2011年11月11日

医者の傲慢の危険 (人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる)


医者の傲慢の危険

人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる

> つまり金持ちが優遇、優先されるということか
> 外国での臓器移植も割り込むために大金がいるみたいだしな


日本だって、謝礼さえ出さないような無礼な患者は
練習のための稽古台に過ぎん。モルモット扱いが当たり前。

コネがないなら、金を出せ。



こういう医者が現実にいることが怖い。自分もモルモットにされた。研修医に治療してもらってそれがミスしたことはまちがいない。管の交換だったけど小便でなくて三回も死に目にあった。タクシ-で行ったり一回は真夜中で救急車を呼んだ。小便でないと人間死ぬことある。研修医の明かにミスだった。一回は開業医が偶然まだやっていたので管を交換してもらい助かった。原町ではその時週に何回かしかやっていないかった。もしそこでやってもらわないと大変なことになった。その頃この辺は原発事故で医療崩壊していたからだ。福島市の方まで搬送された人もいた。明かな研修医のミスだったけど文句も言えないのが病院だった。病院には医者には本当に文句も言えない、あとあと怖いということがある。この辺はそもそも医者を選ぶことができない、病院はもう限られている。そしたら何か文句言って断られたら死んでしまう。現実救急医療を断られたのだからそうなる。研修医でもそういうとき患者にわびてもいいような気がする。そういうことをしないと医者の卵の時代から人間に対して傲慢になる。患者は単なるモルモットにすぎないとなってしまう怖さがある。この人は確かにそういう医者だった。そういうふうに育てられた医者は患者にとって怖い。もちろん医者にもミスはある。そのミスをとりたてて患者が追求するとは限らない、問題はこうした傲慢な態度で患者に治療する医者がいたら患者もなんなんだ、この医者はと思う。それは技術以前の問題だろう。医者には人格的におかしな人間がいるというとき謙虚さがたりない、傲慢な人が多いということである。


医者だけではない、人間はその職業によって傲慢になってしまうものがある。地位でもそうである。医者などはそうなりやすい職業である。お医者様でありいつも礼を言われている。それは命に直結しているからそうなる。だから手術でも良くしてもらいたいから謝礼に金を払うということもある。この世の中弱い人間は自分をふくめつくづくお礼ばかりしていなければならいなことがわかった。
ちょっとした手違いだ致命的な傷を受けることもあるし死ぬことだってある。そういう職業だとするとき研修医の失敗でもそれが死につながることだってあるんだよと指導すべきなのである。ともかく病院の問題でもあるから研修医には謝らせない、それが医者は多少ミスしてもいいという安易な考えになってしまうかもしれない、必ず病院がミスしても守ってくれるという考えになる。人間は医者でも科学者でも官僚でも会社の社長でも上に立つ地位があると権力をもつと傲慢になる。医者は病院は大きな権力をもっているのだ。患者は弱い立場である。すると医者に謙虚さがなくなってしまうのである。科学者もまた傲慢になる。原発事故でわかったように謙虚さがない、東電では莫大な金で官僚だろうがマスコミだろうがおさえることができる、思いのままにできると思い上がったことが大きなミスした原因でもあった。人間はまたかえって優秀な人が謙虚さをなくしてしまう。有能なできる人間はどうしても有能でない人間を馬鹿にする傾向がある。才能に奢り美貌に奢りとか男女でもいろいろ奢りがあり謙虚さを失う時、そこに危険が生じる。

神は人間の傲慢さを許さない、人間の奢りを神は厳しく罰してきた。人間は英雄的な有能な人間を神の使いとして選ばなかったのは人間は傲慢になるからだ。何も自分はもっていない、有能さもないという人を選んだのである。

何も誇ることがないという人を選んだのである。つくづく人間は何に誇っても無力をしらされる。あれだけ健康で優秀だった人間が認知症になりすべてが崩壊したことに驚いた。そのことをまじかに見たので書いてきた。人間がいかに体が強いとか言ってもそれも必ず最期は崩れてしまう。必ず病気になってしまう。いかに頭がいいと言っても認知症になったりしてこれも全く頭脳が崩壊して痴呆になるというほど驚いたことがない、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも認知症になったからでてある。人間はそれだけ優れた人でも最期は弱い人になってしまう。だから聖書では自分でやったということを言わせない、神が成したものとして神をたたえていた。自分がやったとか言うときそれは非常に怖いことになるか。激しい神の怒りをかったのである。原発事故も人間の科学者などはじめあらゆる上に立つ人の奢りの結果として事故が起きたともいえる。ともかく医者とか上に立ち権力をもつと人は奢り高ぶる。その奢り高ぶることが必ず神の怒りをかうのである。


ただ奢(おご)るにも奢れない人はいる。そういう人はそもそも謙虚になるというよりおごりうるものがないのである。自分なんかも全く体力もないし才能もないからそうであった。だから天才はキリスト信者になれないというとき天才は余りに天分にめぐまれすぎているのだ。だからニ-チェのように自分が神だとなってゆく。キリストに従うことができない、そういう人が天才でなくても一番医者はなりやすい、医者には謙虚な人が少ないというのはそのためだろう。そういうふうに回りからされていることもある。医者が全能の神のように何でも直せるならいい、実際は直せない、そういう点やはり謙虚になるべきなのである。原発事故の原因も奢りがあった。謙虚さを失っていった。学者が千年前の津波のことを忠告したときも東電では聞かなかった。いろいろな面で忠告しても聞かなかった。事故など起こらないと思っていたし危険を隠していたのである。また隠す権力ももっていたのである。そういうことは医療の分野でも常に起きている。ミスは人間につきものであるのは人間が万能ではないからである。そういうことで謙虚にならなければなちないのだが人間は必ず傲慢になるのだ。そして大きなミスを犯す。それが原発事故でもあったのだ。人間の奢りに対して神は恐ろしい罰を与える放射能などの問題もそうである。ミスしたら住めなくなったり遺伝子が破壊されたりと本当に放射能の恐ろしさを知った。それは核を破壊したりするなんても科学で操作することへの人間に対する恐ろしい罰だったのである。


 

2011年11月12日

相馬六万石の城下町(フランスの詩と自分の詩の比較)

