2011年11月01日

野菊(それぞれの場にあった花)


野菊(それぞれの場にあった花)

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日々使う廊下の隅に野菊置く


我が家に野菊を飾り家事励む


目立たじや隅に置きたる野菊かな


仮設住む小高の人の川べりの落葉の道を今日も歩み暮る

花も何か精神的な象徴である。野菊となるとやはり謙虚さを示している。偶然に廊下の突き当たりの窓の所に置いたらあっていた。その廊下は細い暗い廊下だった。トイレとか風呂とか洗面所とかある狭い通路である。でもそこは日々に一番利用している廊下だったのである。家にもそれぞれの用があって作られている。家には実際はいろいろな部屋があってもいい、茶室としてあったところは今は介護の部屋である。茶室なんかもあれば確かにいい、それはそれなりの用ある部屋である。客をもてなす部屋だった。別に茶室は一つの部屋があれば作れる。金をかけなくても四畳半の部屋がそのまま茶室になる。なぜ茶とかに興味をもったかというと老人に向いているのは茶が向いていることがわかったのである。若いときは茶は向いていない、老人になると静けさや落ち着いたものの志向になるのだ。音楽でもそうでありロックよりはクラシックになってしまうだろう。最近高齢化で新しい老人文化が生まれるということを言う人がいるが確かにそうかもしれない、高度成長時代は明かに若者の文化全盛時代だった。団塊の世代そうだった。しかし今や団塊の世代は老人になったとき別な趣向になってくる。それがどういうものかわからないということは言える。何らかの新しい現代風の老人文化の創生なのだろう。そうはいっても何もないところから生み出せないから過去にあった茶などが参考になるのでてある。

この野菊は何か使用人などにあっている。使用人などは手伝いさんなどは目立たない仕事である。今はそういう人は少なくなった。戦前は必ず女中という仕事があった。ともかく家事が電化されていないから一仕事だったからそうなった。女中の数が多かったのはそのためである。家事もこれも仕事なのである。家事が他の仕事と劣っているということでもない、不可欠な人間の仕事なのである。
家事もだから生きがいになる。女性にとって嫁に家事を奪われたりして生きがいをなくすと認知症になりやすいということはいえる。嫁にお母さん何もしないでテレビでも見ていてくださいといわれて家の中で用なしにされとかえって危険である。人間は働くのは金のためだけではない生きがいのためもあるからだ。仮設住宅に移った人は仕事がなくなった人が多い、だからいつもス-パ-辺りで酒を飲んだりする人をみかける。あの人達も何かしら仕事していたのだが仕事ができなくなったのだろう。酒を飲んだりパチンコしたり飲み屋に行ったりとするばかりになるのもこまる。仕事がなく生きがいがなくなってしまうとそうなる。人間は金のためでだけではない、生きがいのために仕事をする。
その仕事が死ぬまでしていた人は幸せだったとなる。開業医でそういう人がいた。90まで仕事していたのである。そして病気になって一週間くらいで死んでしまった。こういう死に方が理想である。

ともかく花というのもその場に適合したとき一番映えるのである。だからこんなありふれた細い暗い廊下にたまたま置いた野菊があっていたのである。花は別に趣向をこらしたからといってあうものではない、金をかけて飾ったから映えるということもない、その場にあったとき映えるのである。家の中にそれぞれ用途があるが活かしきれていない、どういう用途があるからわからないのである。大きい家だと特にそうなる。日本人が茶室を発明したのはやはりもともと狭い所に用途を見出したためだろう。狭い国だからそうなった。大陸的な文化ではありえない文化である。その国土自体がいかに狭い土地を活かすかということにあったからである。それが日本の文化になったのである。
真野川の岸辺の道も落葉して毎日小高の人が歩いている。ただ働かないということは金の問題もあるがやはり生きがいがなくなるということで問題なのである。

2011年11月03日

秋薔薇(写真と人間の感じ方の相違)


秋薔薇(写真と人間の感じ方の相違)

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数枚の花びら散りぬ秋薔薇


ここにまた一輪開く秋薔薇


今日の日や散るを惜しみぬ秋薔薇


とりどりの菊の咲きにつおおどかにラッパスイセン下がり咲くかな

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写真ですべてが現されるということもない、また人間の肉眼ですべて見えるとは限らない、デジカメで見えないものが見えたからである。一方カメラですべてが見えるわけでもない、秋薔薇というとき夏の薔薇との区別が写真ではできない、秋薔薇とあればこれがそうなのかと思うかもしれないが写真からは夏の薔薇としか見ない人もいる。一枚の写真からすべてを見ることはできないのである。

そこに道具の限界がある。人間が見るというときバラだけを見ているのではない、全体の雰囲気で見ているのだ。その雰囲気が写真家らはわからないから限界がある。写真をみて俳句でも短歌でもできない、自分で撮ったものはその雰囲気を全体を知っているから作れるのである。他人の一部分を切り取った写真を見て俳句や短歌を作れない。その花がどういう場所に咲いていたのか、そもそも都会と田舎では違っている。一部分を切り取った写真から判断できない、どれも同じバラに見えてしまうのである。


この薔薇を一瞬見たとき花びらが数枚散っていた。それはすぐわかったしそれがいかにも秋薔薇にふさわしかった。でも写真にしたらわからないのだ。そこが肉眼と機械の違いだった。人間は一つの花を見るにしても五感で感じているのであり単に目だけではないのだ。デジカメは目だけが拡大化して機能化したものである。辺りの雰囲気すべてを現すことはできない、そこにデジカメの限界があった。目だけが高性能でも五感で感じるのとは違っている。機械はどんなにしても高性能になっても人間の代わりは絶対にできない、だから機械はコンピュタ-でも俳句の一句も創造できないのである。

ただゲ-ムなんかはすでに将棋でもプロを凌駕しているということは機械の方が優れたものになっている。ということは将棋がそんなに創造的なものでないともなるのだ。しかし他の芸術的分野では機械は創造はできない、手助けはできても一つの俳句も絵も創造できない、抽象画などはコンピュタ-のソフトで偶然にできたとしてもその価値を意味を見出すのは人間だから機械は創造はできないのである。結局いくら機械がコンピュタ-が発達しても創造的な面では人間に及ぶことはないのである。
すでにゲ-ムはどんなゲ-ムでもコンピュタ-の方が勝つのだから人間は機械に負けるからゲ-ムをするのも馬鹿らしいとなる。


ただコンピュタ-が何かを感じるということはない、だから何一つ絵でも鑑賞することもできない、何が美なのかもわからない、薔薇と認識できてもそれが夏なのか秋なのか冬なのかわからないのである。機械には感情ももてない、悲しんだり笑ったりもできない、機械はどうしても人間の代わりにはなれないのである。

野田首相の背後にあるもの? (松下政経塾-創価-ロックフェラー)

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野田首相の背後にあるもの?


松下政経塾-創価-ロックフェラー


松下政経塾の原点は、共産主義から自分の企業を守るにはどうしたらいいかを真剣に考えた松下幸之助が、アーノルド・トインビー(007で有名なイギリスの諜報機関MI6の創設者でもある)にその研究委託をしたところ、ロックフェラー系の研究所の指南・報告を受けて、MRA(道徳再武装)に加わるようになったことにある
http://muroutahito.blog33.fc2.com/blog-entry-391.html

野田首相は松下政経塾の一期生である。野田首相をどうみるのか、その背景になるがあるのか?
その行動パタ-ンはどういうところからててくるのか?それが松下政経塾にあった。松下政経塾を知らないと野田首相の行動原理とか思想は理解できないのだ。松下政経塾が共産主義から守るためとか、ロックフェラー系の研究所の指南・報告を受けていたということでその背景が浮かんでくる。そして週刊朝日で松下政経塾と創価学会と関係があった。池田大作と松下幸之助が盟友関係だった。そこに何か共通したものがあったからそうなった。創価自体の成り立ちが勝共連合から発していて共産主義の対抗軸として作られたというのもそのためなのだろう。アメリカのロックフェラ-などが影で糸を引き操作する。それで通じ合っていたということになる。

松下幸之助も商売上創価学会員に売るには得だと判断した。それは国を経営するということではない、自分の会社経営を利益を優先してそう判断する。創価は巨大な組織だからその団体が何を目指しているのかどうかよりその団体の力を権力を利用しようとすることになる。逆に創価側でもそうした数を組織を背景に勢力を拡大化しようと試みる。そこに仏教がどうのこうのというのはカムフラ-ジュなのである。一つは無知な大衆への脅しである。「罰あたるぞ」と脅して会員をやめさせないようにする脅しとして役に立っている。それがカルト宗教団体の実体である。ただ不思議なのは幹部も罰を怖がっている。幹部も宗教だから宗教に呪縛されているのだ。ともかく何か悪いことがあるとそれは信心がないとかなり何か成功したら信心があるとなりほめられる。あまりにも悲惨なことがつづくような人は嫌われやめさせられた人もいるようだ。どうして信心しているのに良くならないかとなるからだ。でもどんな人でも失敗とか成功とか挫折はある。成功ばかりの人生などない、倒産もあるし病気もあるし不運もいいろある。それを全部宗教と結びつけて考えるのがカルトの特徴なのである。


創価はあれだけの会員をかかえているから企業側にとっても利用価値があるとみる。つまり利権になる。それで大成建設などでも正本堂建てる時は社員を会員にしたり応援したりする。それは仏教とは関係ない、企業は利権のためにそうしているだけである。銀行でも巨額の金が貯金されるから頭が上がらない、政治でも票をもっているからそれで権力を操作できる。すべてそうして権力を操作するために会員をやたら増やそうとやっきになる。広宣流布などと言って日本の三分の一が信者になれば仏国になるとかいう。それは日本の権力を握り支配できるこになるということである。それは北朝鮮のような国となることである。政治もマスコミも官僚も司法も創価の支配下に入り天皇も創価よ入れるために宮内省に入って工作していた。大王製紙でも聖教新聞の紙の納入先として創価大学出身者が実権をにぎった。常にいたるところに創価の会員がおくりこまれ権力のある所を掌握してゆく。それが日々の運動なのである。もちろん今度の原発事故でも東電から宣伝費をもらい機関紙の潮で宣伝していた。公明は自民党と十年間政権を担当したとき原発推進だった。

それも原発の利権にあづかることを優先する、何でも利権追求なのだからそういう所には食いついてゆく。何か目的があるわけでもない、ただ民主党が政権交替と叫んで政権をとったように政権をとることが目的でありそして利益にあづかることしかない、日本国をどうするのかなど関係ないのである。会員もやがて大臣になるとか政治家になれて利権にあづかるとかそういうことで運動しているのだ。御利益追求しか目的はない、だからこそあれだけの会員に増えたのである。だからこそカルトなのである。ただそれだけ増えるのもやはり社会の人間の闇の深さがカルトを繁栄させる要因になっている。いろいろな問題をかかえるのが人間であり何かその時何かに頼らざるをえないからそうなる。


なぜ今そのことをまた考えたというと野田首相が松下政経塾出身であり公明党と同調するものがあると知ったからである。その背景が共通するものがあった。そういう出身者がどういう行動をとるのか?TPP問題でもアメリカ寄りになるのはそういう背景があるということを考慮せねばならない、国というより一企業優先の教えを受けたものならどうしてもTPPに賛成になる。いろいろ議論があるにしても松下政経塾出身者はそういう行動原理が働く、一企業の代表みたくなってしまう。原発事故でも東電の力がいかに大きいか知った。そのことが原因で政府は国は一企業にとりこまれて監視を怠ったのが事故の原因でもあった。PHPでは日本の技術は優秀なんだという宣伝をしていたがすべてにそうではなく原子力などの巨大技術はそうではなかったのである。そういう思い上がりが事故につながった。松下政経塾の原点はロックフェラー系の研究所の指南・報告を受けて・・・そうなるとアメリカ側の言いなりになっても当然だとなる。だからオバマ大統領は野田首相は御しやすい、こちらの言うことを聞く人だと見られた。

そういう背景をもっているからそう行動にでる。もちろん自分はTPPには詳しくない、ただ野田首相の背景となるものに疑問をもった。TPPはアメリカの法で決められアメリカが実質的主導権をとり日本はその属国になるという、自国の法律が適用されずアメリカの決めた法律に従うとなるという。日本の独立と自治も奪われることになるのは大問題である。松下政経塾出身者が政治家には多い、そのことはその行動原理が一企業の代表のような政策や行動をとりやすいということである。国を一企業の道具のようにしてしまう。それは東電がそうなって事故につながった。東電を監視できなくなっていた。権力はある一企業であれ団体であれ独占化したりすると弊害が大きくなる。そうした巨大権力を抑制するものが必要なのである。それができないと一カルト宗教団体であれ会社であれ国がのっとられるということである。


アーノルド・トインビーと池田大作が対談したりするのはすべてそうした知識人を利用するためである。仏教がどうのこうのとかそんなこと全く関係ないし興味もない、ただそうした有名人を利用する。芸能人を利用するのと同じである。池田先生はあんな有名な学者と対談している。そういう宣伝のためなのである。池田大作には思想などない、ただ象のような勲章欲とか権力欲だけがあるだけなのである。それは結局その会員もそういう欲望を達成しようとする人達だからにたものどうしが集まり増えたということもある。それだけではない様々な要因があるにしろ巨大な権力欲と欲望の団体だということは明確である。アーノルド・トインビー(007で有名なイギリスの諜報機関MI6の創設者でもある・・とかなっているのはそういうところからコネができて対談できたのだろう。あとで恥じて取り消したとかいうのも学者の良心があってそうしたのだろう。背後でロックフェラ-が動いていたともなる。民主主義といっても常に権力で操作するものと操作されるものに別れているのだ。だからその背後にあるものが何なのか知ることが大事になる。野田首相の背後にあるものの大きなものが松下政経塾だったということである。そこを見逃して議論しても本当の所はわからなくなってしまうということである。

