2011年10月16日

放射線計測器で南相馬市の大原から橲原を計る 大原は3マイクロシ-ベルトで高い


放射線計測器で南相馬市の大原から橲原を計る

大原は3マイクロシ-ベルトで高い



jisamobutaring.jpg


kayakihashi11.jpg

ここはまだ高かったみたい

ooharajisa333.jpg

jisabaea444444.JPG
クリック拡大!

shimoda111.jpg

3-6mmmmm.jpg

大原から橲原渓谷は平均してこのくらいだった


ooharadrinein.jpg

道路と道端の草むらの比較

大原の平地で台畑辺りでも草むらで5くらい出ていたようだ

これは最高値だったようだ

橋を渡れば5マイクロシ-ベルトの地帯に入っている


houashasushiki111.jpg



原町のサイヤで放射線の計測器借りたけど原町の街内では0.2マイクロシ-ベルにしかならない、
草むらでもわずかに増えるだけでありこの計測器ではあがらなかった。 驚いたのは大原に来たとき1から2から3と上がったのに驚いた。街内だとたいしたことないなと思っていた。大原に入るまで放射線量0・2くらいであり変わらなかった。栢木橋の手前で急に放射線量が高くなった。0・2くらいしかならないので驚いた。大原は高いと出ていたが本当だった。放射線は見えないので実感できない、結局計測器が頼りでありそれで実感するほかない、0.2から1でも驚く、そこから1.5とか2になると驚く10倍になっているからだ。そして大原の奥に行くとますます高くなってゆく、自転車のハンドルの高さで変化を見ていたがあの高さで3とか出るので驚いた。


そして舗装道路と道端の土や草むらでは二倍の約放射線量が出ている。大原から八木沢までの道は
道路で3であり道端でその約二倍がでていた。大原では病院でしりあった人はまだ一人残っているという、犬を連れた老人にここは放射線高いな、避難した人ありますかと聞いたら子供をもっている人は避難したが老人は残ると言っていた。知り合った人は重症だったから一人で生活するのも大変だと思っていたから息子の住んでいる市街に移ったのかと思った。今は老人と一緒に暮らさない若い人が多くなった。それが実は大きな問題起こす要因にもなる。大原で3マイクロシ-ベルトは高い、道端で6であり常時それだけの放射線量を受けることは子供にとっては危険である。3×24h×30×12m=25920は25ミリシ-ベルとなる。20ミリシ-ベルトを政府で限界としてさらに1ミリシ-ベルトに引き下げるとかしているので5ミリを越えると危険なのだろう。3マイクロシ-ベルトはやはり危険地帯である。これはバラ坂のバス停から八木沢峠までつづいている。八木沢峠近くなるとさらに高くなっているだろう。
ただ南相馬市独自の調査やその他では1・5とかになっている。自分の借りた放射線の計測器は中国製であり正確には計れないかもしれない、でもこんなに差が出るのも変である。


バラ坂から交通止めになっている橲原渓谷をくだる、児頭橋、滝のある所で計ったが1・5くらいに落ちていたが草むらでは倍になっていた。そこでは草の葉の方が高くなり土は低くなっていた。たいがいおしつけて計ったものである。でも自転車のハンドルの位置で同じ様に値は出ていた。そこも道路では1・5でも草むらでは二倍になっている。小池のコンビニでは0・5になっていた。その辺から危険地帯ではない、町の方では原町の市街と同じ0・2にしかなっていない、道端の草むらでもそうだった。この辺は除染してもそれほど変わりなかったみたいだ。

結局は大原から八木沢峠までの道路沿いは危険地帯であり橲原はやや危険地帯であり小池に出るとほぼ安全地帯になる。大原から八木沢の道路沿いは子供がいれば避難するほかないだろう。道路で3であり道端で倍の6くらいになっているからだ。道路の約二倍が道端の草むらにでる。そういうところに常時生活していると一定量の放射線量をあびる。その放射線が減らないから困るのである。

そして意外と高い位置で自転車のハンドルの位置で3が出ていたことはやはり強い放射線が出ているのだろう。その高さでも下に置いても変わりない場合があった。ただ放射線量は一番高いのから低いのと変化する。一番高いときの量を目安にした。放射線は舗装道路でも除染などできないだろう。削り取るとしたら大変な作業になるからだ。大原から八木沢峠までの人は子供がいれば避難対象になるだろう。老人はあきらめて住むとなるが家族全体の問題だからそうもいかない場合があるだろう。橲原はなんとか住めるがそれでも道路で1・5でも道端になると倍の3になっているのだ。その辺をどう考えるのか専門家に聞いてみないとわからないだろう。風穴の湯では子供が川で裸で水遊びしていた。水は汚染されても飲まない限りたいしたことはないのだろう。あまりにも神経質になるとかえって子供でも大人でも精神的に良くない、小池から町の方は全く問題ない放射線量であった。


思うに大原が高かったのは前に自分は風の影響でそうなったと書いたがそれが正しかったのだろう。なぜなら風が大原の平地に吹き出すように飯館の山から吹いた。橲原は渓谷があり山がある程度さえぎって半分になったともとれる。橲原は大原の半分だったからだ。放射線は目に見えないし匂いもないからどうして感じるかわからない、だから計測器が頼りになる。今回計測器で計ってみてそれなりに放射線を実感したのである。そうでないと実感しようがないのである。怖いとも感じないのである。

一週間以上使えるからまた詳しく計ってみよう

放射線量の計算が間違っていました

3×24h×30×12m=25920は25ミリシ-ベルとなる

1時間の限度を3.8マイクロシーベルトと発表した。これは国際放射線防護委員会が、年間の積算放射線量20ミリシーベルトとしているものを根拠としている。

放射線量は内部被爆量もぷらすされるのでもっと多くなってきます
posted by 老鶯 at 21:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月17日

家の回りの放射線量の計測(除染は効果ない・・・)


家の回りの放射線量の計測

除染は効果ない・・・

hrass11.jpg


koke2.5.jpg

道の脇の苔は高かった、道路は0・1だった

toiiiend123.jpg
樋から下の土に流れた所が一番高かった


原町区と鹿島区の街内はほとんど同じである。0・1か0・2である。草むらとかでやっと0・26とかなっていた。田んぼの土の所でも0・1とか0・2だった。思った以上広い所は放射線量は低い、ええ、こんなに低いのかと意外だった。それでも河原でも公園でも主な所を除染している。0・2の所を0・1くらいにしても変わりないのかと思った。そんなに除染する必要がある地域なのかとも思った。


高かったのは苔のある道端と樋の下と流れるその土の上だった


樋の下は高い、そこは下がコンクリ-トでありそれでも高い、驚いたのはその樋の下から水が流れだした土だった。そこが粘土のように汚泥になっていてそこにたまった。9マイクロシ-ベルトは異常に高い、八木沢の麓で樋から100マイクロシ-ベルトとなっていたというのは本当だった。

