2011年09月30日

萩と女郎花(調和する自然と調和しない文明)

 

萩と女郎花(調和する自然と調和しない文明)


ominawsjiii123.jpg



萩に添い女郎花見てなごむかな


津波にて流さる船のそのままに草に埋もれて秋風の吹く

自然は調和する、この花のように調和する、なんともいえず調和する、人間だけが自然と調和しないのである。自然との調和というとき水田と農業は自然と調和してしかありえないものだった。それは自然を相手だからでありどうしても機械化できないところがある。自然と調和してはじめて実りがもたらされるものだった。水田は確かに稲作文明でもあったが自然と調和するものだった。だから水田がなくなったとき自然が消失したように見えた。水田は長い間自然と同化していたのである。水田がないということは自然が消失したと同じだった。もともと湿地帯として北海道のようにあれば別だがそうでないと水田がないということはそのあとに草ぼうぼうになって枯れてゆくさまはかえって人間の住んだ跡が廃墟となっていくように見える。


天地と  相栄( あひさか )えむと  大宮( おほみや )を 仕( つか )へ祀れば  貴( たふと )く嬉( うれ )しき 】                                  大納言巨勢朝臣( だいなごんこせのあそみ )  。


御民吾生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遇(あ)へらく念(おも)へば
(万葉集6)


万葉集時代は人は常に人は天地(あめつち)とともにあった。天地がなくては政(まつりごと)も政治もありえなかった。天地を第一にして人間生活もあった。その天地に仕えるのが天皇であり天皇は司祭であった。天地の意をくむとりなしをする司祭だった。この世の栄えも天地なくしてはありえなかった。まさに稲作、水田は天地ととも栄えるものとしてあった。天地の栄いがなければ人間の栄いもないのである。その天地の栄いから離れた栄いが現代の文明になった。その象徴が原発でもあった。それは天地の栄いとはかけ離れている。だからそれは天地を汚すものとなって最悪のものとなったのである。原発は天地に呪われたものとなった。すでに現代文明は天地から離れていたからそういう宿命だったのかもしれない、いづれは天地に呪われる文明だった。津波も酷いものだったが原発の放射能汚染とは違いいづれは回復する、天地は回復するけど放射能汚染はこれから長い間回復しないのだ。

津波で流された船は半年も過ぎてもそのままでありそれが一つの風景となってゆく、ぼうぼうの草は枯れて秋風が吹く、なんとも不思議な風景としかいいようがない・・