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相馬六万石の城下町

相馬六万石の城下町
城も見えずに残る濁る堀
狭き門一ついづこが城や
その名残も知れじ


街中に菊畑映えて
塀の内に柿のなる
昔の武士の屋敷にあらじ
通りをゆく人あわれ秋の暮


街のはし橋一つものさび古りて
塩地蔵常にしありしも
我がここを行き来して
病院に枯木三本堅く立ちしも


田町は昔栄えし所
柳長々と垂れしかも
相馬駒焼き代々の主
無愛想にいぶせく棲みぬ


城下町曲がれる路次の多しも
残る虫の音なお聞こゆ
晩菊の静かに日のあたり
古本屋により書を読みぬ


誰が眠る街中の墓所の静けく
相馬藩代々つづきぬ菩提かな
野馬追いに受け継ぐ
武士の勲し誉れ蘇りぬれ


相馬六万石の城下町
日頃知られぬ街なりき
この街訪ねる人もまれなりき
駅前に落葉してひそまりぬ


街を離れて昔の街道行けば
松並木に昔を偲びぬ
刈田の道も静かに農家かな
昔郷士や伝来の旗を蔵しぬ


城下町誰か棲みぬれ
畳屋の灯ともり仕事かな
野馬追いの今もつづけば
鎧師のなお技伝えぬ


月曇り六万石の城下町
鈍き銀色の雲の棚引き
華やかな栄のなしも
月影のもれし屋並かな


墨絵の色の地味な街
質素なる暮らしの昔かな
四方に田野の広がりて
城はつつましく暮れにけり

 



仏蘭西の小都会
            アンリイ・ド・レニエェ


起き出て我朝に街を出ずれば
道の敷石に足音高くひびきて
太陽の若き光は古びたる甍を暖め
Lirasの花は家々の狭き庭に咲く


人の歩みに先(さきだ)ちて足音の反響は
梢にそびるゆる苔の土塀の長きに伝わり
磨り減りし敷石は白き砂道に連なり
場末の町より野辺に走れり

やがて険しく上る山道より
日に照らされて丘のふもとに
悄然として狭く貧しく静かなる我が生まれし街の
見慣たる懐かしき屋根の見ゆるかな

長々と彼処に我が街は横たわる。流るる河ありて
その水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ
散歩の道に茂りし木立は街にそびゆる
鐘撞堂の石と共に古びたり


うららうに澄み渡りて狭霧なき空気に
我が街は太き響きを我に送りくる
洗濯屋の杵と鍛冶屋の槌の音
打ち騒ぐ幼子の甲高くやさしき声


変わりなきわが街の浮世に思い出もあらず
繁華光栄の美麗もなくて
わが街はいつの世までも
今見るごとく小さき都にあらむ


我が街は耕せし野辺,高原、荒れし野に
又は牧場の間に立つ数ある街の一つなれば
何れとわかぬ小さきフランスの街の名に
旅する人はわが街の名さへ知らで過ぎぬべし


しかれども朝より夕べに移る徒然歩きの
長き思ひの一日は過ぎて
麦の畠のかなたに日はかくれ
林に通う細道暮れそめて


物のあいろもわかぬ夜
歩む足音険しき道にとどろきて
堰越す水音はるかに聞こえ
吹く風運河の木立に騒ぐ時


つかれて我は帰りくる街近く
ふと仰ぐ辺りの家の窓
帳さへなきガラス越し、ランプの壺に
石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば


杖にて探る夜の道、自ずと足も急がれて
われ思ひしる、我が墳墓の国土
懐かしき眼に闇の内よりいとも優しく
我が手をとりて引くがごとしと



外国は日本と全く違ったものと思う人もいる。でも外国を旅していると人間の住んでいる所は必ず共通性がある。ギリシャでもあそこは特に風土が地形が日本とにていたから親しみがあった。菜の花が一面に咲いていたのを見たとき、これは日本と同じじゃないかとつくづく思った。ギリシャは日本の地形と本当ににていたのである。ヨ-ロッパはフランスやドイツは山がほとんどないから地形的にはにていない、でも歴史的にはにていたのである。特に封建時代があり中世は城の時代でありにている。各地に領主がいて支配していたし騎士は日本の侍とにている。封建時代があるのはヨ-ロッパと日本だけである。中国にはない、巨大な帝国はあっても地方に領主がいて城で支配していたという歴史がない。今でも廃墟になった小さい城の跡が多いから日本とにているのだ。そして中世の時代は長かった。日本の城下町と中世の街もにているところがある。いかに古い石畳の路次がありそこを踏み歩むと歴史を感じるのである。そこはまさに日本の城下町でもあった。ただ石造りということが違っていた。石畳の道は中世からつづいている道である。その路次には聖人の像などが祭られていたりするが日本では地蔵になったりする。


磨り減りし敷石・・・というのはまさにそうである。流るる河ありてその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・ここは日本とは違っている。河が大陸では運河のうよになっている。流れているか流れていないのかわからない、自然の河のようには見えないのである。だからその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・というのはうまい表現である。日本の河は絶えず流れて滝だと外国人が言ったが外国の河はまさに眠っているという表現がぴったりである。そして橋はいかにも古い石の橋でありそれは街と連結していて街の一部のうようになっている。この辺は違っていてもこの詩は全体的に自分の作った詩とにていると思った。ランプの壺に石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば・・・これは日本では江戸時代なら行灯だった。江戸時代の風情は城下町に多少残っている。相馬市がなぜいつも行くとしんみりするのかというと高い建物が街の中にほとんどないからである。それは昔の江戸時代の街並みと同じである。江戸時代に高いビルはない、だからこそ「月天心貧しき街を通りけり-蕪村」これが現代のように高層ビルだったら月も映えないのである。江戸時代の江戸でも高いビルはないのだから自然が太陽でも月でも映えるのである。そこが昔を錯覚する。高いビルは情緒を壊すのである。外国でも旧市街と新市街は分かれている。旧市街は歴史地区であり歴史を偲べるのである。

いづれにしろ相馬市をたずねても何もないと旅人は感じる。それはこの詩と同じである。しかし城下町だからそれなりに歴史がある。相馬市はまだ野馬追いがあるから他よりはいい、ここが野馬追い発祥の地として自覚するからだ。ただ城もないしここが一体どこが城下町なのかとなる、武家屋敷もない、最近堀の跡が発見されたとか残っているのはあの濁った堀くらいなのである。そうすると他からここにきて昔を偲ぶということはなかなかむずかしい。一般的に昔を偲ぶということはむずかしいのである。現代のものだけが目に入りやすいからだ。でも相馬六万石でも城下町の歴史はあったのだから他とは違っている。原町とは違っている。細い路次が多いのもそのためである。田町は昔繁栄して馬屋などが並び漢詩にも残された。そういう残されたものからも昔を偲ぶことはできる。風景は変わっても回りは田んぼだからそんなに変わってもいないからだ。ともかく自分の作った詩とこの詩はにている。やはり人間はどこに住んでも人間である限り共通性が必ずでてくるものだと思った。エジプトなんかはなかなか現代からすでに理解しにくい、でもギリシャなどは理解しやすいのである。


