2011年09月14日

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険 (東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険

(東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)


●人間は権力者同士権力をそぐために争った

人間というものは本質的に変わらないものがある。そうでなければ歴史でも時代が変われば人間のことは理解できない、人間はこういうものだという変わらないものがあるから過去のことでも理解できる。戦国時代になると弱肉強食や下克上とかなり人間の争いがむきだしになるからかえってそれがもともと人間なのだということで現代にも通じる。ただ時代が変わると弱肉強食でも相手を殺したりはしない、でも強いものと弱いものはいつの社会にも存在する。常に弱肉強食の社会は継続しているというときまさに人間はとても宗教の説く世界とはあまりにも違っているからこそ遂に世は欲で滅びるとなる。社会が変わったというとき江戸時代から明治時代になるときの変化が大きすぎた。その大きな変化をまだひきずっているのが現代なのである。江戸時代が何か不思議な理解できない時代になっているのはまさに現代がそれほど変わってしまったこめである。その変わり方が激しいからまるで江戸時代が別な世界になってしまった。


その一つに会社組織がある。江戸時代には会社が存在しない、個々に職人や農民や商人がいても今のような大きな会社が存在しない、家を大きくしたようなものが会社の前進だった。それは今の会社とは相当違ったものである。会社員で月給もらうとかのとは違う、奉公するということである。これは封建時代には御家に奉公するということからきていて同じエ-トスが共通のモラルとしてあった。下々の者も侍を模範にしていまからそうなった。今日のような東電とかトヨタという大会社は存在しない、その点も大きな相違である。ただその代わりに豪商とかは西では存在した。ただ権力者は武家であり武家は豪商を血書にできた。なぜそうしたかとなるとやはり権力者にとっては権力を持つものを危険視する。それは古代からあったのだ。立派な家を建てたたものを危険視して壊させるとかあった。そもそも社会は常に権力争い弱肉強食が人間社会に変わらないものとしてあるとき権力者は対抗するものの力をそぐことをしてきた。誰かがのしあがって権力者の地位を奪うことを恐れていた。だから敵対するものを弱らせるために力をそぐために非情なことをしてきたのが権力者である。そうしなければ権力が維持できなかったのである。


●敵対する権力者を徹底的に弱体化した信長


織田信長がそれが戦国時代だから徹底していた。誰かがのし上がるのを恐れていた。徳川家康にも非情なことをした。秀吉も織田信長を恐れていたからのしあがるものではないといろいろ手を打っていた。戦国時代は露骨に敵を弱体化するために戦争だけではなく戦っていたのである。経済力をつけさせないとか武器をもたせないとかいろいろした。これは今も同じである。アメリカは世界の権力者たるがために敵対するものを弱体化させるためにそういうことを今もしている。徳川家康にしても全国を治めるというときいかに敵対するものが出てこないようにするために苦心したかわかる。参勤交替もそでありこれで財力をそぎのしあがれないようにした。町は枡形などを作り敵から侵入しにくくした。現代からするとそういうことは経済的発展からすると非効率的なのだけど常に歴史では敵対するものの力をそぐことが大事だった。権力を維持するためにそうすることが必然だったのである。
信長が真宗などと敵対化したのは真宗の組織が強大化していたからである。自分達の権力を脅かすものとして敵対したから殺戮した。それが徹底していたから恐怖したのである。歴史で人間が権力を維持することは常に敵対者に力をもたせないことだった。


