2011年09月09日

南相馬市鹿島区の現在の状態


南相馬市鹿島区の現在の状態

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保育所前の公園の除染

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仮店舗の建設


田は荒れて残れる人や秋薊


復興の希望のひまわり百輪ほど


鹿島区では人の流出はそんなにないだろう。原町区はやはり人口が多い分、子供をもっている人は一部流出している。また仕事がない人も出ている。仕事の問題が深刻なのである。
年金で暮らせる人は残る。老人は故郷に残りやすいのである。田が荒れている、これも湿地帯になるとそうは感じない、湿地帯化すると自然にもどるから荒れた感じにはならない、こういうところも放置したら日本では雨が多いから湿地帯化してゆく、水たまりができて沼になってしまうのだろう。


保育所前の公園では除染作業をしていた。あそこの公園に人がいたというのを見たことがない・・・この辺ではそういうことがある。公園は子供が多ければ集るだろうけどこの辺では公園はあまり利用しない、都会とは違って自然が広がっているからだ。今はたまに子供が公園で遊んでいるのをみかけるがここの公園で人を見たことがない、草や芝生には放射性物質がつきやすい、それをとりのぞいても燃やすこともできない、どこかに埋めることになるがそれでも放射性物質は残るやっかいなものである。除染するにしても河原の茂みやら森やらいたるところにぼうぼうたる草むらがあるのが田舎である。そういうところを全部除染などできない、ほんの一部、人が集りやすいところしか除染はできない、しかし除染しないと放射性物質は消えないから困るのだ。この辺はやっぱり子供がいるから優先的に除染したのだろう。


仮設に盆栽を飾っている。あのくらいの小さなものだったらおける。家では広い庭に置いていたのだろう。仮設住宅は昔の長屋ににている。あんなふうにして狭い所で暮らしていた。隣の声がつつぬけでありプライバシ-がない、自分の家は昔は長屋として貸していたからその話
を聞いているから知っているのだ。ツルハドラッグの前には仮店舗を建設している。おそらく小高区の人がふえたから小高区の人が出すのだろう。鹿島区は店すら何にもない、閑散とした町である。仮設ができてにぎわった感じになっているのも不思議である。


秋薊の季節だけど荒れた田にもふさわしいのが秋薊なのか?農家の人は今何を思っているのだろうか?仕事もしていない、除染の仕事や他の仕事をしているのかもしれない、それにしても
この辺の異常状態はつづく。避難しなくて良かったといえばそうである。それでも一人十万は東電からもらえる。小高区の人は一人十万仮設にいるかぎりもらえるから仕事がなくても生活はできるから津浪の被害にあった人達より恵まれているのかもしれない、ただ復興という点では放射能汚染は延々とつづくのだから不利である。


ひまわりはどこにでも植えられて咲いている。これは復興のシンボルになるのだろうか?
ひまわりは復興のシンボルには最適である。、力強い花だからふさわしいのである。この辺が正常化するのはいつなのか・・・もう正常化しないのか・・・・・なんとか南相馬市は浪江町とかと違ってやっていけるのか?医者や看護師が流出していることは復興するには最大の問題である。仕事もなくなっていることも若い人が流出する大きな問題である。老人はこの薊のように残るほかない、薊は荒れた田にもあっていたのか、薊はたくましい花である。

 
 
posted by 老鶯 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故


高齢化社会を直撃した津浪,原発事故



東日本大震災で死亡が確認された約1万3千人のうち年齢がわかった7935人を朝日新聞が調べた結果、65歳以上の高齢者が55.4%を占めることがわかった。
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201104090357_01.html


 国道45号を挟んで、海岸から山手にかけて民家が建ち並ぶ岩手県釜石市嬉石(うれいし)地区。寝たきりの高齢者を助けようとした男性8人が津波にのまれ、その高齢者を含む4人が死亡・行方不明となった。「津波てんでんこ」の教訓を知っていながら救助に向かった生還者は「『てんでんこ』はやっぱりできない。ならばどうすれば良かったのか」と自問を続けている。
http://blog.goo.ne.jp/jp280/e/dc6cc4e823657b835b815807efd3b067

 


テレビで救急隊員とか消防隊員が呼吸器をつけている高齢者をタンカ-で運んでいるうちに後ろから津浪がきて何人か死んで二人が屋根の上に逃げて助かった。高齢者の問題がここにも現れていた。高齢者を助けるために祖父母を助けるために様子見るためにとかで津浪にのまれ死んだ話をよく聞く、津浪から助かるためには人を助ける余裕がない、つなみでんでこという言い伝えは具体的にわかった。ちょっとばあちゃんを見てくるとかで死んだ話を良く聞くからだ。助かった消防隊員も89才の老人をおぶって逃げていたのである。幸い後ろから津浪がきて水につかったのだが助かった。それはただ偶然にすぎない、死んでも全くおかしくない状況だった。一見これが平時なら美談になり社会から称賛された。