江戸時代は墨絵の世界だった。着ているもの地味だったというし侍でも質素であり派手な暮らしをしてしいない、今ほど派手な暮らしをしている時はないのだ。現代は余りにも社会が変わりすぎてしまった。車社会というのも情緒を破壊した。TPPにしても車社会と関係している。車社会になったとき街の商店街は消失したし様々な古いものが破壊されたのである。そして財界がTPPを押し進めるのは自動車を売りたいとかのためでありその圧力が大きいのである。農家の人でも名古屋辺りでは車の生産に関係しているのだ。下請けになっていたりする。車の方が売りたいから農業は二の次にされる。車を売らなければ豊かな生活はできない、農業ではできないということでそうなっているのであり
車社会がそうしていることが根底にあることを見ないと事の深層はわからないのである。車社会が必然的に街の通りと商店街を破壊して農業も破壊してゆくということがあるのだ。車を売ってその税金で国が農家に補償しているということもある。そういうジレンマが常に現代にはあるのだ。


ともかくヨ-ロッパは日本と意外とにている。中国辺りだと大きすぎてとらえどころがない、封建社会もなかったから歴史的にもにていないのである。確かに漢字は共通でも社会自体はにていないのである。スケ-ルが大きすぎるとわかりにくくなるのだ。距離の感覚でも何でも日本とはかなり違っているのだ。ヨ-ロッパの中世は感覚的にわかりやすいのである。教会もカトリックだと日本の寺とにている。役所の一部でもあった。日本でも戸籍係のような役目を寺が果たしていたのである。寺の権力も結構大きかった。ヨ-ロッパの方が大きかったにしろにている。ただ外国でも昔を知ることはむずかしい。外国人でも日本に来たら東京辺りだとほとんど昔を偲べない、偲ぶものがない、皇居だって城がないのだから偲べないのである。やはり何か遺跡として残っていないと外国は特に昔を偲ぶことはむずかしいのである。

 
           

2011年11月14日

晩菊-冬薔薇(老人を移住させるのは過酷)


晩菊-冬薔薇(老人を移住させるのは過酷)

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晩菊の色それぞれに定まりぬ


雨ぬれて晩菊静か石二つ


晩菊の墓所の近くにあまた咲く


黄色なる通り映える朝の菊


二三輪残り咲きひそか冬薔薇

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秋薔薇と冬薔薇となるとまた違っている。その変化の中に詩がある。晩菊は冬になっても晩菊であり冬菊となるのは寒くならないと感じが出ない。俳句は季語に左右される芸術なのだ。秋薔薇であればすでにそれでイメ-ジされるものがある。冬薔薇もそうである。でも俳句は短いからこれだけでは芸術として完成していない、「二三輪残り咲きにし冬薔薇」としてもこれがどこで詩なのかとなる。
俳句を外国語に翻訳するととても詩として理解不可能である。季語の理解がないからである。
英語に訳したら冬に薔薇が二三輪咲いているというだけになるからだ。そんなことが詩にはらない。季語の理解があって俳句になっていることが外人にはわかりにくいのである。

この冬薔薇は作られた背景を読まない限り何の意味ももたない、日本語でもわからない、写生にはそういうことが多々ある。この辺の事情を知らないと理解できない、つまりこの辺では原発事故で故郷に住めなくなった人が大勢いることを知らないと理解できない、特に原発事故は老人に過酷だった。慣れ親しんだ所に住めなくなるのは老人にとっては一番過酷なことだった。それで浪江の請戸から避難した83才の老人が小屋でも建てて住みたいとか言っていた。全部壊滅した所に戻りたいという。それだけ老人はすでに一生住んだ場所に思い入れが強いのである。だから老人が移住することは一番過酷なことだった。


秋薔薇も冬薔薇も老人をイメ-ジするけど冬薔薇は特にそうである。長年住んだ場所に留まり冬薔薇のようになる。そこにひっそりと最期のときを迎える。そう願うというか人間は自然とそうなってしまうのである。放射能は老人に影響は少ないとしたとき老人だけでも住めるようにしたらいいと思う。若い人がいないとむずかしいということもある。結局若い人にとっても特に子供にも原発事故は暗い未来を与えてしまったのである。そもそも子供にしてもこういう放射能汚染地帯に住みたくないとなってしまった。それはすでにここに未来がなくなってしまった。未来の希望がなくなってしまった。そういう残酷さを原発事故はもたらしたのである。老人は未来より過去であり長くいたところに留まりたいというのが人情である。チェルノブエリでもロシアは広いから移住させた。日本では土地が狭いからできないし代々住んでいた所に住みたいという気持ちが強い。原発はロシアやアメリカでも中国でも広い所だったら別な移住先が用意できるから良かった。日本には地震や津波や土地が狭いなど風土的にも向いていなかったのである。風土的なものをもっと考慮すべきだったのである。

 
 
 

2011年11月15日

TPP問題をヨ-ロッパの歴史からふりかえる


TPP問題をヨ-ロッパの歴史からふりかえる


●ヨ-ロッパでは教会と領主の支配から脱することが商人によって行われた


ヨ-ロッパの歴史は宗教がわからないとその本質が見えない。今世界中が資本主義になっているというときそれも宗教がキリスト教が基になっていたということでもわかる。修道院の中で節約、勤勉が神の奉仕となり資本の蓄積が奨励されて資本主義が生まれた。それも宗教の改革、フロテスタンとから起こった。カトリックの支配が隅々まで行われていたとき、それを改革することは至難だったのである。教会が人口200人に一つあった。3000人ほどで15の教会があった。一つ一つが教区であり行政区でもあり日常の生活に深くかかわっていた。この教区に属さないで生活はできない。日本だと檀家に入らないと生活できないのとにていた。江戸時代とヨ-ロッパの中世はにているから意外と理解しやすいのだが宗教に関しては理解しにくいのだ。でもこの宗教の理解なくしてヨ-ロッパの歴史は理解できない。


一面これだけ宗教が重要な役割を果たしたとき、その宗教の軛から脱することがヨ-ロッパの歴史にもなった。封建領主もカトリック教会が10分の一税をとり税金や土地を所有するので利害的に権力的に対立した。日本では寺が幕府の従属機関となったがヨ-ロッパは従属させる権力を有していたのである。日本でも信長が比叡山を焼き討ちしたように宗教団体と対立した歴史があった。ヨ-ロッパでも同じような歴史があった。ただ宗教の力が強いのでできなかった。ルタ-の宗教改革のときルタ-が領主にかくまわれたことでもわかる。領主とカトリック教会は対立していたのである。それから宗教と対立していたのは商人たちでもあった。教会はやはり商人から税金をとるからそうなる。それは領主でも同じである。税金をとることは民を支配することに通じている。だから商人は税金をとられないように様々な運動をするようになる。

