2011年09月28日

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える (交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

 

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える

(交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

●物資が外から入らなくなった時


なぜこれほど金の世の中になったかということが今回の原発事故で具体的にわかった。この辺は農家が多い、でも米を作らなくなってもここに住んでも影響しない不思議だった。ス-パ-に福岡の米が積まれていた。九州でもどこからでも食糧は入ってくる。多少は食糧は高くなっているから困るにしても食糧がなくなることはないのだ。これを江戸時代とから比べると全く違っていた。江戸時代は相馬藩内の経済である。飯館村も山中郷であり相馬藩であり飯館で飢饉があったとき相馬藩全体で支援した。でも伊達氏は敵対しているから支援はされない。つまりすべて相馬藩でまかなうとしたらもし米がとれなくなったら即餓死につながってしまう。だから農家でなくてものんびりかまえていられない、ただその時農家が大半にしても自分たちの食べる米がなくなったら餓死につながる。それで飢饉のために郷倉が作り米を貯えていた。原町区に豪倉がありバス停としてあったからそこに確かにあったのだ。


これは各地にあったからめずらしいものではない。それは地域で村で飢饉のために備えて米を貯えていたのだ。南相馬市では一時交通が途絶えた。それで何とか米が多少あったので食いつないだ経験をした。電気が通っていたので一人炊き用の電気釜で米をたいて二週間くらい米だけを食べていた。ノリとかカンヅメとか多少があったがすぐにきれた。それでも米はあったから食いつなぐことができた。十日間過ぎるころ米もなくなった。その時ここでは米を配給したのである。その時は助かった。それから一週間くらいして支援物資が入るようになった。人間は米があればなんとか生きられることがわかったのである。ただ電気が通らなくなったら大変だった。ガスがあったからガスを使うほかなかったかもしれない、そのガスも都市ガスだったりしたらだめである。緊急時の備えに適したものと適さないものがあるのだ。電気も通らなくなった三陸の方では燃料も薪を燃やしたり水も井戸水を使ったり坂を上り何度も運んでいた。水道も使用できなくなることがあった。その時井戸水がなかったら交通も途絶えているから生き延びることができなくなった。そういうとき近くで米を供給してくるれだけでありがたいと思った。


●農家近隣が大事にされなくなった理由


それがなぜ回りでも米を作らないのに困ることもない、そうなると農家が大事だとも思わない、近隣が地域が大事だとも思わない、そういう地域社会が喪失していても困ることがないからすでにそうなっていた。それは食糧がどこからでも入ってくるとなると近くの農家すら大事に思わないのだ。近くの農家がなくても別に食糧などどこからでも入ってくるではないかという感覚になっていた。そこで農家の価値はすでに低くくされていた。もしどこからも食糧が米が入ってこなかったら米の価値は百倍の価値も出てくるだろう。米が手に入らなかった死んでしまうからである。現代は飢饉の備えとか災害の備えというときそれはすでに全国規模で備えられているのであり一地域での備えではない、一地域が災害にあっても交通さえ遮断されなければ死ぬことはないのだ。だから現代では交通こそが一番大事なものとなっていた。

南相馬市では一時困窮したのは交通が遮断された、放射能で外部から人が入らず物資が運べなかったためである。内部でそれだけの食糧は今はみんな備えていないからだ。現代では交通は血流であり道路は血管なのである。それが断たれると危機に瀕する。ガソリンがなくなって毎日長蛇の車の列がそれを示していた。車が足となった時代はガソリンがなかったら身動きとれなくなっていたのだ。外から物資を運ぶのにもガソリンがなくなった運べなかったのである。それで放射線の権威の学者の人がまず常磐高速道などを開通して交通で東京と結ぶべきだという意見はそこからでている。道路はたいして汚染されていないからそう言っている。交通の回復がまず復興のたへに不可欠になっていたのである。


●福祉関係などでは近隣の協力が必要


現代の安心安全は交通にあった。全国規模で考えればどんな災害でも交通さえ途絶えなければ助かる。支援物資が届けば助かる。それで物資を運ぶ人がありがたいと思ったのも不思議である。命をつなぐ物資をその時運んでいたのである。放射能など気にせず運んできてくれたらどれだけ助かるのかと心から思ったのである。交通が生命線だというとき東京などでも帰宅困難者の問題も交通が途絶えて帰れなくなるということから起きてくる。交通は血流であり手足だからそうなってしまう。交通の重要性は日頃意識しないけどそれだけ現代では生命線になっている。つまり病気なったとき体のどこでも大事なものだと意識するけど健康なときは意識しないと同じである。一方でこうした交通の極度の発達は近隣を大事なものとしない、近くより遠くが大事だという社会になってしまい、金の力が大きくなる。外部から物を買うというとき金の力が大きくなる。それも全国規模になり世界規模になるときますます金が大きな力を持つようになった。


だから今は地域社会で解体しやすい、地域のつながりが希薄化している。そういうことが原発事故で避難者に起きている。町長自体が五億円入った金庫があったとか話題になったようにそして町長は郡山市に家を新築したように町長自体が自分の住んでいる場所にこだわらない。金さえあれば他の場所に移り住むことができる、飯館村の村長もマンションを買った。江戸時代だったらそういうことはありえないだろう。金さえあれば移り住むことは容易な時代なのである。だから地域社会も意外と解体しやすいのかもしれない、どれだけ市町村のつながりが保てるのかということが問題になっているのだ。

