2011年10月27日

電車の来なくなった町(詩)


電車の来なくなった町

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線路は草に埋もれて

半年電車が来ない

電車の音も汽笛も聞こえない

常磐線は5年も復旧しないと

一部は線路がずたずたにされた

なんだか北海道の廃線のようになるみたい

トンネルの向こうに町がある

町の灯が見える

でも電車は来ない

廃線のトンネルのようになる

鉄道マニアがその廃線をたどる

秋の蝉はまだ鳴いている

仙台はずいぶん遠くなった

半年も行っていない

秋の陽が湿地化した田んぼを照らし

阿武隈山脈に沈んでゆく

月の光が線路を照らしている

江戸時代に帰ったようだ

狭い村々で人々は暮らし

めったに遠くへと行けない

もちろん電車に乗って遠くから人も来ない

頻繁な人の出入りはない

自分は車をもっていないから

江戸時代にもどったように感じる

六号線も途中で閉鎖されたから

長距離トラックもこないから

余計に閉塞された感じ

狭い空間に閉ざされた感覚

それか江戸時代だった

常に遠くと交わり

遠くが近い世界とはまるで違う世界

電車でも車でもそれは常に遠くへ遠くへ

物も心も運んでいた

もしそれがなくななればものも心も

近くへ近くへ集束してくるのではないか?

それでも物は遠くから来ているからそうはならない

原発事故で地元で作物がとれなくても

九州の福岡の米がス-パ-に積まれている

江戸時代とはあまりにも違う

ともかく山のトンネルをくぐり電車は来ない

山は徐々に心の中で閉ざされて

今日は深い夕霧につつまれて

電車はもう半年も来ない

隣の町も遠くなる感じ

町の灯も秋に淋しくなる

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posted by 老鶯 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般

放射線量の計測 栃窪→大倉(真野ダム)→飯館村(草野→八木沢)を回る


放射線量の計測

栃窪→大倉(真野ダム)→飯館村(草野→八木沢)を回る


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草野へ行く道-ここからさらに峠を上る

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●森の中は高い
●落葉は高い
●雨に濡れた砂や汚泥は高い
●標高が高い所は高い
●飯館に近い山際は高い

栃窪から飯館村を回ってきた。今回は警察の見回りは少なかったようだ。飯館の草野のゆく峠道は落石で通行止めになっていたこともあった。車では行けない、自転車はどこでも行ける。
放射線は町の近くの森で1・5とかあり森の中は高い、外の道は0・1とか0・2である。
栃窪で意外だったのは道に沿った所は下栃窪では0・1きか0・2であり低いと思った。こんなに低いのは変だと思った。なぜなら大原が高くなったのは驚いた。大原の手前の平地で1・5とか高くなったのに驚いたからだ。大原に近づくと3になり道端は倍の6になっていた。それと比べると栃窪は低いと思った。あとでわかったことだが飯館に近い山際は1・5とかそれなりに高かった。栃窪という平地でも放射線量は違っていたのである。狭い地域でも放射線量は違っている。さすがに坂を上り大倉に近づくと高くなった。でも2・4くらいだった。


大倉の真野ダムで驚いたのは橋をわたった休む場所で濡れた砂を計ったら12マイクロシ-ベルトあった。その脇の草は5くらいだった。放射性物質は集りやすい場所があることは確かである。砂がぬれて固まったとか汚泥は集りやすい。大倉の飯館側の道は2から3であり道端も高くなっていない、5とかになってんなかった。通行止めになったところもさほど高くなっていない、高くなったのはやはり飯館の中に入った平地である。6から7になり草野の川俣に通じる道でも6近くあり道端で8以上だった。やはり飯館村の中は高いのである。ストロンチウムやプルトニウムも検出されたというとき何となく気味悪くなる。それでも50代以上は癌になっても10年後20年後だとなると気にしない、いづれにしろ癌になる割合が大きくなるからだ。おそらくもうその癌になっても放射能のためなのかどうかはわからないのである。


