2011年10月10日

女郎花野菊桔梗


女郎花野菊桔梗


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そのままに流さる船や秋の風


おみなえしに野菊のそえて桔梗咲くよこしまのなき花にあるかな


森深く一つ二つや蝉の声なお聞こえつつ秋の夕暮


天地(あめつち)の静けさここに極まるや蝉の声かすか秋の夕暮

芸術とかが才能だと思っているかもしれないが確かに啄木とか賢治とかわずかの天才はそうかもしれない、でも才能なくても芸術を極めることができる。芸術のバックボ-ンは倫理的なものである。
徳を追求している。つまり美とか禅とか義が一体であり別々のものではない、愛もそうである。
よこしまなき心に自然の美も映える。よこしまなきというとき別に人間は罪を犯すものだし過ちも犯すから罪を犯すなとは言えない、悔い改めろとは自分にしても他者にしても言える。


ただよこしまな心にはどうしても自然の美は映えない、ピカソなどの絵は本物の芸術ではないというとき美には邪なものもあるということになる。そういう美は本当の美の表現ではないということはある。天才的な人がモラルに欠けている場合があるからだ。天才でなくても普通人でもモラルをもっている人はいる。その簡単なモラルを維持することがむずかしいのだ。嘘つかない人がいないように特に今では社会の上層部は何かしら悪に染まっているように正直であること、嘘をつかないということ自体最高にむずかしいのである。だから江戸時代は素朴な人がそういう簡単なモラルに生きた人が多かった。農民とか職人でも嘘をつかずに生きられた。今は会社員だからその会社がモラルなき会社になっているのが多いからその会社に属している人はまた自分が正直であろうとしてもなりえない状況になっているのだ。


だんだん秋も深まる、天地(あめつち)の静けさが田舎にはまだある。そういう静けさがあるから田舎に住む。ところが今のこの辺は騒乱状態である。それでこういう所に住んでいるのが嫌になる。
そして飯館村でも高瀬川とかも近くの風光明媚な所にも行けなくなった。それがこの辺に住んでいても損になった。そういう自然に囲まれていることが心落ち着かせることだった。それがなくなったときなんかイメ-ジ的にもひどく損なわれてしまったのである。外から放射能地帯というイメ-ジしかもたれなくなった。これも大損だった。とても金で賠償などできない、東電の賠償も期待したほどにはならない、結局ここに住むことは大損にしたならなかったと結果的にはなる。それでも長年住んだ所は簡単に移れない、老人は移れないのである。


まだ蝉が鳴いている、天地の静寂にその声を聞く、今年は長く鳴いているのか、そろそろ秋もかなり深まってくる。除染で草はかなり刈ったから草ぼうぼうとはなっていない、この辺はいつになったら正常化するのか?もう半年も過ぎて流された船も一つの定着した風景となってしまった。

熊野山地の洪水の山崩れも自然破壊にあった (原発事故周辺の町も十津川村と同じ運命に)


熊野山地の洪水の山崩れも自然破壊にあった

(原発事故周辺の町も十津川村と同じ運命に)



白神山地のブナ林の土壌は「ブナの森から出る水に肥料いらず」といわれるほど理想的な森林土壤であり,高い保水能力を持った土壤である。ところ力 5 ,昭和 33 年から人工造林計?が始まり,ブナを伐採して逮材用のスギゃヒノキなどの針染樹を植えた結果、洪水被害が増えた。


大きいブナだな”と思うもので樹齢は約250年


 カラマツは、日本の天然林に多く見られるブナに比べると、その保水能力は数分の一とかなり低く

ブナの木は山の保水能力を高めること、 野生動物のエサとなる(人間でも食べられるらしいが) 実をたくさんつけることがわかりました。


樹齢250年のブナの木は、8トンの水を蓄えるだけの保水能力を持っているんですよ。


広葉樹は横に根を張り、土壌を安定させるのに対し、
針葉樹は縦に根を伸ばす為、保水能力が低い。

人工林は針葉樹ばかり。
つまり、現代の洪水は、人災。



ぶな?(木偏に無)がなぜこの字になったのか?この木はもともと森にあった先住民である。それがなぜ無駄な木、無用の木とされたか?それは杉とか檜が効用があったからそうなった。ところが自然にとっては森にとっては欠かせないものだった。不可欠なものだった。保水能力があり木の実は動物たちの食糧になる。ブナは生態系を維持するために不可欠なものとしてもともと山にあった。それを無用のものとして切り杉や檜を植えたとき保水能力が失われ麓で洪水が増えた。山崩れの原因もブナと杉では根の張り方まで違っていた。ブナは土に密着して広く深く根を張っていたから土壌を堅くする用をなしていた。人間側にとって無用と見えたものが実は山にとっては不可欠な有用なものだったのである。人間はもう文明が開始された何千年前から自然のままではない人工的自然を作って住んできたのである。それが結局常に災いのもとになった。技(わざ)わいなのである。ブナを無用だとすることは人間の一方的な便利さのみを追求した結果であり自然の知恵によって作られた山と森と水のシステムがあった。それを壊した結果洪水が増え山崩れが増えた。今回の熊野地方の山崩れ災害はそのためだった。そしては十津川村は北海道に移住して第二の故郷の十津川村を作った。文明の崩壊が自然破壊と密接に関係していた。イ-スタ-島では森林を破壊しつくして崩壊した。土壌が疲弊して荒廃して文明が崩壊することもある。船を作るためにレバノン杉をとりつくして王国が滅亡した。
ウルクの王ギルガメシュは、ウルクの繁栄を願い、盟友エンキドゥとともに香柏(レバノン杉)を得るために、香柏の森の守護者(半獣半神)のフンババを退治に出かけることを決意しました。戦いのために、ギルガメシュは、エンキドゥと刀鍛冶を訪れて、3ビルトゥ(90Kg)の強力な青銅の斧と大太刀を作らせました。


人間はやはり自然に逆らうと復讐を受ける、そもそもプロメテウスも火を盗んだ結果として過酷な刑罰を与えられたのもそうである。今回の津波でもそうだった。もともと海だったところを開拓して水田にした。防潮林として松林を作った。それは自然とマッチした人工の美だったのである。その風景が根こそぎ津波で失われたのには驚嘆した。これも自然が自然をとりもどすために津波を起こしたのかともなる。青松白砂や水田さえ自然破壊をして作られた風景だったのである。津波があったところは自然に則して生活していれば津波の被害にあわない。人間は自然から離れ自然を破壊して文明を作ってきた。だから今の大都会は一旦災害には弱い、不自然なものであり極端に人工化した所だからである。その例が神戸大地震だった。火の海になり大被害を出した。海より低い場所に住宅地を作ること自体いかに危険なことか今回の津波でわかった。東京辺りにはそういう一帯があるからいかに危険かわかる。


