2011年10月29日

人の消えた飯館村の不思議(秋の短歌十首)


人の消えた飯館村の不思議(秋の短歌十首)


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農家には一軒一軒蔵ありて朝の日さして柿のなるかな

秋日さしここに確かにいつも見ゆ石のありしも人は去りにき


町の辻野菊とともに月見草咲き残しつつ人は去りにき


飯館の道に蛇の這い人住むぬ村にのびのび主となるかな


飯館の森にかそかに鳥の鳴く秋の午後かな人も見えじに


飯館に人の去りにき秋の日に鏡のごとく沼の鎮まる


村人のここに暮らしぬ今はなきいづこに暮らす秋の日暮れぬ


飯館になお知られざり道のあり我がめぐりつつ秋の日暮れぬ


牛鳴かじ人去る村の静けさや裏の山路に落葉積もりぬ


この村に牛のありしと牛の鳴く声を聞かずに秋の日暮れぬ


この山路ゆく人なしに山陰の暗き家や人は去りにき


我が一人この道来たり家一軒ここにありしと知らざりしかな


飯館の裏の山路に家一軒残りてあわれ秋の夕暮


飯館に灯のともらぬ家々や帰りを待ちて秋の夜ふけぬ


栃窪の麓の家や今年また薪を積みつつ冬に備えぬ

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人がいなくなった飯館村も不思議だった。ゴ-ストタウンとは違っている。警戒区域で立入禁止区域はペットが野犬化したりダチョウが町の通りを歩いていたり牛が野生化している。そういう風景とは違っている。なぜなら交通は遮断されていない、原町と飯館と川俣の幹線道路は普通に結ばれているからひっきりなしに車が通っている。立入も自由であり村民も自由に出入りしている。仕事をしている人もいた。それでも家には人が住んでいない、しかしその家は廃屋とは今は違う、まだ荒れてはいない、ちょっとだけ留守にしたという感じでありすぐに帰ってくるよという感じなのだ。ただ前のように牛の鳴き声が聞こえないからさらにしんみりとしている。そういう点で人の気配とか牛の気配がない。もともと飯館村はいつも不思議だった。特別にしんみりとする所だった。それは言葉では言い表せない感覚である。それはやはり変わっていなかった。ただ一段とさらに淋しくなった。


草ぼうぼうであり田は芒がおいしげり元の原野に戻り森にもどってゆく、溜池がありその側の家には人が住んでいない、するとさらにその溜池が静かになってゆく、なんとも不思議としか言いようがない、裏の山の道を行ったら一軒の家が隠れるようにあった。こんなと所にも家があったのかと思った。飯館村は広いから回りきれない、だからぽつんぽつんと忘れられたように家があった。こんな所にも人が住んでいるのだと思うような所に住んでいたのである。それで人がいなくなって今更ながらここにも人が住んでいたのだなとあらためて思った。人が住まなくなっても人が住んだぬくもりはまだ色濃く残っている。廃屋化したのとは全然違っている。人がまたすぐに帰ってくるという感覚なのである。だから立入禁止区域とは違っている。人が住まなくてもまだ人が自由に出入りできればゴ-ストタウンにはならない、それなりに森も自然も人が入れるから全然無干渉にはならない、別に放射能を気にしない人はここに遊びに来てもいいし住んでもいいような気がする。飯館村は住んでみたい場所だった。ここに住むには車がないと住めない、買い物は川俣まで行かないとできないからだ。だけどここに人が住まないのがもったいないように思えた。


まずこういう人が住まなくなった村をたずねることなど普通はできない、限界集落で廃村になった村が確かにありそういう村もテレビで写していたからにている。でも規模が違う、6000人の住人が突然いなくなったということはない、だからここを訪ねることは映画のうよなことではない、現実としてこんなことがありうるのかと思う不思議を経験する。こういうことは経験しにくい、これは作られたことではなく現実の世界だからである。なんだか一匹の蛇が道を我が物顔によぎり蛇がこの村の主のようになったのか、原初の自然にもどってしまうのか?ただ車がまれにしろ以前として通っている。

全く無人の村ではない、村の人が自由に出入りしているのだ。飯館村のような所でも老人なら放射能を気にしないなら住める、だから老人から先に帰り住ませるということはわかる。ただ福祉的サ-ビスは受けられない、それでも住みたいという人は空家がいくらでもあるのだから借りて住めばいいような気がする。ただ最低電気とか水道がないと住めないだろう。そういうことを覚悟住みたい人は住めばいいのではないか?何かもったいなのである。あそこは本当に環境がいい所だからである。

ここ五年間自分が経験したことは不思議なことばかりである。それは家族の認知症からはじまったのである。認知症というのもこれは何なのだというとき本当に理解できない不思議極まる病気だったのである。良く狐につつまれたようなというけどそういうことが次々につづいたのである。その中には犯罪もありそれも狐につつまれたようなというのがぴったりである。「事実は小説より奇なり」というのをこれほど感じたことはない、事実ほど理解しがたいことはないのである。認知症、津波、犯罪・・・これらは全く理解しがたいことである。そういうことが5年間つづいて我が身に起きてきたのである。こんなストリ-を誰も作り得ないのである。


放射線量は実際に自分で計測器をもって計らない限り実感しないことがわかった。そして場所によってかなりの違いがあったのである。飯館村はやはり高かかった。2マイクロシ-ベルトとか公表されても地面にじかに計測器を置くとその三倍くらいにはなっていた。その辺の差が大きい。低い所では南相馬市でも街中は0・1-0・2だから低い、地面に直接置いても同じである。それと比べると飯館村は高いと思った。いづれれにしろ計測器なしでは放射能はわからない、飯館村があれだけ高いと住むのがむずかしいということを実感する。それでも老人はそれぞれの自己判断で住めるようにしてもいいと思う。ただ福祉のサ-ビスは受けられない、まだ飯館村は人が自由に出入りできているから死んだ村にはなっていないのが救いだった。


田舎の恵まれているところは人が悠々と住める、持ち家の人が多いし農家だったらみんな蔵をもっているし悠々している。逆に田舎では資産をもっていない人はすみにくい、都会のようなアパ-ト住まいは少ない、元から住んでいた人が持ち家に住んでいるからだ。土地をもって家をもって住んでいるのが田舎である。そういう所ではあまり格差がないから安心社会となっていた。公務員も恵まれているから安定の役割を果たしていた。一方で無産化階級はすみにくい所でもあったのだ。だから田舎でも犯罪がふえているように思える。田舎ではかえって格差が目立つということもある。都会だと人が多いから目立たないのである。ともかく飯館村は人が消えても人が住まなくなっても今は人は帰ってくるような雰囲気である。ゴ-ストタウンとは違っていた。廃村をたずねたり廃線マニアや廃墟マニアがいたりするが飯館村は警戒区域でないので自由に出入りできるからこれは不遜になるが経験できないことを経験できる不思議があった。


この次は佐須から霊山の方へ行ってみよう、ただ自転車だと最近筋肉が弱り痛くなる。今回も一日動けなくなり寝ていた。疲れが激しくなるのだ。でも行けないことはないからなんとかまた行ってみよおう。

posted by 老鶯 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村