草野中心地帯から八木沢の方へ行った。八木沢の上萱へゆく道の一番高い所が落葉で14マイクロシ-ベルとあった。ここが一番高かった。八木沢ではストロンチウムが検出された。標高が高いとそこは放射線量も高いことがわかった。ここの道は土砂崩れで車は通れない。ここは栃窪まで下る道が道路で3で道端で倍の6くらいになっていた。その値は変わらなかった。麓まで変わらなかった。落葉はやはり高くなる。栃窪に下りて飯館側の道は1・5はかで道端はその倍の3とかなっていた。ずっと下っても飯館の山側は1・5から2と高くなっていた。


結局飯館はやはり高い、中心の街の所で道路で7とかあり道端の草むらで9とかあった。これだとなかなか住めないだろう。ただ川俣にゆく道はひっきりなしに車が通っているからゴ-ストタウンとは違う。村の人も出入りが自由であり人をみかけた。トラクタ-で土を削っているのか働いている人もいた。立入禁止区域の20キロ圏内とは違っている。でも実際は相当に放射線量は高かった。ただ警戒区域の立入禁止の街とは違ってゴ-ストタウンという感じはしない、また人が帰ってくるような雰囲気であった。人が自由に出入りしているからそうなっているのだろう。いづれにしろ放射性物質は目に見えないから危機感がもてない、緊張もしないのである。それだからこそ怖いということなのかもしれない、まあ、50代以上はあんまり気にしなくてもいいのだろう。


崩壊する日本-飯館村-プルトニウムの大量検出
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/fdc93e3a96779b3048015777dd7ef8de


これが事実としたらもう飯館村は住めないのかもしれない、放射能は秘密にされるからわからない、感じるものがないから怖さを感じないのである。ただプルトニウムは本当に怖いだろう。2万年も減らないとしたらどうにもならない、住めずに放置するほかないだろう。ただ立入禁止区域ではないから普通にゆくことができたた。警察の見回りも厳しくなくなった。誰でも行ける、仙台の方から写真をとりに来た人がいた。それほど警戒されていないのが助かった。

posted by 老鶯 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月29日

人の消えた飯館村の不思議(秋の短歌十首)


人の消えた飯館村の不思議(秋の短歌十首)


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農家には一軒一軒蔵ありて朝の日さして柿のなるかな

秋日さしここに確かにいつも見ゆ石のありしも人は去りにき


町の辻野菊とともに月見草咲き残しつつ人は去りにき


飯館の道に蛇の這い人住むぬ村にのびのび主となるかな


飯館の森にかそかに鳥の鳴く秋の午後かな人も見えじに


飯館に人の去りにき秋の日に鏡のごとく沼の鎮まる


村人のここに暮らしぬ今はなきいづこに暮らす秋の日暮れぬ


飯館になお知られざり道のあり我がめぐりつつ秋の日暮れぬ


牛鳴かじ人去る村の静けさや裏の山路に落葉積もりぬ


この村に牛のありしと牛の鳴く声を聞かずに秋の日暮れぬ


この山路ゆく人なしに山陰の暗き家や人は去りにき


我が一人この道来たり家一軒ここにありしと知らざりしかな


飯館の裏の山路に家一軒残りてあわれ秋の夕暮


飯館に灯のともらぬ家々や帰りを待ちて秋の夜ふけぬ


栃窪の麓の家や今年また薪を積みつつ冬に備えぬ

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人がいなくなった飯館村も不思議だった。ゴ-ストタウンとは違っている。警戒区域で立入禁止区域はペットが野犬化したりダチョウが町の通りを歩いていたり牛が野生化している。そういう風景とは違っている。なぜなら交通は遮断されていない、原町と飯館と川俣の幹線道路は普通に結ばれているからひっきりなしに車が通っている。立入も自由であり村民も自由に出入りしている。仕事をしている人もいた。それでも家には人が住んでいない、しかしその家は廃屋とは今は違う、まだ荒れてはいない、ちょっとだけ留守にしたという感じでありすぐに帰ってくるよという感じなのだ。ただ前のように牛の鳴き声が聞こえないからさらにしんみりとしている。そういう点で人の気配とか牛の気配がない。もともと飯館村はいつも不思議だった。特別にしんみりとする所だった。それは言葉では言い表せない感覚である。それはやはり変わっていなかった。ただ一段とさらに淋しくなった。