放射性物質の性質は雨が土にふりそこが粘土質の土だと粘着してそこにたまる。そしてその粘土にたまりなかなか水と一緒にながれでない、それが特徴だった。全部の土にたまるかと思ったが違っていた。現実に二本松では米の放射線量を計ったが安全だった。なぜかと言えば普通の土であり粘土質の土でないからだと報告があった。セシウムは雨で粘土に付着してたまりそこで雨で流れださない、たまりつづけるのである。樋にたまったのは雨が降り屋根にたまったセシウムが流れだして樋にたまったのである。放射性物質は風も影響あったが雨も大きな影響があった。雨で粘土質の土にたまりやすい、苔にたまったのは苔はただ草だけではない、雨を吸収して土が粘土質になっていたからである。単に草むらは低い、0・2くらいしかなっていなかった。


除染といってもこの辺ではそんなおおがかりなものが必要なのだろうか?土を取り除いても0・1くらいへらしてもさほど変わりないからだ。今回のことで放射性物質を知るには計測器が欠かせない、これがなければしりえようがない、感じようがない、計測器の値は正直であり嘘をつかないから自分でたこめしてみるほかない、計測器にもよるがそれほど変わりないみたいである。



セシウムは除染できない


http://onodekita.sblo.jp/article/47679482.html

除染は無駄
http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/lifeline/1315374871/

チェルノブエリで除染をあきらめた、除染してもほんのわずかへるだけであり気休めていどなのだ。でもこんなに除染している,除染しているのはなぜなのか?その除染した土を集めるなげる場所がないというのはなぜなのか?これも無駄な公共事業なのだろうか、全く無駄ではないにしろその効果がうすい、確かに一部の高い所の除染は効果的だが土全部とか草全部を刈っても0・1へるくらだったらしてもしょうがないのではないか?
そもそも二本松で土がそれほど汚染されていなかったのは粘土質の土ではなかったから米作りにはさほど影響しない、すると広範囲な地帯が放射性物質に汚染されていないのだ。それはやはり不幸中の幸いだったとなる。
posted by 老鶯 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月18日

南相馬市原町区の仮設住宅は立地が一番いい (人間の住環境を考える-樹の必要性)


南相馬市原町区の仮設住宅は立地が一番いい


人間の住環境を考える-樹の必要性

kasetuharamachi1111.jpg

treeshouse2222.jpg

tree555555555.jpg
クリック拡大!

panoramnew11111.JPG
360度バノラマ




南相馬市原町区に最近避難区域解除で建てられた仮設住宅は一番立地がいいとみんなが言っている。道の駅が近くにありス-パ-もすぐ近くでありレストランも多くある病院も近くに見える。
ただこの病院は今は建物だけが立派になり医師や看護師が半分いなくなったので機能しなくなった。ここには一か月入院していたので見晴らしがよく気持ち良かった。そのことを前にも何度も書いてきた。病院は総合的なものとしてあり回りの環境も影響する。ここはあまり考慮されていない、大都会だったら眺めのいい場所にはない、ただ中都市だったらそれなりの眺めのいい場所はある。
やっぱり住みやすいのは中都市なのかもしれない、相馬市立総合病院と建物が古く環境もあまり良くない、南相馬市立病院はそういう点ではまさっていたのだ。

建築というとき建物だけに目をそそぐが実際はその回りの環境も大事なのである。回りの環境は自然なのである。建物が自然と調和するときなんともいえぬ安らぎを与える。仮設住宅を建つまでは樹に注目していなかった。一本の樹があるだけで人間の住居に何か安らぎを与える。それは人間が住むことによってその樹が活きてきたのである。原自然とは違う、人間が住んで活きてくる自然もある。
樹と人間が一体化する。その時は樹も原自然の樹ではなく人間化した樹になっているのだ。庭の石や樹も人間化したものとなってるのと同じである。


実際にあそこにまず三本の樹があることに気づかなかった。あそこに仮設住宅が建設されてここにも人が住むようになるということで注目したのである。三本の樹があるだけでここが建物だけではない安らぎを与えることになる。自然は人間のモラル的象徴であることを詩にしてきた。樹は信頼して三本そこに建っている。互いに信頼しあい住む人間も象徴している。ただここはあくまでも仮設だということでそういう象徴にはなりにくいのが残念である。人間の住む所には必ず樹や石が必要である。それを個々の家の庭で作るとなると狭い日本ではむずかしい、すると公共的な場所に樹を植えることが好ましい。街路樹はそうだがまた別に樹が必要なのである。

相馬市では長屋風の高齢者向きの仮設ではない、そこに住み続ける家を建てるというのはいいアイデアだったし神戸地震でもそれは実行された。つまりもう津波被害にあった所には家を建てられない人がかなりいるしするとどこかに仮設ではない、ずっと住み続ける家が必要になってくるのだ。それも個々に一軒一軒建てることは今はコストがかかりすぎる。だから集合住宅的なものが必要になる。高齢化社会でもありみんなが施設にも入れないのでそういう場所や家を提供すれば入る人はいると思う、自分なんかも入りたいなと思う。
施設ではないにしろそれに近いものである。そこでは高齢者に気を使うようにできていればいい、今は高齢者は孤立しやすいからそういう場所が必要になっている。


ともかく原町の道の駅の仮設住宅は本当に立地が一番いい、高齢者の施設は街から離れるのはいい施設ではないというときそうである。自然があるからいいとはならない、別に10万以下の都市なら回りに自然はまだある。むしろ都市機能が充実している所が今は住みやすいのである。みんなが見ている、街の活気にもふれられるところがいいのである。

posted by 老鶯 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

柿なる風景(原発事故でそこなわれた日常)


柿なる風景(原発事故でそこなわれた日常)


kakinoie111111.jpg

この家は広い・・・こんな家から仮設住宅に入ったら狭くて嫌になるだろう

tutamoukaki.jpg
クリック拡大!


庭広くたわわに柿や旧家かな

蔦からむ孟宗竹や柿なりぬ


大原に残れる老人柿なりぬ


大原に知る人ありて柿なりぬ


村にある御堂一つや柿なりぬ


秋の朝イタチ横切る山の道


イノシシの出てくる里や山あざみ


橲原に一つひびけり残る蝉


残る蝉聞いて去りにき橲原を


道の辺に飛ばすとまれる秋の蝶


秋の蝶交わり静か休むかな


この辺り今日も休むや秋の蝶



今年は結構柿が豊作なのか、その柿もこの辺では食べられない、そもそも田園は前のように回復するのか?放射線量は0・1-0・2と低いのが意外だった。田畑でもそうだった。樋とかは別にしてそのくらいならたいして影響ないのではないか?大原にゆく途中の家にも柿がたわわに実っていた。普通なら別に変わったことはない、今はその前は荒地となってしまったから違っている。普通にある風景、日常の営みが消えた世界は異様になる。柿そのものを食糧とできないのだから異常である。つまりありふれた平和な風景がこの辺では失われたのだから何か俳句とか短歌にするのもそぐわなくなる。

芸術も平和でなければありえないものだった。もちろん戦争のときは戦争の絵を描いた画家もいるがそれは普通の世界ではない、芸術は平和であってこそ成り立つものである。それは別に芸術だけではない、すべてがそうである。たわわに柿が実っている、そこに大きな旧家がある。そこに安らぎがあったのだ。今は仮設住宅にいる人もそうした広々とし所に悠々と住んでいた人が多いのである。
仮設住宅はやはり仮りの家であり落ち着かないのである。何か定着しているものでないから外から見ても落ち着かないのである。だから樹が立っていてもその樹のように長い年月の感覚がでてこないのだ。一時的であり消えてしまうのかと考えるからそうなる。


