2011年09月29日

秋となる南相馬市


秋となる南相馬市

秋の灯ややや落ち着きぬ暮らしかな


命日の重みを知りぬ秋彼岸


命日を過ぎるを知らじ秋に入る


故郷や残れる秋の蝉一つ


水葵もともとここに咲きにしを小さき花とともにまた咲く


忙しく姉の命日知らず過ぎ墓近ければ菊をさしにき


森深く残れる蝉の声聞きつ里は暮れにき明日また来なむ


正直なる人は死にしも我が里にまた会うべしや秋の日暮れぬ


80の齢にあわれなにゆえに仮設に暮らして虫の鳴くかな



姉の命日を間違えていた。21日だった。ちょうどこの頃秋彼岸になっていた。人間はやはり生まれた日と死ぬ日は最も大事である。命日とは何を意味しているのか?命日とは儀式的に供養することではない、命日とはその人の一生をふりかえることなのである。だから別に命日を仏教として供養することはしなくてもいいのである。世界的に生まれた人死んだ日はどこでも大事にしている。それは宗教とは必ずしも関係していない、ただ国によって文化の相違はある。命日という言葉はいい言葉である。英語に訳しても訳せないし英語では命日の言葉の意味が現せない。いのちという言葉も日本独特の言葉でありその言葉に歴史があり文化があり重みがある

命日というときやはりその人が死んだ日だけだったら別にどこでもいい、でも場所も関係している。どこで暮らしていたかということが問題になる。だからどこに墓があるかということが問題になる。墓参りする場所が問題になる。命日からやがけ先祖を大事にするということに通じていた。ただ命日にしてもその解釈はいろいろある。ただ儀式的にふりかえるだけでは命日の意味はない。命日はその人柄や一生をふりかえる日なのだろう。だから歴史的に名を残す人間は命日が知られているのだ。
その他の人は知られないにしても家族として尊ばれた人は命日がかえりみられるのである。


ともかく津波、原発事故から半年になった。まず実りがない、米がとれない故郷など経験したことがない、津波の被害のあったところは米はとれなくても他ではとれたのに原発事故でとれない、草茫々になって今年は終わる。その草茫々の故郷を見ていると心まで荒寥としてくる。例え他から米でも食糧でも入ってきてもこの光景は何なのだろうと思う。この荒寥とした風景が心に大きく影響しているのだ。実りがあって稲が刈られて刈田になるのが順序である。刈田になったとしてもやはり草ぼうぼうの風景とは違っている。こんな風景はありえないのだ。米が他から入ってきてもこの風景は凄まじいと感じてしまう、別に飢饉のようになって飢えるとも違う、でも精神的な影響が大きい。


萩とか芒とか女郎花の季節であるけどそういう四季の花をめでるという気分になれない、また花も映えていない。草ぼうぼうの荒寥とした風景がそうさせているのだ。救いは烏崎の湿地帯に水葵と白い小さな花がともに咲いたことであった。それはもとの自然が回復したからそうなった。八沢浦でも一時、元の自然が回復したとき美が回復したから驚嘆した。ただ田になったところが原発で草ぼうぼうになっているところは荒寥としている。別に農家の人でなくても米が外から入ってきても心が荒寥としてくるのだ。


会津辺りの仮設住宅では八十才の老婆がなげている、この歳になってなぜこんな目にあうのだろうとなげている気持ちがわかる。会津だと遠いから余計そうなるのだ。そうした嘆きが何か一つ一つ重みをもって訴えるのが今回の原発事故だった。普通だったらこんなことありえないのである。一人一人が津波や原発の受難者になっためにそうなったのである。


毎日近くの森に蝉の声を聞きに行っている。町中ではもう聞こえないが森ではまだ鳴いている。今日は確かに一匹だけが鳴いていたのを聞いた。もう最後の一匹かもしれない、・・・・毎日の季節の変化はまだある。