最近創価をマスコミがたたきはじめたのは池田大作が介護状態であり用をなさなくなったからだろう。マスコミは弱くなったらたたく、強いときはたたかない、責めない、オウムだってそうだし原発でも東電を責めなかった。今になって責めているけど強い時は責めない,戦争のときも同じだった。だから原発事故も防げなかったし戦争でも戦争中はただただ政府と一体となりあおるだけであった。これからマスコミも創価の深い闇をあばくようになるのだろうか?そういう時期に来ているのかもしれない、池田大作亡きあとの創価の衰退を見越してしの最近の発言なのかもしれない。


カルトの世紀 道徳再武装と松下政経塾
http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/565.html


松下幸之助は極めて、親米意識(場合によっては拝米)の強い特徴があります
http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c48b.html


http://catshouse.blog.shinobi.jp/Entry/68/

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2011年11月05日

ギリシャの旅(菜の花とロバの国)




ギリシャの旅(菜の花とロバの国)

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なのはなとロバ

路上でおみやげを売る老人

手に握る重いドラクマ貨幣

水平線から船

島を縁どる美しい野の花々

倒れた神殿の石柱

彩られた神話の数々

オディセィの雄大な遠征と帰還

黒海に通じる狭い海峡

未知なる世界はその通路に

地中海の風が島々にそよぎ

一つ一つの石

それは人工の人の営為の跡

人の徴しの跡はそこかしこ消えじ

人の手に成らざるものなし

ただ過去があり過去を偲ぶ

迷宮のクレタの宮殿は忘れられ

栄光の日はもどらじ

ギリシャのアフリカの植民都市

キュレネは砂に久しく埋もれ忘れられる

薬草のシルフィウムに栄えし都市

そのシルフィウムも絶滅して

コインにのみかつての栄えを語る

石の船のモニュメント残し

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残される幾多の物語

語り尽くせぬ物語

人類の夜明けはここにはじまり

その知恵と技芸がここに集中して

哲学と科学の発祥の地

アテネの神殿はその象徴

常に壮健な肉体を競いし者たち

オリンポスはその聖地となりぬ

勝者にはオリ-ブの冠

その栄光は語り継がれぬ

急斜面の荒い岩石を清水が流れ落ちて

オリンポスのゼウスの聖なる白雪の山々

ドルフィの神殿は古りて

荘厳にかの高見に鎮まり暮れぬ

そこに厳かに神託の告げられし所

ギリシャの聖なるセンタ-の場

しかし今何かあれ

なのはなとロバの国

遠い過去のみが語る国

プロボネス半島の奥地かのスバルタの国

古い城壁の反り残雪の未だに寒々しく残り

今なお羊飼いの岩山に羊を追い

自然もなべて人の手になりて古りぬ

持ち帰りし一つのコイン

それはただ遠い昔の栄を語るのみ

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ドルフィの神殿

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オリンポス山

 


ドラクマの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E


キュレネ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%8D


ギリシア人とシルフィウム
http://blog.goo.ne.jp/mosuke-log/e/ee93287add96b1a058d9897c18439eaa

シルフィウム
http://blogs.yahoo.co.jp/tyamada69/1244286.html

 
 

ギリシャという国がなぜ今問題なのか? 「なぜ働かない人のために我々の税金が使われるのか・・・」


ギリシャという国がなぜ今問題なのか?

「なぜ働かない人のために我々の税金が使われるのか・・・」

ギリシャは二千年も前に繁栄した国であり過去の遺物の国である。ヨ-ロッパのリゾ-ト地であり
国民ものんびりしていいるから過ごしやすい所だった。そういうのんびりしたところも必要だった。でも公務員が多く借金ばかりがふえた。産業はないし観光だけである。観光にゆくならここはギスギスしていないから良かった。ここは自然も美しいからもう一度行ってみたい国だった。中東とかヨ-ロッパは人の手が加えられない所はない、それも実にエジプトでも古いのである。最古の文明地帯なのである。どれだけ人が長くそこに住んでいたか、それは日本などと比べようがない、日本などは中東とヨ-ロッパとか比べれば新しいとなる。それでも今や地球を見渡したとき手つかずの自然が残されている所はわずかになった。羊を飼うことはやはり自然を破壊する。


キュレネは、紀元前7世紀にギリシャ人によって創立された植民都市である。場所は、現在のリビア領内にあり、アポロン神殿と医学校が有名であった。シルフィウムは、キュレネの主要な輸出品目であった。それは、独特の外観をした薬草だった。このシルフィウムが遊牧民が入ってきて羊が食べたので絶滅した。砂に埋もれて忘れられていた都市でもあった。羊はやはり草を食いつくすから自然破壊になる。日本で森が残ったのは羊を飼わなかったからかもしれない、しかし日本の山は急斜面が多いのだから羊を飼うには適していなかった。そういう風土の違いはあった。ただ羊を飼うところは森が喪失していることは確かである。山の上まで今でもギリシャでは羊飼いが羊を追っているのだ。


ギリシャの風土はゼウスの住んだオリンポスの山々があり牧畜もしていたし地中海に島々があり航海民にもなった。その風土が多様なのである。そういう多様な風土が文化を作った。もし中東のように広大な砂漠地帯や草原地帯だったらペルシャなどの強大な専制国家になった。そのペルシャと戦って勝ったのは海戦によってだった。海と船を利用して陸の大帝国に勝ったのである。海が守ったというとき日本も元のモンゴル帝国に責められたとき海に守られたことで共通していた。ギリシャと日本は風土的ににていたのである。平坦な地が少なく風土は山あり海あり島ありで複雑なのである。そういう風土からキリシャ文明が作られ数々の天才の宝庫となった。歴史はやはり風土とか地理と常に深く関係して作られているのだ。


今ギリシャがどうなっているのか?
「なぜ働かない人のために我々の税金が使われるのか・・・」
この言葉に尽きている。ギリシャ人は働かない、でものんびりしたヨ-ロッパのリゾ-ト地となっていたのだ。でもユ-ロ-圏に入った時、それが全世界に影響するとは思わなかった。ギリシャがなぜ世界に影響して日本までも影響するのか?それほどグロ-バル化で世界は一体化しているからそうなる。
公務員が国の主な勤め先であり手厚く保護されている。それがのんびりしていた国を作っていたのである。その公務員も危機にさらされている。それは日本の姿にもだぶってくる。公務員の優遇に対して批判が大きくなっている。公務員などたいしたことをやっていないとかその批判が大きくなっている。それはギリシャのようにその不満が大きくなる。ギリシャのために世界が沈没していいのか?
そういう不満が世界からなされる。世界が一体化するとギリシャとはいえ無関係ではない。


ユ-ロ-圏はアメリカとも一体であり日本とも一体だったのである。今回の地震と津波でも東北は大被害にあった。その時無駄な金を使うなとか東北は批判されたのとにていた。仮設住宅であれ、高台に家作るであれ防波堤を作ることでも金を無駄に使うな全国から言われた。原発事故でも無駄な除染に金使うなとかいろいろ言われている。地域だけで生活しいる時代だったら言われないがこれも国民の税金が使われるからそういわれた。ギリシャもこれとにていたのだ。「なぜ働かない人のために我々の税金が使われるのか・・・」とフランスやドイツが言うのがわかる。菜の花とロバの国としてのんびり暮らせる国としてあっても良かったがその金がフランスやドイツから出ていたから批判されるようになったのである。のんびりとロバが存在できたのもフランスやドイツのおかげだったとなる。


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デモクラシ-はギリシャが発祥の地だから
デモに熱くなるのか?
ユ-ロ-圏に入る前のデモも激しかった。
この時は何のデモだったのか?

ギリシャの旅(菜の花とロバの国)-詩
http://musubu.sblo.jp/article/49875606.html

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2011年11月06日

夏の色(抽象画)


夏の色(抽象画)


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夏の色

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美しい血管



子供も抽象画を描いている。それがみんな抽象画として評価はできないだろう。
抽象画の評価はむずかしい、何でも抽象画になってしまうからだ。
だから子供がただ絵の具で遊んだものも抽象画だとなる。
ただやはりまずそこに何か美しいというものを感じないと作品にはならない
色がきれいだというだけでその色にまずひかれる。色だけの魅力がある。
それがパソコンでは自分で作りやすい。

でも抽象画も一つの美の表現だとするときただやたらにすべてが抽象画として評価できない
この二つの作品も一つの意味があり美を感じたから作品になっているのだろう

ただ美しい血管というのは偶然でありこれが色がきれいだとか思ったからだした。
抽象画を作品とするにも結構努力している。才能なくてもできるのだが
やはりいろいろ試してみてやっとできたとなる。

たいしたことはないにしろ一つの創造作品にするにはそれなりの努力か必要なのである。
だから次から次と作れない、たまたま作れるというのはそのためだろう。
これはソフトがいいからできた。このソフトは高いから買うとなるとそれほど利用できないから
迷う。抽象画だけではもったいないからである。

ギリシャ人はなぜ働かないのか (ギリシャは日本の江戸時代とにているのかな?)


ギリシャ人はなぜ働かないのか

(ギリシャは日本の江戸時代とにているのかな?)


ギリシャに暮らせば・・・・
http://ameblo.jp/greeklife/theme-10001005043.html


ここのプログでギリシャ人は競争しないという、人と争うということをしない国民だという。
頑張るということもしない、勉強するにも競争心がない・・・・・実際に住んでいる人の報告だから納得する。

日本とはまるで考えられない国民性であり社会がある。日本では毎日毎日がんばれよ、がんばらねばならないとかどんなことでもがんばらねばならない、そしてがんばれないものはおちこぼれになり自殺するほかないのだ。そういうことが社会的におしつけられているのだ。ギリシャでは自殺する人は考えられないというとき、がんばることを強いられないからそうなっている。みんな助け合うとか協調的なのである。日本でもそういう時代があったのでは?江戸時代などは今の社会とは全く違ったものだったらしい。江戸時代の人はこんなに勤勉でがんばって働かねばならなかったのか?そういうことが疑問である。これほどにがんばることが強いられるようになったのは明治以降の近代化の結果である。明治以降から社会がまるで変わってしまったのである。日本は西欧に追いつくためにものすごくがんばらねばならなかった。富国強兵であり近代化のために様々な改革をしてきた。だからどこでもがんばらねばならない、働くことも江戸時代に比べると女工哀史があるように働きすぎるくらい働かねばならなくなった。こういうことはヨ-ロッパでも工業化して機械化して産業化したとき生産性が急激にあがりtime is moneyというように分刻みで働かせられるようになったのである。ヨ-ロッパでも近代工業化する前はそんなに時間に追われて働いていないのだ。


日本の社会は異常にかんばらねばならない社会なのである。もちろんそれだからこそ経済大国になり明治維新以降も富国強兵で西欧列強に並ぶことになった。ギリシャなどはそもそも工業化もしていないし産業もない社会であるからこそ昔ながらののんびりした協調的社会になっていた。やはり江戸時代的なところが残っていた社会なのである。それはギリシャの国民性というだけではない、世界中でこんなにがんばらねばならない社会になったのは近代化工業化した資本主義が世界に普及した時からだったのである。日本では明治維新以後どれだけがんばらねばならなかったか?戦争でもがんばり死ぬほどがんばり実際に400万とか死んだのだからそれくらいがんばらねばならない社会になっていた。小さな資源もない国で世界に伍するためにどれだけがんばらねばならなかったか、戦争に負けてもそれは高度成長時代もつづいていたのである。


ギリシャは本当に人間がのんびりしている。バスにのっても金をとらないときがあった。そういうところも観光で食べているから観光に来るものに寛大なのかと思っていた。それだけではなくそういうおおらかな国民性もあった。だから観光した限りでは一番過ごしやすいし親近感をもった国だった。それはやはり国全体が近代化工業化していない国だったからということも背景にあるのだろう。国民性としては地中海沿岸のイタリアとかスペインとかもラテン系でありのんびりしている所がある。
気候も関係している。近代化工業化したところはドイツとかイギリスとか寒い国だった。そこは勤勉になり近代の工業化の先達となった。日本は勤勉な国だったと盛んに言われるけど江戸時代にはそう思えない、そんなに働くことは強いられていない、もちろん勉強だってそんなに強いられてしていない、そもそも親の跡を継ぐのが普通だからそんなに頑張るということはない、自然と親の見よう見まねで覚えるということがある。そんなに頑張らなくてもいい社会だった。だからギリシャではヨ-ロッパのリゾ-ト地として最適だった。息ぬきには最適の場所だったのである。だから別荘をもっている人が多かったのである。