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ともかく老子が無用の用を二千年まえに主張したときまさにこういうことだったのである。ブナを?(木偏に無)としたときまさに人間が便利なもの人間にとって便利なものだけを有用なものだけを追求した結果としてこの字をあてた傲慢があった。そういう人間側だけからの自然利用は必ず復讐を受ける。それが山崩れであり山津波であり今回の大津波でもあった。その復讐は恐るべきものになる。自然はとても人間の知恵では今でも計り知れないものだった。そういう計り知れない自然を畏れることなく原子力発電を海岸に作った。それが自然に復讐されたのだ。自然を甘くみてコストカットのみを追求した、そして自然にはない物質を原発は作り出してその毒で回りは住めなくなったのである。それは自然からの人間の傲慢に対する復讐だったのである。そういうことは地球全体にあり地球の自然が人間側の便利さや有効さなどの追求の結果として起こる。資本主義というのも貪欲に自然を人間側の欲のために破壊してゆくから大きな自然災害が起きて復讐される。自然には自然の知恵と理があって存続している。それを人間側の一方的論理と便利さのみ追求は危険なものとなる。


1889年 奈良県吉野郡十津川村水害遭難、壊滅。
1957年 新十津川村、町制施行。「新十津川町」


原発周辺の住めなくなった市町村はどうなってしまうのか?北海道に移住するようなことは今はできないだろう。すると散り散りになり消滅する。その歴史も断たれてしまう深刻なものとなってしまう。市町村が消滅するということはどういうことなのか?それは歴史と風土とかすべて失うことになる。そこに原発事故の残酷さがあったのである。

posted by 老鶯 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年10月11日

インタ-ネットは緊急時に頼れなかった (テレビに中でもNHKに頼る度合いが強かった)


インタ-ネットは緊急時に頼れなかった

(テレビに中でもNHKに頼る度合いが強かった)

●インタ-ネットは共時的 通時的
 

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【共時性】

(時間系列に従っての変化)一方有る変化が同じ時間の中で、あちらこちらで起こることもあります。

【通時的】

複数の現象が時間の継起に従ってあるさま。また、ある対象を時間的・歴史的な変化の相にしたがって記述しようとするさま

インタ-ネットのメデアは何なのかまだその全容はわからない、インタ-ネットは軍事用として作られた。どこかが爆撃されて破壊されてもどこかで通信できるように作られた。一本化されないメデアである。インタ-ネットはだから規制しにくいのである。今までのメデアは一方通行であり一方的メデアなのである。テレビにしろ新聞にしろリアルタイムでは共時性では一方的なメデアである、放送する局は限られている。その中でNHKは群をぬいて力をもっていた。だから緊急時はNHKに頼ることが多いからNHKの役割は大きい。今回の地震と津波と原発事故では速報がリアルタイムの共時性が一番大事だった。地震で物が散乱してパソコンを二週間くらい使わなかった。電気は停電しなかったから使えたのだが津波と原発事故のことをテレビで見るだけで時間がとられたのだ。それと自分の場合、介護もしているし食事の用意だけで忙しくてとてもインタ-ネットができなかった。テレビも停電で使えなくなったところもあった。そうなるとラジオが頼りになるがラジオをもっていない人もありそれで津波の正確な情報が伝わらず死んだ人もいた。


今何が起きているのか知ること自体が容易ではなかった


それで衝撃的な津波のことや原発事故のことを見ていた。それだけで時間がとられたしとてもインタ-ネットを操作したり見ることもできなかった。その時ツイッタ-とかで情報交換していた人はいた。でもそれもなれていないと、じっくり見ないとなかなか操作しにくいのがインタ-ネットである。
それが自分には忙しくてできなかった。つまり緊急のときは今何が起きているのか知ることが一番大事になる。原発が爆発したりしたのは何なのかさえわからなかった。

その時、学者が出てきて「安全だ、安全だ」と強く言っていたので安全なのかと思った。テレビはNHKでも安全というのが多かったから放射能はたいしたことないのかと思ってしまった。そもそも放射能自体についての知識がゼロだった。だから何が起きたのかしりえようがなかった。それは自分だけではない、浪江の人は津島に避難したのである。そこは放射線量が凄く高い所だったのである。どうしてそんなところに避難したかというと政府からも東電からも指示がないから役所でそう命令したのである。原発より離れた山の中の津島が安全だと思ったのである。その時スピ-ディで放射性物質の流れしりえてもその情報は流されなかった。それで飯館村も避難しなければならなかったのにずいぶん遅れて村民はかなり被曝したのである。その責任は政府と東電にあったのだ。メデアにもあった。危険情報を流さなかったのである。そういうときインタ-ネットから情報を得られるのは限られている。また数が膨大なのでどこを信用していいかわからなくなる。流言蜚語が飛びやすいのがインタ-ネットだから特にそうなる。


●緊急時はインタ-ネットよりテレビになった


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すると最初はどうしてもテレビの情報にたよる、その中でもNHKにたよりやすいのである。最初の津波の情報もそうだった。6メ-トルとでて驚いたがそれでも6メ-トルということで安心ししていた人もいた。磯辺辺りでもチリ地震津波を考えて6メ-トルの防潮堤があるから安全だと思っていた人がかなりいる。最初に10メ-トルと出せば緊急の危険性を感じて避難した人が多かったかもしれない、その緊急性がテレビの警報でNHKで伝わらなかったことは言えるのだ。自主的に判断するにも時間がないから判断できないのである。ましてやインタ-ネットを見たからといってそこではどこを見て信用していいかわからないから判断しようがないのである。


緊急時にはインタ-ネットは意外と役に立たない、それでも何か月も新聞は来ないし雑誌は見れないし物資すら運ばれなくなった。その時テレビは電気が停電しなかったから見れたのである。インタ-ネットもできたので二週間後からははじめた。でも放射能についてはなかなかわかりにくくかった。ただ何か月かすぎてアマゾンの流通も絶えた。すると本も注文できないから電子化していたら簡単に読めるのにと思った。新聞にしても三か月くらい来なかったのである。テレビだけは通じていたから毎日見ているとテレビに影響されやすいのである。それは一方的になりやすいのである。だから放射能は安全、安全とばかりすりこまれてしまったのである。最近になって放射能の危険性を冷静に認識するようになったのである。そうはいっても共時性とはリアルタイムにはいくつものことを知り得ようがない、津波のことだけでも知ることが精一杯になりその他、放射能は何なのだということを知ることは容易ではない、そこでテレビの影響で放射能はたいしたことがないのだと思ってしまった。


●政府、メデアの責任は重い


しかし原発が爆発したことは相当な危険なことであり放射能のことを知っていた人はいち早く逃げた。知らない人は逃げようもなかったのである。放射能がどういうふうに危険かも原発近くでもそもそも教えられていない、ただ安全だ安全だしか教えられていないからもちろん避難訓練などもしていないのである。さすがに双葉町などはいち早く全町民が避難したのはそれなりに備えていたからだろう。隣の浪江町などは備えがなくて一番放射能が汚染される場所に逃げたのである。この責任も政府と東電にあった。スピ-ディは機能しない教えない、いかに危険に備えていないかわかった。原発自体が実に危険に脆弱なものとして作っていた。その責任は本当に大きい。これほど危険なものがあまりにもずさんに管理して一旦事故あることも想定していない、ただ安全神話作るために金をばらまいていたのである。政府もいかに原発に対しては無知でありいいかげんであり厳しい管理もしていなかった。ただ文部科学省の教科書でも危険であるという文字を入れさせなかったのである。そういうふうに危険なものを隠しつづけて安全神話を作った政府の責任も重いのである。