それは封建領主にも税金をとられないように同盟を結ぶ。それで有名なのがハンザ同盟だった。河や海でも通行税を領主からとられていたがそれでは商売にならないと税金を払わないように商人同盟を結んだ。それが国を超えて結ばれた同盟だった。ヨ-ロッパでは河は運河であり物資の運搬が盛んになり商人が活躍して富を貯えて都市が成長したのである。

そこが日本とは違っていた。ただ幕末になると西では豪商が生まれて各地の藩が財政に逼迫するようになり豪商から借金するようになったことは共通点がある。明治維新の後ろだけになったのが西の豪商がいたということもある。ただヨ-ロッパのように商人の外国人も交えたハンザ同盟やギルドの強固な組合は生まれなかった。このハンザ同盟とか職人のギルドは当時のグロ-バルな組織であった。事実は石工のフリ-メイソンが有名である。そしてこのフリ-メイソンに指導者が支配されて世界が動いているというとき中世からそういうことは起きていたのであある。前の鳩山首相はフリ-メイソンだったといわれるのもそのためである。


●人間の移動は戦争にも通じていた


最近国とは何なのだろうと考えることが多い。経済がグロ-バル化したとき一体国とは何なのだろうと思う。そういうことはすでに中世にその萌芽があり国を越えたものが商人や職人により志向されていたのである。現代のグロ-バル化とかTPP問題もそういう歴史的な発展として見る必要もでてくる。人間は今日の問題が突然起こってきているのではない、過去の歴史の延長として現代の問題が起きているのだ。だから何事歴史的にふりえる必要がでてくる。封建時代は領土の拡張が第一の過大になる。領土を拡張すれば農民から税金をとれる。農業国家は領土拡張が常に課題となり戦争となっていた。

日本でも人口増加を補うには土地が必要であったので絶えず開墾が行われた。それが海側に干拓して白砂青松の独特の日本的風景を作ってきた。そして土地がなくなったとき遂に外国に領土を広げようとして満州に進出したのである。土地があって農業ができるからだ。満州では米まで作ろうとしていた。あれだけ寒い所だから米作りには向いていなくても農民国家だったからそうなった。農民は土地がなくては成り立たないからである。人間は人口増加や気候の変化や何か変動するとき人が大挙移動するとき社会が変わる、人が大挙した移動は戦争にもなる。ゲルマン人の移動とかもそうである。人口が増加して増加した人口が移動によって吐き出されるということがある。移民はみなそうである。アメリカへの移民がその典型だった。人間の歴史がはじまって以来常に人は移動して新しい定住の地を求めていたのである。


 「カイサルの植民政策におけるもう一つの注目すべき点はローマの無産市民8万人を海外に送り出したことである」(『ローマ帝国の国家と社会』、P.19)


十字軍も失業対策であった。東方の貿易を求めた軍事遠征でもあった。グロ-バル化というときこの時代からあった。人もグロ-バルに移動するし物も移動するのである。日本に無産化階級の労働者が中国人や韓国人なども流入してくるのとにている。やはり人口増加の圧力がそうさせる面があった。TPPで人も流入しやすくなるというとき大量の労働者が日本に入ってきて日本人の労働を奪うという恐れを感じるのは当然だとなる。日本は規制が厳しくまだまだ人は入りにくいからである。その規制がなくなったとき無産化階級は入りやすくなる。


現代の国家とは何なのかというときヨ-ロッパの歴史ではカトリックや封建領主が商人の活動でその地位と権力を奪われた。そして商人が貿易が経済が社会を動かすようになった。ただその当時の貿易には農産物は貿易の主要品目ではない、毛織物とか織物関係が一番多い。香料とかも多い。そもそも貨幣は貝だったように装飾品とか贅沢品として貨幣が生まれた。遠隔地貿易ではそうなる。貿易はすべて対等ではない、アメリカでは金と塩が等価だったり貿易はその時代によって価値が違ったものとなる。


●国家とは企業である


TPPは第二開国だというとき歴史上、農産物まで自由化したことはないだろう。例えば米が自由化して地方で米を作らなかったらどうなるのだろうか?そういうことは想像すらできないことである。
そういうことが原発事故でこの辺で起きていることなのだ。田んぼも畑も荒地と化した。これは何なのだろうとつくづく思う。こんな荒れた土地にいても食糧を生産していなくても生活できている。それは交通が発達しているからどこからでも食糧か入ってくるかできる。でも一時この辺は放射能が怖いと食糧すら入らなくなっていたのだ。他から放射能が怖いと物資を運ぶ人がいなくなった。ガソリンもなくて車が入らず食糧が入ってこなくなった。その時古米が配給されて自分も10日間くらいそれでしのぐことができたのである。つまり緊急の場合、食糧は日本すら入ってこなくなる。ましてや外国だったら余計に入ってこなくなる。放射能が怖いというだけで入ったたなかったし外国人は放射能が怖くて中国人まで脱出した。実際はこの辺はそんなに高い放射線量ではなかった。でも風評被害だけでも食糧が入ってこなくなったのである。風評被害だけでも食糧が入らないとしたら外国だったらましてや食糧は全く入らなくなる。だから農産物まで自由化することはいかに危険なものかわかる。その時金と塩を交換したように食糧は外国から買ったら馬鹿高くなるし国自体存亡の危機になることは確実である。


ただヨ-ロッパの歴史をふりかえるとき人間の活動は宗教とか領主とかの支配から脱するものとして作られてきた。だから現代のようにすでに国家とは何なのかと問うとき、国家とは企業であり会社であり東電でもあった。封建領主時代だったら国とは農業を主体としたものである。しかし現代の農業の割合は一割とか極端に経済にしめる割合が低下した。企業が国家であり貿易を拡大化するには関税を撤廃するTPPがいいとなってしまう。国家は今や政治家が動かしているのではない、商人や職人の国際的ギルドが国の代わりになったように現実に会社が国家と化しているのだ。つくづく原発事故で東電が国家だったということが明確になった。東電に官僚が50人も天下りしていたことでもわかる。東電に国家の役人が雇われ支配されていたのである。政治家も東電の僕(しもべ)にすぎなかったのである。マスコミなども宣伝費を企業からすべてもらっているのだから企業よりになりTPP推進派になる。東電のとき東電から宣伝費をもらっているから原発を批判したマスコミはほとんどなかった。今は全部批判しているけど一社もなかったのである。農民を指示しても農民からは宣伝費は入らないからそうなる。宣伝費を払うのは企業であり会社だからマスコミは企業側につくのである。