ではなぜギリシャではデモがあれほど激しいのか?デモは今だけではない、前々からデモをしていてそれが過激なのである。警察を信用していないとか政治家に対する反発とかありデモが激しくなる。国民性としてはのんびりしていて協調的でも上のものに対しては反発が大きい。それがデモクラシ-の発祥の国として継続した心情なのかわからない、日本のようにお上に従順ではない国民である。
日頃のそうしたのんびりした温和な生活感覚からすると激しいデモがなぜ起こるのか理解しかねる。今だけではない常にギリシャではデモが起きていて過激だったのである。今は諸々の事情で極点に達した。

ギリシャ人はなぜ働かないかというとき、逆に日本のように異常なほどがんばらない、がんばらなくてもいい国だったのである。その頑張らないということがまたマイナスとして働いた。そういうふうにのんびりした国でありえたのはやはり近代化して先進工業国となったドイツやフランスなどの後押しがあったからである。だから働かない人のためになぜ自分たちが金を出さねばならないのかとフランスやドイツ人は怒った。実際にギリシャ人がその緊縮財政をのむことは本当に厳しい。給料は三割減るは退職金なしだとかとてもその要求をのめるような条件ではない、だからといってその条件をのまないなら金は出さないと言われている。のんびりしていいがそれなりの贅沢をするには自国で近代化工業化しない、日本のように頑張らないからそういうことを他国からおしつけられたとなる。日本は異常に頑張る国となりそこで江戸時代ののんびりした良き協調的社会も失われた。一方で世界に伍するには異常なほどがんばらねばならなかった。そういう矛盾があった。


後進国に行くと昔が残っていてなつかしいということがある。それはやはり近代化工業化の先端を走った国が喪失したものがそこにあるから
である。ギリシャが観光だけなら気持ちいいのはそのためである。そういう国は他にもある、のんびりしている国がまだある。そこで心がいやされるのである。江戸時代に帰ったらやはりギリシャに行ったような気分になることは確かである。人々は和やかで協調的でありみんな幸せそうだったというのはそのためである。近代化工業化はさけられないものにしても人間に不幸ももたらしたのである。


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http://animal.myds.jp/animal/donkey/

のろまのロバ、もっと働けよ

なにを、のろまでいいんだよ
ここじゃみんなのろまなんだよ


そんなふに働かせるやつはここでは追い出されるぞ
のろまでいい国なんだよ
それでみんな和気あいあいなんだよ


それなら藁だけ食べて満足しなよ
贅沢を言っちゃだめだな

働かなきゃぜいたくはできんのだからな

給料へるからと文句も言うなよ
働かない人はぜいたくはできないんだよ



 



 

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2011年11月08日

ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)



ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)

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なんという蝶なのだろうり

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龍舌蘭-ドルフィの神殿に咲いていた


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菜の花とロバに岩に島暮れる


島々を船の行き交い春の暮


春の花神話をつづる島々に


もの寂びて松に神殿春の花


黒き蝶岩にとまりてたそがれぬ


オリンピア野の花々や春の風


ドルフィの神殿古りて龍舌蘭


残雪の山や角笛の羊飼い


路上に土産売る老人春の暮


ジプシ-にリラを与えぬ春の駅


ドラクマにリラと交じりて春の暮

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ギリシャは花がきれいだった。旅をして花がきれいだったという所はあまりない、春だったからきれいだった。一面にいろいろな花が咲いていた、花野だった。ギリシャはもともと自然も変化に富んで美しい場所だった。神話の国でもあった。ただ森は岩山になっているからあういう所はもとは森だった。そういう岩山とかになっているところが世界には多い。自然の森が残っているところは少ない。ギリシャの特徴は島々にもあった。クレタ島とか大きな島がありそこから文明がもたらされた。クレタ島の歴史はそれだけ古い。埋もれた迷宮都市もあった。そこでは様々な神話が語られている。確かに一度行ってみればそういう神話にふさわしい場所だった。フランスやドイツやイギリスなどのように近代化工業化していないことが古代がそのまま残り取り残されたような国になっていた。だから昔を偲ぶには向いていた。古代もこんなだったろうなということが想像つく、余りにも近代化都市化したら東京のようになったらもう過去を偲ぶことはできないからだ。


ギリシャにはあれだけの芸術や思想哲学を生み出したのも変化に富んだ地形が影響した。オリンポス山や海を望み島々がある。だからポリスにしても100もあってそのポリスごとに貨幣があったというのもその多様性を示しているのだ。そういう多様な地域だから多様な文化や天才が生まれたのである。なかなか海の神話とか山の神話がある世界は少ないだろう。日本も海と山の文化があるからにていた。特に瀬戸内海辺りはギリシャの地形とにているのだ。そういう地形的なことでも親近感をもったのがギリシャだった。中国とかアメリカとは大きな国には親近感をあまりもてない、ただ大きいだけでありあまりに大きいからつかみようがないとういことがあった。中国とか大きすぎて理解できないということがあった。ギリシャはその点,地形的に理解しやすかったのである。山があり海があり島があるのは日本とにているし気候もにている。地中海気候で温暖ではあるが瀬戸内海辺りともにている。ドイツとかフランスは北は寒い。あまり暑くもなく寒くもないという所にギリシャ文明が華咲いたのである。


ギリシャの鉄道にのったがあれが駅なのかと思う。一軒の小屋のようだった。利用する人も少なく日本の廃線ぎりぎりのロ-カル線と同じだった。電化していないから余計にそう見える。駅にジプシ-なのだろうか、そういう格好の男女が子供連れでいた。その子供にリラをくれたりした。イタリアから来たのでリラがあった。その時はまだユ-ロはなかった。ヨ-ロッパでは国が変わるたびにりょうがいするからめんどうだった。でもどこにでもりょうがい所があるから困ることはなかった。その度に金をとられていたのだ。めんどうだったがそういう度も地域性があり面白い。ユ-ロだけだったらどこでも貨幣も同じで地域性かないから面白くないとなる。


ギリシャにはいろいろな花が咲き花が映える所だった。海に面しているから花々も美しいとなる。自然は古代と変わっていない、だから神話の国をその土地を踏めば彷彿とする。やはりギリシャは詩の国だった。ロ-マは政治の国だというのはその建造物から直感する。別に歴史を知らなくてもその建物からそう感じる。ギリシャは神話の国であり詩の国であり美の国であった。哲学思想や科学の発祥の地でもあった。ただそれは遠い昔のことであり3000年前にもさかのぼるのだから今のギリシャ人はその末裔とは思えない、ギリシャ語を使っているからその点はそういう伝統の中で暮らしている。でもギリシャ人が残した華やかな文明は遠い過去のものである。今の人達と連続性がないのだ。日本はやはりまだ近代化しても歴史の連続性がある。社でも人々が詣でるから遺跡だけになったギリシャの神殿とは違っているのだ。まだ神々活きているのだ。


外国で俳句を作るのはむずかしかった。あまりにも変わっていたしなかなか何を意味しているものなのかわからないからである。今ふりかえり落ち着いてかえり見ると見えてくるものがあった。やはりギリシャは美の国だった。自然と調和した古代の文明が創造された国だったのである。俳句にしてみたが俳句だと短く一句一句分けて作れるから作りやすい、俳句は外国でもやはり写生である。
菜の花とロバと岩と・・・というときただ事物をもって示している。説明すると詩になってしまう。菜の花とロバと岩が示すものを事物で示して説明しないのである。


ヒュアキントスの神話

アポロンが円盤投げをして楽しんでいた時、ボレアスは意地悪く吹きまくって、円盤をとんでもない方向へと導いてしまいます。
運悪くその円盤は、アポロンの周りを駆け回っていたヒュアキントスの頭に当たり、彼は一瞬のうちに死んでしまいました。。。
(別説では、円盤投げの競技会での出来事とも言われています。)

アポロンは嘆き悲しみ、慈しみ愛したヒュアキントスを【ハデス】(黄泉の国・冥界の王)の国へ引き渡すことを許さず、彼を早春に咲く紫の美しい花『ヒアシンス』に変えたのです。
(その花は、現在のヒアシンスではなくアイリスの一種であったという説もあります。)

ギリシャ神話の中では、悲しいかなアポロンの愛は失われることが多く、彼の愛する人々は愛されるがゆえに植物に変わってしまい、現在までその生命を存続しているというエピソードがいくつかあります



これはオリンピアとかにふさわしい神話である。オリンピアも花々が美しく咲いていた。オリンピックというというとき何か競技場とか筋肉競技とか肉体だけを競うようになっている。古代のギリシャでは競技場があってもそこは意外と小さいのである。やはり人間的サイズでありギリシャでは自然の風景にマッチするように神殿が作られた。だから自然を圧倒するようなピラミッドのようなものは作っていない。こじんましたものが多いのだ。日本の祠や社とにているともいえる。だからオリンピアの周辺は丘でも花々に彩られていたのである。自然の美しさと人間の肉体の美が調和して演じられていた。現代のオリンピックは競技場とかが立派でありただ肉体だけを競う何かモデイビルの大会のように感じるのだ。肉体だけを特化して競う筋肉だけを争う動物的なものに見える。これはロ-マの闘技場とにているのかもしれない、オリンピックはロ-マの闘技場,コロッセウムににているのであり
ギリシャのオリンピックは人間的サイズの自然と調和して演じられていたのである。その相違は大きいのである。だからギリシャのオリンピックは美しい神話になったのである。円盤で死んだ若者が花に変えられたというのはギリシャを旅してみれば納得がいく、写真のように美しい花々に今も彩(いろど)られているからだ。神話もその土地を踏まないと実感できない、なぜならその土地の自然から
生まれたものだからである。

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和名:風の塔

英名:Tower of the Wind

位置:アテネ。アクロポリスの北側。古代アゴラの東側。

特徴:八角形の風の神の塔。1世紀の天文学者アンゴロニコスが建造した。日時計と水時計と風見の機能があった。8つの面は正確に東西南北に対応している。


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アケネではこの六角堂がありロ-マへのア-チ門がつづいている。ア-チはロ-マ文明になって作られた。
この先にロ-マの建築があるからだ。

2011年11月09日

モラルなき欲望資本主義はすでに崩壊している (働かない人が増えるのそのため)

 

モラルなき欲望資本主義はすでに崩壊している

(働かない人が増えるのはそのため)

●修道院からはじまった資本主義


当面生活に必要なお金が手に入れば、それ以上働かないというのが生物としてはむしろ自然な行動だと思います。


労働そのものに価値を見出し、経済発展を遂げた国はプロテスタントの国と日本だけです。


キリスト教の信仰から、近代資本主義に必要な「勤勉」「契約の遵守」「所有権の確立」「資本の蓄積」という考えが出てきたのです。


カトリックは一般信者を甘やかしたので、この精神も希薄ですが、プロテスタントは厳しくキリスト教の原則を守りました。


http://plaza.rakuten.co.jp/sailmssn/40000


人間はそもそも本来は怠け者であり働かなくてもよければ働かない、勤勉になるのはそれなりの理由があるのだ。資本主義は修道院の中から生まれたというときまさに宗教と特にキリスト教と関係していたというときその基になるのが宗教だった。神に仕え人に奉仕するために勤勉になったのである。人間は豊になりたくてもそんなに働かない、働かないことを選ぶ場合だってある。労働は過酷でありすべての人が過酷な労働に耐えられないし選びもしない、貧しくてもそれなりに暮らせればいいとか考える人がいるのだ。江戸時代は会社に勤めていない、職人は一人一人であり商人も棒ふりなど一人一人の零細な商人だった。大きな商家はあっても底辺の多数は一人一人の商いであり職人だった。だから会社のように何時間働けとか強制されない、今日はこれくらい稼いだからあとは休もうとか働く時間もル-ズなのである。分刻みで働かせられる現代とは違っている。工業会社社会ではそういう圧力から逃れることはできない、会社員でないものは人にあらずとされるからだ。ただそういう会社社会の勤勉ももともと修道院からはじまったのだから宗教的なものとして出発したのである。その宗教的モラルが強制力をもつようになったのが社会全般に普及したのである。侍のモラルが民衆のモラルとなったのと同じである。商家でも奉公するというとき侍が主君に奉公すると同じなのである。

●侍はモラルの模範であった


侍のモラルを習って商人のモラルもあった。修道院のモラルが一般社会に普及して人々は勤勉になるようになった。それは最初は自主的なものであり強制されるものではなかった。信仰はいくら信じろと言っても信じない人は信じないからだ。どんなことでも人間はすべて強制してやれるものではない、奴隷すら強制的に使用はできない。その人が何か有効な価値を見出すとき自主的に働くことになる。その時その人は本当に金だけではない労働自体の価値を見出しているのだ。そういうことは本当に特別なことではなくあらゆる仕事にある。ヘルパ-とか掃除婦とか卑近と思われる仕事でもある。

ただ労働は今や一般的に苦役であり強いられた労働となっている。初期の自主的にはじまった資本主義の精神とは違ったものとなっている。それは宗教意識、信仰の堕落だともなる。働くモラルが低下したのである。また初期の信仰心から発した労働と今はまるで違ったものとなってしまった。ただ欲望を満たすだけための労働となった。最初は勤勉であり節約が美徳とされ労働はあまり消費に重点を置いていなかったのである。そもそも修道士は禁欲を実行するものだからそうなった。仏教でも修行者は禁欲を実行する者である。だから修道士や僧侶がぜいたくすることは禁止されるし他からみても許されないのである。