草ぼうぼうであり田は芒がおいしげり元の原野に戻り森にもどってゆく、溜池がありその側の家には人が住んでいない、するとさらにその溜池が静かになってゆく、なんとも不思議としか言いようがない、裏の山の道を行ったら一軒の家が隠れるようにあった。こんなと所にも家があったのかと思った。飯館村は広いから回りきれない、だからぽつんぽつんと忘れられたように家があった。こんな所にも人が住んでいるのだと思うような所に住んでいたのである。それで人がいなくなって今更ながらここにも人が住んでいたのだなとあらためて思った。人が住まなくなっても人が住んだぬくもりはまだ色濃く残っている。廃屋化したのとは全然違っている。人がまたすぐに帰ってくるという感覚なのである。だから立入禁止区域とは違っている。人が住まなくてもまだ人が自由に出入りできればゴ-ストタウンにはならない、それなりに森も自然も人が入れるから全然無干渉にはならない、別に放射能を気にしない人はここに遊びに来てもいいし住んでもいいような気がする。飯館村は住んでみたい場所だった。ここに住むには車がないと住めない、買い物は川俣まで行かないとできないからだ。だけどここに人が住まないのがもったいないように思えた。


まずこういう人が住まなくなった村をたずねることなど普通はできない、限界集落で廃村になった村が確かにありそういう村もテレビで写していたからにている。でも規模が違う、6000人の住人が突然いなくなったということはない、だからここを訪ねることは映画のうよなことではない、現実としてこんなことがありうるのかと思う不思議を経験する。こういうことは経験しにくい、これは作られたことではなく現実の世界だからである。なんだか一匹の蛇が道を我が物顔によぎり蛇がこの村の主のようになったのか、原初の自然にもどってしまうのか?ただ車がまれにしろ以前として通っている。

全く無人の村ではない、村の人が自由に出入りしているのだ。飯館村のような所でも老人なら放射能を気にしないなら住める、だから老人から先に帰り住ませるということはわかる。ただ福祉的サ-ビスは受けられない、それでも住みたいという人は空家がいくらでもあるのだから借りて住めばいいような気がする。ただ最低電気とか水道がないと住めないだろう。そういうことを覚悟住みたい人は住めばいいのではないか?何かもったいなのである。あそこは本当に環境がいい所だからである。

ここ五年間自分が経験したことは不思議なことばかりである。それは家族の認知症からはじまったのである。認知症というのもこれは何なのだというとき本当に理解できない不思議極まる病気だったのである。良く狐につつまれたようなというけどそういうことが次々につづいたのである。その中には犯罪もありそれも狐につつまれたようなというのがぴったりである。「事実は小説より奇なり」というのをこれほど感じたことはない、事実ほど理解しがたいことはないのである。認知症、津波、犯罪・・・これらは全く理解しがたいことである。そういうことが5年間つづいて我が身に起きてきたのである。こんなストリ-を誰も作り得ないのである。


放射線量は実際に自分で計測器をもって計らない限り実感しないことがわかった。そして場所によってかなりの違いがあったのである。飯館村はやはり高かかった。2マイクロシ-ベルトとか公表されても地面にじかに計測器を置くとその三倍くらいにはなっていた。その辺の差が大きい。低い所では南相馬市でも街中は0・1-0・2だから低い、地面に直接置いても同じである。それと比べると飯館村は高いと思った。いづれれにしろ計測器なしでは放射能はわからない、飯館村があれだけ高いと住むのがむずかしいということを実感する。それでも老人はそれぞれの自己判断で住めるようにしてもいいと思う。ただ福祉のサ-ビスは受けられない、まだ飯館村は人が自由に出入りできているから死んだ村にはなっていないのが救いだった。


田舎の恵まれているところは人が悠々と住める、持ち家の人が多いし農家だったらみんな蔵をもっているし悠々している。逆に田舎では資産をもっていない人はすみにくい、都会のようなアパ-ト住まいは少ない、元から住んでいた人が持ち家に住んでいるからだ。土地をもって家をもって住んでいるのが田舎である。そういう所ではあまり格差がないから安心社会となっていた。公務員も恵まれているから安定の役割を果たしていた。一方で無産化階級はすみにくい所でもあったのだ。だから田舎でも犯罪がふえているように思える。田舎ではかえって格差が目立つということもある。都会だと人が多いから目立たないのである。ともかく飯館村は人が消えても人が住まなくなっても今は人は帰ってくるような雰囲気である。ゴ-ストタウンとは違っていた。廃村をたずねたり廃線マニアや廃墟マニアがいたりするが飯館村は警戒区域でないので自由に出入りできるからこれは不遜になるが経験できないことを経験できる不思議があった。