ともかく田畑でも人が耕しそこに生活がなかったら芸術もありえない、その基盤の上に芸術もありえる。普通に何でもない故郷がこんなに変わるとは思いもよらなかった。もちろん避難している仮設に住んでいる人は余計にそうである。だから生活全般が落ち着いたものとならない、除染とかばかりしているのも異常である。田畑があっても荒地になっている風景は異様である。柿がなるというとき田畑も普通に人の営みとしてあるときそうなる。全体の一部として調和してありうる。その全体が田畑が消失して荒地になったら柿なるのどかな農村風景も失われた。第一柿すら食べられないというのだからがっくりくるだろう。農家のありふれた営みが断たれたのである。


橲原は奥座敷としてぴったりでありあそこに茶室を作れば一番あっていた。蝉が一つ確かに鳴いていたのも橲原らしい。この時期にはもうどこでも鳴いていなかったからだ。だから茶室や何かそれと同じ様なものがあるのにふさわしい。それも今の状態ではそんな気分にもなれない、放射線量が大原の半分にしても橲原はそれなりに高い。橲原渓谷の道は落石などがあり3・11以来通行止めである。自転車だと別に通れる。そこに山あざみが咲いていた。イノシシが出るにはふさわしい。橲原辺りでもでてくるだろう。


鼬(イタチ)が山の道を横切った。自分の父親はイタチとりしていたことがあった。イタチを飼っていたこともあったがイタチは絶対に人には慣れなかった。イタチの皮をはいで売っていたことがあったのだ。戦後何にも仕事がない時だからそんなことをしていたのだ。仕事がなければ人間はどんな子とてもするようになるのかもしれない、そういうせっぱつまった貧乏をまだ経験していない、戦後生まれの人は特にそうである。ともかくこうした異常な状態から日常にもどるのはいつになるのか?
それがなければここに住むことは異常性が日常になってしまう。住めなくなるよりはいいにしても何か落ち着かないし嫌になるのだ。

 

2011年10月20日

原発の深い闇2(宝島社)を読む (オウム-創価-東電の共通性)

 

原発の深い闇2(宝島社)を読む

オウム-創価-東電の共通性

yamimimi.jpg

kenryokukouzu2222.jpg



●インタ-ネットの意見を集める


出版社にとって、広告収入は販売収入とともに
経営の基盤。

広告ページの表現、内容にかかわらず、広告主
、スポンサーとの関係はレギュラー(年間契約)
なら大切な収入源、お客様です。


東電は、電事連などのダミーをつかって、直接
圧力をかけたりしませんが、広告代理店経由で
原発事故や不祥事が記事として書かれることを
防いでいます。

書いたら、広告出稿を止める!と脅しをかければ
記事にはなりません。原子力安全神話化の成り立
ちには、広告が果たした大きな役割がありました。
http://www.asyura.com/11/genpatu16/msg/181.html


事故前の2009年度、東電の広告宣伝費は約245億円、販売促進費約240億円、さらに中部電力などの各電力会社、その連合体である電気事業連合会などを含めると年間2000億円にものぼる巨大な電力マネーがメディアに流れているのだ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/139.html


潮、婦人公論、文藝春秋、ダイヤモンド、新潮、ウェッジ…原発広告漬けのダメ雑誌ランキング
http://www.mynewsjapan.com/reports/1477


それとも個人的には疑問や不安を感じていても、「社の報道方針」が決まれば、それに従い書き、論じることができるのだろうか。私にはやはりわからない。
http://tombo1960.exblog.jp/13273535/


ジャーナリストの寺澤 有氏が「電力会社は警察署長らの優良天下り先 脱原発運動の取締で活気づく『警備・公安警察』」と題してルポを掲載している。警察署長の天下り先一覧も添えられている。 これを読めば反、脱に関わらず、電力会社と一体となった国家権力は原発に異議を唱える側をいとも簡単に身柄勾留することがよく分かる。
http://nipponism.net/wordpress/?tag=%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E6%B7%B1%E3%81%84%E9%97%87

一方で原発に反対する人を暗殺する指令が出されたこともあったらしい。
電力会社も恐ろしいが利権政治家(原発族議員)による国家統制の恐ろしさもこの本から伝わってくる。電力会社は警察官の有力な天下り先だという。
http://iwate-guide.seesaa.net/article/216475182.html


福島県知事の佐藤雄平は、福島県民が放射線被曝検査を受けられないよう、さまざまな裏工作をしてきた
http://hiwihhi.com/yukiko_kajikawa/status/109503097541361664


●メデアの大罪


1位―読売新聞
2位―産経新聞
3位―朝日新聞
3位―日本経済新聞
5位―毎日新聞

新聞のランキングで何といっても特筆すべきはワースト1位の『読売新聞』である。

同紙は原発広告数が11と突出しているのが特徴である。広告の中身も異様を極めている。
なんと同紙では井川陽次郎という現役論説委員が顔写真アップで大々的に原発をPR。

さらに驚くべきなのは、同紙の原発広告のうち5割の広告主になっている「フォーラム・エネルギーを考える」という団体の背景である。
これは1990年に、エネルギーについて「生活者の立場」から考えるために発足した団体で、メンバーには松田英三(読売新聞論説委員)、東嶋和子(元読売新聞記者、科学ジャーナリスト)、舛添要一(参院議員)、山谷えり子(同)、山名元(京大教授)、木場弘子(キャスター)、露木茂(フリーアナウンサー)、大山のぶ代(声優)、今井通子(登山家、医学博士)、ダニエル・カール(タレント)、ケント・ギルバート(同)、増田明美(スポーツジャーナリスト)、出光ケイ(同)、小松左京(SF作家)、小泉武夫(東京農業大学名誉教授)、堺屋太一(評論家)、吉村作治(早稲田大教授)といった面々が名を連ねている。



なぜかこれは創価とかの権力掌握とにている。テレビに出演する芸能人は創価関係はだんとつに多いし創価グル-プになっている。宣伝用に使われているのだ。創価だけではないカルト宗教団体は芸能人を利用する。大衆を洗脳するには一番効果的だからである。ともかくむずかしいことを言っても人はついてこないのだ。大衆を洗脳するには知性などは必要ない、むしろ人間を自ら考えなくさせることなのである。人間は必ず疑問をもつ、その疑問をもたせないことがカルトの手法である。それはナチズムに通じていた。いかに大衆を導くかを徹底していた。嘘も百回しつこく言えば真実になる。

大きな嘘をくりかえせとゲッベルスは言った。原子力の安全神話もそうして作られた。権力者が大衆を洗脳するときどうするか共通していたのだ。宗教とそれが何関係しているかとなるが原発も一つの宗教とすら化していた。安全神話の宗教である。それに逆らうものは実際に警察や検察に罰せられることにすらなった。それほど強力なものとして安全神話は作られたのである。東電は有力な官僚の天下り先であり50人も天下っているし警察関係でもそうである。東電と関係ある会社の数も凄い,何らか取引がありそこで権力を持つようになる。