そもそも政府もこんなに頼りないものかと思った。何の権限もないのかと思った。ただそうした危険なものを東電にまかせきりにしていたのである。保安委員などは名ばかりであり何の働きもしていなかった。そして東電に官僚が50人も天下りしていたのである。その中には警察関係もいたから東電の用心棒だったとか揶揄される。上層部が指導者がこれほどずさんな体制だったのかとわかった。これはやはり戦争の時もそうだったのだろうとなった。戦争になったときも指導者はずさんだった。指令系統も統一されていない、海軍と陸軍が別々の行動をとったりと指導するものがばらばらになっていた。そういうことが今回の原発事故から見えてきたので日本は戦争の時から変わっていないとされた。戦争のときも大本営発表であり勝った勝ったばかりしか言わない、言わせない、新聞も同じである。だから戦争に負けてからはまるっきり反対になったので何を信用していいかわからなくなった。政府とか政治家とかがこれほど信用できないものなのかとなる。マスメデアも政府にならう、大企業にならう、批判はしない、ただ宣伝費として金をもらうだけである。でも緊急時に頼るのはマスメデアであり特にNHKであった。そういうところが責任を果たさなければどうにもならなくなる。


そういうトップが責任を果たさなかったらその下々もどうすることもできないのである。しかし戦争のときと同じく今回も指導者は何ら責任をとらないのである。緊急時は誰かが一元化して命令を出さないと危険を脱出できない、砂漠で水のありかを方向を指導者が決めて助かった場合と同じである。戦争のとき英雄がでて機転をきかして敵に勝ったというのもそうである。そういう危機のときは誰かが適格な判断を下し導かない限りその部下も助からないのである。でも今はその指示するものが一人の英雄とかではない、NHKのようなメデアになるのだ。だから緊急時のメデアの役割は大きいのである。特にNHKの役割は大きくなるのだ。インタ-ネットでは対処できない、どこを信用していいかわからないからである。常日頃流言蜚語が日常化しているところでは信用できないからである。

結局何を信用していいかわからない、御用学者は安全ばかりをいい、政府は何ら助けにならなかった。それは自分も個人的に経験しているけど誰も頼るものがなく身寄りもないので強盗のような人に頼ってしまって大変な目にあったのと同じだった。肝心なとき頼ったのが強盗のような人だったのである。それも頼る家族がいない身寄りがないのだからどうにもならなかったのである。原発事故でもそういう状態に陥っていたのである。信用して頼るべきものがいなくなっていたのである。そういうとき強力な信頼にたる指導者がいなかったら民に多くの犠牲者がでる。戦争の被害がとどまることなく拡大化したのもそのためだった。原爆を落とされる前でもとめることはできたのである。それがもうとめることができるものはなくなっていたのである。天皇すらできなかった。暴走はつづき歯止めがきかなくなっていたのである。

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posted by 老鶯 at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月12日

残る蝉の声(詩)


残る蝉の声



天地の静寂


残る蝉の一つ二つ


森の深みに


静かに聞き入る


親の墓所があり


ここを離れえじ


最後まで聞き入る


その蝉の声


ともにありにし


歳月の長きも


ここにともにありて


故郷の土となりゆく


天地の深まる静寂


そを聞き入りぬ

 
posted by 老鶯 at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般

山中節の情緒(旅の思い出)


 

山中節の情緒(旅の思い出)


 



山が高うて山中見えぬ 山中恋し山にくや


谷にゃ水音峰には嵐 あいの山中湯のにおい


「山が赤なる木の葉が落ちるやがて船頭衆がござるやら」にもある通り春から秋にかけて北海道附近に出稼ぎしていた船頭さん達は冬が近づくと家に帰り一年の苦労を癒すためこの山中に来てゆっくり湯治をしたのである。


山中や菊は手折らじ湯の匂ひ 芭蕉


「山中温泉はまことに効験あらたかな温泉である。かの不老長寿の霊薬と伝える山路の菊を手折るまでもなく、湧き出る湯の匂いは菊に劣らず香しく、浴するほどに命の延びる心地がする。



太平洋と日本海の情緒は正反対である。情緒的には日本海側の方がいい。あの情緒は他ではなかなかない情緒である。日本海には何か古い家並みがあり昔のものさびた感じがあった。一方で太平洋な明るさはなく陰気な感じになる。雪国だから余計にそうなる。

山中温泉には行っていないから地理的なことがわかりにくい。そんなに山の中なのかとうことが実感としてわからない。やはり一回行ったところならイメ-ジしやすいし関心をもつ、ただこの辺りの白山郷がありそこには行っているし近くだった。そこは閉ざされた本当に山深い平家落人の里にふさわしい所だった。山中温泉はそんな山奥とも地図で見た限りでは違っている。ただかなり山間を奥に入った場所である。こおろぎ橋などがあり名前としてはいい。でもそこが山中節のように山が高くさえぎっている場所のようにも見えない。ただ日本は山にさえぎられている所が実に多い。山国である。こういう俗謡でもそういうふうになるのが日本の風土である。北前船の船頭がここで湯治した。長く滞在するからそこに恋も生まれた。そういう歴史を感じて泊まるのとただ泊まるのでは違っている。歴史がある場所とない場所では違っている。北前船にまつわる話しはいろいろある。太平洋側にはそうした情緒が不足している。何か人間的なもの情が深いものを感じる。日本海とか越前越中越後はそういう土地柄でもある。
今回原発事故などで新潟県にも浜通りから相当数の避難者を受け入れてくれた。新潟県はそういう情が厚いという面があった。ただ現代は旅の情緒がない、山中温泉に行ったことがない、たまたまテレビで見て知った。ここに芭蕉が長く滞在したのも知った。ここの湯にいやされたのである。でも温泉ホテルが今は意外と情緒がない、そもそも豪華なホテルは保養にはいいが情緒がない、旅人は木賃宿のようなものがにあっている。今はやたらホテルが多い、それで旅の情緒がそがれるのである。旅が自由になりどこでも行ける時代だがかえって本当の旅がなくなったというのも皮肉である。貧しいときの方が旅の情緒があり旅があったし旅人になれたのである。自分は旅がしたかったから豪華なホテルには泊まりたくない、もちろん金もなかったから安宿を探して歩いていた。長く旅しているとやっぱり安宿なのである。その点ヨ-ロッパは旅しやすい、安宿やユ-スホステルで安く泊まれる。年配の人も泊まっている。一方で外人用のホテルは高く豪華なのである。ヨ-ロッパは長旅する人が多いからそうなった。やはり旅にいい時代は戦前であり江戸時代だったのである。豊になりすぎて便利になりすぎて旅が自由になって旅がなくなったというのも皮肉である。豪華ホテルには泊まりたくない、また高すぎるということもある。ふらりと旅して気ままに泊まるホテルではない、だからどうしても今はビジネスホテルに泊まることになった。

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天正8年(1580年)山中温泉の上流真砂の地に、滋賀・福井方面より山づたいに良材を求め移住した工人たちの「ろくろ挽き」が始まりとされております。
 その後、技術・製品ともに川を下り、手工芸品として山中温泉の浴客への土産品として広く生産されるように、1700〜1800年代にかけて工人たちのたゆまぬ努力と創意工夫や全国の名工を招いての技術導


