすらできなくなっていた。そううい全体を戦略的にみることが苦手なのである。戦術があっても戦略がなかった。

戦略となるとき技術だけではどうにもならい、技術は戦術なのだ。技術家は戦術家である。細分化して技術にこだわり個々の技術を極限まで追求する。でも大局的総合的にみることは養えない、あくまでも全体の部品の品質向上などには適格になるが全体を見る眼は備わらない、技術はあくまでも戦術である。戦略はその技術家を応用する総合家でありそういう総合家はまれである。そうした人を育てるのも専門化した現代では育てられない。これだけ複雑になるとその全体を見渡せる人はいないのである。最後はバベルの塔のように破壊されてしまう。現実にそのあと言葉が通じなくなったということは専門化してそれぞれの分野で言葉が通じなくなっていた。これは現代がまさにそうである。あらゆるものが専門化してその専門家の間で言葉がすでに通じなくなっていたのである。結局そうして文明は崩壊する運命にありそれを誰もとめることができない、悲観論になるのである。


戦略は眼前の利益をあげる戦術的なものではなく長期的なことも戦略である。現代はすべて眼前の利益に眼前のことに関心があるが長期
的なものは関心をもてない、だからめまぐるしく変わる世界になる。長期的ビジョンをもって戦略をたてて結集することはありえない、民衆自体がすべて毎日眼前の利益をあげる戦術に生きている。そういう人達を導くには常にニンジンをぶらさげないとついこない、長期的なことを言ってもついてこない、民主主義はそういう民衆が大衆か指導者を決めるのだから当然眼前の利益を与える人を選ぶ。長期的に国家をどうしようかと言う人にはついてこない、民主党の政策が子供手当てとかすべてにんじんをぶらさぜたものであった。それが地震やら津波やら対外問題で崩壊したのである。今や国家自体がどこも世界恐慌の恐怖におびえている2。そういうなかで子供手当てとかなどただ眼前の利益を与えることもできなくなった。国自体がつぶれるかもしれないというとき別な国家的問題に立ち向かう総合的戦略が必要になる。しかしそうした総合的戦略を出すには民主主義ではできないという矛盾につきあたっている。民主主義は大衆主義でありそうした長期的なものに眼が向かない、日本を長期的にどうするかなど考えない、目の前の利益のみ追求している。そういう人達が要求するのは目の前の利益であり長期的なものではないのである。でも目の前の利益のみに眼を奪われていると原発事故のように全体も崩壊してゆくことになる。

posted by 老鶯 at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年11月27日

医療と原発事故の相似性 (自分の専門意外の責任はとらない医者)


医療と原発事故の相似性

(自分の専門意外の責任はとらない医者)



外科医は切りたいから外科医なんだよ
彼らは切る事がアイデンティティな訳だからね
内科的な治療ができる疾患でも
外科にかかると手術をすすめられるのはよくある話


医者のくせに専門医あれば自分の専門科じゃないと患者が死んでも構わないってことになってるんだよね


自分の専門領域外の病気で死ぬのはOK
がん専門医だが、癌死は自分にとって敗北だが
心筋梗塞や脳梗塞で死なれても「仕方がない」と思う
「俺には関係ないし」


医者は船長さんのようなものなのね。
船に乗ったら船長の権限は絶対。
外でいくら地位があろうと年が上であろうとそれがどこでも通じると思っている方が間違い


http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html


彼らは、名目だけの3か月程度のにわか仕込みの教育を受けて、医療業務をまかされたのである。
子供医師にかかり注射を受けた者の多くは、傷口が化膿した。
腫瘍が腫れ上がり体全体に広がり命を落とす者が続出した。
多くの者は、医療の知識もなく、ろくに消毒もせず注射をしようとする子供医師を恐れた。
彼らは、手術すら行うこともあったが、しかし、その実体は、人体実験に等しいものだった。


ここでの話
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1322257065/l50

 



原発もこういうことあったのでは、医者のくせに専門医あれば自分の専門科じゃないと患者が死んでも構わないってことになってるんだよね


原発を作るのにもこれは総合的なものだけいろんな分野の専門家がかかわっていたけどその専門家同士で意志疎通できない、他の科だったら責任もたない、これも官僚的役所的になっていた
これは現代はどこでもそうじゃないか、私の担当の部門ではありません、別な部門に文句を言ってください、・・・・これで責任逃れになるよな

医者は船長さんのようなものなのね。
 
船に乗ったら船長の権限は絶対。
外でいくら地位があろうと年が上であろうとそれがどこでも通じると思っている方が間違い


原発を一旦作ったら安全神話が作られる、誰も安全ではないと言わせない、その船長は誰なの?
政府も東電も一体化して安全神話を作っていた、原発は本当は危険なものでありあぶなかしいものであってもあえて運転していた。カンボジアの子供医師の例はひどすぎるけど周辺住民の配慮がなかった。福島県民は放射能のモルモットだよとか、そんなふうにみている人もいる。