国家がなぜ原発事故を監視して制御できなかったのか?それは東電が国家より強大になり実質上国家になっていたからである。国益とは何なのか?それは企業の利益のことになってしまう。強大化する企業の力を国が制御することはできない、それは世界的にグロ-バル化経済になったとき起こっていたのである。グロ-バル化経済ではハンザ同盟が国より力をもち貿易を自由に行ったのとにている。一面そういうことはグロ-バル化にはさけられない宿命としてあった。しかしそのグロ-バル化の主導権をにぎるのはアメリカでありその背景に軍事力があるというときそれはロ-マとにていたのである。ロ-マの力は軍事力にあったからである。ただ一方で中国の力が大きくなっているときTPPは成り立たなくなる。中国なしでは今や世界経済は回らないからである。


 

ロシアに威嚇され

中国に恫喝され

アメリカに支配される

日本は戦後こうなった。中ソが対立している冷戦時代は中国も国力がないから目立たなかった。
アメリカとソ連の間で舵取りをしていれば良かったのである。今や三国の大国でかじとりをしなければならなくなったから米ソの冷戦時代より外交はむずかしくなったのだ。へたすると日本はこの三国の大国の間で戦争になるような危険もある。中国の台頭が脅威となっているのだ。この大国の狭間で日本はこれからも舵取りは困難を極める。


参考にした本-幻想都市物語(中世編)


この本はむずかしくない、わかりやすいかちらおすすめである。

posted by 老鶯 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2011年11月16日

冬薔薇(人間一番大事なのは信頼)


冬薔薇(人間一番大事なのは信頼)

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この石は津波でも動かなかった。庭の土台とともに残っていた。
海岸がすぐ側でありその衝撃が大きかった。それでも流されなかった。
実際はもっと大きく見えるものだった。とり方が悪かった。
もう一度行ってとってみよう,これは烏崎だった。


古池やなじみの鴨の今日も群る


庭の石残りて堅き冬日没る


冬薔薇松一本や介護かな


冬薔薇一人ささやき闇つつむ


今日は寒いから冬である。庭の石というとき、これは津波に流されないで残った巨大な一つの石だった。巨大だから流されなかった。石でも流されたのが多い。あの巨大な石でもやはり自然の石ではない、庭の石だったから人間化した石だった。だからその石を見るとき自然にあった石ではなく庭にあった石として記念として残るだろう。小さい石は流されて自然のような石になったのもあった。あの大きな石はどっしりと残っているからそうはならなかった。いづれにしろ石は石でも庭にあった石は明かに人間化した石である。だから堅いというとき、人間的に堅いとか誠実だったとかそういう象徴になるのが石なのである。人間の心がこめられた石になる。

冬薔薇の季節である。畑に一輪咲いていたのは誰も気づかない、松一本だけが見守っているようだ。その松とは自分のことにもなる。信頼する人は愛すべき人が一人でも残っていれば幸いである。その一人が見守っている。人間つくづく信頼ほど大事なことがなっかた。相手を信頼することがどれほど困難を極めていたか今頃になってわかった。結局自分は余りにも社会的経験がたりなかった。一面人間がいかに信頼できないものかを知らなかったのである。この世は人を簡単に信頼できるよな世の中ではなくなった。隙あらば相手をだましだしぬき泥棒は普通にいる。特に手伝いとかヘルパ-とか家の中で掃除してもらうだけでいかに大変なものか知った。

それは家のことがわかる。書類などが掃除してまぎれてしまったりなくなったりする。すると疑ったりする。家の中のことをいじられることはよほど信頼していないかぎりまかせられない、それを余りにも安易に考えていたのである。お人好しすぎたのである。都会だったら警戒するが田舎だから警戒しなかった。田舎ももはや都会並である。一方で人間が誰でも相手を信頼するというときそれこそ最高のことである。人と人が信頼することは本当に至難である。ただ信頼なくして何もできない、ともに仕事もできないとか商売もできないとかこの世のことは信頼なくして成り立たないのである。信頼するために証文やら法律やらなにやらすべてともに信頼させるためにに生まれものである。口では信頼できないから証書として文書と書くようになったのもそのためである。


ともかく今のニ-トなどは親がいるときはいいけどこれから大変なことになる。社会経験がないといろいろなことで困ったことになる。政治家でも会社に勤めていた人が非常に少ない、そのことは社会を身をもって体験していないのだ。政治家の二世とか松下政経塾とか政治家養成機関では社会経験にはならない。民主党でも自民党でもそういう社会経験を積んでいないから政治がうまくいかないのである。現実社会の厳しさを経験していないのである。


それにしてもここ5年間は自分は社会的経験を積んだ。遅きに失したが介護やら病気やら何やらと社会を経験を積んだ。病院のことなども良くしらないとひどいめにあう。どうも手術をしたい病院などもあるようである。それは収入のためもあるのか、経営のために収入のために手術をするということがある。それが病院の方針になっている所もある。どうも自分の場合、行くたびに今手術だと言われて準備してあわてた。自分にとって手術することは大変なことになる。介護する人もいないからである。

一方で先生が変わった薬で治して様子見ようという。だから手術したくないからその先生を指定してみてもらうようにした。そしたら当分手術しなくてすむ。まあ、癌ではないのだから手術してもさほど変わりないように思えるのだ。ただこれは素人判断だからわからない、素人判断も怖い場合がつくづくあった。早く医者にみてもらえばこんなことにはならなかった。そういうことは結構ある。早期発見が大事である。医者はもはやここでは選ぶことはできない、病院も選ぶことはできない、医療が最低限受けられるだけでいい、そんな所で住むのは損だともなる。でもどうにもならないのだ。

ともかく本格的な冬になる。仮設だと老人には厳しくなるだろう。そういう点はまだ楽である。

2011年11月17日

津波に残った庭の大石 (霊験を帯びた石となった)


津波に残った庭の大石

(霊験を帯びた石となった)


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津波に残る庭の石


津波にも残れる庭の石

堂々として動かざるかな

その石に土台のみ残りぬ

今北風鳴りてこの大石や

故郷に残りけるかも

その背(そびら)松二本も

前の港の跡に残りけり

人よ、この残れる石に祈れ

この石の津波にも残り

霊験を帯びたるを知れ

津波にも動かざるもの

不動なるものの力よ

この石に新たな力宿りぬ


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360度パノラマ

今回の津波によってのちのちに語られることが様々に生まれた。陸前高田市の奇跡の松もそうだった。゛何万本のうち一本だけ残ったということは本当に奇跡だった。この辺で残った松もそうだった。右田の松原にはいい松があった。松が太いのでいい松原だった。それで前に紹介した松は本当に悲壮な松となっていた。松の幹ははがれ枝は折れていてまるで激しい戦いを生き抜いた武将のようだった。その姿は凄まじいものだった。よくぞ残ったあっぱれといいようがない松だった。他にもどういうわけか二本並んで残っている松がこの辺では八沢浦とか右田とかにあるし烏崎にもあった。