労働そのものに価値を見出し、経済発展を遂げた国はプロテスタントの国と日本だけです。


日本人がなぜこんなに働くのか、勤勉ななのか不思議である。労働自体が救済であり労働自体に価値あると見なしているからだ。働くことが勤めるとは仏教のお勤めのことである。お経をあげることである。それは宗教と関係していた。働くも端を楽にするということは他人を楽にしてやりたいということは助けたいから働くということは宗教的と言えないことはない、働くにはそういう動機があったのである。働くことは自分もそうだが他人を益すること他人を助けるということがあった。奉仕とか奉公とかはそういうことがあったから出てきた言葉である。自分も無化してただ仕える奉仕するということがあった。そういう仕事は今でも家事とかに残っている。家事するのは無報酬の愛が基でありそれがなければ成り立たない、その家事を切り離して利益労働にするとただ利益だけを追求するようになる。家事から離れるとそこに愛は必要なくて利益だけを追求するものとなる。

つまり労働でも動機が大事でありその動機が失われたときその社会は崩壊する。「神は人の心を見ている」というときいかにあらゆる所で動機を見ているかわかる。犯罪でも故意なのかどうかまずみる。盗むにしてもコンビニなどで知らずにカバンにパンを入れてしまったことがある。週刊誌を読むのに気をとられてそうなった。全然盗む気がないのにそうなった。そういうのは犯罪にはならないが外から見れば盗んだように見える。殺意なくて偶然殺人になることだってある。そういうものも犯罪にならない、明確な動機がなければ犯罪にならないのだ。だからもし具体的に犯罪にならなくても恨みを抱き殺意をもったらすでに犯罪だというのも言える。それほど動機は大事なのである。


●モラルを実行する模範とすべきものがいない社会の荒廃


資本主義は修道院からはじまったのだから動機は今とはまるで違っていた。神に仕え奉仕するというのが先にあり禁欲であり節約であり勤勉があった。大金もうけてやりたいことをやるというのとは欲望を満たす資本主義とは違っていたのである。現代の資本主義はすでにこの動機、モラルの点で崩壊している。すべての働く人の動機はすでに不純でありただ金が欲しい欲望を満たす何か消費したい、贅沢したいという動機しかない、だから手っとり早いのは働かず盗んだ方がいいとさえなる。みんなそういう気持ちになっているのだ。現代はもうモラルが崩壊している。経済の基礎は道徳だというのは本当である。その基礎が崩壊しているのだから資本主義自体崩壊しているのだ。それは下々のものまでそうである。下々のものもモラルは江戸時代だったら侍を模範としてモラルを形成していた。

それで奉公ということが商家でも習ってそうなったのである。今や習うべきものがない、金をもうけることがけが最優先される。欲望を満たすことだけが追求されている。教育からして他人を蹴落としてまで受験戦争に勝ちいい会社に就職して楽をする得をするということを教えられる。その結果として東大を頂点とするヒエラルキ-が生まれた。官僚が身分だから壊せないというときそれは江戸時代の侍の身分とは違っている。侍は庶民と同じく貧しかった。


ただ模範とされたのはモラル的なものとして精神的な徳を実践するものとして見習ったのである。今は上に立つ人はモラルがない、官僚であれ、政治家であれ、会社であれ、あらゆるところで金さえ得ればそれでいい、利益を得ることが第一とされる。そして模範とするべきものはない、ただ金持ちを庶民はうらやむだけでありそのうらやむのは欲望を満たすことができるからいいというだけである。官僚の天下りとかそういうものを見れば誰もうらやましがるのはそういう身分になれば得をするということだからである。濡れ手に粟で金を入る立場になるということがうらやましがられているだけである。実際に上に立つものの腐敗がモラルのなさが原発事故につながっていた。ただ金を得るということで人々は働いていたのである。マスコミも宣伝費をかせぐためにそうなり官僚も巨大な天下り先だから監視が甘くなり地元も金になるということで見逃されてきたのである。技術的問題もあったがモラルの崩壊としても事故は起こっていたのである。


●資本主義はモラルが喪失したからすでに崩壊している


資本主義が修道院からはじまったとういとき余りにも今は変わりすぎた。強欲資本主義とか欲望充足のためだけの資本主義であり土地転がしとか金転がしで金融業がアメリカの産業だというときアメリカの働くモラルも最悪である。西部開拓時代はホイットマンのように働く人は実業に働く人でありその人たちが讃美されて詩になっていたのである。金転がしのようなことで巨万の富を得るような人達ではなかった。その時代は働くことでも健全であったのだ。資本主義はもう崩壊しているのだ。それは恐慌とかそういものではない、経済の基礎となるべき道徳が崩壊しているからだ。日本はそうではないというが日本も同じである。日本には明治時代あたりにあった義理人情とかまるでない、ただ金だけが

唯一の価値となってしまった。だからこそ今働かない人がニ-トなどがふえたりしているのは
働くことに意義を見出せない人々がふえたということもある。働かないということが価値観にすらなっている。働く奴は負けだとかさえなっている。それは余りにも働くということが金だけの欲望充足のための経済となったためである。唯一の価値基準は金しかない、金があるものが一番偉いのであり金がある人が一番責任がある社会である。金がすべてになればそうなる。金によってすべてが動くとなればそうなる。庶民も見習うべきは金持ちでありかただ金持ちになりたいというだけである。そうすればすべての欲望や願いもかなえられると思っているのだ。そのことが資本主義が崩壊していることなのである。そういうことが極点に達すればモラルがないのだから崩壊する。人間社会は基礎に何らのモラルがないともう維持できない、無秩序の弱肉強食の社会になってしまう。そういうふうにもうなっているから崩壊してゆく。


人間は明かに働くにしてもモラルが必要だったのである。ただ金だけ欲しいという動機の人は実際はヘルパ-でも家政婦でも家の中に入ってくる場合本当に怖い。家の事情がわかるから大きな犯罪に結びつきやすい、昔の奉公するというモラルもないとすると働く動機が金しかなくなれば人など簡単に雇えない、そういうことは金では福祉関係などでは助けてもらえないということである。社長が借金ある人は側近に雇うには信用しないとか金のない人は危険だというのもわかる。金に飢えている人は犯罪予備軍なのである。そういう人を簡単に信用したら大変なことになる。虎視眈々と財産をねらっているという怖さがあったのである。そういう恐ろしい時代にすでに入っているのだ。だからこそ資本主義はモラルの喪失から崩壊してゆくし実際に崩壊している。それが今や恐慌からではない、働かない人がふえたり上に立つものから下々のものまでモラルはなくなり崩壊しているのである。庶民にしてもモラル的に模範とすべきものなど何もない、今一番偉いのがお医者様になるけどお医者様にしても病院では利益第一主義でありいらない薬とか金のために無用な手術までしたり怖いことが起きている。それは金のために殺人するとさほど変わりないけど医療の現場では隠すことができるし許されるのである。医も算術になったのである。


●モラルが崩壊すれば法律も役に立たない


そういうモラルの荒廃が社会全般に起きているからこそ資本主義は崩壊する。原発事故もそうしたモラルの崩壊も原因して起こったのである。危険をかえみみずただ利益になればいいというだけである。それは社会全般にそうである。宗教はカルトとなりこれも利益追求を第一としてとても修道院からはじまったモラルなど皆無である。教えることは贅沢ができることでありそういう身分になれとはいうことで権力を追求しているのだ。そのために毎日祈っている、禁欲など全くないのである。モラルが崩壊することは社会が崩壊する深刻なことだとまだ認識していない、これは法律だけの外部からの強制では成り立たない、人間は自主的なものがなければ成り立たない、自主的に働くことや自主的に社会に参加して働くことがないかぎり成り立たない、強制では成り立たないから共産主義は崩壊したのである。

民主主義はそうした自主性を育つものとして作られた制度であるけどそういう自主性もモラルも喪失するとき最悪になる。自由は自由なエゴと各人の欲望を充足するためのものであり権利だけを主張して義務は実行しない、とにかく金だけはよこせというだけになる。ボランティアが震災で起こったがその時やはりその時働くこと自体人を助けることに意義と喜びを見出しているからこそできるものであった。その労働は修道院からはじまった資本主義の理念とか動機と一致していたのである。そこに働く意義をかえって見出したのはそのためである。ただ物資を運ぶことが人助けになっていたのである。まさに働くことが奉仕だったのである。
震災の負の面も大きかったがそういう点で助け合うのが経済だったということを見直したのはいい面として働いたのである。


資本主義の堕落がここに書いてある。
http://www18.atpages.jp/hisao123/newpage16.htm

posted by 老鶯 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2011年11月10日

相馬市晩秋俳句十句 (病院に行き相馬市を歩む)


相馬市晩秋俳句十句

(病院に行き相馬市を歩む)


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晩菊の色それぞれに定まりぬ


朝静か三本の枯木や病院に


橋古りて柿の熟すや塩地蔵


菊畑街中にあり城下町


相馬なる路地を曲がりて木の葉散る


相馬なる通り歩みて秋の暮


三色の晩菊静か城下町


城下町路次を曲がりて残る虫


冬の日や老人と話す住宅に


我が町に帰りて駅前落葉かな



相馬市の病院はいつも混んでいる。50人待たなければならなかった。このくらいはいつでもそうである。それで近くで暇つぶしに歩いた。市営住宅がありそこで老人と話した。あそこの市営住宅は数が多い、仮設住宅ではないがちょっとにている。市だからあれだけ多いのだろう。家賃は3千くらいだからここも同じだった。大きな家のことをうらやましがっていたけど家をもっているとつくづく金がかかる。すでに家を直すために一千万くらいかかっている。増築したのでかかったのだ。今度は瓦屋根を直すと大きな家だからやはり金がかかる。家をもっていても金がかかるのだ。郡山市の瓦屋から電話が来て修理のことを言っていた。地元の人は忙しく順番待ちである。今年中でにできるというが足場組むようになるとできないとなればできない、家が高くて大きいから困るのだ。今は外からこの辺に相当建設会社が入ってきている。バスで来たら前を札幌の建設会社のトラックが三台ドロを積んで走っていた。意外と遠くから来ているのだ。まだまだこの辺は建設関係の仕事があり屋根を直していない家が多い。屋根は被害をほとんどの家で受けたから仕事がある。あそこの市営住宅の前のス-パ-で惣菜を買ったが作り方が違うので一味違ったものとなる。相馬市とか原町だと買い物でもいろいろ選べる。特にオカズで困っているから惣菜が大事なのである。大きな海老フライも売っていた。それらを買った。


相馬市はやはり城下町だから情緒がある。路次が多いのが特徴である。街は歩いてみないとわかりにくい。歩いて見えてくるものがある。李龍という中華料理店でランチを食べた。その窓から外を見ていたら人が歩いていた。その歩くことに情緒を感じる。歩くことが珍しくなったからだ。車で通ったら人の姿は見えない、商店街が廃れたのは車社会になったからである。通りを歩めば一軒一軒を見るから買い物に立ち寄ることがあるからだ。ともかく歩くことが詩になるということ自体、いかに今が車時代になってしまったかわかる。人間が歩くことは絵であり詩であった。だから江戸時代の浮世絵はその歩く姿が絵になっているのだ。着物姿の女性の人が歩いていたりすると城下町にあっている。最近新しい城の堀の跡が発見されたとかやはり城下町だからそういう話題がでてくる。


今日は寒いということはない、それでも立冬が過ぎたから冬である。冬というよりは晩秋なのだろう。病院に枯木三本あるというときこれは写生である。俳句は写生でありその三本の木がいかにも相馬の病院にはふさわしい。南相馬市の病院には何十本の桜の樹があった。あれはあれであそこにあっていたのである。今は半分の医師と看護師がいなくなったので通常の診療ができなくなった。ともかく一番困ったのは病院である。病院というとき週刊誌にでていたが癌になった人などはあまり治療せず痛みをやわらげることをしたりケアに重点を置く病院が人気で他からもきていて満員になっているというのもわかる。最期はもう過度な治療したりするより最期の時間を有意義にすることの方が大事である。過度な治療は病院の経営のためにするというのはおかしいのである。相馬の病院では行くたびに先生が変わり手術だと何回も言われたので準備もしたし今すぐ入院せねばならないと思いあせった。何しろ自分のような身寄りもない人は手術だ入院だとなると大変なことになった。そのために大被害になった。だから簡単に言われると困るのだ。家の鍵まであづかってもらうほかないしそういう準備ができないと20キロ圏内の立入禁止区域と同じになる。空家となり泥棒に入られるのである。そういうことを経験したから本当に今は近くの人でも油断できない。今は福祉のサ-ビスがいい市に移り住むというのもわかる。故郷にこだわる時代ではないともいえる。サ-ビスがいい親切にされるとなれば故郷でなくてもいいとなる。そして富士山でも眺められるならさらにいいとなる。


バスで帰ってきたが今年中に原町-相馬間は電車が通る。それでも相馬から何年も常磐線は開通しない、バスでゆくとなると不便だから仙台に半年も行かない、行けないのだ。介護でも行けない。
鹿島区では歯医者一軒やめて家を壊していた、隣の家も壊した。倉庫も壊した。印刷所のビルも壊した。近くの惣菜屋もやめた。何か衰退してゆくだけの市となっている。ふえたのは仮設住宅だけだった。人の世はつくづく変化が激しい、無常の世だった。無常とは常なき世だった。ここに家があったけどなくなった。それもまた無常である。ここに住んでいた人はどこに行ったのかわからない、いる人がいなくなる、これも無常である。人が死ぬのも無常である。津波で大勢の人が死んだのも無常である。原発事故で起きた変化も無常だった。人間はいつの世も無常の世を生きていたのである。