江戸時代後期天保年間(1830〜1844)の蒔絵師 会津屋由蔵(あいづや よしぞう) 弘化年間(1844〜1848)の糸目挽き(いとめびき)名工 蓑屋平兵衛(みのや へいべい) ました。

1830年から1844年(天保年間から弘化年間)には会津の板物師桜田門兵衛が当地へ赴き会津の塗法を伝え、1848年嘉永)には会津の蒔絵師角田東斉によって会津蒔絵法が伝わり、川連漆器に見られる沈金、蒔絵といった装飾の、基盤も大きく築かれていった。



山中漆器で面白いのは会津の漆器が技術指導に最初に来ていたことである。すると会津の漆器は技術的に古く優れていたとなる。相馬焼きも技術指導のために益子焼きには相馬焼きの技術も入っていた。益子焼は笠間焼きからはじまった。焼き物の歴史を調べるとやはり興味深いものがある。浪江の大堀焼きは一体どうなってしまうのだろうか?焼き物は土が大事だとするとその土地に根ざしたものとして生まれた。ただ今は土も他からもってくるものが多いから青ヒビとかの技術は移住先でも残すことはできるのだろう。



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新蕎麦やむぐらの宿の根来椀


根来塗の名称は紀州(和歌山県)の根来寺から来ており、当時僧徒が自分の寺で使うものを作りました。根来塗の歴史は古く、正応元年(1288年)に遡ります。お寺で、僧が日常的に使う為、きれいに塗るというより、使いやすさ、丈夫さに 主眼をおき、黒漆で何回も塗り重ね、最後に一回 朱漆を塗り、仕上がりとしました。


この根来碗で新蕎麦を食べた。その味わいはなんともいえぬものだった。蕪村は食べることにかなり風流を感じて食べていた。江戸時代はともかく土地柄がにじみでるようなものが多かったのである。今はそういう土地柄の産物が喪失した。どこでも何でも手に入るということはみんな規格化した製品になったのである。おみやげが今は一番つまらない、まずいものが多い。名前だけになってしまった。そういう土地の情緒が喪失したのが現代でありそれと同時に旅の情緒も喪失したのである。江戸時代は旅に一番向いた時代であったが旅がしにくい時代でもあった。人間はだから時代によって恵まれたといっても必ず失われたものがありその失われたものは取り戻すことがもはやできないのである。

山が高うて山中見えぬ 山中恋し山にくや


日本はどこでもこういう風土なのである。隣の村も山にさえぎられて閉ざされている。隣の村に行くには峠を越えねばならない、そういう風土である。だから隣の村さえ神秘的になる。一旦去れば山にさえぎられて見えなくなるからだ。そしてし互いに閉ざされた中で暮らしていたのである。それで飯館村だったら大倉村と佐須村は民情が一致しないから合併できないということにもなった。狭い村々で民情が違っていたのである。それは山があるから今のような大きな市はできないのである。


あしひきの 山きへなりて 遠けども 心し行けば 夢に見えけり 大伴家持


山に隔てられている。その山の向こうを常に思っているのが日本の風土である。山がにくいとなるのもそのためである。山さえなければ会えるのになとなる。それで日本はトンネルが多くトンネルの技術も発達したことがつくづくわかるのである。


 

自分に起きたちょっとした事件の謎 犯罪は田舎でも増えている?)


自分に起きたちょっとした事件の謎

(犯罪は田舎でも増えている?)

犯罪が増えているとか増えていない主観なんだよ、自分のみにふりかかったら犯罪が多いなと思う
そうでない人は犯罪はあまり関係ないんだよ、犯罪を身近に感じて犯罪を知るんだよ
今回のことも変だった、小さなバッグを忘れた、それを知ったのが自転車でしばらく離れてからだった。忘れた場所はわかっていた。そこにもどってみたらなかった。それで近くのス-パ-に行ってみたら届けられていた。そのス-パ-に忘れた記憶はなかったが一応たずねてみたのだ。5分くらいしかたっていないからわかっていた。そしたらバッグがス-パ-に届けられていた。近いからス-パ-に届けたのだ。

「お礼をしてくださいよ」と店員に言われた。

店員に電話番号と名前が書かれたメモを渡された。

そのス-パ-では金がなくて外でカ-ドで一万下ろして使った。2千円内の出費だったろう。その時一万なのだから一万を使うはずがない、バッグが届けられていたしお礼をしろとも言われたので電話した。出たのは20才以下の高校生くらいの男子だった。そのバッグは通信販売で買ったばかりであり一万した。あとはカ-ドとデジカメが入っていた。あとは何も入っていない、でも全部で5万くらいとして一割の5000円払った。失敗したのは電話したときパッグの中味を見ていなかった。金が減っていることにきづかなかった。確かに一万をス-パ-に出したのだから2000円しか残っているはずがない、かといってぬきとられたとも思えない、わざわざ届ける人がぬきとるわけもない、するとス-パ-のバッグをわたし人がぬきとったのか、それとも自分に何か落度がありなくなっていたのか?その辺がわかりにくい、金はス-パ-でしか使っていない、・・・・その辺が謎になっている。ス-パ-内で忘れたならス-パ-の責任になるがその外になると警察に届けるものだった。ス-パ-に届けるものではななかった。ただ警察すら忘れ物の金をぬきとっていた事件があった。これはぬきとりやすいのである。小額だったら全くわからないのである。


バッグを届けた人に5千円をわたした。母親と一緒であり顔を見たらとても金をぬきとって届けるような顔ではなかった。すがすがしい顔をしていた。それも母親と一緒に来ていたからあの人はぬきとるようなことはしないと思った。人間はやはり表情を見るとわかるということがある。ただそれは人間を良くみれる人でないとむずかしい。人間の表情をよはとることはむずかしい。 するとス-パ-の店員がぬきとったのかとなる・・・それが有力だが自分の落度もある。小額をぬきとる犯罪がありそれはわかりにくくされて誰も訴えないということがあった。それは巧妙な犯罪である。犯罪者はそういう所に頭が働くのである。乱暴な犯罪はよほどせっばつまった人がするのだろう。


自分は最近どうしてか犯罪にあった経験があり犯罪を考えるようになった。これは額が少ないからどうでもいいことだがそれでも何か最近田舎でも犯罪が増えているかもしれない、せちがない、世の中になっている。余裕のない社会になっている。ともかく格差もひどいし時間給とか派遣という労働の仕方が労働倫理を壊している。まともに正直に働くことが馬鹿らしくなっている。自分も時間給とか派遣の働き方は大問題だと思う。それは底辺の労働のモラルを壊してしまったから犯罪は増えていると思う。ただこういうのは統計的には客観的にはわからない、そして警察に検挙されない数も膨大である。警察では小さい犯罪にはかかわらない、はっきりとした証拠がないかぎりかかわらない、それは大きな犯罪でもそうである。今は明確な証拠がない限り警察は動かないのである。結局犯罪がふえたとか増えないは主観的なものである。犯罪にあった人は犯罪のことを真剣に考える。あわない人は考えない、他人事であり面白がるだけである。それは殺人事件でもそうである