そしてそこに矛盾が生まれた。近隣で助け合うということがなくなった。近隣で助け合わなくても困らないからそうなった。もし自分の生活している土地で米がとれなかったら即飢死だとなれば近隣の農家は大事になる。江戸時代あたりはみなそうだった。なに金さえあれば近隣は関係ないという社会になれば隣同士さら無関心になってしまう。そして福祉の面だと金だけ助けてもらうことはできないことがつくづくわかった。時給とか払って家で働いてもらうことがそのモチベ-ションが皆無なのでできないことだった。江戸時代あたりは普通に行われていた助け合いは喪失した。その時金だけではどうにもならない、金が万能にはならないのである。人間の世の中は便利さを求めるといい面と悪い面が必ずでてくる。原発も悪い面だけではない、いい面があったからこそ作られた。でもその悪い面は最悪でありそれを想定していなかったのである。
便利さを追求している社会は一面大きな危険がひそんでいたのである。だから便利さの技術がいいとして全面的に追求することは危険があった。それを制約するものも必要だったがそれが人間にはできない、車もわずかでも減らすことができない、電気でもなかなか減らせない、それが人間のアキレス腱となって原発事故が起きたともいえるのだ。


 

posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

昨日見た鴫はチョウシャクシギだった


昨日見た鴫はチョウシャクシギだった

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チュウシャクシギ
http://toriz.info/mizube_tyuusyakusigi.html

 


泥中のカニやゴカイを捕らえる。
・草地の昆虫を捕ったりもする。


ユーラシア大陸の高緯度地方に点在して繁殖分布し、
    冬はアフリカ大陸からインド、ニューギニア島、オーストラリア大陸に渡って越冬する。
    日本では、9-10月、4-5月に、旅鳥として各地に渡来する。



鴫 しぎ 鷸 しぎ 田鴫 たしぎ 山鴫 やましぎ 大尺鴫 だいしゃくしぎ 焙烙鴫 ほうろくしぎ 中尺鴫 ちゅうしゃくしぎ 大反嘴鴫 おおそりはししぎ 黄脚鴫 きあししぎ 赤脚鴫 あかあししぎ 鶴鴫 つるしぎ 磯鴫 いそしぎ 草鴫 くさしぎ 姥鴫 おばしぎ うばしぎ 鴫の羽掻 しぎのはがき 鴫の看経 しぎのかんきん 青脚鴫 あおあししぎ 反脚鴫 そりあししぎ 杓鷸 しゃくしぎ 浜鷸 はましぎ 当年鷸 とうねん 箆鷸 へらしぎ 京女鷸 きょうじょしぎ ぼと鷸 ぼとしぎ 青鴫 あおしぎ 鯖鴫 さばしぎ 小鴫 こしぎ 玉鴫 たましぎ 百羽掻 ももはがき 数掻く かずかく 鴫野 しぎの

刈跡や早稲かたがたの鴫の声        芭蕉


「 春まけて もの悲しきに さ夜ふけて
    羽振(はぶ)き鳴く鴫 誰(た)が田にか棲む 」 
                       巻19−4141 大伴家持


越中国守家持は“来春には都へ転任があるかもしれない”と大きな期待に胸を
膨らませていたのでしょう。

翌年にはめでたく念願の都帰りとなりました。
「まけて」は「設けて」で「心待ちにする」。 万葉集中「鴫」の歌はこの一首のみ。


この鴫は田鴫であり小さい鴫だろう。田にいつもみかけるから田鴫なのである。鴫についての言葉が多いということは鴫はなじみある鳥だった。でも万葉集には一つしかない。でもこの歌はいい歌である。都だったらこの鴫がみかけなかったのか?越中に赴任した田舎だからみかけたのか、でも当時の平城宮でも郊外は自然が広がっていた。鴫は字のごとく田に住むのであり田鴫としてなじみある鳥だった。誰(た)が田にか棲む・・・とあるが長く赴任した越中だから誰かの田とか思ったのだろう。田舎に住んでも回りに田があっても誰の田だろうとか意識したことがないからだ。この田は誰々のものだとか家持は役人として意識していたのだろうか?ただの叙情的なものなのか?ただ農民の生活と一体化していたからこういう歌もできたのである。


磯鴫などはみかけたがこれも小さい。鴫がどのように鳴くのかも聞いたことがない、鴫はあまりみかけない、干潟があればみかける、田であれば田鴫はみかけた。でもこの大きな鴫は見たことがない、まちがいなくチュウシャクシギである。これは大きい鳥だった。たまたま旅鳥だから寄ったのをみかけた。時期として「刈跡や早稲かたがたの鴫の声、稲が刈られた今頃にあっていた。ここでも鴫の声に注目している。今年はこの辺では稲がない、茫々の草原だけになっている。ただこういう所にも昆虫はいるから餌を探していたのか? 


こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮


これも田鴫のことだろう。ただその当時はこの大きな鴫も見られたかもしれない、旅人だとこの大きな鴫でもあっている。情緒としては舗装した道ではあっていなかった。

三十八町歩の田主のあわれ秋となる


三十八町歩もの田畑を所有できるものなのか、おそらく果樹園、梨なども所有しているのか?そうかもしれない、宮中に米を献上しているというからこの辺では特別な農家からかもしれない、全国でもそういう農家は少ないだろう。こんなに広さを一家族ではできない、放射能で今年は収穫もない、補償金の交渉だけだとなる。そしてこの辺は一体農家にしてもどうなっしまうのだろうと不安になる。自分も西行のようにここを離れて旅立ってゆきたくなった。いいことがさっぱりないのである。