晩菊というとき老人を思い浮かべる、色はすでに定まっている、その個性の色は変えられない、その人はそういう人だったという評価が定まってしまう。犯罪人はもう犯罪人であり改悛もしない、歳になるとできないのである。歳になるとあらゆることが変えることはむずかしくなる。ひでに人生の結果がでているからだ。もう変えることができなくなっているのだ。

 


 

2011年11月11日

医者の傲慢の危険 (人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる)


医者の傲慢の危険

人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる

> つまり金持ちが優遇、優先されるということか
> 外国での臓器移植も割り込むために大金がいるみたいだしな


日本だって、謝礼さえ出さないような無礼な患者は
練習のための稽古台に過ぎん。モルモット扱いが当たり前。

コネがないなら、金を出せ。



こういう医者が現実にいることが怖い。自分もモルモットにされた。研修医に治療してもらってそれがミスしたことはまちがいない。管の交換だったけど小便でなくて三回も死に目にあった。タクシ-で行ったり一回は真夜中で救急車を呼んだ。小便でないと人間死ぬことある。研修医の明かにミスだった。一回は開業医が偶然まだやっていたので管を交換してもらい助かった。原町ではその時週に何回かしかやっていないかった。もしそこでやってもらわないと大変なことになった。その頃この辺は原発事故で医療崩壊していたからだ。福島市の方まで搬送された人もいた。明かな研修医のミスだったけど文句も言えないのが病院だった。病院には医者には本当に文句も言えない、あとあと怖いということがある。この辺はそもそも医者を選ぶことができない、病院はもう限られている。そしたら何か文句言って断られたら死んでしまう。現実救急医療を断られたのだからそうなる。研修医でもそういうとき患者にわびてもいいような気がする。そういうことをしないと医者の卵の時代から人間に対して傲慢になる。患者は単なるモルモットにすぎないとなってしまう怖さがある。この人は確かにそういう医者だった。そういうふうに育てられた医者は患者にとって怖い。もちろん医者にもミスはある。そのミスをとりたてて患者が追求するとは限らない、問題はこうした傲慢な態度で患者に治療する医者がいたら患者もなんなんだ、この医者はと思う。それは技術以前の問題だろう。医者には人格的におかしな人間がいるというとき謙虚さがたりない、傲慢な人が多いということである。


医者だけではない、人間はその職業によって傲慢になってしまうものがある。地位でもそうである。医者などはそうなりやすい職業である。お医者様でありいつも礼を言われている。それは命に直結しているからそうなる。だから手術でも良くしてもらいたいから謝礼に金を払うということもある。この世の中弱い人間は自分をふくめつくづくお礼ばかりしていなければならいなことがわかった。
ちょっとした手違いだ致命的な傷を受けることもあるし死ぬことだってある。そういう職業だとするとき研修医の失敗でもそれが死につながることだってあるんだよと指導すべきなのである。ともかく病院の問題でもあるから研修医には謝らせない、それが医者は多少ミスしてもいいという安易な考えになってしまうかもしれない、必ず病院がミスしても守ってくれるという考えになる。人間は医者でも科学者でも官僚でも会社の社長でも上に立つ地位があると権力をもつと傲慢になる。医者は病院は大きな権力をもっているのだ。患者は弱い立場である。すると医者に謙虚さがなくなってしまうのである。科学者もまた傲慢になる。原発事故でわかったように謙虚さがない、東電では莫大な金で官僚だろうがマスコミだろうがおさえることができる、思いのままにできると思い上がったことが大きなミスした原因でもあった。人間はまたかえって優秀な人が謙虚さをなくしてしまう。有能なできる人間はどうしても有能でない人間を馬鹿にする傾向がある。才能に奢り美貌に奢りとか男女でもいろいろ奢りがあり謙虚さを失う時、そこに危険が生じる。

神は人間の傲慢さを許さない、人間の奢りを神は厳しく罰してきた。人間は英雄的な有能な人間を神の使いとして選ばなかったのは人間は傲慢になるからだ。何も自分はもっていない、有能さもないという人を選んだのである。

何も誇ることがないという人を選んだのである。つくづく人間は何に誇っても無力をしらされる。あれだけ健康で優秀だった人間が認知症になりすべてが崩壊したことに驚いた。そのことをまじかに見たので書いてきた。人間がいかに体が強いとか言ってもそれも必ず最期は崩れてしまう。必ず病気になってしまう。いかに頭がいいと言っても認知症になったりしてこれも全く頭脳が崩壊して痴呆になるというほど驚いたことがない、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも認知症になったからでてある。人間はそれだけ優れた人でも最期は弱い人になってしまう。だから聖書では自分でやったということを言わせない、神が成したものとして神をたたえていた。自分がやったとか言うときそれは非常に怖いことになるか。激しい神の怒りをかったのである。原発事故も人間の科学者などはじめあらゆる上に立つ人の奢りの結果として事故が起きたともいえる。ともかく医者とか上に立ち権力をもつと人は奢り高ぶる。その奢り高ぶることが必ず神の怒りをかうのである。


ただ奢(おご)るにも奢れない人はいる。そういう人はそもそも謙虚になるというよりおごりうるものがないのである。自分なんかも全く体力もないし才能もないからそうであった。だから天才はキリスト信者になれないというとき天才は余りに天分にめぐまれすぎているのだ。だからニ-チェのように自分が神だとなってゆく。キリストに従うことができない、そういう人が天才でなくても一番医者はなりやすい、医者には謙虚な人が少ないというのはそのためだろう。そういうふうに回りからされていることもある。医者が全能の神のように何でも直せるならいい、実際は直せない、そういう点やはり謙虚になるべきなのである。原発事故の原因も奢りがあった。謙虚さを失っていった。学者が千年前の津波のことを忠告したときも東電では聞かなかった。いろいろな面で忠告しても聞かなかった。事故など起こらないと思っていたし危険を隠していたのである。また隠す権力ももっていたのである。そういうことは医療の分野でも常に起きている。ミスは人間につきものであるのは人間が万能ではないからである。そういうことで謙虚にならなければなちないのだが人間は必ず傲慢になるのだ。そして大きなミスを犯す。それが原発事故でもあったのだ。人間の奢りに対して神は恐ろしい罰を与える放射能などの問題もそうである。ミスしたら住めなくなったり遺伝子が破壊されたりと本当に放射能の恐ろしさを知った。それは核を破壊したりするなんても科学で操作することへの人間に対する恐ろしい罰だったのである。


 

2011年11月12日

相馬六万石の城下町(フランスの詩と自分の詩の比較)

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相馬六万石の城下町

相馬六万石の城下町
城も見えずに残る濁る堀
狭き門一ついづこが城や
その名残も知れじ


街中に菊畑映えて
塀の内に柿のなる
昔の武士の屋敷にあらじ
通りをゆく人あわれ秋の暮


街のはし橋一つものさび古りて
塩地蔵常にしありしも
我がここを行き来して
病院に枯木三本堅く立ちしも


田町は昔栄えし所
柳長々と垂れしかも
相馬駒焼き代々の主
無愛想にいぶせく棲みぬ


城下町曲がれる路次の多しも
残る虫の音なお聞こゆ
晩菊の静かに日のあたり
古本屋により書を読みぬ


誰が眠る街中の墓所の静けく
相馬藩代々つづきぬ菩提かな
野馬追いに受け継ぐ
武士の勲し誉れ蘇りぬれ


相馬六万石の城下町
日頃知られぬ街なりき
この街訪ねる人もまれなりき
駅前に落葉してひそまりぬ


街を離れて昔の街道行けば
松並木に昔を偲びぬ
刈田の道も静かに農家かな
昔郷士や伝来の旗を蔵しぬ


城下町誰か棲みぬれ
畳屋の灯ともり仕事かな
野馬追いの今もつづけば
鎧師のなお技伝えぬ


月曇り六万石の城下町
鈍き銀色の雲の棚引き
華やかな栄のなしも
月影のもれし屋並かな


墨絵の色の地味な街
質素なる暮らしの昔かな
四方に田野の広がりて
城はつつましく暮れにけり

 



仏蘭西の小都会
            アンリイ・ド・レニエェ


起き出て我朝に街を出ずれば
道の敷石に足音高くひびきて
太陽の若き光は古びたる甍を暖め
Lirasの花は家々の狭き庭に咲く


人の歩みに先(さきだ)ちて足音の反響は
梢にそびるゆる苔の土塀の長きに伝わり
磨り減りし敷石は白き砂道に連なり
場末の町より野辺に走れり

やがて険しく上る山道より
日に照らされて丘のふもとに
悄然として狭く貧しく静かなる我が生まれし街の
見慣たる懐かしき屋根の見ゆるかな

長々と彼処に我が街は横たわる。流るる河ありて
その水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ
散歩の道に茂りし木立は街にそびゆる
鐘撞堂の石と共に古びたり


うららうに澄み渡りて狭霧なき空気に
我が街は太き響きを我に送りくる
洗濯屋の杵と鍛冶屋の槌の音
打ち騒ぐ幼子の甲高くやさしき声


変わりなきわが街の浮世に思い出もあらず
繁華光栄の美麗もなくて
わが街はいつの世までも
今見るごとく小さき都にあらむ


我が街は耕せし野辺,高原、荒れし野に
又は牧場の間に立つ数ある街の一つなれば
何れとわかぬ小さきフランスの街の名に
旅する人はわが街の名さへ知らで過ぎぬべし


しかれども朝より夕べに移る徒然歩きの
長き思ひの一日は過ぎて
麦の畠のかなたに日はかくれ
林に通う細道暮れそめて


物のあいろもわかぬ夜
歩む足音険しき道にとどろきて
堰越す水音はるかに聞こえ
吹く風運河の木立に騒ぐ時


つかれて我は帰りくる街近く
ふと仰ぐ辺りの家の窓
帳さへなきガラス越し、ランプの壺に
石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば


杖にて探る夜の道、自ずと足も急がれて
われ思ひしる、我が墳墓の国土
懐かしき眼に闇の内よりいとも優しく
我が手をとりて引くがごとしと



外国は日本と全く違ったものと思う人もいる。でも外国を旅していると人間の住んでいる所は必ず共通性がある。ギリシャでもあそこは特に風土が地形が日本とにていたから親しみがあった。菜の花が一面に咲いていたのを見たとき、これは日本と同じじゃないかとつくづく思った。ギリシャは日本の地形と本当ににていたのである。ヨ-ロッパはフランスやドイツは山がほとんどないから地形的にはにていない、でも歴史的にはにていたのである。特に封建時代があり中世は城の時代でありにている。各地に領主がいて支配していたし騎士は日本の侍とにている。封建時代があるのはヨ-ロッパと日本だけである。中国にはない、巨大な帝国はあっても地方に領主がいて城で支配していたという歴史がない。今でも廃墟になった小さい城の跡が多いから日本とにているのだ。そして中世の時代は長かった。日本の城下町と中世の街もにているところがある。いかに古い石畳の路次がありそこを踏み歩むと歴史を感じるのである。そこはまさに日本の城下町でもあった。ただ石造りということが違っていた。石畳の道は中世からつづいている道である。その路次には聖人の像などが祭られていたりするが日本では地蔵になったりする。


磨り減りし敷石・・・というのはまさにそうである。流るる河ありてその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・ここは日本とは違っている。河が大陸では運河のうよになっている。流れているか流れていないのかわからない、自然の河のようには見えないのである。だからその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・というのはうまい表現である。日本の河は絶えず流れて滝だと外国人が言ったが外国の河はまさに眠っているという表現がぴったりである。そして橋はいかにも古い石の橋でありそれは街と連結していて街の一部のうようになっている。この辺は違っていてもこの詩は全体的に自分の作った詩とにていると思った。ランプの壺に石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば・・・これは日本では江戸時代なら行灯だった。江戸時代の風情は城下町に多少残っている。相馬市がなぜいつも行くとしんみりするのかというと高い建物が街の中にほとんどないからである。それは昔の江戸時代の街並みと同じである。江戸時代に高いビルはない、だからこそ「月天心貧しき街を通りけり-蕪村」これが現代のように高層ビルだったら月も映えないのである。江戸時代の江戸でも高いビルはないのだから自然が太陽でも月でも映えるのである。そこが昔を錯覚する。高いビルは情緒を壊すのである。外国でも旧市街と新市街は分かれている。旧市街は歴史地区であり歴史を偲べるのである。

いづれにしろ相馬市をたずねても何もないと旅人は感じる。それはこの詩と同じである。しかし城下町だからそれなりに歴史がある。相馬市はまだ野馬追いがあるから他よりはいい、ここが野馬追い発祥の地として自覚するからだ。ただ城もないしここが一体どこが城下町なのかとなる、武家屋敷もない、最近堀の跡が発見されたとか残っているのはあの濁った堀くらいなのである。そうすると他からここにきて昔を偲ぶということはなかなかむずかしい。一般的に昔を偲ぶということはむずかしいのである。現代のものだけが目に入りやすいからだ。でも相馬六万石でも城下町の歴史はあったのだから他とは違っている。原町とは違っている。細い路次が多いのもそのためである。田町は昔繁栄して馬屋などが並び漢詩にも残された。そういう残されたものからも昔を偲ぶことはできる。風景は変わっても回りは田んぼだからそんなに変わってもいないからだ。ともかく自分の作った詩とこの詩はにている。やはり人間はどこに住んでも人間である限り共通性が必ずでてくるものだと思った。エジプトなんかはなかなか現代からすでに理解しにくい、でもギリシャなどは理解しやすいのである。