創価も財力が東電よりは小さいにしても大きい。また大衆を手なづけるにはどうしたらいいか知ってナチスの手法をとる。題目を唱えれば何でもかなえられるはハイルヒットラ-とたいして変わりがない。ともかく自主的に考えることをさせないのである。あれだけの数を集めればそれだけ巨大な権力と化している。その数で恐怖を社会に植えつける。そして絶えず権力掌握に精をだす,外務省にも司法にも創価大学で人材を育て送り込む。それは草だとか言って情報を流すし国家権力を掌握するための先兵として働かせる。次に掌握すべきはマスコミである。ここにも東電と同じ様に湯水のように金をそそぎこんできた。福島民放も聖教新聞を刷っているし地方新聞は刷っている。大王製紙が問題になっているけどあそこにも聖教新聞を作る紙を作らせて実権を握ろうとしていた創価大出身者がいた。新聞は膨大な紙を消費するから利得と関係する。新聞は紙の消費する一番のお得意先なのである。池田大作は金日成だったのである。宗教によって大衆を奴隷化して権力をもつ、その落日の日も近い。遂に介護状態になり認知症化してゆく、それが人間の定めだった。組織は瓦解してゆきただ奴隷の墓としての無数の墓標が残された。それらはやがて見捨てられるだろう。それは非人間化した番号のようなものだろう。組織化の文明はみんなそうなるのである。数にしかすぎないとなる。


大成建設が創価と関係が深くなったのは正本堂を建てたのが大成建設でありその時利害関係で結びつくようになった。それで団地の大成建設の社員の家が活動の拠点になったこともあった。東電とも創価は結びつき会員を獲得したらしい。そういう利害関係から権力を掌握する手法をとる。権力を掌握する手法は東電も同じだった。ただそれが巧妙に大衆の目に見えないように行われていた。それは原子力というのがそもそも大衆にとってはわかりにくいものだからそうなった。なんとなく危険を感じてもその危険をしりえようがないのである。今でもその危険がわからないのだ。放射線計測器で自分で計ってはじめて放射線を実感した。このわかりにくいことが原発マフィアにとっては好都合だったのである。


オウムも異常な団体だと思っていたけどあういうものもやはり現代文明の鬼っ子として必然的に生まれたのだとわかった。なぜなら東電は国家とも結託したオウムだったのである。安全神話を作り出してサリンより猛毒の放射性物質をばらまいたのである。オウムを異常だとは責められるだろうか?国家自体がオウムだったともいえるのである。現代では科学が権力や力の源になりやすい、だからこそオウムでもサリンを製造したのである。それは毒だけだった。原発は利得をもたらしたのは違っていた。その利得も毒でもあったのである。現代の権力の源は科学であり技術であるからこそオウムが生まれた。アメリカの裏側にはロックフェラ-とかの会社があり今回の事故でもGE制の古い型の原子炉を使ったことが自己の大きな要因となっていた。でもアメリカの押し付けでも半場植民地となった日本は逆らえないのである。アメリカが嫌なら今度は中国につくのかと責められる。前門の虎後門の狼である。これが外交というものであり世界史は弱肉強食だったのである。アメリカと手をきれば後門の狼、中国とロシアが虎視眈々と日本をねらっているのだ。


●国家的詐欺が暴かれた


それにして国家までもとりこんだ詐欺だったことには驚いた。これを暴いたのは人間ではない、津波だったのである。もし津波が来なければわからなかった。ただいづれは事故は起きた。それにしてもなぜこれほどの大がかりな詐欺か国家的詐欺が公然と行われたのか?その歯止めがなくなっていたのはなぜなのか?それはこの世の中すべてが利権、利得で動くということであった。一見正義とか公正とかを追求していようでも利権が利得が第一であり正義とか公正などは第二義的なものとなる。ましてや宗教のように真理を追求することや覚りを追求するようなカルト宗教団体はない、ただひたすらここも利権であり利得でありご利益しかない、だからこそあれだけの数となっている。カルト宗教団体だけではない、様々な団体は利権団体なのである。その筆頭が官僚団体だったのである。その官僚はアメリカに負けてからはアメリカの意向に従うようにされた。検察もそうである。だから公安は反原発のものを取り締まろうとしている。そしてこの世の中は今やあらゆる団体の一員であり個は存在しないのだ。実際に会社の一員自体がすでに会社という団体に属しているのであり会社の利益や意向に逆らえなくなる。江戸時代なら職人は個々の職人であり独立していたのである。腕一本でやっていけたのである。明治以降会社社会になったとき大きく変化した。かえって皮肉なことに民主主義だ自由だというが自由が団体によって制限されることになったのである。江戸時代の方が人間は自主的で自由があったと見直されるのもそのためである。人間は会社とか巨大なカルト宗教団体とか国家に使役される奴隷と化していたのである。社蓄といわれるようになったのもそのためである。そういうことが自主的に判断できるようでできない状態を作り上げたのである。


マスコミを通じてしか意見が反映されないとなるとマスコミの力は強くなる。マスコミが第三の権力だというのもそのためであった。だからマスコミを通じて出される表にでてくる人間はうさんくさいのだが内容は関係なくたちまち有名人になるのである。中味がなくてもいいのである。大衆にとって中味などどうでもいいのだ。そこまで深く考えて読む人などいないからである。これみんな読んでいるから読まなきゃならないのかとなる。みんな入って宗教なのよ、悪いわけないじゃないの、偉い人もみんなやっているのとか見なさいよ、有名な芸能人や学者も推薦しているでしょう、あなたもやりなさいよ読んでみなさいよとなる。仏教のことを言っている有名人がいたとしてもそれも仏教界の団体の代表として言っている。


戒名や観光の商売団体としてその利権を守るために仏教界の団体として言っている。出版もそういうところだからできる。出版も必ず背後にそうした団体があってできることなのである。それも大衆の洗脳にはいい、本も一つの権威を作っていた。書店はその出先機関なのである。PHPなども財界の大企業の代表として日本の技術を称賛する本を出している。日本の技術がすべてで優秀かというとそうではなかった。テレビもそうであるし新聞も雑誌もそうだった。NHKすらそうである。NHKだってそうした団体の推薦する者を出すのである。そういう圧力がかかっているのだ。在日の人が権力を握っているというのもそのためである。NHKも偏向した団体の出先なのである。そういう所にカルト宗教団体や東電は目をつけて権力を掌握する。その資金は十分にある。今でもそうなっているのはそもそもこうしたマスコミも利得団体なのだから利益が得られないと成り立たないのだからそうなる


●人類への裁きの日が近づいている


いづれにしろこれほど闇が深く、その闇が暴かれたことはない、その闇を暴いたのは人間ではない、津波であり自然であり神だった。今社会で高いとされたものがみんな低くされたのである。社会のエリ-トと言われる人が実際は犯罪者だということが劇的に目に見えて断罪されたのである。高いとされていたものが低くされたのである。すべてそれらは社会にとって優秀だとされた人達である。権力者だった。その権力者が低くされた。学者の権威も失われた。会社の権威も失われた。国家の権威も失われた。これは一体何なのだと思う。これは天罰であり神の裁きだったということも実感した。現実に神の裁きが今起きたということを実感した。この世でいかに大きいとされたものが高いとされたものが低く小さいものとされたか?それは人間の奢りにすぎなかったか、人間の奢りなど簡単に打ち砕かれる。津波の防波堤も役に立たず、原発のずさんな管理も津波で打ち砕かれ明るみに出された。それは人間が成したことではない、神が成したことである。誰が最も高いものなのか、神か人間の奢りを打ち砕いたのである。文明は神によって崩壊させられる。そういう力をもっている。そういう恐るべき力を見たのである。これは文明の崩壊という大きなものに直面した事件である。エジプト文明が終わりマヤ文明も終わりイ-ス-島の文明も終わった。そして明治維新から近代化した百年の文明も終わる。そういう場に直面しているのだ。日本が文明の転換期の先駆けとなっているのかもしれない、そういう大きな局面の認識が必要となっているのだ。