推理としては


●届けた人がぬきとった


●ス-パ-の店員がぬきとった


●自分が何かしらで金をなくした


何かで落としたのかもしれない、その可能性もある、ただ一カ所だけよって使ったあとは使っていない、それも何百円だけである。そのあとは自転車で去っただけである。
推理としてはこのどれかである。自分の過失も十分にある、そういうことも前にあった。
だから疑うのは良くないが最近犯罪にあったので主観的にそう思ってしまった。

posted by 老鶯 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

限界集落とにてくる原発事故周辺の市町村 (消滅する、衰退する自治体)

 

限界集落とにてくる原発事故周辺の市町村

(消滅する、衰退する自治体)

●高齢化で置き去りにされる老人


2794集落に消滅の恐れ=高齢者5割以上は1万−総務省調査総務省が過疎地などの6万4910集落について行った調査で、全体の4.3%に当たる2794集落が、人口減少や高齢化の進展により今後消滅する恐れのあることが30日、分かった。

このことは原発事故で避難して消滅しそうな市町村にも起きている。働き手の若い世代は放射能のために去り老人だけが高齢者だけが残される。高齢者が多くなると福祉のサ-ビスも満足に受けられなくなる。現実に南相馬市では医者も看護師も半分いなくなった。この影響は大きい。会社もやめる所が多く若い人の働く場所が失っている。人口流出が街を衰退させる。南相馬市はすでにそういう状態になりつつある。相馬市は人口がまだ流出していないからもちこたえる。南相馬市か医療が崩壊してしまうことは残された高齢者も医療サ-ビスを受けられないから深刻である。一時救急医療も閉ざされた。福島市の方まで運ばれた人もあった。救急医療ができないと死ぬ人もでてくる。そういう危険がましてくるところで高齢者が暮らすのも苦しい。高齢者だけ残るというけど高齢者を支える若い世代がいなくなったらそれもむずかしい。あきらめて早く死んでしょうがいないという人が残るのか?そういう選択も迫られるのである。限界集落に残る人は贅沢だという意見もある。


人が住んでいる限り現代の便利な生活を維持しようとする。そのために物を運んだり様々なサ-ビスをするのがコストがかかりすぎる。それで一カ所に集めてコンパクトシシティ化するのがいいという案がでた。昔なら別に辺鄙な所でも他の市町村に頼らず自給自足していた。医者がいないとしたら早く死ぬのもあきらめていた。現在はそうはいかない、いざとなればやはり救急車を頼り助けてもらおうとするし様々なサ-ビスを受けたいと思う、すると限界集落はみんなの負担になるのだ。すでに今の社会は交通が発達しているから全国規模で地域を考えざるをえなくなっている。全国民の税金が限界集落に注がれることになる。今回の津波や原発の災害でも全国民の義援金もあったが税金も投入されるからそんなところに無駄となり一カ所に集めろと言われるようになった。津波の災害地でもあまり金をかけることはやめろというのはその金が全国民から出る税金になるからである。社会が全国民規模でまたは世界規模ですら考えざるをえない社会になった。だから一地域のエゴは許されないともなる。自給自足なら全国規模の援助がないのだからかまわないが今はそうではないのだ。限界集落に留まるにしても誰かが助けなければならないからだ。そのコストが高くつくからそう言われる。昔ならまず高度な医療サ-ビスなどないしあきらめているから良かった。それが今はできないからそういう要求をするならコンパクトシティ化して住めとなるのだ。森林の保全とかは車時代だから通ってするのが能率的と言われる。ただそこにもいろいろな意見はある。


●10キロ圏内は核の処理場に


8市町村がまとまる、「ふたば市」構想は悪くない、その場合原発周辺を処分場にして国からの交付金で自治体運営をやりくりするのが現実的だと思う。


この意見は何を意味しているのか、国の補償といい東電の補償といい、それは町村が消滅して国の管轄になり東電の準社員化することではないか?そもそも原発を作ったとき10キロ県内とか国と東電に町村を売り渡したようになったのではないか?もはやそこが核の処分場としてしか用がないというのはまさにそうである。そこの住民も国や東電の準社員化することになる。給料は国と東電から払われることになる。その前に原発で働いていた人はそうなっていた。それで世話になっているからと東電を擁護していたのである。ただ若い人は放射線量かあれほど高いのだから帰らない、若い人もが子供も帰らなければ町村の存続はありえない、それが10キロ圏内や飯館村ではほとんど不可能だという専門家の指摘がある。

放射能は一定量が常時維持されて減らないことが困るのである。一部を除染しても7割をしめる森を除染はできない、30年たってようやく半分にへるとかでは先が長すぎるのである。すでに2年が帰るための限度というけどとても変えれる年数ではない、そうなると帰れないということで生き残る対策をしなければならない、それがどういうものになるのか検討せねばならない、代替地案もあった。それも簡単にはすすまない、そのうちまとまらず散り散りになり町村は消滅してゆくかもしれない、互いのつながりも薄れてゆきあきらめて散り散りになってしまう。残されたのは国の核の処理場員として残る人である。それは東電の準社員化でもある。そもそも田んぼでも漁業でもとても現代では自立できないと原発を誘致した。それは東電の準社員化だったのである。それだけ東電は巨大な会社だったのである。つまり市町村を買収できるほどの財力をもっていたのである。だから事故になり現実的な案として東電の核の処理場になるのが残された道となる。ただそういう場所に若い人はもどらないからすでに町村は消滅しているのだ。国の管轄であり東電の敷地になってしまうのである。土地の買い上げもするというからそういう方向に進んでいる。


●代替地や他の市町村に移ることは可能か


これは現代で可能なのか?十津川村は災害で北海道に移住して同じ村を作った。この時はみんな農民だったからできた。土地さえあれば農業主体の生活だからできたのである。今は農業は経済の一割りにすぎないのである。移住するにしてもそれだけの仕事を用意できるのかとなる。核の処理場としての仕事は現実的だというときそれは確かに仕事になるから国と東電で支払ってくれるからそうなる。では他ではどうなるのかとなると何ももっていない人がどうして他の市町村に町ごと住めるのだろうか?もし大きな会社がありトヨタのような工場があればそこを仕事先として与えてくれればできる。そうでなければそれだけの人数を受け入れる市町村はあるだろうか?この辺でも仮設住宅ができて人口が5千人くらい増えたかもしれない、でもそれはあくまでも仮設住宅であり仮に住んでいるに過ぎない、恒久的にここに住むわけではない、だからここで恒久的に住む対策をとられていない、いづれ帰るものとして住んでいる。小高区だと20キロ圏内でさほど放射線量が高くないから帰れるとは思う。その点10キロ圏内とは事情が違っている。結局予想としては10キロ圏内とかは浪江町でも飯館村でもすでに存続することがむずかしいのではないか?現実的に見ればそうなってしまうのではないか?