この次は佐須から霊山の方へ行ってみよう、ただ自転車だと最近筋肉が弱り痛くなる。今回も一日動けなくなり寝ていた。疲れが激しくなるのだ。でも行けないことはないからなんとかまた行ってみよおう。

posted by 老鶯 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2011年10月31日

秋薔薇(盛岡の岩手銀行にあっていた)


秋薔薇(盛岡の岩手銀行にあっていた)

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朝早み畑に人あり菊の花


目の前に農家の柿の熟しなる


この街になじみて長し秋薔薇


盛岡の銀行古りて秋薔薇


故郷のこの道知りつ夕月夜


雨しとと石をぬらして我が庭に山茶花ひそか今日開くかも

畑に人がいた。何か栽培してしいる。家で食べるものを作っているのか?放射能を気にしない人もいる。老人はあまり気にしないから自分でつくった野菜を食べる人もいるだろう。
やはり畑に人がいるのが普通でありそれでこそ畑の用をたしている。人がいない荒地では菊だって花だった映えない、自然といっても今接している自然は人間化された田園の自然である。だから人間かいなければ活きてこないのだ。人が働いていてはじめて活きてくる天地なのである。天地だけの人がいない世界は天地さえ栄えないということになる。

秋薔薇は盛岡のあの煉瓦の銀行があっていた。盛岡は東北では一番情緒がある街だった。東北で他に魅力ある街はあまりない、あそこに啄木とか賢治が生まれことがわかる。そういう風土だったのである。ただ二人は天才だから独特なのである。まず子規の写生を基本にしている人は天才ではないことは確かである。


秋薔薇はやはり盛岡のあの煉瓦の岩手銀行とあっていた。あの銀行は貫祿がある、存在感がある。建築も存在感があると後世に残る。今のビルなんか存在感がない。それは人間の心にも影響しているのだ。そういう存在感のある建築物とともに暮らしているとき人間も存在感あるものとなる。そこからルネサンスが生まれた。現代は豊でも何か重厚なものに欠けている。何でもめまぐるしく変わるけど恒久的なものが追求されないのである。長期的ビジョンを政治でももたないと人々も落ち着かない、やる気がでてこないとか言う人がいたが本当である。その長期的ビジョンをもつ余裕がないのである。


柿は何か素朴なものを示している。他の果物はそうは感じない、柿は日本的であり精神的なものの象徴としてある。そこが他の果物と違っている。他の果物はただ味だけなのである。もちろんみかんなどでも瀬戸内海とになっいるがそれを見ていないから風物として景色として鑑賞できないということもある。柿と農家は一体のものとしてある。


岩手銀行


明治44年4月
  盛岡銀行本店として、3年の歳月を費やして完成。煉瓦造鋼板葺3階建、延べ面積1020平方メートル。使用した煉瓦約91万個、総工費13万円余。設計は東京駅の設計者でもある工学博士辰野金吾、岩手県出身の工学博士葛西万司の両氏。
http://www.iwatebank.co.jp/restroom/legacy/nakano/index2.html



3年かかったというからそれなりに長い。今はそんなに長くかかって建物を建てていないだろう。ピミミッドだって大変な長い年月で建てられた。古代のものはみんなそうした時間をかけて建築された。ヨ-ロッパの聖堂でもそうである。結局現代は早く早くでありじっくり時間をかけて作ることをしない、だから浅薄なものしかできない、原発だって早く作りすぎたから古い原子炉で事故を起こした。もう少し待って技術的成熟した新しいものを使っていれば事故にならなかった。事故の原因が急ぎすぎたということにもあったのだ。現代は急ぎすぎて失敗することがかなりあるのだ。じっくり待って時間をかけて作るという余裕がない時代だからである。


盛岡は詩人の街
http://www.musubu.jp/hyoronmorioka.htm