主は命を絶ち、また命を与え
陰府に下し、また引き上げてくださる。(*5)

主は貧しくし、また富ませ
低くし、また高めてくださる。サムエル記一2章1-10


まさにこれである。個人的にそうすると思っていたが社会全般にあてはまっていた。地位あるもの学識あるもの、富めるもの、力あるものが低くされたのである。文明そのものが人間の奢りの産物だった。神はだから文明も打ち砕く、文明を支配してしいたのは誰か?その人たちが低くされたではないか?専門家の科学者の権威は失墜した。原子力は極めて人間の知能の産物である。石油はもともと地下にあったものであり原子力とは違っていた。原子力は人間の知能が作り出したものである。それが事故でその誇った知能が崩壊したのである。それはあたかも認知症とにていた。認知症は優秀な人がなると悲惨である。そして優秀な人がなりやすい病気かもしれない、その特徴は人間の知能の崩壊だったのである。原子力もまさに高度な人間の知能の崩壊でありその修復ができないのである。原子力は人間の奢りの産物だったのである。そして今や最後の審判の時が来ているのかもしれない、日本というだけではない、人類全体への裁きの日が来ているのかもしれない、限りない欲望の追求の資本主義は崩壊する、次なるものは何なのか?それはもはや人間の手で業では作れないのである。人類滅亡の日は近いのかもしれない、人類が滅亡して新たな神の世界が生まれる。そういう約束の日が近づいているのかも知れない、その前兆が日本に現れたのかもしれない、津波や原発事故はその前兆であった。

posted by 老鶯 at 12:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月21日

福島県議会が県内の原発10基の廃炉の請願を採択 (原発は一地域のエゴで決められない)


福島県議会が県内の原発10基の廃炉の請願を採択

(原発は一地域のエゴで決められない)

mebo222.jpg
meibo111.jpg
mebo333.jpg


島県議会は20日、福島県内にある東京電力の原子力発電所10基すべての廃炉を求める請願を賛成多数で採択しました。原発が立地する道や県の議会が、原発の廃炉を求める請願を採択するのは全国で初めてです
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111020/t10013402201000.html


原発はそもそも30キロ圏とかで被害は区切られない、今回の事故でいかに広範囲に被害が広がるかわかった。それはチェルノブエリでもわかっていたことでありそういうことを想定していなかった。
事故が起きないことを前提としていたのだからそういうことを知らせもしないし報告もしなかった。SPEEDIの結果をあとで公表したが遅かった。最初に事故が起きた時、政府と東電の考えたことは混乱させないことであった。正確な情報を流すことではない、この時も原子力の隠蔽がつづいていたのである。そもそもそういう体質で原発は推進されてきたからそうなった。危険なものだから常に隠蔽されなければならない、真実は知らされないのだ。それは事故の後もずっとつづいているのである。
SPEEDIの予測は正しかった。飯館の方に放射能雲が流れたのである。ところが浪江町では山の方が安全だと思い町民を津島に避難させた。この時政府からも東電からも何の指令もなかったのである。

SPEEDIを公表していればすぐにわかったことである。飯館村も避難したのはずっとあとのことである。その間かなり被曝したのである。自分もテレビばかりみたから放射能などわからないから安全だというし外にでていた。幸いここはほんの一時期高いレベルだったがあとはすぐに低くなった。飯館や福島市や郡山市はかなり長い間高いレベルがつづいたのである。その高いレベルの時放射性物質は堆積したのである。

原発は事故が起きたとき本当に広範囲に影響する。国全体にも影響する。世界にすら影響する。現実に海は広く汚染されたからである。それなのに原発を造るときは非常に狭い範囲で決まるのである。

「原発の深い闇2」でも書いてあるように実に狭い範囲を買収することが第一要件になる。だから金がばらまかれるのは10キロ圏内とかが一番多く恩恵にあづかる。公聴会に参加したのも小高までであり原町区や鹿島区は参加していない、現在小高区は20キロ圏内であり仮設住宅に避難生活をしている。小高と原町と鹿島が南相馬市として合併したのは最近である。その前に小高町は東北電力の原発を建てることが決まっていたのである。その交付金を南相馬市がもらうようになったが今度の事故で断った。そして公聴会には前の原町市では参加していない、ということはそこまで原発の利権も及ばなかったとなる。多少は交付金を得てもたいしたことはなかった。東電からの恩恵はほとんどなかったのである。ただなぜ南相馬市立病院があれだけ立派なものを建てられたのか?その財源がどこからでたのかというとよくわからない。


双葉町などの役所は実に立派であるから原発資金でうるおっていることが一目でわかる。そして事故後も原発なしでは町はやっていけない、原発を増発しろとか東電には世話になったから責められないとか言う人がかなりいる。それを新聞とかにでてくるしテレビでも言っている人がいた。そのことは東電を擁護している、原発はまだ必要なのだと宣伝させているという人もいる。福島民報でもそのことをのせている。そういうこともメデアで操作される場合がある。原発を10キロ圏内の地権者や漁業権者で決められるのか?そこだけに害がに及ぶならかまわなっかった。その被害の範囲は広いのである。だからずいぶん身勝手だなと今は全国の人が思う。

「お前らが恩恵受けたんだからお前らの自己責任であり被害にあってもしょうがない、自業自得だ」と責められてもしょうがない立場になった。結果的因果応報なのだろうか、公聴会に参加した20キロ圏内までは避難地域の警戒区域になった。公聴会といってもこれも゛やらせであり原発推進を承認する公聴会にすぎなかった。ただその結果責任をこうした公聴会に参加した範囲の人はとらされたのである。この公聴会には飯館村や福島市や郡山市や二本松市は参加していない、そこには被害が及ばないと政府と東電では想定していたのである。


それにしても「東電のおかげでいい思いしたから責められない、原発なしでは町は成り立たない、もっと原発を再稼働してもっと増発しろ」こういうことを堂々と言う10キロ圏内の町村はその回りの被害にあった市町村のことを全く考慮していないのである。要するに東電側であり原発ある市町村は明かに東電の準社員化しているから東電側につくことになる。東電なしでは生活が成り立たないとなっているからである。でもその回りの人は迷惑になるから今は県単位で反対する県が多くなった。事故が起きたら県全体の存亡にかかわるし国全体にも世界にも影響するのだ。一地域エゴで原発を決められるのかとなる。だから漁業権をもっていた人達は津波で被害を受けたのは天罰だとか言われている。請戸では5000万もらっていたと報告した人がいた。別に自分が言っているのでない、地元の人も言っている。地元の人でも利益を受けている人といない人がいる。全般的には受けていてもその差はあるからだ。


ともかく原発はとても一地域の狭い範囲で許可できるものではなかった。一地域の財政が苦しいとしてもそれで原発を必要なんだ、回りのものは黙っていろとは言えない、被害かその地域に限定されるならかまわない、南相馬市は今やがたがたである。医療は崩壊してゆく、産業は衰退する、福島県全体が人口は減ってゆくとその影響は広範囲であり余りにも大きかったのである。一地域の狭い範囲のエゴで未だに原発は必要だとか増発しろとまで言っていることは許せないのだ。どうして回りがこれだけ被害を受けたのにそのことを考慮しないのか?多少は申し訳なかったという気持ちがないのか?