そのことが原発事故と何か関係あるのかというとある。権力者とは今は誰なのかということである。織田信長とか秀吉とか家康とか侍ではなくなった。明治時代以降権力者は誰になったのかということである。戦争を起こしたのは財閥だったというときそれは江戸時代の豪商とにている。権力者は豪商を血書にできた。そういう豪商でも国を栄えさせるものというより権力者に敵対するものとして潰すことができた。しかし明治以降は一体誰が権力者なのか?なかなかわかりにくい、財閥だというというときそれはロスチャイルドやロックフェラ-などになるのかもしれない、大会社が背後にあって世界を支配しているというときまさにそうなる。一見政治家のように思える。表面に出てくるのは政治家なのだが実質の権力をもっているものは背後にいる。だから政治家だけでは物事は決められない、前の管首相が突然に原発を全部廃止するとか言ったとき財界からは反発されてとめられる。すると財界が権力者なのかとなる。財界と言っても東電も入っている電事連などは労働組合でもある。財界と労働組合が一体化している。大会社ではそうなっているからだ。現代では政治家は背後にある権力者の操り人魚にすぎないように見える。
信長と秀吉とか家康といった権力者とはずいぶん違っている。実質の権力者は誰なのか、官僚だという人もいるし政治家は絶えず変わるけど官僚は変わらないからそうなのかもしれない、創価なども権力を操作したいがために組織化している。信長だったら真宗信徒などのように殺戮することになる。なぜなら権力の脅威となるものを徹底につぶしたのが信長だったからだ。
宗教団体であれ何であれ権力に脅威になるものはつぶすのが権力者だった。


●東電は第二の国家であり政治家より上の権力者である


現代の権力者は誰なのか?マスコミが第三の権力だというときマスコミも大きな権力になった。
ただ現代の本当の権力者はやはり大会社である。トヨタとか東電の力は国の財力とも拮抗するほどのものである。何兆円の利益を出して莫大な補償に応じるというのにも驚きである。そんな金があったのかと驚いたのである。まちがいなく一つの国家の中の国家である。トヨタとか東電とかは国より大きな力をもっているし国を政治家を動かしているのはむしろ今は大会社であった。トヨタであり東電だったのである。そういうところを見間違いるとなぜ東電があのように力をもったのか理解できないだろう。これだけの権力をもったら横暴なことでも通る。江戸時代以前なら武家など権力者がその力をそぐために方策があったが今はない、王の権力を維持するために会社を大きくさせないような方策はしていたがそれが歯止めが聞かなくなった。その時大会社はすでにもう一つの国家となっていたのだ。


自民党公明党でも東電の下僕にすぎなかった。地元の自民党議員が危険なプルサ-マルに賛成していた。前知事の佐藤栄佐久氏にプルサ-マルを開始するよう再三強く要求していたのである。その結果検察まで乗り出して佐藤栄佐久氏を失脚させた。その背後の力がいかに大きなものかわかる。つまり東電は国家以上の国家だったのである。原子力発電を国策化したというけどそれは東電の力が大きいのである。そうなると東電は鬼に金棒であり国家を支配して会社が国家になっていた。そしたら誰もとがめるものがいない!その権力は増大化してとめるものがいない、それが会社の思い上がりとなりただ儲けを優先させる、安全は二の次になる。なぜなら国家自体の派遣した原子力保安員も東電の社員と変わりないのである。要するに権力に歯止めがかからないとき相互に権力をそぐことができなくなると一面社会にとって怖いものとなる。


それが例え経済を活発にするものでもそうなる。会社が独占化して巨大化することは社会にとって恐怖となるから独占禁止法が生まれたがそれも東電には通じなかったのである。だから東電を弱体化するために送電と発電を分離させるというのは正論なのだろう。独占を阻止しないと原発などのようなものすら作ることをとめることができない、東電は実質上国家だからこそそうなっていたのである。人間社会は何か抑制するものが必要なのである。会社でも監視して抑制するものが必要なのである。しかしそれがないとき会社の横暴に歯止めをかけるものはいなくなるのだ。結果として原発事故が起こったともいえるのだ。巨大権力化するものを抑制するものが必要である。それはカルト宗教団体にもいえる。これらも権力志向であり社会の災いになることはまちがいない、それらは小さい内ににたたかないともうあとは叩くことできない、巨大化して誰も叩くことはできなくなる。それが最後にどうなるのか?それが東電の原発事故だったのである。ナチスなどもそうして巨大化してもう手をつけられなくなった。誰も制御できない、権力の横暴だけが最後にあるだけになった。

posted by 老鶯 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連