そして烏崎に残ったこの石も記念碑的な石となった。石だってあの津波では流されたのが多いのだ。防潮堤も破壊されたし石だって流される。津波の力は本当にそら恐ろしいものだった。その津波にもちこたえてこの庭の大石は残った。この石の回りの石も忠実な従者のように残った。小さいから流されても不思議ではないがこの真ん中の大石とともに残ったのである。


石の配置は前に置く石があり脇に置く石がありと定められている。それがそのまま残っていた。この石は津波で一つの記念碑的石となった。何か霊験を帯びる石となった。残った松もそうである。自然のものでもこういうとき今までにない価値が帯びてくる。霊験を帯びてくる。もともと石や岩の霊験は動かないということ不動にあった。不動ということは回りのものに惑わされない、付和雷同しない象徴として石や岩があった。
それがますます津波にも耐えて動かなかったことで不動という価値を増した。新たに霊験が加わったのである。そういうところから一つの信仰も生まれてもくる。謂われがある自然物,石や岩や樹でも何かそういう霊験をあったのだが時間がたってわからなくなったのである。この石はまだ霊験が新しい。でも時間がたてば伝説的な石となってゆく。津波を記念する石となる。


ともかく津波の後遺症はまだまだ残り長びく、伝説が残るほどの惨事だった。冬となり北風が吹き津波の跡に土台と庭の石と松が残っている。その残ったものが風格を帯びて霊験が加わったのである。陸前高田市のように壊滅的打撃を受けた所では残った一本の松でも頼りにする、そういう悲惨な状態だからこそその一本の残った松は貴重であり拠り所となったのである。それはもはやただの松ではない、住民がそこに残るという願いがこめられていたのである。

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2011年11月18日

鮭上る(放射能が心配だ)


鮭上る(放射能が心配だ)


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本能の激しさ果つ鮭上る


鮭上る鴎鷺烏みな来る


鮭上るつきぬごちそう余裕かな


大内に残れる家や冬薔薇


冬の雲棚引き長く津波跡

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鮭上るは秋の季語だけど冬になっても鮭が上っている。自然の営みは凄いものがある。
同じ様な句を作っていた人がいた。今年は鮭が上るのが遅いらしい。新田川でも浪江の川でも上っている。浪江は有名だった。川がいいので鮭が多く上っていた。それが人がいないとどうなるのか?
川をどんどん上って産卵するのだろうか、そこでまた放射能の問題が出てくる。黒竜江では鮭の値段が落ちているという、回遊する魚で海に出たらまた黒竜江へ戻ってゆくからそうなる。風評被害だけどもこんなところまで放射能の影響がある。自然産卵の卵だったら浪江辺りだと相当に放射能に汚染されるだろう。そして水をかぎわけてまた産卵した川に戻ってくるとしたら水が川の水なかったら元の川に戻ってこないだろう。浪江町ではどうしているのかわからない、奇形の鮭が戻ってくるとおもしろおかしく話していた人がいたが卵などは影響されるから不安である。細胞分裂が盛んなときに放射線の影響をうけやすいからだ。

鮭がずいぶん死んでいた。鮭は北海道辺りでもヒグマが川でとって食べる。これも豪快である。鮭は大量にのぼるから餌がたりなくなることはない、知床辺りでも鮭の恵みで生きているということがある。アイヌが生きられたのも鮭の恵みだった。保存もできるし鮭の川で靴まで作っていた。鮭は大量に上るから鮭が主食ともなる。子供のときは塩鮭を喜んで食べていた。あの頃、鮭はごちそうだったのである。今は鮭はあまり食べない、川に上った鮭はまずい。とっても食べる人は少ない。売っているのは海でとった鮭である。鮭はやはり味噌づけがうまい。鮭を買ってみそ漬けにしてみよう。これも今や自分でやるほかない、家事全部自分でやっているから大変である。結局今の生活は便利でも家のことだけで結構やることがある。


津波の跡に長々と冬の雲が棚引いている。もうあそこには家は建たないだろう。家を建てるにしても一軒だけ建てるわけにもいかないだろう。浪江の83才の老人が請戸に小屋でも建てて住みたいというけど一軒だけ住むということはむずかしいだろう。ただ海に魚がとれるし、鮭もとれる。海の幸はあるから漁はできるから住めないことはない。ただ浪江は放射能が高いからこれからどうなるのか?

大内は山側の方はわずかに高くなっていて助かった。道を挟んで平地の方は半分くらい破壊されて家を壊していた。大内も結構被害大きかったと思った。あの前は縄文時代は海だった。万葉時代真野の入江があったときも海だった。大内部落は結構古い。烏崎より古いと思う。大内と烏崎の間に村があったが消えた。烏崎が漁港ができてそれで人がふえたのか、あそこの歴史はまだよくわからない。

中ロ国境黒竜江省のサケに放射能汚染なし
http://jp.xinhuanet.com/2011-10/14/c_131191501.htm

2011年11月19日

冬日(木彫りのアイヌ像-長寿は人類の目標だった)


冬日(木彫りのアイヌ像-長寿は人類の目標だった)

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木彫りにアイヌの夫婦冬日さす


健やかに長寿の樹や冬日さす


その昔槐の盆やひなたぼこ



北海道木材の中でも特に堅い、槐(エンジュ)材を使用しています。槐材は、北海道の厳しい環境のなかで育つため、密度が高く油分が多いので、木彫りに適しており仕上がりも光沢が美しいものとなります。

きへんに鬼と書き、魔よけになるともいわれ、愛されてきました。延寿とも書いて、長寿を祝う木とみられています。昔はタバコ盆に用いられました


槐は固いから煙草盆としても使われていた。火でも燃えないということである。木にもいろいろ種類がある。これは長寿の樹としてふさわしいものなのか?実物はみていない。樹はもともと寿命が長い。だから長寿と延寿となった。延寿(エンジュ)が槐だった。人間の最初の文化はみんな樹からはじまった。アテネのアクロポリスの神殿も元は木の屋根だったとか石の前は木だったのである。


バイキングなどがノルウェ-から生まれたのはあそこは針葉樹林帯で木が豊富だから船の材にことかかなかったから船の文化が発達したとなる。今はヨ-ロッパでは森林が喪失している。でもベルゲン鉄道のテレビを見たらノルウエ-辺りはまだ森林におおわれていた。針葉樹だからゴシックの聖堂にもあっている。ゴシックの聖堂は森を象ったものだからである。