なぜメデアにそういうことが堂々とのせられるのか?双葉町の人は避難先で評判が悪かったというときそういう回りを考慮しないことにあり被害者だということを前面にだしすぎた。もっと謙虚になる必要があった。あなたたちにも責任があったのですよ全国の人に言われる。それは原発を立地している所は一旦事故が起きたらそういう目で見られる。そういうことを前提にして覚悟で原発を建てるほかない、嫌な奴は他に移るほかない、ただ被害者面したら全国の人から非難される。福島県全体も非難されている。それで議会で全部の廃炉を決定した。事故の前までは共産党をのぞいて全部が原発推進だった。これだけの被害にあえば当然の結果だったとなる。つまり一地域のエゴで原発の設置を決めてはいけないということなのだ。そのリスクはあまりにも大きすぎたのである。

posted by 老鶯 at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月22日

秋の夜霧の夜(電車の通らない町)


秋の夜霧の夜(電車の通らない町)




耳澄ましなお我が聞きぬ残る蝉


秋の蚊のなお森に生き死ぬるかな


新築の家に灯ともる秋の夜


霧深く電車通らぬ町となる


山の上になお残る蝉の声一つ耳すまし聞き去る人知らじ


音もなく山茶花ぬるる雨しととこの家を見れば空家なるかな

蝉はまだ鳴いている。ただ一匹くらいかすかに鳴いている。森の中に入ると蚊がいた。蚊はもう人里には出てこない、人間の血を吸うこともない、でも森に生きていて死んでゆく、蚊は伝染病を伝える媒介するものであった。でも最初は森で猿の血を吸っていたからそういうことはなかった。人間が多くなった結果、人里に出て人間の血を吸うようになった。自然界の動物はみなそうだろう。人間がもともと自然の中で生きていた動物の領域を荒したことで熊でもイノシシでも里に出るようになったのである。だからもともと人間を病気にする細菌は出てこなかった。森に人間が侵入するようになってそのバイ菌がうつるようになったのだ。人間が地球に住むこと自体すでに自然破壊になっていたのである。その復讐となるのか、バイ菌も生まれた。科学も自然に逆らうものがあり原子力も自然界にない物質を毒を作り出した。自然に逆らう科学は危険な面が昔からあったのである。津波で被害を受けた所ももともと海だった所である。だから縄文時代は人は住んでいない、江戸時代になり干拓して住んだ。そうきう所はそもそも人が住んではならない所だったのである。そういう場所に人は今はいたる所に住んでいるから被害も大きくなるのだ。


新築の家が一軒建った。これは普通のことである。しかし仮設住宅は何か落ち着かない、これが何十軒かちくらいだったら影響しない、これだけ多いと何か普通じゃない、仕方ないにしても落ち着いた生活にならない、やはり一軒一軒家があるのが普通である。仮設住宅ではないそこにずっと住み続けるものとして作られたらまた別なものになる。相馬市長屋風の建物はそうなる。それは仮設住宅とは違ったものとなる。

今日は霧だった。秋霧というから霧は秋になるとでやすい、この辺の町は電車が通らなくなった。すると車がない人は江戸時代にもどったような気分になるのだ。仙台辺りも半年も行っていない、行けないのだ。介護と交通が不便になりどこにも遠くには行けなくなっているのだ。電車も原町-相馬間は今年中に通るようになるにしてもやはり仙台まで通じないと機能が回復しない、電車は遠くに通じてはじめて効果を発していたのである。だから六号線も電車も通らなくなると何か江戸時代のように遠くには行けない世界になったのである。


山茶花かすでに咲いていた家があった。空家だった。山茶花は空家にふさわしいのかも、しとしとと雨にぬれて咲いている。そういう静かな世界が自分にはあっている。人間は親に性格がにるのは本当である。母もそういうおとなしい性格である。人づきあいもなく口数も少なくただじっとしているだけである。その性格は異常にさえ見える。一面は異常だった。自分の性格も人づきあいが一番苦手だからにていたのである。親と本当に性格はにる。でも一方で人間はそうした生まれつきではなく環境の影響も大きく受ける。ともかくこういう俳句とか短歌とか作っているのは自分の性格であり自分は都会のような所には絶対に住めない性格であった。だから東京に一時期いてもすでに若い内から田舎に帰ったのである。静かな環境でないと住めないのである。

2011年10月23日

芸術の秋(日常が芸術だった)


芸術の秋(日常が芸術だった)


asayake222222.jpg

nogikutubo1111.jpg

guvhok.jpg


朝の菊今日の勤めを果たすべし


洗濯物干して仮設に秋の風


残る蝉墓所にひびきて家数軒


作らざる壺にさしたる野菊かな


故郷に住みし長しも美しき秋の朝焼け心にしみぬ

kastuuichou.jpg

今朝は早く起きた、いつも遅い。朝焼けが一面に雲を染めて美しかった。カメラを忘れてとれなかった。自然は一回限りで終わる光景がかなりある。また見ようとしても同じ光景が見れない、だからデジカメはついも持って歩いた方がいい。どこにシャッタ-チャンスがあるかわからない、自然はいつも同じじゃない、同じ場所に住んでいても同じではない、常に変化しているのだ。そして最期にどんな光景を目にして死ぬのだろうかと思う。人間は絶えず美しいものを見てていないと心はにごってくる。美しいものは自然の中に常にあある。美しいものを常に見ようとする意志も必要なのである。


朝は苦手だけど朝はやはり気持ちいい、菊が畑に咲いていた。今日も勤めがあり勤めを果たそうとする、キクとかいう名前は昔は多かった。今はそういう名前が全くないということも日本の文化の消失を示しているのかもしれない、女性もキクのようにあるということがあったからだ。やはり江戸時代から明治時代になったとき江戸時代は失われた。江戸時代ば日本文明の最期の総決算だったのである。明治以降はその日本的なるものが喪失したのである。だから日本を知ろうとしたら明治以降ではできない、江戸時代を知らなければ日本はわからないのである。日本人についてもわからない。明治以降は西洋人になっているからわからないのである。


仮設住宅の不思議はそこに人が住んではじめてあそこの一本の樹が活きている。あの樹に注目したことはなかった。あそこに人が住み始めて意識したのである。洗濯物が干してあり人の生活の匂いが生まれる。今や秋である。人があそこに住み始めたときあの樹も人ともに生き始めたのである。例えば飯館村とかも自然豊かな村だったが人々が去ったときどういうことになったかというと、その村にある自然は樹などでも人間化した樹となっていた。石でもそうである。原自然の樹と人間化した樹は違っている。公園の樹なども人間化した樹である。だから人間がいなくなるとペットのように人間化した樹だから人間なくしてはありえなくなっていたのだ。その樹はだから人間が戻るのを待っている樹なのである。人間の情が移った樹だからである。それでゴ-ストタウンになると余計に淋しくなるのである。田園は人間によって作られた風景であり人間化した自然である。庭もそうである。人間がいなくなったら活きてこないのである。