放射線量は最近南相馬市でも0・5から減らないのである。他でもそれほど減っていない、放射線量は一定の量から減らない、セシウムなら30年間で半分になる、その30年間は長いのである。それはもうそこには住めないということである。だから帰るということで町村自体維持できるのだろうか?
若い世代と老人世代が分断されるのも一致できないのも市町村を維持するためには不利である。
しかしそう簡単に故郷を捨てることもできない、帰りたいというのはわかる。だからチェルノブエリでは老人は故郷に帰ってほそぼそと畑を耕して暮らしていた。放射能のことを気にしないと言ってとれた野菜を食べていたのである。

そういうふうにこの辺もなるのか、もうそれは市町村は消滅してしまったのである。ただ市町村が消滅するということを日本で経験したことはない、徳山村がダムに沈んでそうなった。でもここはまた規模にしても大きいし南相馬市では7万以上の人口があった。

双葉郡8町村で5万5千人とかいる。この人口は多い。相馬藩で飢饉のとき三分の一の人口がへった。そして越中を中心にその三分の一を補った。その墓がどこにでもあるからわかる。でも現代は農業中心の社会ではない、そもそも農業自体で生活できないから原発を作ったのである。どこかの市町村にそれだけの人が集団で移ること自体むずかしいだろう。だからどうしても散り散りになって生活するようになる。どこにでも移動は容易な時代だからである。むしろまともって町村が移住するとなるとかえってむずかしい。そういう場所か今はないである。分散するならあるがまとまった人数を受け入れる場所はない、市町村はないのである。

ただ何かいい知恵というのはあるかもしれない、それも簡単にはでてこないだろう。まとまった人数を引き受けるにしてもそれだけ余裕があり受け入れる力がある市町村はあるのか?南相馬市は近くても経済的に苦しくここも縮小してゆきどうなるかわからない、いわき市と南相馬市と相馬市に分散するというのは歴史的地理的にはいいがそういう状態に受け入れる所もない、ともかく南相馬市自体一体どうなるのか?その不安が大きいのである。限界集落となる不安が迫っているのである。縮小して衰退してゆく不安が消えないのである。それはイ-スタ-島とかマヤ文明のように取り残される市の不安になる。衰退してゆく市町村には誰も住みたくない、なぜなら心も衰退してしまうのではないか?単に物質的な面だけではない、イメ-ジは放射能の廃棄場、核処理場でありかつての自然豊かな市町村とも違っている。そういう市町村には誰も住みたいという気分になれないのである。気分やイメ-ジの問題も大きいのである。放射能は実被害がどれだけあるのか不明である。それでも風評被害とイメ-ジがそこなわれる被害も大きいのである。ただここに長く生きてきた老人はなかなか離れられない、だから墓に入りますとか百才の老人も自殺したのである。死に場所としてはもうここしかなくなっていた。60くらいまで住んでいる場所は一般的にはついのすみかであり死に場所にもなっいるし先祖の墓もあるから離れがたいのである。その死に場所すら原発事故は奪ったのである。

参考にした雑誌-政経東北-「消えゆく自治体」
 
 
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2011年10月14日

南相馬市の最近の様子


南相馬市の最近の様子

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日本財団ROADプロジェクトHeart Care Rescue 。自宅退避者へのカウンセラー、医師募集中!早急な心のケアが必須です!24日より南相馬市立総合病院内に現地対策本部設立


南相馬市立病院を駅の方に入った道に新しくできた今準備中である。もう一つサイヤのとなりにもボランティア団体の事務所ができた。そこで放射線を計る器械を貸し出している。二週間くらい待たないと借りられないから不便だ。


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小島田の船が打ち上げられた場所で火事があった。船から火事になった。今船の撤去作業をしていた。

真野小学校の前は雨がたまり湿地帯化した。ここは明かに湿地帯になっていた。水が深くたまるとそこは沼になる。ここには水葵も咲いたのか?何かしら水生植物が繁茂している。

小島田まで津波が来た。あそこまで来るとは思わなかった。真野小学校は廃墟になった。

草はどこでも除染のために刈られている。だから草ぼうぼうの風景ではなくなっている。


原町区の道の駅で仮設住宅を建てていた。あそこはは便利だからいい。買物がキクチス-パ-とかが近くだからいい。

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秋薔薇(老人は住み慣れた土地を離れにくい)


秋薔薇(老人は住み慣れた土地を離れにくい)

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病人をかかえて長し虫の声


秋の蝉鳴きやみにけり深き森


親しみし街離れえじ秋薔薇


the long living city

the still staying one

roses in autumn

雨しとと行き来の道や秋薔薇


秋となり津波の跡に蛙鳴く



病人をかかえてから結構長い、介護は今は長くなる。10年介護していたとか聞く、条件が良い時代と病気になっても長く生きる場合がある。すでに5年が介護だった。病人を家にかかえると重苦しくなる。朝起きてみると寝ているし咳したり苦しそうにしているから介護する人も重苦しくなるのだ。
朝起きて笑って迎えられるのとはまるで違う。いろいろ家族をみると必ず病人をかかえた家とか経験した家も多い、その時間が長いのである。脳卒中でも軽ければ簡単には今は死なない、するとそのあとが長いし介護する人が大変になるのだ。毎日虫の声でも生きている。介護だとまず遠くには出れない、だから原町へ毎日のように行っている。気晴らしになるからだ。相馬市までだと遠いからなかなか行けない、原町は近いから電動自転車で楽に行ける。

秋薔薇の季節だけどつくづく人間は60までは意外と時間がすぎるのが早い、時間が長く感じるのは20代までであり30代過ぎると早い、そして還暦は一つの大きな節目である。ところが60まで生きてもあっという間だった。逆に還暦すぎると時間が長く感じる。退職した人も会社をやめると時間をもてあます,長く感じるのだ。60までは働いても遊んでいても時間が過ぎるのが早いのである。特に一年の内に一か月旅行していると時間が早くすぎた。旅に費やされた時間だった。でも今になると仙台にも行けないから旅していて良かったと思う。本当に旅ができなくなるときがくる。それは介護だったり家の事情だったりそれに病気になるともうできないのだ。旅すらできなくなる。だから十分に旅でもしない人は心に残りになるけどそういう恵まれた人はそんなにはいないだろ。自分は恵まれていたとなる。


いづれにしろ秋薔薇を見るとき夏に咲き、秋に咲き、冬にも咲く、その時間の経過の中で見ている。そういう経過は一カ所に住み続けないとそういう趣はえられない、旅ではそうした長い時間の経過のなかで見ることができない、人間は最後はどこかに定着するのが運命である。定着して人生を終結するのが運命なのだ。だから60すぎたらなかなか住み慣れた所を離れにくいのだ。人生の継続としてその場がある。故郷もそうである。だから原発事故で故郷を離れざるをえなくなった人は悲劇だった。もう移住するより死んだ方がいいと90くらいの人が思った気持ちがわかる。実際に墓に入りますと自殺した高齢者がいた。人間は最後は住み慣れた所から離れにくい、街でも離れにくいのだ。若い人はまだ離れても他で生活する時間がもてる,老人はそこで住んだ延長でしかありえない、生の存在意義はそこで生きた延長としてあり新たに生の意義をアイディンティティを見出すことはむずかしいのである。生の意義とかなるとむずかしいがむしろ人間の本能的なものとしてそうなってしまうのである。人間は最後はその土地の樹や石のようになってしまう。だから放射能汚染された土地にへばりついていないでさっさっと他に移れよとか言われるが老人には簡単にはそうはできないのである。長い人生の時間の中ではぐくまれ作られたものがあるからだ。それはその土地と結びついていることが多い。