医療は必ずミスあるんだよな、子供の時、足に注視したのが化膿してあとで傷口が拡大化してしまった。女性だったらショック的なことだよな、医療ミスはほとんど交通事故のように頻繁にあるものなんだよ

原発事故はあったら致命的だったけどさ、医療とにていたんだよ、もっと危険に敏感になるべきだった、相手がいつ死ぬかわからないしそれで責任をとらされることをどれだけ真剣に考えていたのか?
誰も真剣に考えていない、ただ安全神話を作り仲間うちで安心していた、でも不可避的に事故は起きるものなんだよ、一旦事故が起きたらとりかえしがつかない、原発の場合その被害が大きすぎたんだよ、それは最初からわかっていたことだけど医者のように日常的に危機に対処していなかった

それが危機意識をもてなかったのかもな、それより地震と津波の想定があまりにもあますぎたのだろう、これだけ危険なものに対して危機意識が欠如していたんだよ・・・周辺の住民だって医者に文句言えないように何も言えないようにされていたからな・・・・不安だって手術してもらわぺはならないことがあるからな・・・金をくれればいいと危険に対して眼をつぶってしまったんだよ


今は何をするにも様々なパ-ト、専門の集まりだとすると「私の部門は他の部門はわかりません、責任もちません」これがいいわけになり誰も責任もたない、原発には船長がいたの、首相が船長だったの?東電の社長が船長だったの?それだって責任が明確ではない、福島県の知事はプルサ-マルを反対して追求していたけどそれがもとで検察もかかわってやめさせられた、これって誰の責任なの?

 

プリニウスの博物誌より(古代のいざない)より

鉄は人を殺すことに関係があり、深い疑惑の眼で見られていた金属である。
「飛ぶ鉄」は矢は文明化された国民にとって無価値な野蛮な発明だと遠慮会釈鳴く避難されている。
鉄を無害なものにしようと農業の目的にのみ鉄を使用すべしというのが諸王放逐後、ボルセナがロ-マ国民に対して認めた協定に含まれていた。

協定まで決めていたのだからいかに鉄が危険なものか、殺戮にたいして危険なものかロ-マ人はわかっていた。農業のみに限定した平和利用を望んでいた。しかし戦争に用いられた。

原子力もそうである。放射能も鉄と同じ運命になった。人類にとって最も放射能の発見は危険なものだったのである。


どの医者もそれぞれに異を唱えなければ、他の診察が優れていることを認めているように思われるだろうとおそれるのである。またこのことから記念碑に「わたしを殺したのは一群の医者だ」
というような、縁起でもない銘が刻まれるようになるのだ。医学は日々変わり、後からと一新する
。そしてわれわれはギリシャの賢い頭脳の息吹きにあちこちと吹き飛ばされる
そのものもは直ちにわれわれの生死に対して至上の支配権を掌握するということは明らかだ。
まるで幾千という人々は医者がなくては命がないように・・・
ところが昔から薬があってロ-マ人は600年以上それでやってきたのだ。もっとも彼らは科学や技術を歓迎して実際医術に対して貪欲であっ
た。そのためにそれによってひどい目にあって、今度はそれを非難するようになったのだが・・


この文は現代のことではないか? 2ちゃんねるの
40代中堅専門医はプライド高く助言断るから誤診が多いの指摘
まさにこれと同じである。ロ-マは現代の文明の水準に達していた?


医学は日々変わり、後からと一新する
。そしてわれわれはギリシャの賢い頭脳の息吹きにあちこちと吹き飛ばされる


これも現代と変わりない、ギリシャの賢い頭脳とはヨ-ロッパとかアメリカである。明治維新後そうなっていた。「昔から薬があってロ-マ人は600年以上それでやってきたのだ。」これは漢方薬のことであり日本と同じではないか?日本人は科学や技術に本当に貪欲だった。そのために医療でも原発でもひどい目にあって非難するようになった。これは明かに現代のことである。ロ-マ時代にすでに現代が予告されていたのである。鉄が危険なこと知っていて制限しようとしたができなかった。放射能も同じである。科学と技術は制限できない、人々がその効能を求めているからだ。科学と技術の問題はロ-マ時代からのテ-マになっていたのだ。それは現代も同じだった。歴史はくりかえしただけだとなる。特別現代に起こったことではなかった。そこに歴史を研究する意味がある。ロ-マ時代が現代に結びつき日本と結びついていたのである。



 

posted by 老鶯 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年11月28日

橋下氏の勝利は何を意味しているのか (閉塞感から大衆は独裁者を求める)


橋下氏の勝利は何を意味しているのか

(閉塞感から大衆は独裁者を求める)

 


単純な大上段はつねに単純な人間を感動させるものだ
「資本主義」が悪いということが同時に資本家階級という具体的で生身の敵
または悪の権化を引っ張りだしたのである、ここに主体的な目標が生まれた。
すなわち、資本家打倒である


資本主義打倒ではそれほど熱意を示さなかった、打倒すべき対象に大資本家の一族や
ロシア皇帝の一家がいることに意味があった

自分の不適応を他人のせいだとして責任を転嫁する
(幻想としての文明-栗本慎一郎)