秋はやはり芸術の秋だった。芸術というと何か特別なものとしてあると思っているが芸術は日常的なものにこそあった。益子焼が日常の生活品の中に美を見出したのはそのためである。何気ない普通に使っているもののなかに美があった。別に工夫して作りすぎるのが芸術ではない、ありふれた壺に野の一輪の花をさしてもそれが美になる。生け花なども作りすぎると本当は嫌なものとなる。確かにそういう面がある。芸術は日常と離れて作りすぎるとき不自然なものになる。つまり自然とともに暮らしている人はその人自体が芸術的なのである。ミレ-の絵などがそうである。そこに深い祈りを見出したのである。この壺もたまたま買ったものであり普通にある安物である。作られた高価な壺ではない、でもそれが野菊を挿すのにあっていたのである。

この壺を見たら愚かだけど馬鹿正直な女性のことを思い出した。そういう感じの壺だった。その辺に普通に転がっている壺なのである。そこにも美はあった。立派な高価な壺に野菊をさすのはかえってあっていなかったのである。

旅をしたけど旅は江戸時代にあった。最近は旅ではなくホテルでの保養に変わったのだ。だから料理にこだわるのである。豪華なホテルに旅情がかえってないのである。旅情があったのは江戸時代だったのである。江戸時代は失われたけど日本の自然はまだ失われていない、そこが救いである。

「芸術の秋」であった。ただ現在のこの辺の状態はその基盤となる生活が消失したから芸術の秋がもう一つないし勤めようにも勤められない人々があふれている。仮設で仕事かなく酒飲んでいる人もいるようだしパチンコなどばかりしている人も多いだろう。保険金もらって飲み屋が繁盛しているというのも変である。普通の日常が失われたからそんなことになっているのだ。人間が勤めが仕事がなくなったらそれも大問題なのである。

2011年10月25日

戦前の短歌より昔を偲ぶ (記憶に印象に残らない現代の生活)


戦前の短歌より昔を偲ぶ

(記憶に印象に残らない現代の生活)
fatherrrr11.jpg


古泉千樫の短歌-明治40年-昭和2年
隣家に風呂によばれてかへるみち薄月ながら雪ちらつきぬ


今の時代、隣の風呂によばれることはない、これはやはり相当親しくなっていないとできない。今は風呂のない家はない、みんなそれなりに豊になっているからこういうことをしない、それで隣近所が助け合うこともなくなった。縁側だって隣近所の人がしょっちゅう来るからできたものである。今は縁側を作っている家もなくなっている。家は開放されていないそれぞれ閉ざされている。またそうした付き合いを嫌がるのが多くなった。家の中に入ってくるのを嫌がる。都会の人が田舎だと家の中に人を入れるから嫌だという人がいた。都会だと玄関くらいで話しして返す、普通はそうだから嫌だとなる。

雨上がり春の野みちを踏みてゆく草鞋のそこのしめりくるかも


この時代はまだ草鞋(わらじ)だった。底がしめってくるというときまさに実感なのである。草鞋は雨に弱いことは確かである。

 
冬の光りおだやかにして吾児が歩む下駄の音軽くこまやかにひびけり
下駄屋などが近くにあった。下駄を直す人が戦後まもなく子供時代にいたのである。下駄の音に風情を感じた時代である。


もの問へばことば少なき村の娘(こ)の長橋わたりけるかも


この長い橋は木の橋だろう。これは今の橋とは違っている。歩いてわたる橋なのである。だから印象に残るのだ。そういう悠長な時間を感じる必要があるのだ。


荷車に吾児(わこ)のせくれし山人もここの小みちに別れむとすも


荷車は荷物を運ぶものとして常にあった。これは車にのせるのとは違う。つまり昔はそういうことがいちいち心に残りやすい、記憶に残りやすいのだ。車だと記憶に残りにくい、早いから残りにくいのだ。そこに人間的なものが欠けてくる。車だとなにか人間のありがたみを感じない、便利な機械があり人間が存在しなくなるのである。

山の上に月はいでたりわが児よ父と手をとりまた徒歩(かち)ゆかむ


こういうことがいつまでも心に残るのだ。そして父と子の絆も深められていたのである。これが車だとそうはならない、人間はこうした日々の生活の中で心も作られてくる。だから現代という環境で人も作られてくる。車洪水の中ではそれに応じたせわしげな忍耐のない人間が作られてくるのだ。


吾が村の午鐘(ひるがね)のおときこゆなり一人庭にいて聴きにけるかも


山がひの二つの村のひる鐘の時の遅速もなつかしきかも


この午鐘とは寺の鐘なのか、江戸時代は土地によって時間が違っていた。
花の雲鐘は上野か浅草か 松尾芭蕉 ・・・・これは別々に聞こえてきた。今のように全部の時間が統一されていないのだ。全国一斉に同じ時間ではない、だからこそ同じ時間でもどっちの鐘の音なのかとなる。そういう現代と違った時間感覚なのである。


老いませる父によりそいあかねさす昼の厩(うまや)に牛を見てをり


老いませる・・・というとき牛を飼っている、牛とともに老いた父を見ているのだ。その歳月の長さを見ている。牛の存在感とともに父もあったのである。ただこの牛は今の牛とは違った牛だろう。

今の牛は主に肉牛になっている。昔の牛はまた別な役目があった。牛を食べていても何か違っていた。ただ家畜は家族の一員となっていた
ことは確かである。飯館村でも牛と別れることを悲しんでいたからである。


さ庭辺につなげる牛の寝たる音おほどかにひびく昼ふけにけり


牛がいるということは牛と一緒に生活していることは牛というものと一体化してくる。すると牛のリズムが人間のリズムになるから悠長な時間の中で生きることになる。現代は車時代だから車のリズムで生活している。すると切れやすい人間ができる。牛馬と一緒に生活することは動物を愛おしむ人間を作っていた。今はその代わりをペットがしてしいる。でも牛馬は生活と一体化してあったからペッとも違っていたのである。


相つぎて肺やむ人の出にけりこれの布団のかづき寝しもの


この頃国民病と言われたのが肺病である。実家の墓にも27才で肺病で死んだ人が埋まっているし肺病で死んだ若い人が多かったのだ。


素足にて井戸のそこひの水踏めり清水冷たく湧きてくるかも


昔は水道水ではないみんな井戸でありこれも実感である。

おぼろ夜の村の長みち嫁入りのむれにまじりてわが歩みゆく


村の長みちというときやはりこれも歩くから長いのである。車だったら今は短い道になってしまう。こういう情緒は生まれないし嫁入りなどという言葉も死語になっているのだ。


(東京)

両国橋を渡りしが停車場の食堂に来て珈琲-を飲む

コ-ヒ-をすでに飲んでいたのは意外だった。東京だったらコ-ヒ-飲んでいた。コ-ヒ-だげの店はなく食堂だった。
このコ-ヒ-を飲めるのは東京でも少なかった。

カフェから溢れる大正ロマン
http://www.y-21gp.com/coffee/STORY/storyAG.htm

いくたびか家は移れる崖下の長屋がうちに今日は移れる


アパ-トでなくて長屋と言っていたから江戸時代の延長であった。江戸時代の長屋は人は移動していない、明治以降は人が東京のなかでも移動するようになったのである。この違いは結構大きかったのである。都会では知らない人々が集まり住むようになったのである。