江戸時代は墨絵の世界だった。着ているもの地味だったというし侍でも質素であり派手な暮らしをしてしいない、今ほど派手な暮らしをしている時はないのだ。現代は余りにも社会が変わりすぎてしまった。車社会というのも情緒を破壊した。TPPにしても車社会と関係している。車社会になったとき街の商店街は消失したし様々な古いものが破壊されたのである。そして財界がTPPを押し進めるのは自動車を売りたいとかのためでありその圧力が大きいのである。農家の人でも名古屋辺りでは車の生産に関係しているのだ。下請けになっていたりする。車の方が売りたいから農業は二の次にされる。車を売らなければ豊かな生活はできない、農業ではできないということでそうなっているのであり
車社会がそうしていることが根底にあることを見ないと事の深層はわからないのである。車社会が必然的に街の通りと商店街を破壊して農業も破壊してゆくということがあるのだ。車を売ってその税金で国が農家に補償しているということもある。そういうジレンマが常に現代にはあるのだ。


ともかくヨ-ロッパは日本と意外とにている。中国辺りだと大きすぎてとらえどころがない、封建社会もなかったから歴史的にもにていないのである。確かに漢字は共通でも社会自体はにていないのである。スケ-ルが大きすぎるとわかりにくくなるのだ。距離の感覚でも何でも日本とはかなり違っているのだ。ヨ-ロッパの中世は感覚的にわかりやすいのである。教会もカトリックだと日本の寺とにている。役所の一部でもあった。日本でも戸籍係のような役目を寺が果たしていたのである。寺の権力も結構大きかった。ヨ-ロッパの方が大きかったにしろにている。ただ外国でも昔を知ることはむずかしい。外国人でも日本に来たら東京辺りだとほとんど昔を偲べない、偲ぶものがない、皇居だって城がないのだから偲べないのである。やはり何か遺跡として残っていないと外国は特に昔を偲ぶことはむずかしいのである。

 
           

2011年11月14日

晩菊-冬薔薇(老人を移住させるのは過酷)


晩菊-冬薔薇(老人を移住させるのは過酷)

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晩菊の色それぞれに定まりぬ


雨ぬれて晩菊静か石二つ


晩菊の墓所の近くにあまた咲く


黄色なる通り映える朝の菊


二三輪残り咲きひそか冬薔薇

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秋薔薇と冬薔薇となるとまた違っている。その変化の中に詩がある。晩菊は冬になっても晩菊であり冬菊となるのは寒くならないと感じが出ない。俳句は季語に左右される芸術なのだ。秋薔薇であればすでにそれでイメ-ジされるものがある。冬薔薇もそうである。でも俳句は短いからこれだけでは芸術として完成していない、「二三輪残り咲きにし冬薔薇」としてもこれがどこで詩なのかとなる。
俳句を外国語に翻訳するととても詩として理解不可能である。季語の理解がないからである。
英語に訳したら冬に薔薇が二三輪咲いているというだけになるからだ。そんなことが詩にはらない。季語の理解があって俳句になっていることが外人にはわかりにくいのである。

この冬薔薇は作られた背景を読まない限り何の意味ももたない、日本語でもわからない、写生にはそういうことが多々ある。この辺の事情を知らないと理解できない、つまりこの辺では原発事故で故郷に住めなくなった人が大勢いることを知らないと理解できない、特に原発事故は老人に過酷だった。慣れ親しんだ所に住めなくなるのは老人にとっては一番過酷なことだった。それで浪江の請戸から避難した83才の老人が小屋でも建てて住みたいとか言っていた。全部壊滅した所に戻りたいという。それだけ老人はすでに一生住んだ場所に思い入れが強いのである。だから老人が移住することは一番過酷なことだった。


秋薔薇も冬薔薇も老人をイメ-ジするけど冬薔薇は特にそうである。長年住んだ場所に留まり冬薔薇のようになる。そこにひっそりと最期のときを迎える。そう願うというか人間は自然とそうなってしまうのである。放射能は老人に影響は少ないとしたとき老人だけでも住めるようにしたらいいと思う。若い人がいないとむずかしいということもある。結局若い人にとっても特に子供にも原発事故は暗い未来を与えてしまったのである。そもそも子供にしてもこういう放射能汚染地帯に住みたくないとなってしまった。それはすでにここに未来がなくなってしまった。未来の希望がなくなってしまった。そういう残酷さを原発事故はもたらしたのである。老人は未来より過去であり長くいたところに留まりたいというのが人情である。チェルノブエリでもロシアは広いから移住させた。日本では土地が狭いからできないし代々住んでいた所に住みたいという気持ちが強い。原発はロシアやアメリカでも中国でも広い所だったら別な移住先が用意できるから良かった。日本には地震や津波や土地が狭いなど風土的にも向いていなかったのである。風土的なものをもっと考慮すべきだったのである。

 
 
 

2011年11月15日

TPP問題をヨ-ロッパの歴史からふりかえる


TPP問題をヨ-ロッパの歴史からふりかえる


●ヨ-ロッパでは教会と領主の支配から脱することが商人によって行われた


ヨ-ロッパの歴史は宗教がわからないとその本質が見えない。今世界中が資本主義になっているというときそれも宗教がキリスト教が基になっていたということでもわかる。修道院の中で節約、勤勉が神の奉仕となり資本の蓄積が奨励されて資本主義が生まれた。それも宗教の改革、フロテスタンとから起こった。カトリックの支配が隅々まで行われていたとき、それを改革することは至難だったのである。教会が人口200人に一つあった。3000人ほどで15の教会があった。一つ一つが教区であり行政区でもあり日常の生活に深くかかわっていた。この教区に属さないで生活はできない。日本だと檀家に入らないと生活できないのとにていた。江戸時代とヨ-ロッパの中世はにているから意外と理解しやすいのだが宗教に関しては理解しにくいのだ。でもこの宗教の理解なくしてヨ-ロッパの歴史は理解できない。


一面これだけ宗教が重要な役割を果たしたとき、その宗教の軛から脱することがヨ-ロッパの歴史にもなった。封建領主もカトリック教会が10分の一税をとり税金や土地を所有するので利害的に権力的に対立した。日本では寺が幕府の従属機関となったがヨ-ロッパは従属させる権力を有していたのである。日本でも信長が比叡山を焼き討ちしたように宗教団体と対立した歴史があった。ヨ-ロッパでも同じような歴史があった。ただ宗教の力が強いのでできなかった。ルタ-の宗教改革のときルタ-が領主にかくまわれたことでもわかる。領主とカトリック教会は対立していたのである。それから宗教と対立していたのは商人たちでもあった。教会はやはり商人から税金をとるからそうなる。それは領主でも同じである。税金をとることは民を支配することに通じている。だから商人は税金をとられないように様々な運動をするようになる。

それは封建領主にも税金をとられないように同盟を結ぶ。それで有名なのがハンザ同盟だった。河や海でも通行税を領主からとられていたがそれでは商売にならないと税金を払わないように商人同盟を結んだ。それが国を超えて結ばれた同盟だった。ヨ-ロッパでは河は運河であり物資の運搬が盛んになり商人が活躍して富を貯えて都市が成長したのである。

そこが日本とは違っていた。ただ幕末になると西では豪商が生まれて各地の藩が財政に逼迫するようになり豪商から借金するようになったことは共通点がある。明治維新の後ろだけになったのが西の豪商がいたということもある。ただヨ-ロッパのように商人の外国人も交えたハンザ同盟やギルドの強固な組合は生まれなかった。このハンザ同盟とか職人のギルドは当時のグロ-バルな組織であった。事実は石工のフリ-メイソンが有名である。そしてこのフリ-メイソンに指導者が支配されて世界が動いているというとき中世からそういうことは起きていたのであある。前の鳩山首相はフリ-メイソンだったといわれるのもそのためである。


●人間の移動は戦争にも通じていた


最近国とは何なのだろうと考えることが多い。経済がグロ-バル化したとき一体国とは何なのだろうと思う。そういうことはすでに中世にその萌芽があり国を越えたものが商人や職人により志向されていたのである。現代のグロ-バル化とかTPP問題もそういう歴史的な発展として見る必要もでてくる。人間は今日の問題が突然起こってきているのではない、過去の歴史の延長として現代の問題が起きているのだ。だから何事歴史的にふりえる必要がでてくる。封建時代は領土の拡張が第一の過大になる。領土を拡張すれば農民から税金をとれる。農業国家は領土拡張が常に課題となり戦争となっていた。

日本でも人口増加を補うには土地が必要であったので絶えず開墾が行われた。それが海側に干拓して白砂青松の独特の日本的風景を作ってきた。そして土地がなくなったとき遂に外国に領土を広げようとして満州に進出したのである。土地があって農業ができるからだ。満州では米まで作ろうとしていた。あれだけ寒い所だから米作りには向いていなくても農民国家だったからそうなった。農民は土地がなくては成り立たないからである。人間は人口増加や気候の変化や何か変動するとき人が大挙移動するとき社会が変わる、人が大挙した移動は戦争にもなる。ゲルマン人の移動とかもそうである。人口が増加して増加した人口が移動によって吐き出されるということがある。移民はみなそうである。アメリカへの移民がその典型だった。人間の歴史がはじまって以来常に人は移動して新しい定住の地を求めていたのである。


 「カイサルの植民政策におけるもう一つの注目すべき点はローマの無産市民8万人を海外に送り出したことである」(『ローマ帝国の国家と社会』、P.19)


十字軍も失業対策であった。東方の貿易を求めた軍事遠征でもあった。グロ-バル化というときこの時代からあった。人もグロ-バルに移動するし物も移動するのである。日本に無産化階級の労働者が中国人や韓国人なども流入してくるのとにている。やはり人口増加の圧力がそうさせる面があった。TPPで人も流入しやすくなるというとき大量の労働者が日本に入ってきて日本人の労働を奪うという恐れを感じるのは当然だとなる。日本は規制が厳しくまだまだ人は入りにくいからである。その規制がなくなったとき無産化階級は入りやすくなる。


現代の国家とは何なのかというときヨ-ロッパの歴史ではカトリックや封建領主が商人の活動でその地位と権力を奪われた。そして商人が貿易が経済が社会を動かすようになった。ただその当時の貿易には農産物は貿易の主要品目ではない、毛織物とか織物関係が一番多い。香料とかも多い。そもそも貨幣は貝だったように装飾品とか贅沢品として貨幣が生まれた。遠隔地貿易ではそうなる。貿易はすべて対等ではない、アメリカでは金と塩が等価だったり貿易はその時代によって価値が違ったものとなる。


●国家とは企業である


TPPは第二開国だというとき歴史上、農産物まで自由化したことはないだろう。例えば米が自由化して地方で米を作らなかったらどうなるのだろうか?そういうことは想像すらできないことである。
そういうことが原発事故でこの辺で起きていることなのだ。田んぼも畑も荒地と化した。これは何なのだろうとつくづく思う。こんな荒れた土地にいても食糧を生産していなくても生活できている。それは交通が発達しているからどこからでも食糧か入ってくるかできる。でも一時この辺は放射能が怖いと食糧すら入らなくなっていたのだ。他から放射能が怖いと物資を運ぶ人がいなくなった。ガソリンもなくて車が入らず食糧が入ってこなくなった。その時古米が配給されて自分も10日間くらいそれでしのぐことができたのである。つまり緊急の場合、食糧は日本すら入ってこなくなる。ましてや外国だったら余計に入ってこなくなる。放射能が怖いというだけで入ったたなかったし外国人は放射能が怖くて中国人まで脱出した。実際はこの辺はそんなに高い放射線量ではなかった。でも風評被害だけでも食糧が入ってこなくなったのである。風評被害だけでも食糧が入らないとしたら外国だったらましてや食糧は全く入らなくなる。だから農産物まで自由化することはいかに危険なものかわかる。その時金と塩を交換したように食糧は外国から買ったら馬鹿高くなるし国自体存亡の危機になることは確実である。


ただヨ-ロッパの歴史をふりかえるとき人間の活動は宗教とか領主とかの支配から脱するものとして作られてきた。だから現代のようにすでに国家とは何なのかと問うとき、国家とは企業であり会社であり東電でもあった。封建領主時代だったら国とは農業を主体としたものである。しかし現代の農業の割合は一割とか極端に経済にしめる割合が低下した。企業が国家であり貿易を拡大化するには関税を撤廃するTPPがいいとなってしまう。国家は今や政治家が動かしているのではない、商人や職人の国際的ギルドが国の代わりになったように現実に会社が国家と化しているのだ。つくづく原発事故で東電が国家だったということが明確になった。東電に官僚が50人も天下りしていたことでもわかる。東電に国家の役人が雇われ支配されていたのである。政治家も東電の僕(しもべ)にすぎなかったのである。マスコミなども宣伝費を企業からすべてもらっているのだから企業よりになりTPP推進派になる。東電のとき東電から宣伝費をもらっているから原発を批判したマスコミはほとんどなかった。今は全部批判しているけど一社もなかったのである。農民を指示しても農民からは宣伝費は入らないからそうなる。宣伝費を払うのは企業であり会社だからマスコミは企業側につくのである。