今日は秋の蝉の声は聞こえなかった。遂に蝉の声もやんだ。津波の跡の水たまりで蛙が鳴いていた。蛙はみんな死んだわけではない、水田がなくても水たまりがあると生きる。現に湿地帯化している所がある。真野小学校の前は深い湿地帯化している。水がたまりそのまま消えないで沼化する所がある。あそこに水葵など咲くと湿地帯である。小島田の真野小学校まで津波が来たことには驚いたろう。あそこまで船が流されたことも驚く、ただ小学校なら二階に逃げれば助かったし人的被害はなかった。烏崎の人の被害は大きかった。

2011年10月15日

終身雇用制は労働意欲を醸成した (派遣、時間給の労働がモラルを破壊した)


終身雇用制は労働意欲を醸成した

(派遣、時間給の労働がモラルを破壊した)


●終身雇用制は労働意欲に不可欠だった

最初に就職した場所を生涯の職場と心得て、あらゆる職場で、全精力を傾けて働いた。卒業と同時に就職した組織が、忠誠心とエネルギーを傾ける場所になった。その組織を発展させることが、自分の仕事を、自分の人生を発展させることと同義になった。
http://uonome.jp/article/tougo/854


利益優先で企業のモラルが低下すると、製品の品質が劣悪化するのは当然である
http://www.ne.jp/asahi/21c/union/news/no80/03ap_seih.html

この時代の働く意欲は終身雇用からでていた。これは極めて日本的労働形態だった。なぜなら終身雇用とは江戸時代の村のように一生をともにする,働く協働、協同、共同のコミニュティとしても機能していた。会社はそれほど人間の存在意義を与えるものとなっていた。会社人間には社蓄とかと批判されることもあるが人間の存在意義すら与える場所としてあった。だからドラマでもリストラされた人が自殺したことでもわかる。会社から離れたとき存在意義が断たれてしまったのである。そうした存在意義は終身雇用だからありえた。今のように派遣だとかパ-トとだとか時間給では絶対にありえない、時間給は時間を切り売りしているのであり極めて非人間的な働きかたである。それが常態化したとき労働の倫理はモラルは破壊した。派遣とか時間給は勤めるとか奉公するとかとはまるで違う。それは一時的に派遣する、一時的に時間給で働く・・・そういう人生を部分化する、時間も切り売りされた部分的なものとなる。終身雇用だったら時間は一生費やされるものであり奉公するというときもそれは一生であり時間給ではない、江戸時代の武家でも主君に奉公するというとき一生のことであり一時期、一時間のことではない、全人生を奉仕する奉公するということになる。君主に仕えるということはそういうことでありそうでなければモラルはありえない、時間給で働き派遣で働くとなると限られた一時間を金のために働くのでありあとは君主であり雇い主であり関係はなくなる。そういう働き方にはモラルが生まれようがない、ただ一時期を部分として部品として金のために働くことになる。終身雇用は外国のように職能団体の組合とも違う。

外国では職能ごとに組合があり強固であるからストも長びく、労働組合は資本家と経営者と対立してある。だからマルクスの階級闘争の思想も生まれた。今もヨ-ロッパでは階級社会であり貴族と支配階層と労働者は分かれて暮らしている。言葉すら違っている。イギリスでは英語に通じていれば労働者階級かどうか見分けられる。日本でのステ-タスはいかなる会社に属しているかであり階級ではない、会社が一つの村であり藩になっていた。

会社のビルの上に鳥居を作り祭っている。会社を反対にすれば社会なのである。そういう社会を戦後作ってきたのである。それは悪いとは言えない、労働のモラルを作ってきた。それが日本の高度成長を成し遂げた要因だという人もいる。つまり労働意欲がどこから生まれるのか?そのことが大事なのである。労働意欲は確かなことは派遣とか時間給から決して生まれない、江戸時代だったら藩に帰属して奉公する、勤める、商人も商家に奉公するとなりそういう部分的にではなく帰属するものがありそこに仕えるということで働く意欲が生まれてきていた。職人は職人でまた違っていた。職人は会社に属するというのではない、自らの職を技をみがくことに追求することにあった。職人は個々人でありその技を追求することに誇りをもっていたのである。だから下駄にしても職人の名前の下駄がありさまさまな分野で職人の名前がつけられているのだ。現代では職人の名前をつけている物はない、たまたま包丁作りでいい職人が近くにいて名前が彫られていた。でもそういうのは大量生産時代には消失したのである。


●江戸時代に犯罪は少ないのは移動しない生活だったから


もう一つ大事なことは労働のモラルが保たれたのは一カ所に定住して住んでいたからである。このことが意外と見逃されている。現代はめまぐるしく移動するから江戸時代がどういう生活か誤解しやすいのである。人はほとんど移動せず暮らしていた。農村は自給自足的な生活だった。するとそこに住む人は長く住んでいるなじみの人ばかりだった。そして一代だけではない、三代くらい住んで村の一員として認められるように長く住まないと信用もないのである。信用はそもそも長く一緒に住み生活しないかぎり協働しない限り作られない。ところが現代の生活は経済的にも今日あって明日は別れているような関係が多すぎる。そういう所からは信頼関係は生まれない、どうせ今日限りだとなればいちいち相手のことを考えない、ただ一時的に物を交換するようなものとして物として考える。それがマルクスの言う貨幣が神となる物神化現象となる。人間はそのときモノに過ぎない、モノとしてしか見ていないのである。そこから人間疎外が起きてきたということがわかる。人間の信頼関係とか存在意義は長い時間の中でしか作ることはできない、江戸時代は変化が少なく長い時間で継続する仕事が多かったのである。だから農家はもちろんそうだが職人でも十何代もつづいているような職人の家があった。そういうことはもう一代だけではない、そんなに長くつづいているのだから社会も安定しているしそういう所では犯罪は起こりにくいのだ。農村でも長い時間の中で人間関係も培われている。即性的なもの一時的なものはないのである。

一時的なモノを交換する、売買するような関係ではないのだ。そういう人間関係は狭い関係にはなるが犯罪を犯せるような社会ではない、そういう所で一人が犯罪を犯せば村自体が崩壊しかねない、それでそういう人がいても何とか一緒に暮らす方法をとる。いちいち裁判に訴えるようなことはしにくい、村のうちで丸く治める、そういう大家とか庄屋とかが仲介役として折り合いをつけていた。それが談合とかの日本的な折り合いの決め方になる。それをいちがいに悪いと言えないのはやはり狭い社会だとそうなる。波風をたてずみんなが穏便にまとめる方法をとったのである。だから日本人はあまり自己主張しなというときそういう狭い村の中で生きていたからである。ただそういう場所では犯罪は極めて少ない、日本で犯罪が少ないというときこういう狭い村のモラルがあったからである。よそ者が交じり合う世界ではなかなかこうはならない、日本でも外国人が交じれば増えれば犯罪がふえてくる。江戸時代からすれば今は何万倍も犯罪社会になっている。


