2011年09月25日

菊と石(秋彼岸にも死んだ正直な人が家に来る)


菊と石(秋彼岸にも死んだ正直な人が家に来る)



大輪の黄菊朝に映え硬き石


我が庭に石の硬さや菊映える


正直の女(ヒト)夢に来て秋彼岸

石と菊はあっている。石が硬いというとき人間が硬いということに通じている。前にもずいぶん石をテ-マにして詩を書いた。石だけの詩集になっている。石と性があっているということがあった。
石は誠実であり忍耐であり正直でありとかそういう徳も表現しているのだ。自然のものは人間の徳としてもある。そこに人間と自然の一体化かある。様々な花があれそれも様々な徳を示しているのだ。スミレとか小さな花は謙虚とか花言葉がいろいろある。自然の美というとき人間のモラルにも反映されるものである。美と義は別々のものではない,一体のものとししてある。石とか岩は聖堂とか神殿を形成した。ただ人間は社会生活で石のようになれというときむずかしい。相当に馬鹿にならない限りできないのである。嘘つかないで生きることもできない、世渡りをうまくやれよというときそうなるし堅物だとかなり敬遠される。でも人間は生きることは徳を高めることである。徳を体得することである。

それでまた正直一途の自分も助けてくれた女性が自分の家に来るのを夢見た。この前は墓参りにも行った。あんな馬鹿正直な女性はいなかった。わずかの金を借りても地道に返していたのである。一見見ていると馬鹿のように見えた。実際は馬鹿ではなかった。同情心があり義理と恩に厚い日本人の昔ながらの気質の女性だったのである。徳ある人だったのである。そういう人は今日本人でもまれだろう。地位ある人には金持ちにそういう人はいないかもしれない、何かとそういう立場の人は悪いことにも目をつぶらねばならないかもしれない、正直な人はまれだろう。地位ある人は権力ある人は徳を身につけることはむずかしいかもしれない、職人とか農民とかはもともと素朴でありえた。利得や権力から遠いからそれだけで素朴でありえたということはある。そういう昔ながらの日本人が消えた。すべてが金一辺倒の価値観になった。これもアメリカに習ったからである。


ただこうしう徳を軽く見るけど実際は人間にとって一番大事なものだということを一生をふりかえって気づくかもしれない、その女性が死んだ時、その人は正直の星となった。正直の頭に神宿る・・・というのはまさにそうだったのである。そういう徳は死んでもたずさえてゆく、死んだあとにも影響してくるのだ。生きている人にも影響してくるのだ。とするとそうでない人はどうなるのか、金持ちでも貧乏人でもどっちにしろ悪徳をもったまま死んでゆく人はどうなるのか?そういう人はやがて記憶されなくなる。地獄に冥府に行ってしまうのかもしれない、そこで罰が与えられるのかもしれない、だから生前に得したということが実は損したことになっている。徳の面で逆転しているのだ。
いづれにしろ嘘つくな、正直に生きろとか現代では教えられない、金になることがいいことだとばかり教えられてきたし現実の生活はそうなっている。別に教えられなくても金がすべてとなっているのだから人もただひたすら金を求めるようになるのだ。


でも人間が最後にふりかえるときあの世に何ももってゆくことはできない、財ももってゆくことができない、「天に宝を積め」というときまさに徳を積んだ人のことになる。経済的物質的には損しても天に宝を積んだ。そして死んでもその人は生者の元にやってくる。それが不思議な経験である。それは家族でも血がつながっていてもそうならない場合がある。あまりにもいいかげん親がいるからそういう人は子供の所にも死んでも現れない、忘れられる。しかし他人でも徳ある人は現れて力となっている。人間は死んですべて終わりかとなると違っていた。死んでもそうした徳を身につけた人は死後の世界からも影響していたのである。

アメリカの9・11の単純な疑問 (原爆、原発のアメリカの罪)


アメリカの9・11の単純な疑問

(原爆、原発のアメリカの罪)