国家がなぜ原発事故を監視して制御できなかったのか?それは東電が国家より強大になり実質上国家になっていたからである。国益とは何なのか?それは企業の利益のことになってしまう。強大化する企業の力を国が制御することはできない、それは世界的にグロ-バル化経済になったとき起こっていたのである。グロ-バル化経済ではハンザ同盟が国より力をもち貿易を自由に行ったのとにている。一面そういうことはグロ-バル化にはさけられない宿命としてあった。しかしそのグロ-バル化の主導権をにぎるのはアメリカでありその背景に軍事力があるというときそれはロ-マとにていたのである。ロ-マの力は軍事力にあったからである。ただ一方で中国の力が大きくなっているときTPPは成り立たなくなる。中国なしでは今や世界経済は回らないからである。


 

ロシアに威嚇され

中国に恫喝され

アメリカに支配される

日本は戦後こうなった。中ソが対立している冷戦時代は中国も国力がないから目立たなかった。
アメリカとソ連の間で舵取りをしていれば良かったのである。今や三国の大国でかじとりをしなければならなくなったから米ソの冷戦時代より外交はむずかしくなったのだ。へたすると日本はこの三国の大国の間で戦争になるような危険もある。中国の台頭が脅威となっているのだ。この大国の狭間で日本はこれからも舵取りは困難を極める。


参考にした本-幻想都市物語(中世編)


この本はむずかしくない、わかりやすいかちらおすすめである。

posted by 老鶯 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2011年11月16日

冬薔薇(人間一番大事なのは信頼)


冬薔薇(人間一番大事なのは信頼)

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この石は津波でも動かなかった。庭の土台とともに残っていた。
海岸がすぐ側でありその衝撃が大きかった。それでも流されなかった。
実際はもっと大きく見えるものだった。とり方が悪かった。
もう一度行ってとってみよう,これは烏崎だった。


古池やなじみの鴨の今日も群る


庭の石残りて堅き冬日没る


冬薔薇松一本や介護かな


冬薔薇一人ささやき闇つつむ


今日は寒いから冬である。庭の石というとき、これは津波に流されないで残った巨大な一つの石だった。巨大だから流されなかった。石でも流されたのが多い。あの巨大な石でもやはり自然の石ではない、庭の石だったから人間化した石だった。だからその石を見るとき自然にあった石ではなく庭にあった石として記念として残るだろう。小さい石は流されて自然のような石になったのもあった。あの大きな石はどっしりと残っているからそうはならなかった。いづれにしろ石は石でも庭にあった石は明かに人間化した石である。だから堅いというとき、人間的に堅いとか誠実だったとかそういう象徴になるのが石なのである。人間の心がこめられた石になる。

冬薔薇の季節である。畑に一輪咲いていたのは誰も気づかない、松一本だけが見守っているようだ。その松とは自分のことにもなる。信頼する人は愛すべき人が一人でも残っていれば幸いである。その一人が見守っている。人間つくづく信頼ほど大事なことがなっかた。相手を信頼することがどれほど困難を極めていたか今頃になってわかった。結局自分は余りにも社会的経験がたりなかった。一面人間がいかに信頼できないものかを知らなかったのである。この世は人を簡単に信頼できるよな世の中ではなくなった。隙あらば相手をだましだしぬき泥棒は普通にいる。特に手伝いとかヘルパ-とか家の中で掃除してもらうだけでいかに大変なものか知った。

それは家のことがわかる。書類などが掃除してまぎれてしまったりなくなったりする。すると疑ったりする。家の中のことをいじられることはよほど信頼していないかぎりまかせられない、それを余りにも安易に考えていたのである。お人好しすぎたのである。都会だったら警戒するが田舎だから警戒しなかった。田舎ももはや都会並である。一方で人間が誰でも相手を信頼するというときそれこそ最高のことである。人と人が信頼することは本当に至難である。ただ信頼なくして何もできない、ともに仕事もできないとか商売もできないとかこの世のことは信頼なくして成り立たないのである。信頼するために証文やら法律やらなにやらすべてともに信頼させるためにに生まれものである。口では信頼できないから証書として文書と書くようになったのもそのためである。


ともかく今のニ-トなどは親がいるときはいいけどこれから大変なことになる。社会経験がないといろいろなことで困ったことになる。政治家でも会社に勤めていた人が非常に少ない、そのことは社会を身をもって体験していないのだ。政治家の二世とか松下政経塾とか政治家養成機関では社会経験にはならない。民主党でも自民党でもそういう社会経験を積んでいないから政治がうまくいかないのである。現実社会の厳しさを経験していないのである。


それにしてもここ5年間は自分は社会的経験を積んだ。遅きに失したが介護やら病気やら何やらと社会を経験を積んだ。病院のことなども良くしらないとひどいめにあう。どうも手術をしたい病院などもあるようである。それは収入のためもあるのか、経営のために収入のために手術をするということがある。それが病院の方針になっている所もある。どうも自分の場合、行くたびに今手術だと言われて準備してあわてた。自分にとって手術することは大変なことになる。介護する人もいないからである。

一方で先生が変わった薬で治して様子見ようという。だから手術したくないからその先生を指定してみてもらうようにした。そしたら当分手術しなくてすむ。まあ、癌ではないのだから手術してもさほど変わりないように思えるのだ。ただこれは素人判断だからわからない、素人判断も怖い場合がつくづくあった。早く医者にみてもらえばこんなことにはならなかった。そういうことは結構ある。早期発見が大事である。医者はもはやここでは選ぶことはできない、病院も選ぶことはできない、医療が最低限受けられるだけでいい、そんな所で住むのは損だともなる。でもどうにもならないのだ。

ともかく本格的な冬になる。仮設だと老人には厳しくなるだろう。そういう点はまだ楽である。

2011年11月17日

津波に残った庭の大石 (霊験を帯びた石となった)


津波に残った庭の大石

(霊験を帯びた石となった)


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津波に残る庭の石


津波にも残れる庭の石

堂々として動かざるかな

その石に土台のみ残りぬ

今北風鳴りてこの大石や

故郷に残りけるかも

その背(そびら)松二本も

前の港の跡に残りけり

人よ、この残れる石に祈れ

この石の津波にも残り

霊験を帯びたるを知れ

津波にも動かざるもの

不動なるものの力よ

この石に新たな力宿りぬ


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360度パノラマ

今回の津波によってのちのちに語られることが様々に生まれた。陸前高田市の奇跡の松もそうだった。゛何万本のうち一本だけ残ったということは本当に奇跡だった。この辺で残った松もそうだった。右田の松原にはいい松があった。松が太いのでいい松原だった。それで前に紹介した松は本当に悲壮な松となっていた。松の幹ははがれ枝は折れていてまるで激しい戦いを生き抜いた武将のようだった。その姿は凄まじいものだった。よくぞ残ったあっぱれといいようがない松だった。他にもどういうわけか二本並んで残っている松がこの辺では八沢浦とか右田とかにあるし烏崎にもあった。

そして烏崎に残ったこの石も記念碑的な石となった。石だってあの津波では流されたのが多いのだ。防潮堤も破壊されたし石だって流される。津波の力は本当にそら恐ろしいものだった。その津波にもちこたえてこの庭の大石は残った。この石の回りの石も忠実な従者のように残った。小さいから流されても不思議ではないがこの真ん中の大石とともに残ったのである。


石の配置は前に置く石があり脇に置く石がありと定められている。それがそのまま残っていた。この石は津波で一つの記念碑的石となった。何か霊験を帯びる石となった。残った松もそうである。自然のものでもこういうとき今までにない価値が帯びてくる。霊験を帯びてくる。もともと石や岩の霊験は動かないということ不動にあった。不動ということは回りのものに惑わされない、付和雷同しない象徴として石や岩があった。
それがますます津波にも耐えて動かなかったことで不動という価値を増した。新たに霊験が加わったのである。そういうところから一つの信仰も生まれてもくる。謂われがある自然物,石や岩や樹でも何かそういう霊験をあったのだが時間がたってわからなくなったのである。この石はまだ霊験が新しい。でも時間がたてば伝説的な石となってゆく。津波を記念する石となる。


ともかく津波の後遺症はまだまだ残り長びく、伝説が残るほどの惨事だった。冬となり北風が吹き津波の跡に土台と庭の石と松が残っている。その残ったものが風格を帯びて霊験が加わったのである。陸前高田市のように壊滅的打撃を受けた所では残った一本の松でも頼りにする、そういう悲惨な状態だからこそその一本の残った松は貴重であり拠り所となったのである。それはもはやただの松ではない、住民がそこに残るという願いがこめられていたのである。

posted by 老鶯 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年11月18日

鮭上る(放射能が心配だ)


鮭上る(放射能が心配だ)


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本能の激しさ果つ鮭上る


鮭上る鴎鷺烏みな来る


鮭上るつきぬごちそう余裕かな


大内に残れる家や冬薔薇


冬の雲棚引き長く津波跡

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鮭上るは秋の季語だけど冬になっても鮭が上っている。自然の営みは凄いものがある。
同じ様な句を作っていた人がいた。今年は鮭が上るのが遅いらしい。新田川でも浪江の川でも上っている。浪江は有名だった。川がいいので鮭が多く上っていた。それが人がいないとどうなるのか?
川をどんどん上って産卵するのだろうか、そこでまた放射能の問題が出てくる。黒竜江では鮭の値段が落ちているという、回遊する魚で海に出たらまた黒竜江へ戻ってゆくからそうなる。風評被害だけどもこんなところまで放射能の影響がある。自然産卵の卵だったら浪江辺りだと相当に放射能に汚染されるだろう。そして水をかぎわけてまた産卵した川に戻ってくるとしたら水が川の水なかったら元の川に戻ってこないだろう。浪江町ではどうしているのかわからない、奇形の鮭が戻ってくるとおもしろおかしく話していた人がいたが卵などは影響されるから不安である。細胞分裂が盛んなときに放射線の影響をうけやすいからだ。

鮭がずいぶん死んでいた。鮭は北海道辺りでもヒグマが川でとって食べる。これも豪快である。鮭は大量にのぼるから餌がたりなくなることはない、知床辺りでも鮭の恵みで生きているということがある。アイヌが生きられたのも鮭の恵みだった。保存もできるし鮭の川で靴まで作っていた。鮭は大量に上るから鮭が主食ともなる。子供のときは塩鮭を喜んで食べていた。あの頃、鮭はごちそうだったのである。今は鮭はあまり食べない、川に上った鮭はまずい。とっても食べる人は少ない。売っているのは海でとった鮭である。鮭はやはり味噌づけがうまい。鮭を買ってみそ漬けにしてみよう。これも今や自分でやるほかない、家事全部自分でやっているから大変である。結局今の生活は便利でも家のことだけで結構やることがある。


津波の跡に長々と冬の雲が棚引いている。もうあそこには家は建たないだろう。家を建てるにしても一軒だけ建てるわけにもいかないだろう。浪江の83才の老人が請戸に小屋でも建てて住みたいというけど一軒だけ住むということはむずかしいだろう。ただ海に魚がとれるし、鮭もとれる。海の幸はあるから漁はできるから住めないことはない。ただ浪江は放射能が高いからこれからどうなるのか?

大内は山側の方はわずかに高くなっていて助かった。道を挟んで平地の方は半分くらい破壊されて家を壊していた。大内も結構被害大きかったと思った。あの前は縄文時代は海だった。万葉時代真野の入江があったときも海だった。大内部落は結構古い。烏崎より古いと思う。大内と烏崎の間に村があったが消えた。烏崎が漁港ができてそれで人がふえたのか、あそこの歴史はまだよくわからない。

中ロ国境黒竜江省のサケに放射能汚染なし
http://jp.xinhuanet.com/2011-10/14/c_131191501.htm

2011年11月19日

冬日(木彫りのアイヌ像-長寿は人類の目標だった)


冬日(木彫りのアイヌ像-長寿は人類の目標だった)

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木彫りにアイヌの夫婦冬日さす


健やかに長寿の樹や冬日さす


その昔槐の盆やひなたぼこ



北海道木材の中でも特に堅い、槐(エンジュ)材を使用しています。槐材は、北海道の厳しい環境のなかで育つため、密度が高く油分が多いので、木彫りに適しており仕上がりも光沢が美しいものとなります。

きへんに鬼と書き、魔よけになるともいわれ、愛されてきました。延寿とも書いて、長寿を祝う木とみられています。昔はタバコ盆に用いられました


槐は固いから煙草盆としても使われていた。火でも燃えないということである。木にもいろいろ種類がある。これは長寿の樹としてふさわしいものなのか?実物はみていない。樹はもともと寿命が長い。だから長寿と延寿となった。延寿(エンジュ)が槐だった。人間の最初の文化はみんな樹からはじまった。アテネのアクロポリスの神殿も元は木の屋根だったとか石の前は木だったのである。


バイキングなどがノルウェ-から生まれたのはあそこは針葉樹林帯で木が豊富だから船の材にことかかなかったから船の文化が発達したとなる。今はヨ-ロッパでは森林が喪失している。でもベルゲン鉄道のテレビを見たらノルウエ-辺りはまだ森林におおわれていた。針葉樹だからゴシックの聖堂にもあっている。ゴシックの聖堂は森を象ったものだからである。