この木彫りの像は30年前頃買ったものである。お土産で買ったものでいいものがなかった。安物ばかりだからいいものが残っていない。お土産でもいいものを買わないとあとは捨てるだけになるだろう。いいものはやはり高いから買わないのだ。ただいいものは時間がたつにつれ光沢を帯び貫祿を帯びて価値がでてくる。本物の芸術品は時間の中で価値を帯びてその価値がわかってくるのだ。これも買ったときそれほどと思わなかったが今になると何か重厚なものを感じる。ただこれが特別高いのというのではない、当時5千円くらいだったろう。それでも今になると冬の日がさしてこの木彫りの像が重みがでている。今はインスタントで安物が多すぎる。家自体が外見は良くても安物なのである。
材料もいいものを使っていないからそうなる。やはり何でも長持ちするのがいいのである。


ともかく人間が長寿になったことは悪いことではない、長寿は人類の願いでもあった。多産多死は自然のル-ルだが高齢少子化は人類の歴史の必然としてそうなったのである。だからもともと悪いことではない。人間は本当に長生きしないと仕事ができないことがわかった。芸術の分野でもそうである。これは時間がかかるものだと思った。天才でない人は特にそうである。何か理解するのに時間がかかるのだ。現代のようにグロ-バル化したら芸術だって学問だってグロ-バル化しているだろう。すると外国のことを理解せねばならない、それが大変であり時間がかかりすきるのである。日本だけでも理解するのに大変なのに外国を理解するのは更に大変である。その点江戸時代は日本だけを理解していれば良かったから楽だったのである。

 


葛飾北斎


己、六歳より物の形状を写すの癖ありて
半百の頃より数々画図を顕すといえども
七十年描く所は実に取るに足るものなし
七十三にして稍、禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟り得たり
故に、八十六歳にして益々進み
九十歳にして猶その奥義を極め
一百歳にしては一点一格にして生きるが如くならんか
 
『富嶽百景』のあとがきより


天才にしてもこうなのだから凡人はなおさらである。自分も60過ぎてから結構俳句短歌詩でもいいのが作れるようになったと我ながら思う。凡才だからそうなったのだけどやはり芸術であれ一つの道を極めることは時間のかかることなのだ。だから長寿でないかぎり何か一つの道を極めることは不可能である。長寿は人間にとっていいことなのだ。ただ悪いとされるのは社会にとって活力を失うとか福祉の負担がただ増加するばかりだとかそうしたことで若者が老人は死ねとか盛んに言われる。でも人間が目指してきた一つに明かに長寿があったことは確かである。ただそれも健康でないと意味がなくなる。多少病気になっても仕事ができることが大事なのである。長寿はやはり人類の一つの目標であり負の部分があるにしろ今世紀に達成されたのである。もちろんこれからはわからない、意外と団塊の世代は早死になるとか言われているしわからない、でも長寿は健康であれば祝福されたことである。本当の幸福感は長寿ではじめて得られるもかもしれない、ただ自分はどうなるのかわからない、癌でないとするとすぐに死ぬとは思えないがわからない、ただ長寿でないと自分の仕事の大成ができないことは確かである。

科学時代の盲点 (地震学は素人の感より頼りない-フジテレビのプライムニュ-スを見て)


科学時代の盲点

(地震学は素人の感より頼りない-フジテレビのプライムニュ-スを見て)

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地球的規模で地震を見ていなかった


●科学万能主義に陥る危険


「科学的思考」と「科学万能主義」とは違う、科学的思考は科学万能主義にはならない。あくまでも一つの方法である。科学でこの世のことがすべてわかる、解決するとはならない、フジテレビの討論で地震学者が地震予知はできないことを言っていた。地震は未知の世界であり学者もわからないしそのことをもっと言うべきだった。地震の研究は狭い地域で分けてパ-ツにして研究していた。宮城県沖とか福島県沖とか岩手県沖とか部分に分けて研究していた。これは科学の手法である。部分化するのが西洋科学だった。ところがそこに盲点があったのだ。


震度9という地震を経験したことがなかった。経験していないのだからその経験から研究できなかったと言う。ところがスマトラでもアラスカでも震度9の地震は起きていた。スマトラは最近起きていた。それが全く関係ないと言えたのだろうか?地球は一つでありつながっている。地殻は連動している。だから日本のプレ-トがスマトラとかアラスカとは関係ないとは断言できない。地殻の変動は地球的規模になるからだ。人間の盲点は全体を知ることができないことである。科学は部分に分けて部分の研究は微にいり細にいりする。しかし全体として見ることは不得意なのである。地震学はそうした地球全体として研究せねばならないからそこに地震は予知できないのである。

もう一つ科学の盲点は長いスパンになると千年単位とかなると過去のことはまさに科学的に研究できない、貞観地震のことは最近科学的に研究されてわかってきた。しかし以前として推測の域であり

それがまた起こるという確定はむずかしかった。つまり千年とか単位となると科学者も確定的なことは言えなくなる。それから全体的把握になると科学は弱い。地球全体を研究するとなると手に余るとなる。だから部分的な研究には精をだしても地球全体を知ることはできないからそこが盲点になって想定外の巨大地震を予知もできなかった。でもスマトラとアラスカに起きたのだから日本で起きないとは言えなかったのである。



●現代文明に科学的思考は不可欠


それから地震の警報で問題になったのは地震警報は天気予報などと全く別なものだった。それを科学者も予報官もそれを聞いた住民も錯覚していたのである。天気予報は正確であるから地震も正確だと知らず科学に対する錯覚が生まれていたのである。科学はある分野では正確であり効力を発しているし科学の時代だから科学に望み期待することも大きくなっている。だから科学万能主義にもなる。科学がすべてを解決できると科学万能主義になる。科学的見方と分析と科学万能主義は違っている。
科学というときもはやこれを否定はできないのが現代である。例えば宗教にしても科学的にみるべきところはみなければならない、なぜならカルト宗教がこれほど大衆を洗脳するのはなぜなのか?それは不思議にも科学時代に科学的に見ないということなのだ。あらゆることを宗教に結びつけることはすでにガリレオの宗教と科学の分離に反している。またカトリックの政教分離でもそうである。宗教と科学や政治をまたは経済でも分離して考えるようになったのが現代である。


例えば創価などでもあなたが不幸になったのは信心しないからでありあなたの不幸の原因をすべて宗教にしてしまう。会社が倒産したり商店街が衰退して倒産したり病気になったりといろいろな不幸がある。それをすべて宗教に結びつけるやり方は科学的ではないのだ。その理由はすべて宗教にあるのではない、商店街の衰退は車社会になったとか巨大ス-パ-ができたとかにあると社会を科学的に分析するのが正解であり宗教は関係していない、病気にしてもみんな病気になるとしたらすべて宗教が関係するとはならない。現実宗教団体に入って祈ればすべて解決するとかにはどこもならないのである。こういうところでも科学的に見る眼が必要なのが現代である。科学時代に科学的な思考をせず盲信に陥ってゆくというのもまた科学万能ではないからそうなる。


