2011年10月03日

原町区の萱浜(かいはま)は元の萱の浜にもどった


原町区の萱浜(かいはま)は元の萱の浜にもどった


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烏崎の沼

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萱浜

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萱浜にあった家

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瓢箪や平和もどらむ二つかな

水葵色濃くなりてここに咲きまた来たりて秋となるかな


萱浜はぼうぼうとして萱の原元に帰りて秋風の吹く


誰か住む形見と残る庭の石草も枯れつつ秋風の吹く

 


烏崎の沼になったところは不思議である。水葵は色が濃くなったみたい、もともとあのような色なのか?あそこだけが本当に沼のようになった。他は水がたまっても浅いし汚い、あそこだけなぜ水葵と白い花が咲いたのか謎である。もともとそういう素地があって沼になった。なぜならあそこだけが自然に帰ったのである。他はあのように自然に帰っていない、湿地帯化しているところがあるが汚いのである。あそこの水は何か深く感じるし湿地帯の沼である。
いづれにしろ津波の跡は何度行ってみても不思議としかいいようがない、萱浜(かいはま)はもともと萱の原だったからこんな情景だった。江戸時代に越中から移住した人などが苦労して開拓した地域であり今でもその時のことを語り伝えていた。それが今や水の泡になった。元の萱の浜に帰った不思議である。一軒の家があった所に庭の石だけが残っている。これはどこでもそうである。庭の石だけは残ってあとは土台だけになってしまった。老人ホ-ムがあったところまで水が来て被害があった。


ともかくなんとも荒寥とした風景になった。あの辺にはもう家は建たないし田を作ることもないだろう。無理して田んぼを作り米作りする時代ではないから農家でも廃業する人はふえるだろう。すると萱の浜のまま放置されるのか、でも土地は広いから何か利用するというとき産業廃棄物とか放射能の処理場にいいとなってしまう。その他にソ-ラパネルでも置くかとなり現実にそういう会社がアメリカから来たりしている。津波の跡はもはや水田にはならない、それだけの労力を費やす人はもういないだろう。湿地帯化すれば自然がもどったことになるがきれいな北海道のような湿地帯になるかどうかはわからない、菖蒲などが咲けばそうなる。

瓢箪は秋の季語であり平和がもどってほしい、今までの普通の日常がもどってほしい、津波と原発事故の前は瓢箪が下がっていてこの辺はのんびりしたところがあった。今は毎日毎日放射能がどうだこうだそしてぼうぼうとした草がなびく津波跡とか平和が失われたのだ。瓢箪とか糸瓜を養う余裕がなくなった。そういう余分な人を養う余裕がない社会もまた窮屈なのである。年金暮らしの人は金の心配がないから残れるというけどそうでもない、現実に南相馬市から半分の医者や看護師がいなくなった。すると金があっても世話する人がいなくなるのだ。だから年金をもらっても金があってもサ-ビスを受けられると限らないし金があると安心もしていられないのだ。市町村でも全体が衰退することの影響が大きいのだ。全体が衰退したらもう個々人でも家でも栄えることはありえない、個々が栄えることは全体が栄えてはじめてありうる、全体が衰退したらあらゆるものが衰退してゆく、芸術とかもやはり生まれない、育まれない、決して個々人が金があるとしてもそういう市町村では栄えることはない、そういう衰退する市町村では金の価値すらなくなっているのだ。そもそもサ-ビスを受けられないからだ。物は通信販売でも手に入っても医療とか福祉関係など人的サ-ビスは受けられなくなる。
posted by 老鶯 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係