この木彫りの像は30年前頃買ったものである。お土産で買ったものでいいものがなかった。安物ばかりだからいいものが残っていない。お土産でもいいものを買わないとあとは捨てるだけになるだろう。いいものはやはり高いから買わないのだ。ただいいものは時間がたつにつれ光沢を帯び貫祿を帯びて価値がでてくる。本物の芸術品は時間の中で価値を帯びてその価値がわかってくるのだ。これも買ったときそれほどと思わなかったが今になると何か重厚なものを感じる。ただこれが特別高いのというのではない、当時5千円くらいだったろう。それでも今になると冬の日がさしてこの木彫りの像が重みがでている。今はインスタントで安物が多すぎる。家自体が外見は良くても安物なのである。
材料もいいものを使っていないからそうなる。やはり何でも長持ちするのがいいのである。


ともかく人間が長寿になったことは悪いことではない、長寿は人類の願いでもあった。多産多死は自然のル-ルだが高齢少子化は人類の歴史の必然としてそうなったのである。だからもともと悪いことではない。人間は本当に長生きしないと仕事ができないことがわかった。芸術の分野でもそうである。これは時間がかかるものだと思った。天才でない人は特にそうである。何か理解するのに時間がかかるのだ。現代のようにグロ-バル化したら芸術だって学問だってグロ-バル化しているだろう。すると外国のことを理解せねばならない、それが大変であり時間がかかりすきるのである。日本だけでも理解するのに大変なのに外国を理解するのは更に大変である。その点江戸時代は日本だけを理解していれば良かったから楽だったのである。

 


葛飾北斎


己、六歳より物の形状を写すの癖ありて
半百の頃より数々画図を顕すといえども
七十年描く所は実に取るに足るものなし
七十三にして稍、禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟り得たり
故に、八十六歳にして益々進み
九十歳にして猶その奥義を極め
一百歳にしては一点一格にして生きるが如くならんか
 
『富嶽百景』のあとがきより


天才にしてもこうなのだから凡人はなおさらである。自分も60過ぎてから結構俳句短歌詩でもいいのが作れるようになったと我ながら思う。凡才だからそうなったのだけどやはり芸術であれ一つの道を極めることは時間のかかることなのだ。だから長寿でないかぎり何か一つの道を極めることは不可能である。長寿は人間にとっていいことなのだ。ただ悪いとされるのは社会にとって活力を失うとか福祉の負担がただ増加するばかりだとかそうしたことで若者が老人は死ねとか盛んに言われる。でも人間が目指してきた一つに明かに長寿があったことは確かである。ただそれも健康でないと意味がなくなる。多少病気になっても仕事ができることが大事なのである。長寿はやはり人類の一つの目標であり負の部分があるにしろ今世紀に達成されたのである。もちろんこれからはわからない、意外と団塊の世代は早死になるとか言われているしわからない、でも長寿は健康であれば祝福されたことである。本当の幸福感は長寿ではじめて得られるもかもしれない、ただ自分はどうなるのかわからない、癌でないとするとすぐに死ぬとは思えないがわからない、ただ長寿でないと自分の仕事の大成ができないことは確かである。

科学時代の盲点 (地震学は素人の感より頼りない-フジテレビのプライムニュ-スを見て)


科学時代の盲点

(地震学は素人の感より頼りない-フジテレビのプライムニュ-スを見て)

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地球的規模で地震を見ていなかった


●科学万能主義に陥る危険


「科学的思考」と「科学万能主義」とは違う、科学的思考は科学万能主義にはならない。あくまでも一つの方法である。科学でこの世のことがすべてわかる、解決するとはならない、フジテレビの討論で地震学者が地震予知はできないことを言っていた。地震は未知の世界であり学者もわからないしそのことをもっと言うべきだった。地震の研究は狭い地域で分けてパ-ツにして研究していた。宮城県沖とか福島県沖とか岩手県沖とか部分に分けて研究していた。これは科学の手法である。部分化するのが西洋科学だった。ところがそこに盲点があったのだ。


震度9という地震を経験したことがなかった。経験していないのだからその経験から研究できなかったと言う。ところがスマトラでもアラスカでも震度9の地震は起きていた。スマトラは最近起きていた。それが全く関係ないと言えたのだろうか?地球は一つでありつながっている。地殻は連動している。だから日本のプレ-トがスマトラとかアラスカとは関係ないとは断言できない。地殻の変動は地球的規模になるからだ。人間の盲点は全体を知ることができないことである。科学は部分に分けて部分の研究は微にいり細にいりする。しかし全体として見ることは不得意なのである。地震学はそうした地球全体として研究せねばならないからそこに地震は予知できないのである。

もう一つ科学の盲点は長いスパンになると千年単位とかなると過去のことはまさに科学的に研究できない、貞観地震のことは最近科学的に研究されてわかってきた。しかし以前として推測の域であり

それがまた起こるという確定はむずかしかった。つまり千年とか単位となると科学者も確定的なことは言えなくなる。それから全体的把握になると科学は弱い。地球全体を研究するとなると手に余るとなる。だから部分的な研究には精をだしても地球全体を知ることはできないからそこが盲点になって想定外の巨大地震を予知もできなかった。でもスマトラとアラスカに起きたのだから日本で起きないとは言えなかったのである。



●現代文明に科学的思考は不可欠


それから地震の警報で問題になったのは地震警報は天気予報などと全く別なものだった。それを科学者も予報官もそれを聞いた住民も錯覚していたのである。天気予報は正確であるから地震も正確だと知らず科学に対する錯覚が生まれていたのである。科学はある分野では正確であり効力を発しているし科学の時代だから科学に望み期待することも大きくなっている。だから科学万能主義にもなる。科学がすべてを解決できると科学万能主義になる。科学的見方と分析と科学万能主義は違っている。
科学というときもはやこれを否定はできないのが現代である。例えば宗教にしても科学的にみるべきところはみなければならない、なぜならカルト宗教がこれほど大衆を洗脳するのはなぜなのか?それは不思議にも科学時代に科学的に見ないということなのだ。あらゆることを宗教に結びつけることはすでにガリレオの宗教と科学の分離に反している。またカトリックの政教分離でもそうである。宗教と科学や政治をまたは経済でも分離して考えるようになったのが現代である。


例えば創価などでもあなたが不幸になったのは信心しないからでありあなたの不幸の原因をすべて宗教にしてしまう。会社が倒産したり商店街が衰退して倒産したり病気になったりといろいろな不幸がある。それをすべて宗教に結びつけるやり方は科学的ではないのだ。その理由はすべて宗教にあるのではない、商店街の衰退は車社会になったとか巨大ス-パ-ができたとかにあると社会を科学的に分析するのが正解であり宗教は関係していない、病気にしてもみんな病気になるとしたらすべて宗教が関係するとはならない。現実宗教団体に入って祈ればすべて解決するとかにはどこもならないのである。こういうところでも科学的に見る眼が必要なのが現代である。科学時代に科学的な思考をせず盲信に陥ってゆくというのもまた科学万能ではないからそうなる。


●地震学は素人の感より頼りないもの


現代では科学が苦手でも科学的思考が必要な時代である。現代文明は科学的思考の上に成り立っている。それが科学万能主義となることとは別問題である。科学は万能でないからこそ原発事故も起きた。原子力や核について人間はすべてを知っているわけでないから事故が起きた。原発の安全神話は科学万能主義の宗教に似通ったものとなっていたのだ。科学が万能なら事故は起きない、でも事故は起きた。地震予知と不確かなものとこれまでもそのことは知っていた。だからあくまでも一つの目安にすぎないと科学者が言うようになった。地震について津波についてはわからないと言っていた。だから地震が起きたら津波の警報にしてもあくまでも目安にすぎないから自己判断で危険を感じて避難すべきだと言っていた。ところがやはりテレビとかマスコミが情報を受けていることが日常化しているときそこで錯覚が生まれたのである。

3メ-トルや6メ-トルの津波警報が出たときそんなものかと最初からみくびってしまった。それは常にテレビとかの情報から流されることになれていたことにもある。天気予報とにたものとして見るようになってしまっている。日常的には天気予報は正確なのだけど地震予知は正確ではないのだ。特に巨大地震は千年に一度でも起こるしこれからも想定外のものである。だからこそ予知はできないと言っていたから各自危険を感じて避難する他ないと言っていた。

そして地震警報をだしたのはその時、大阪管内であり大阪では東京のような揺れを直接感じていなかった。だからもし東京管内だったら直接のゆれを感じたからたれは尋常ではないと人間の感が働きもっと津波警報も違ってものとなっていた。そんなことを地震学者が言っている。ええ、人間の感の方が体感の方が頼りになる?それなら地震学者はいらないとなる。これほど地震学は未熟なもので頼りないものだった。それはこれまでもそうだったのである。でも日常的に天気予報とかが正確だからそこに錯覚が生まれたのである。日常的でないものに対し人間は弱いということである。

そうなると夢とか人間の不安とかの方が地震や津波に対して予知になったともなる。なぜなら海岸沿いに住んでいる人は大きな浪に飲まれる夢をみる、自分も小学校の前まで海の水がおしよせてのまれる夢を良くみてたいたのである。その通りに小学校前まで津波は押し見せていたことに驚いた。小学校前から海まではほとんど家もないからそういう夢をみていた。そういう夢が本当に現実化したことに驚いたのである。隕石が落ちる夢などは見ない、しかし浪にのまれる夢は実際度々みているのである。そうした人間の不安は現実化する。だから都会に住んでいる人がビルが倒れたりする夢を見るかもしれないがそれはいつしか現実化する。そういうことはありうるのだ。絶対に倒れないことはありえないのだ。そういう危険を感じることは回りにある。それはいつか現実化するのである。

posted by 老鶯 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年11月20日

冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


冬夕焼け(浜街道-牛越城-五本松)


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大原に老人残り冬夕焼け


牛越城五輪塔や冬夕焼け


みちのくの冬夕焼けや光堂


石垣に冬夕焼けや六万石


頬伝う時雨や枯れて残る松


重き荷や自転車に坂時雨かな


山茶花の白にほのかに紅の色媼(おうな)のひそか街に残りぬ

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今日は冬でもあたたかった。イオンに行く時、昔の浜街道を行く、植松から五本松に出るところで曲がった急な坂がある。あそこを年取った人がうしろにトイレットペ-パ-積んで運んでいた。あれは楽でないと見た。あの坂は急なのである。自分の電動自転車は坂に強いし荷物にも強いから行ける。そうでないと原町まで行くのにも疲れる、最近筋肉が疲れやすいのである。今日は時雨だった。
芸術は別に変わったことを求めるのではない、当たり前の日常的なことに芸術がある。


ただ俳句は短いから説明がないと背景を知らないと鑑賞できない、明かに老人が自転車で行くというところにこの句の意味があった。五本松には一本だけ枯れた松がまだ残っている。あの松もいつ倒れるのかと思う。自分の母親もそうである。やっと息している感じだが歩いたりしているから寝たきりではないからなかなか死ぬとも見えないのが不思議である。あるときぽっくりといくのか人間はこんなに生きるものかと不思議になる。あの松も実際は完全に枯れて死んでいるけど倒れてはいないのだ。

冬夕焼けはみちのくにあっていた。冬夕焼けと平泉の金色堂があっていた。それからイオンの側に牛越城があった。その牛越城を見て青田氏の五輪塔があった。それも冬夕焼けにあっていた。

この辺は一体どうなるのかと何度も思う。そもそもこうして故郷を俳句にしているけど20キロ圏内は立入禁止区域だから入れない、とするとこうして普通に昔を偲んだりその風景と一体としてあった人の営みが喪失したのである。浜街道にしても小高区から立入禁止だから通じていない、道は通じていてこそ効用がある。途中できれてしまったら鉄道でも道でも死んでしまう。風景とともに人と一体化してあった故郷が喪失する、人が住めなくなるということなど想像したこともなかった。だからこれは一体何なのだろうとそれぞれが思う。なかなか現実のものとして納得できないのである。それで飯館村ではあれだけ放射線が高くても帰らせようとしているのだ。


原町などは人は住んでいる、空家には見えない、ただ子供は外に避難して帰ってこないらしい。半分くらい帰ってこないらしい。すると実際は老人は残っているが子供がある若い所帯はいないということがある。ス-パ-キクチで相当数の人員を募集ししているチラシが来たのも労働力が不足しているのかもしれない、働く若い人はいないのかもしれない、その影響は大きいのである。植松の老人ホ-ムは休んでいるみたいだ。福祉関係のサ-ビスも低下している。働く若い人が不足しているいうこともある。


山茶花で白色で回りがピンク色のがある。ほのかにピンク色だった。媼(おうな)とは老人のことだけど今は個人差があるけど60代では媼(おうな)とはならない。何かギラギラした欲望に満ちている女性が多い。自分などはすでに20代くらいで老成していたから人間の欲望の深さを簡単に消えるものではない。それが普通である。60代の女性は要注意である。これから男女でも問題が起きやすい。なぜなら欲望は強いし今は枯れていないからだ。山茶花と椿は花がにていてもまるで違ったものである。椿は春に咲くけど山茶花は冬に咲くからである。もっともわび、さびにふさわしいのが山茶花なのである。


病院で知り合った老人大原の大きな家には一人でいる。子供のいる所帯は避難した。病院からながめたときは秋夕焼けだった。今は冬夕焼けである。やはり田んぼとかが耕されてこそ風景かある。それがないということは異常である。