●原爆とフクシマ原発事故の相違


アメリカについての疑問はいろいろある。9・11のニュヨ-クのテロで3000人死んだこと、日本人も20人くらい死んだことは確かに痛ましいことだった。その衝撃が大きかったことはわかる。でも日本に原爆を落とされたことと比べると桁が違っている。10万人も死んだ原子爆弾ほど空恐ろしいものがなかった。その被害にあったヒロシマ、ナガサキはこの世の終わりと思ったかもしれない、確かにあのテロも凄まじいものだった。しかしアメリカは原子爆弾を日本に落とした。そのことの方が恐ろしい。そして今回も報復としてイラク戦争でイラク人が20万人とか死んでいる。3000人殺されて20万人以上が殺された。アフガニスタンではまだ戦闘がつづき犠牲者がでている。アメリカ人も4400人死んだから3000人の犠牲者にプラスされる。アメリカは真珠湾攻撃でもそうだが敵には必ず報復する。百倍にしても報復する。汝の敵を許せ・・・というキリスト教国でもなんでもない、やられたらやりかえせ、絶対に許すなというのがアメリカである。


原子爆弾ほど恐ろしいものはなかった。そのことを遠いから余り考えなかった。その時世の終わりだと思った人もいたろう。なぜそのことを考えるようになったかというとつくづく放射能の恐ろしさを身近で知ったからである。放射能の怖さを原子爆弾としてしか知らない、原子爆弾は一目見てその恐ろしさに愕然とする。しかし一方で原子爆弾は爆弾であり放射能に関してはフクシマの原発事故の百分の一くらいしか放射性物質が出ていないということがあった。それでも放射性物質は拡散された。

http://www.hiroshima9.com/yougo/yougo.html


フクシマの原発事故は10万人の死人が出るというようなものではなかった。ただ放射性物質が出た量は百倍であった。放射能汚染の広さが違っていた。ヒロシマなどでは集中的に爆心地で10万人が死んだ。その衝撃と比べるとずいぶん違っている。しかし放射能の恐ろしさは別なものとして現れた。土や水や森や山や生活の基盤になるものを汚染したのでそこに居住できなくなったことである。農業や漁業、林業など自然にかかわるものが一番被害を受けた。除染するにしても山や森はできないから一区画を除染しても放射線量は減らせないのである。その期間は長くつづくので居住できなくなった。そしてその被害が今後どのようにでてくるかわからない、放射能は遺伝情報も破壊するのでそれも怖いと思った。子供には大きな影響があることも怖かった。放射能は結局逃れる術がない、聖書では岩の陰や山に逃れよとあるがその山に逃れることもできない、山が一番汚染されていたのである。放射能の危険から逃れることができないというのがその恐ろしさだった。

原子爆弾を落としたのもアメリカであり原発をもたらしたものも最初はアメリカだった。アメリカの罪はやはり大きい。原爆を落としたのだから日本には原発を作らせたくないというのが恩情だったかもしれない、それは日本で望んだことだといえば共犯でもあった。読売新聞の正力松太郎が宣伝して原発を最初に導入する原動力となった。


●アメリカの属国となった結果としての原発の導入


正力松太郎
http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/19275308.html

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=226482


戦犯であり刑務所から出て日本はエネルギ-で石油でアメリカに負けたから原発は必要だとして新聞を通じて宣伝したことからはじまった。日本は戦争に負けてアメリカの従属国になったのだから逆らえないという弱みがありそこにつけ入れられたとも言える。アメリカにとってはビジネスであり危険なマ-ク1を日本に売りつけた。たいがい後進国は安い武器を売りつけられる。それで内戦とかなると安い武器で戦う。そういう構図が日本にもあった。アメリカから日本に原発をとり入れるとき安全面での指導が不十分だった。日本の風土に適したように作れなかった。地震があり津波がありマ-ク1は地震にも弱いとされていた。それはわかっていたのでありアメリカの技術者も警告していたのである。日本はまた狭い国だから一旦事故が起きたら逃れようがない、それも原発とはあわない風土でもあった。日本がアメリカの従属国となってしまったということそれがまた原発事故の要因ともなっていたのだ。湯川秀樹などは原発を早く導入することに反対だった。やはり危険性を知っていたからである。必ずしも科学者指導で作られたものではなかった。日本の技術の未熟さがありそこに古い型のマ-ク1を売りつけられたのである。それを導入したことも批判されるべきだった。


