2011年09月10日

原発は東京に作るべきだった (安全ならばそうするのが正論だった)


原発は東京に作るべきだった

(安全ならばそうするのが正論だった)



「原発が本当に安全であるのなら、何も田舎ではなくエネルギー効率、送電効率の一番いい、東京湾にこそ作るべきだ」という至極まっとうな切り口で述べる、反原発の教科書的作品。


「安全」「安全」という言葉が本当ならば原子力推進派の方たちは原発の近くに家を建て居住すべきだ。原子力保安院の職員は、なぜ福島原発現地から逃げだし50キロも離れた郡山市にいるのか?

枝野官房長官は放射能防護服に身を包み、なぜ5分しか現地に滞在せず、すぐに遠くに離れたのか?
原発が危険で制御できないのならやめるしかない。安全なものなら家の隣に建てても問題はない。
新宿に原発を作った方が送電ロスも減りメリットが大きい。


 
もし東京に東電の原発があったなら、こんなめちゃくちゃな運営していただろうか? 
安全対策も指摘されれば直ぐにうっていたんではないだろうか? 
東北(福島)にあったればこそ、安全に対しての危惧、津波に対しての危惧を受け 
ても無視し続けたのではないだろうか? 
もしそうなら、原発は使用すべき自らの登地に作るべきではなかろうか? 

福島県の一部住民は、金に目を眩まず、拒否するべきだったな…今更だけど。 
札束で顔ひっぱたかれて、東電と政府と推進派政治家(知事も含む)に 
屈したんだな。 

清貧を望むべきだったんだろうな…


原発を専門家はみんな危険なことを知っていた。専門家であるがゆえにこんな危険なものをやってられないよと思っている人がいた。だからこそ保安院は危険なことを知っているから郡山市に住んでいた。馬鹿だったのは安全だとばかり思わされていた地元の人だった。よくよく検討などしない、最初に金ありきであり積極的に誘致したという面があった。10キロ圏内などはそうである。富岡町長の金庫が話題になったのもそのためである。それに原発は象徴されていたのだ。湯水のように金が出るのが原発だったのである。町長が郡山市に家を建てたというのも本当らしい。町長が原発で金を得て町を放棄してもいいわけである。もうそこに住まないとしたらそうである。町民が帰りたいという時、お前たちにも責任があったとなる。民主主義では選ぶ方にも責任がある。その選ぶ方も原発推進を望んだのだから同罪だともなる。町民全部の責任だと他から言われるのだ。


原発がどういうものか地元ですら本当に無関心だったし国民も無関心派が多かった。そもそもその危険性を知らされていない、チェルノブエリ事故の時はあれはずさんな国だから起こった。日本は違うよと技術に優れているし日本は管理もロシアのようにずさんではない、日本の工業品と同等のように原発を見ていたのだ。技術や科学に疎い人もそのようにすりこまれていた。地元ではもちろん福島県でも詳しく検討していない、調べてもいない、ただ前の佐藤栄佐久氏だけがプルサ-マルは危険だと何度も警告していた。原子力村と直接対決していたからそうなった。でも選挙で落とされたのである。マスコミも原発推進であり東電から金をもらっていないところはない、それほど東電には何兆円もの利益を出す巨大企業だった。その企業に政府ものみこまれていたのだ。背後にある電事連などは政府を簡単に動かす力をもっていたのだ。そうなるとマスコミから原発は危ないという声は聞こえなくなる。でも原発を東京にという本が出ただけでも話題になっただけでもそれなりに危険を訴える人はいた。ただ単にその時は無謀だと思われていた。


日本の技術を高く評価している研究機関として、PHP研究所や三菱総合研究所などがある。これらの研究機関は、どちらも大手メーカーの御用機関となっている。PHP研究所は松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループと深い関係がある。特にPHP研究所の息のかかった技術評論家や技術評論関係の著作は数が多い。
http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html


出版は何か大きな組織がパックにつかなければできない、出版社自体そうである。だからPHP研究所の本は良く書店でみかける。書店でみかけることは本を手にとる人も増えてくる。だからみんなもその本を読むと日本の技術の優秀さをほめたたえるからそうかと思い日本人は優秀なんだと思いうぬぼれる。PHP研究所は背後に松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループなど深い関係にある。こうした巨大企業をあとおしするものとして出版もしているのである。だから企業の悪口は書かないし原発の推進になるから日本人の技術は優秀だから事故にはならないと洗脳されるのである。メデアでもそうだがそういう洗脳機関が張りめぐらされていた。それは知らなくてもそうなっていた。マスコミでも今でこそ原発の危険性を叫んでいるが事故が起きる前は東電からどこでも広告費をもらっていた。 それは戦争の時と同じだった。戦争に負けたら戦争反対派になった。だから信用できない、その時の時勢にのって宣伝費をかせぐだけだとなる。原発を東京にというときもそういう本を出せるのは左翼系統からの応援があったからだ。原発に反対した人は左翼系統でありあいつらは極端なものとして異端視されていた。それで誰も本当に原発が危険なものだということをまともに考えることができなかった不幸がある。


マスコミからは何か重大なものは知らされない、原発がそうだった。戦前は日本が負けていても勝ったとなっていた。事故は起きない、起きると言ったら非国民にされる。でもこの本が出たというのはやはり日本にはまだ民主主義があったということにもなる。でも何かその時誰も真剣に考えない、酔狂なこととして誰も真剣に考えなかった。今になると原発を東京にというのは正論だった。コスト的にもそうだしそれだけ安全を言うなら東京でも問題ない、そして放射能汚染されてわかったことは原発の放射能汚染は田舎ほど甚大になるということである。土から森から海から汚染されたら除染もできない、何十年と放置するほかない、チェルノブエリがそうなった。あそこは広大なの地域だからまだ移転できたが日本では狭いからできない。都会の方が事故があっても除染はしやすいことがあった。ビルなどの建物なら洗い流すとかできた。放射性物質は土とか水とか森とかそういうところに入ったら死の世界になってしまう。食糧をえられなくなる。幸い他から食糧が入ってくる時代だから生きていられる。都会だったらそもそも食糧を作っていないから他からとり入れているのだからそういう害はないのだ。他から食糧を得ればいい、つまり食糧基地に原発は建ててはならないものだった。食糧を得られなくなるからだ。しかし原発はほとんど食糧基地となる風光明媚な所に建っていたのである。東京に原発を建てられないのなら東電でも保安院でもその近くに住むべきでありそれが安全を証明していたのである。

飯館村の早春(神話の村)
http://musubu2.sblo.jp/article/36056980.html


神話の村が放射能の村になったショックがある。これが許せないのである。それはゼウスの神域を汚した火を盗んだプロメテウスなどの過酷な罰に匹敵する。そういう罰を与えるべきだが誰もそうした罰も与えられない責任をとる人はいない、これも戦争のときと同じだったのである。



科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)

http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html

posted by 老鶯 at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連