●地震学は素人の感より頼りないもの


現代では科学が苦手でも科学的思考が必要な時代である。現代文明は科学的思考の上に成り立っている。それが科学万能主義となることとは別問題である。科学は万能でないからこそ原発事故も起きた。原子力や核について人間はすべてを知っているわけでないから事故が起きた。原発の安全神話は科学万能主義の宗教に似通ったものとなっていたのだ。科学が万能なら事故は起きない、でも事故は起きた。地震予知と不確かなものとこれまでもそのことは知っていた。だからあくまでも一つの目安にすぎないと科学者が言うようになった。地震について津波についてはわからないと言っていた。だから地震が起きたら津波の警報にしてもあくまでも目安にすぎないから自己判断で危険を感じて避難すべきだと言っていた。ところがやはりテレビとかマスコミが情報を受けていることが日常化しているときそこで錯覚が生まれたのである。

3メ-トルや6メ-トルの津波警報が出たときそんなものかと最初からみくびってしまった。それは常にテレビとかの情報から流されることになれていたことにもある。天気予報とにたものとして見るようになってしまっている。日常的には天気予報は正確なのだけど地震予知は正確ではないのだ。特に巨大地震は千年に一度でも起こるしこれからも想定外のものである。だからこそ予知はできないと言っていたから各自危険を感じて避難する他ないと言っていた。

そして地震警報をだしたのはその時、大阪管内であり大阪では東京のような揺れを直接感じていなかった。だからもし東京管内だったら直接のゆれを感じたからたれは尋常ではないと人間の感が働きもっと津波警報も違ってものとなっていた。そんなことを地震学者が言っている。ええ、人間の感の方が体感の方が頼りになる?それなら地震学者はいらないとなる。これほど地震学は未熟なもので頼りないものだった。それはこれまでもそうだったのである。でも日常的に天気予報とかが正確だからそこに錯覚が生まれたのである。日常的でないものに対し人間は弱いということである。

そうなると夢とか人間の不安とかの方が地震や津波に対して予知になったともなる。なぜなら海岸沿いに住んでいる人は大きな浪に飲まれる夢をみる、自分も小学校の前まで海の水がおしよせてのまれる夢を良くみてたいたのである。その通りに小学校前まで津波は押し見せていたことに驚いた。小学校前から海まではほとんど家もないからそういう夢をみていた。そういう夢が本当に現実化したことに驚いたのである。隕石が落ちる夢などは見ない、しかし浪にのまれる夢は実際度々みているのである。そうした人間の不安は現実化する。だから都会に住んでいる人がビルが倒れたりする夢を見るかもしれないがそれはいつしか現実化する。そういうことはありうるのだ。絶対に倒れないことはありえないのだ。そういう危険を感じることは回りにある。それはいつか現実化するのである。

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2011年11月20日

冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


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大原に老人残り冬夕焼け


牛越城五輪塔や冬夕焼け


みちのくの冬夕焼けや光堂


石垣に冬夕焼けや六万石


頬伝う時雨や枯れて残る松


重き荷や自転車に坂時雨かな


山茶花の白にほのかに紅の色媼(おうな)のひそか街に残りぬ

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今日は冬でもあたたかった。イオンに行く時、昔の浜街道を行く、植松から五本松に出るところで曲がった急な坂がある。あそこを年取った人がうしろにトイレットペ-パ-積んで運んでいた。あれは楽でないと見た。あの坂は急なのである。自分の電動自転車は坂に強いし荷物にも強いから行ける。そうでないと原町まで行くのにも疲れる、最近筋肉が疲れやすいのである。今日は時雨だった。
芸術は別に変わったことを求めるのではない、当たり前の日常的なことに芸術がある。


ただ俳句は短いから説明がないと背景を知らないと鑑賞できない、明かに老人が自転車で行くというところにこの句の意味があった。五本松には一本だけ枯れた松がまだ残っている。あの松もいつ倒れるのかと思う。自分の母親もそうである。やっと息している感じだが歩いたりしているから寝たきりではないからなかなか死ぬとも見えないのが不思議である。あるときぽっくりといくのか人間はこんなに生きるものかと不思議になる。あの松も実際は完全に枯れて死んでいるけど倒れてはいないのだ。

冬夕焼けはみちのくにあっていた。冬夕焼けと平泉の金色堂があっていた。それからイオンの側に牛越城があった。その牛越城を見て青田氏の五輪塔があった。それも冬夕焼けにあっていた。

この辺は一体どうなるのかと何度も思う。そもそもこうして故郷を俳句にしているけど20キロ圏内は立入禁止区域だから入れない、とするとこうして普通に昔を偲んだりその風景と一体としてあった人の営みが喪失したのである。浜街道にしても小高区から立入禁止だから通じていない、道は通じていてこそ効用がある。途中できれてしまったら鉄道でも道でも死んでしまう。風景とともに人と一体化してあった故郷が喪失する、人が住めなくなるということなど想像したこともなかった。だからこれは一体何なのだろうとそれぞれが思う。なかなか現実のものとして納得できないのである。それで飯館村ではあれだけ放射線が高くても帰らせようとしているのだ。


原町などは人は住んでいる、空家には見えない、ただ子供は外に避難して帰ってこないらしい。半分くらい帰ってこないらしい。すると実際は老人は残っているが子供がある若い所帯はいないということがある。ス-パ-キクチで相当数の人員を募集ししているチラシが来たのも労働力が不足しているのかもしれない、働く若い人はいないのかもしれない、その影響は大きいのである。植松の老人ホ-ムは休んでいるみたいだ。福祉関係のサ-ビスも低下している。働く若い人が不足しているいうこともある。


山茶花で白色で回りがピンク色のがある。ほのかにピンク色だった。媼(おうな)とは老人のことだけど今は個人差があるけど60代では媼(おうな)とはならない。何かギラギラした欲望に満ちている女性が多い。自分などはすでに20代くらいで老成していたから人間の欲望の深さを簡単に消えるものではない。それが普通である。60代の女性は要注意である。これから男女でも問題が起きやすい。なぜなら欲望は強いし今は枯れていないからだ。山茶花と椿は花がにていてもまるで違ったものである。椿は春に咲くけど山茶花は冬に咲くからである。もっともわび、さびにふさわしいのが山茶花なのである。


病院で知り合った老人大原の大きな家には一人でいる。子供のいる所帯は避難した。病院からながめたときは秋夕焼けだった。今は冬夕焼けである。やはり田んぼとかが耕されてこそ風景かある。それがないということは異常である。