日本にとってアメリカの害悪は大きいものだった。世界でもそうである。イラクはテロの主犯でもない、今になるとスケ-プゴ-トにされたのである。3000人のアメリカ人が死んだのだから誰かがその犠牲にならねばならなかった。それがイラクだったのである。太平洋戦争では犠牲にされたのは日本だった。それが原爆であり次に原発でまた犠牲にされたのである。アメリカの従属国になったとき日本の良き伝統は失われモラルも失われた。ただ金だけがすべての社会になってしまった。これもアメリカ化した結果なのである。アメリカをまねればアメリカとにてくる。いい面があるとしても悪い面でもにてくるのだ。ともかく10年すぎてやはりアメリカは世界に害悪を与えてもいるのだから自重するべきだった。結局イラクやアフガンで20万人の犠牲者が出てテロが終焉したかというとそうでもなかった。アメリカは自国の防衛のために他国を徹底的に痛めつける。正義もなにもない、ただうちのめすことが目的なのである。それは日本の原爆ですでに証明されていたのである。だからアメリカは
必ず日本に復讐されるということを恐れているというのもわかる。それだけのことをしたのだからそうした恐怖感は消えることはない、殺人者の心理と同じなのである。やましいことかあるからそうなっているのだ。いづれアメリカも神に裁かれるのである。


●時事問題深層の10年前の詩


9・11のテロの詩

耐え難き悲しみに耐えたるあとに

この非道、残酷は何故か知らじ
その暴虐、その無謀、狂気は何故ぞ
一瞬にして3000人の命を奪う
ただ茫然自失として佇むのみ
その悲しみはぬぐいがたし
ニューヨークを死の影が覆う
その怒りは煮えたぎるマグマとなり
敵なるサタンに向い爆発する
一転して敵地を見ればそこも無惨
大旱魃に長年の戦乱に飢えたる大量の難民
その敵に向い押し寄せてくる
ロシアに国土は踏みにじられて
地雷に足をなくす子供
その置き土産は地雷なり
アメリカはかつての友なりしを
その友の送るミサエルは今度はアメリカに向かう
イラクもかつてのアメリカの友
武器は売られ蓄えられまたアメリカに向かう
武器そのものが災いならじや
アフガニスタンはアメリカの敵たるや
その国は疲弊しその民は飢え苦しむ
アメリカは正義の国なりと
原子爆弾を落とし裁きを与える
ベトナムになお爆弾の痕生々し
そして不敵に逆らうイラクに爆弾の雨
アメリカは強者故に裁きを与える
人なれ国なれ裁くべからじ
裁くは神のなすことなり
その耐えがたき悲しみに耐えたる時に
世界の同情はアメリカに集まり
神の哀れみもそこに注がれ
テロの魔の手も神によりそがれむ
また強者のアメリカの裁きを実行すれば
そこに憎しみは残り深まり
またテロがアメリカに向けられる
眼には眼を、歯には歯を
そこに解決の道は平和はこない
その耐えがたき悲しみに耐えたる時
テロの無謀も収まらん
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む
その悪の連鎖は断ち切れぬ
主、キリストの十字架に祈るべきにあらじや
その時その無謀に流せし涙は無駄にならじ
世界の人々の分け隔てなく集う
平和の鳩の憩う都とならん
その耐えがたき悲しみに耐えたる故に
戦争の悲惨さを自らの国で知り
ヒロシマの悲劇にも同情の及び
ニューヨークは再び世界の自由の都とならむ


結局10年前にこの詩を書いた。10年間インタ-ネットで書いてきた。最初は書いて発表することがなかったのでうまく書けなかった。書くことも訓練だった。アメリカはあの時怒り狂った。しかしよくよく自分達のしたことをかえりみれば冷静にみつめればなぜあんなことが起こったのかわかるはずである。あの時感情が爆発した。その結果として20万人がイラクやアフガニスタンで犠牲になったのである。結果としてそうなったのである。アメリカとはそういう国なのである。正義も何もない、ただ結局は大国の覇権争いである。第二次世界大戦もそうだった。アメリカ、ロシア,日本の覇権争いになった。日本は背伸びしてその覇権争いに敗北しただけである。まず「汝の敵を愛せよ」などありえない、「汝の敵を殲滅せよ」これがアメリカだったし今もそうである。

posted by 老鶯 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連