資本主義打倒とかいっても大衆は理解しない、資本主義が何かさえわからない、資本主義は今や一様には解釈できない、世界的自由な物の交換を可能にする、市場化するということでありマックスウエパ-のキリスト教から発したとか神の奉仕の勤勉な労働とは違っている。それはグロ-バル経済ではない、狭い範囲で行われたものである。そのグロ-バルな市場経済、金融経済が崩壊するのである。

今回の橋下氏の大阪市長選の勝利もこれだったのである。「公務員が悪い、公務員だけが得ししている、公務員が元凶だ、公務員を減らし給料を減らせば問題は解決する
これは小泉首相の手法とにている。郵政改革が第一である。それさえやれば事態は変わる、反対する奴は血祭りにあげる。こういうわかりやすいことが大衆の指示を受ける。特に今日のように閉塞化して改善が簡単にできないとき何か救世主のように一挙に問題を解決してくれる人が出てくることを大衆は待望する。その時むずかしいことを言ってもついてこない、民主党だって別に何か特別なことをしようとしたわけではない、「政権交代」という目標だけで大衆の指示を受けたのである。そのあとのことなど考えない、世界でもエジプトでもギリシャでもアメリカでもデモしているけど政権を打倒したあとのことはわからないからそのあとが混迷することになる。

今の状態はまさに独裁者を大衆は望んでいる。こういうときナチスのようにファシズムが起こりやすい。ナチスでも具体的な敵としてユダヤ人を設定した。橋下が救世主のように輝いて見える。あの人ならやってくれる、何か期待だけが独裁者に集中する、それが人間心理なのである。ともかく何かいい解決策がない、すると一人の人間のわかりやすい訴えが理不尽でも過激でも通ってくる。

カルト宗教なんかもそうである。「不満があるならの願いをかなうためには題目をあげつづけるんだよ、お前は信心が弱いからなんだよ、題目をあげつづけることだ」
「そういうことか、わかりやすい、信心がないからすべてが解決しない、これから一日題目あげていよう、そのうち解決する・・・」
こうして狂ったように題目を一日あげつづけている人がカルト宗教団体である。そのうち敵を作り出して誰々が悪いとかなると題目は怨念となりますます感情的になり集団的ヒステリ-となり一個人でも攻撃されるから恐怖になる。中国でも不満が日本に向けられたけど日本をそんなに批判しても国内の矛盾や問題は解決しないのである。

公務員とか在日とかを敵として攻撃する。すると日頃鬱憤をもっていた大衆はのりやすいのである。別に自分は公務員を擁護したりするものではない、不満な一人である。公務員が攻撃されるのは結局全体のパイが少なくなったからである。そのパイの半分を公務員が食べてあとの半分はその他の人々で分け合うとなると公務員だけがおいしい思いをして俺たちはなんなんだと不満が大きくなるのだ。公務員は今になると恵まれた存在になってしまった。全体の経済が低下した結果そうなったのである。でも全体の経済が高度成長のような時代だったら公務員はこんなに攻撃されなかった。みんな上昇しているのだからならない、今や格差社会でありそのはけ口をどこにもっていいかわからない,その時具体的に公務員が悪い、公務員がすべての元凶だとか具体的に攻撃すると大衆はわかりやすいのである。ユダヤ人を攻撃したのと同じである。それも一理あって改革が必要でもそれだけでは根本的に解決しない、パイが大きかったのに小さくなったのを分け合うのだからそもそもみんなを満足させることはできなくなったのである。

次の選挙では民主党に絶望した人達が橋下が率いる維新党に期待して投票するかもしれない、それが民意だとなる。自分でも民主党には本当に絶望した。特に福島県は民主党の巣窟であり渡部恒三とか原発を積極的に推進したのでありその子分が議員になっている。自民党はいなくなった。民主党は次の選挙では消えるかもしれない、維新党とかになだれ現象が起きてくるかもしれない、こういう閉塞した状態ではなりやすいのである。自民党などももう期待はできないしまた新しいものを大衆は求めるからである。

でも根本的な解決があるのだろうかと考えると何かいい方策は実際はない、アメリカのオバマ大統領も国民の不満が高まっているからTPPをしかけたのである。そういう不満が全世界的にうずまいている。それで世界的大変動の時代になってゆく、そういう大きな時代の分かれ目にきている。日本はそういう大変動の影響をもろにうける立場にある。大津波の被害もそれと連動していたのである。日本は大阪だけではない日本自体が国難の時なのである。それで一時的には橋下氏のような人が脚光をあびるが果たしてそれでみな解決するというわけにはいかない、そしてさらなら失望があり絶望になりまた激動になってくる。そういう予測できない時代になったということである。

いろいろな本を集めていたが今読み返してみると理解できる。読書がともかくただ読んでいるだけではだめである。要点をつかみ自分なりに解釈したとき活きてくるのだ。その本の要点をつかむことが大事なのである。その要点をつかんで自分なりに解釈して再構成-編集することが読書を活かす術だったのである。

posted by 老鶯 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層