●時間給、派遣の労働がモラルを破壊した


その原因が派遣とか時間給の労働の仕方にあった。特に時間給の介護士とかヘルパ-とか手伝いとか家に入ってくる人はもはや全く信用できない、時間給ということは時間を細切れにして労働を売っている。そういうとき金さえもらえればいいのだから労働のモラルも何もない、人を助けるということなどありえない、時間給で金さえもらえればいいということしかない、働く動機がそれしかないときいかに危険なものになるか、これは身をもって経験した。アメリカでは手伝いの人を裸で働かせるということで話題になったがそこまでしないともう働かせることもできない深刻な状態になっている。金目のものは盗まれるし家の事情がわかることは非常に危険なのである。


それも時間給とか派遣とかいう働き方が原因としてあった。ただ十年とかその家で働いていて家族の一員になっているような人は別である。それだけの時間の中で信頼が生まれているからだ。ところが最近はそういう金持ちの家でなくても一時間とか時間給で家の中に入ってくる仕事が増えたのである。こういうのは本当に危険極まりないのだ。信頼するには時間がかかりその時間をもてないで雇うからそうなる。そういう時間給で働く人には労働意欲が育たないし信頼もできないのである。特に人と人が直接向き合う介護関係はそうなる。そこではただ物の売買だけではない、親密な関係になるからだ。そういうところでは時間給とか派遣とかで雇うのは向いていない。本来そういう仕事はなかった。最近高齢化で生まれたものである。昔は隣近所で介護の世話をしていたとある。なぜ隣近所が向いているかとなると近くの90才の老婆と話ししたけどその人は自分が子供のときから知っている。今になり話ししていると自分の母親のようにも思えた。おそらく狭い村で育った人はみんな顔見知りであり一族のようなものになっていた。それは昔の言葉からもそうなっていた。


ハワイで発見された親族名称体系。全てのオジ・オバが父・母と同様に呼ばれ、全ての従兄弟・従姉妹が兄弟・姉妹と同様に呼ばれています(モルガン)


人間は部族時代ならみんな家族でありそうした大家族の一員になっていた。そういうところでは犯罪はおこりにくい。そういうところでは現代のような金が第一の社会ではない、金は貨幣はやはり交通が発達して外部との接触が増加すると金が大事になる。外部との接触がすくないと金は使いようにも使いない、金が贅沢品から生まれたというとき貝から生まれたというときそれは装飾品であり贅沢品だからそうした贅沢品は外部から入ってきたからそうなっているのだ。そういう贅沢なものが入ってくるとき金の力は大きくなり金をもつものともたざるものの階級分化も起きてきた。都市文明になったとき階級分化が起きてきた。それは市が都市の起源だとすると贅沢品が外部から入ってくるからそうなったのでる。だから二千年前のギリシャのポリスでも現代と同じ状況が生まれていた。それは貨幣が社会を支配するものとなっていたからである。


●福祉関係は金だけでは通じない世界


特に福祉関係ではそうでるある。「オマエなんか助けるつもりなど全くないんだよ、あわれみもしない、オレは金がないから時間給でオマエのために働いているんだよ、一時間でいくらかもらい働く、手助けするが一時間だけだよ、あとはしない、一時間これっぽちでは働く気などしないがしょうがないんだよ、オマエなんか死ぬおうが死ぬまえがどうでもいい、問題は金だよ、金をくれ、同情するより金をくれ、同情などしない、金さえもらえればいいんだよ、・・・・」こういう心の人が普通に働いていることは福祉関係では恐ろしいことである。あわれみなどまるっきりない、動機は金しかないのだ。だから非常に危険である。だから身寄りがない人は本当に悲惨である。例えいくら財産があっても苦しいとき助けてもらえない、むしろその巨額の財産のために殺されることが推理小説の普遍的テ-マになっている。そういうことは日常的に親族間でも起きているからめずらしくないのだ。そして身寄りのない人はどうしても今の社会は金だけが頼りになる。施設に入るにしても金である。でもいくら金があっても金で人の心は買えない、そのことが最後に老後になるとわかる。金があっても誰も助けてくれないということが現実としてわかる。みんな求めるものは金だけだとなる。自分もあわれみ助ける人は一人もいないことがわかる。金で雇う人は金が目的なのだがらあわれみなどない、それは親族さえそうなっている。そして遂には笑い事ではなくネコや犬に財産を残すということが事実として起こっている。ペットは金を欲しいと思わないからだとか最後の友はペットだったという人も高齢化で多くなっているのだ。無縁化社会もそうである。ただ若い人は老人になり身寄りがなくなることがどれほど恐ろしいことか実感できないのである。


ソロン自身が都市国家を破滅に導く最大の要因として「金銭の誘惑」をあげ「悪人でありながら富める者、善人でありながら貧しい者」が多いことを嘆いているようにこの世紀に抗しがたい貨幣経済の元でおよそその方向にしかなさえなかったのだろう。(時間の比較社会学-真木悠介)


人は金なりという言葉が前七世紀にすでにあったというから貨幣の歴史もそれだけ古いのである。
貨幣がこの世を支配するときそうなってしまった。グロ-バル化も金融が世界を動かすというときそうなった。でも金というのは紙幣にしかすぎない、実体ある富ではない、だからある時紙幣は紙屑になる時がある。資本主義が世界恐慌となりそういう時が迫りつつある。こういう社会はやはりある時ゆきづまり崩壊する運命にある。そういう時が近づいている。クロ-バル経済も崩壊する予兆がでている。それはやはり非人間的な貨幣が支配する社会の終焉に向かっているのかもしれない、今回の津波もそういう非人間的な社会から助け合う人間の姿を見た。それは利益追求だけではない、苦しいときただモノを運んでくれるだけでその運んでくる人が利益だけではない,命を救っていたのである。経済は協力のことであり利益追求だけではないことを知ったのである。助け合う協働に経済の基本があった。だから暴利をむさぼる人はやはり悪人なのだが資本主義社会ではそれが許されている。

その反発が世界中で激しくなりデモがアメリカでも起こっているのだ。ただここで言っているうに貨幣なしの社会は作り得なかった。貨幣に代わりうる社会の構築はむずかしかった。物々交換の社会にもどることはできない、貨幣なしの社会をつくりえるのか、何か新しい方法があるのかとなる。労働を労働で返すというのは昔は行われていた。ユイとかではそうである。それは貨幣なしの協働社会だったのである。そういう社会が江戸時代にはあり犯罪が極端に少なく協働社会は人々がなごやかにむつみあう社会でもあった。だから明治時代に訪れた外国人は日本人は幸せそうな顔している。その顔もみんななざごやかな笑いに満ちていたのだ。今はみんな憂鬱であり幸せそうな顔をしている人はいない、ただ金に追われ信用はない、不安定な相互のつながりもない無縁化社会になった。身寄りがある人はあまり感じないけど身よりない人はこういうとき最も悲惨な最後が待っているのだ。金だけではどうにもならない時が来る。だから最低限金だけではない家族や仲間を作っておく必要があった。そういうことを痛切に感じる時が来る。


 

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