異国米たべむとはすれ病みあとのからだかよわき児らを思へり


ふるさとの父がおくれる白き米に朝鮮米をまぜてを焚くくも


異国米とはタイとかの米ではありえない、朝鮮米のことなのか?朝鮮では日本人が米作りしていた。その米が入ってきたのか?東京だからこういうことがあった。田舎ではありえないからだ。



江戸時代にもどろうとしてももどれない、江戸時代はわかりにくい、江戸時代を知るには大正時代とか明治時代を知る必要がある。しかし今や明治時代を生きた人はもう生きていない、大正時代を生きた人はまだ生きている。90以上でも生きている人は結構いるからだ。ただ明治時代と江戸時代は実際は全然違ったものとなっていた。継続はあったにししても違っていた。なぜなら母は製紙工場で働いたがそうした工場というのは江戸時代にないからだ。機織りをしていてもそれは工場ではない、個々人の家でしていたのである。ただ個々人の家でも大正時代辺りは機織り機がありしていた。そういう点で江戸時代からの継続があった。戦後十年くらいでも子供のときは江戸時代と通じる生活だった。燃料は炭とか薪であり本当に電気製品も何もない貧しい生活だったからである。それは江戸時代からの継続だったのである。高度成長時代から急速に社会は変わってしまった。

車時代になったとき人は歩かなくなった。この変化は大きい。歩かないということが人間の基本的なものを失う、ここにあげた歌のように親と子の絆も失ったりする。人間の生活はあわただしく通りすぎて記憶に残らなくなっている。それは人と人の関係もそうだしすべてについて記憶に残りにくくなっている。記憶に残るということは悠長な時間の中で記憶に残されるのである。新幹線で旅しても記憶に残るものが少ない。ただ通りすぎてゆくだけである。旅も記憶に残らないし生活そのものが記憶に残りにくくなっている。そういうことが人間喪失になっているのだ。豊になり便利になっても人間の生活の質は低下しているのだ。老人になると記憶だけになる。あなたの一生で記憶されたものは何ですかとなると意外とないことに気づく,それは現代の生活が機械中心であり人間中心でないからである。また人間は集団化組織化されると数として非人間化される。統計の数であり一人一人の人間の生活の質は計れない、そこに統計の欺瞞がある。人間の生活の質は何なのかというとき,かえって江戸時代が質的にはまさっていた。いくら豊に便利な生活しても人間の生活の質が向上するとは限らない、低下する場合もあった。人間はこの世に生きるのが一回限りとしたら人の出会いでも生活でも印象深いもの意義あるものとしたい、そういうことが現代生活では消失した。車でぶっとばすとすっきりするとかなるがそういうのはあとでふりかえると何も残らない、記憶に残らないのである。記憶に残る生活はやはり自然と共に悠長な時間を過ごしているときなのである。万葉集などはそうした人間の生活の記憶として残っているのだ。


鶉鳴く古りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも

uzuramura111.jpg

これも何でもないような歌なのだけど印象深いものがある。鶉は素朴なものであり古い里でありそこに長く住んでいる親しい人がいる。その人は互いに何も言わないでもわかりあう仲かもしれない、村の中でともに長く暮らした友である。それは村という全体の中で育まれた仲である。変わらぬ仲間である。相見つるかもというとき万葉集には常に相という言葉が出てくるのも人と他者が常に一体関係にあったから相がでてくる。今の言葉では相はでてこない、他人は突き放したモノののような対象物になっている。そして人間が一体化する背景の自然や村がなくなっている。人間の一体感はただ団体とか組織で作られる。宗教であれ組合であれ会社であれ何であれ組織団体として分類されて数化されるのである。人間が一対一で向き合うことはいない、人間は一つの経済単位消費単位一票とか物化されている。宗教団体でも一票として数として統計化される。その数をふやすことが権力化するからだ。だから人間が会うということは現代ではない、ただ貨幣を通じて物を媒介するものになる。人間を金として計算するのが普通である。だから人間の生活の質は低下している。

人間の充実した存在感は失われたのである。相見つるかも・・・というときこれは一時点ではない、その古りにし村が継続するかぎりその人と人は相見つるのであり長い継続がその人間関係にはあるのだ。現代は無数の人と会っても会っていない、人と人の連帯も生じない、ただ物を貨幣を通して媒介するのが人になっているのだ。これはマルクスの言う物神化だというのもわかる。もう人と人の関係は金を通じてしかありえないのだ。それが極端化すれば人はみな泥棒であり強盗である。ただそうすれば警察につかまるからとしないだけである。機会があれば奪ってやろうとしかない、みなそうなるから誰も信用できなくなったのである。心の中ではみんな家族意外は相手は金と思っているからだ。それ意外そもそも何も他人に対して求めるものがなくなっているからだ。金を通した人間関係しかなくなっているのだ。物を得るにはいいがこれが福祉関係だと金だけではないから困るのである。金では愛とか親切は買えないから困るのである。一億円くれるから愛してくれと言っても誰も愛してはくれない、一億円はもらうけど愛したりはしないのである。現代はだから身寄りがない人は余計に悲惨になることを体験から知ったのである。江戸時代は便利でなかったが存在意義があり一人一人が存在感があった。生活の質は江戸時代の方がまさっていたのである。金だけの関係の社会でなかったことはまちがいないのだ。

2011年10月26日

painter12で作った抽象画



painter12で作った抽象画

springdyreams.jpg

春の流れ



hughermountains.jpg

高さを競う山々

springimage.jpg

春の色



painter12の体験版で作った抽象画である。これは絵を描くソフトでは一番いいものだろう。
4万だからソフトも高い。ずっと前にやっていたけどその時は一万くらいだった。
ソフトは意外と高くても使いづらいのがある。一つのソフトで何でもできるわけではない、
無料のソフトでも機能的にそれでないとできないものがある。この辺がソフトの不思議である。
絵は全然描けない、ただパソコンをはじめてソフトを使用していて抽象画は誰でもできるのだと思った。一面抽象画は不思議だと思った。これはパソコンのソフトでできるものであり普通に絵を描いていたらできないものだった。新しいパソコンから生まれたア-トだった。
パソコンは紋様などを作るのに向いているのだ。
やはり抽象画は川や山や何かそういうもの抽象化したものである。ただ何を抽象化したのかわからないのがあり何を意味しているのかわからないのがある。その時理解できないのである。それが芸術なのかどうか理解できないのがある。自分の場合は山とか川とか何か具体的なものをイメ-ジしている。というよりはこれは本当に偶然の結果なのである。ただソフトをいじっていてあれこれは何だ川のようだとか山のようだとかなるので面白いと思い作りつづけてきた。そもそも漢字は抽象画だから日本人には抽象画が向いているのかもしれない、painter12はプロ使用でもあるからかなりこっている。絵の具に近いし絵の具では現せない機能がある。まあ、このソフトを買っても絵が描けないのだからそれほど利用できないともなるがやはり多少でも楽しめるということで買うようになるだろう。