でも今回はそうともならない、あまりにも死者が多すぎたのである。残酷だけど死にかかった人より市町村を支える若い人が生き残るべきだったとなる。高齢者より若い人がかんばらなければ町は消滅してしまうという危機になったからだ。消防隊員は今回この辺で相当数死んだ。高齢者や自分の祖父母を助けようとして死んだ人がかなりいる。それが何か美談とならないのもあまりにも死者が多すぎたためだった。死んだ消防隊員も救急隊員も看護師も町にとっては貴重な人材だった。
そういう人を失うことは町を再建できなくなる。ただこれも高齢化社会を大災害が襲ったからこうなったのだ。その後も高齢化社会というのが

どこでも問題になる。どうしたら市町村を再建できるのだとなるとき高齢者が主役にはなれない、なぜなら50代以上になると事業をはじめるのにも先が短いとなるからだ。それで第一次産業の人は高齢者が実に多い。農業でも漁業でもそうである。跡継ぎがいないということで困っている。それは南相馬市の原町区の大原辺りでもすでに三軒が廃屋化しているし一人残された老人も5町の田をもはや病気と年でやっていけないからかえって東電に補償された方がいいという状態だった。息子は市役所に勤めているから
跡をつかないからだ。


そこで深刻なのが浪江町だった。すでに13パ-セントが住民票を移している。その人たちのほとんどが子供をもっている子育て中の若い人なのである。そういう市町村を支える若い人がいなくなることは市町村が消滅する危機となることを具体的に知った。最後に高齢者だけ残される姥捨山になる恐怖である。現実に原発事故で避難した人達が故郷に帰ってきても支える若い人がいない、看護師なども相当流出しているのだ。市町村を支えるものは建物ではない、立派な病院という建物があっても南相馬市辺りでは医者が流出して入院もできないのでベッドがあいている。そこは高齢者でうまり収入がそこからあり病院は経営されていたのである。やはり市町村から医者が流出したら他にもいろいろあるが命にかかわるから危機である。だからどうしてもお医者様になることもわかった。医者だけではない看護師も重要な役割をになっていた。
なぜなら今や田畑が荒れて何も作らなくても食糧は他から金さえあれば入ってくる。ただ他から入る分高くは最近なっている。でも米など安いから困ることはない、しかし病院だけは病気だけはどうにもならない、町が崩壊するとき最初に医療から崩壊する。高齢化社会だから余計に医療に頼る面が大きいからそうなった。


高齢化社会はさまざまなことで社会に影響している。自分にしても老親二人の介護で大変な目にあった。寿命まで縮まった。自分自身が病気なのに医者に早く行かなかったから悪化していたのだ。今回も動けないから原発事故でも残る他なかった。そうして避難できないと死ぬということが津浪などでは起こりえた。他にもそういう介護で苦労している人がいて避難できなかった。そういうことは自分だけではない高齢者の親の介護のためにいろいろと犠牲にされることがあり問題となっている。社会から介護のために若い人の労働力が奪われるという問題があるのだ。今回の津浪、原発事故は一面高齢者を直撃したのである。再建問題でも高齢者が足かせになっている。高齢者だけでは町を支えられないという深刻な問題が具体的に現れたのである。こんなふうになると余計に露骨に現れた。現実に浪江町では若い人たちと老人化した人達は分断されている。それはもう修復できない深刻なものとなっているのだ。高齢者は早く死んでくれとか隠れていた本音が具体的になっているのだ。
故郷に帰りたいというのもわかるが若い人が支えなければ町は成り立たない、将来もないとなると若い人はすまないから子供もいない、もともと子供すらへりつづけていたのだから更に拍車を欠けた結果になった。


飯館村などでもそうである。老人は早めに帰らせるとか村で二年後とかに住める計画をたてている。でも若い人はもどってこない、そうなるとどうなるのか?本当に姥捨山になる。老人の死に場所となり村の跡を継ぐ人はいないし消滅してしまうのである。老人はもう死に場所としてそこで死ぬのもいいのかもしれない、放射能など気にしない人が多い。ただそこに住んでもいいですが誰ももう手厚い介護はないしそういう所ですから覚悟して住んでくださいともなる。行政の助けもない、細々と生きて死を待つだけの姥捨山になる。そういうことが冗談ではないから笑ってもいられない、姥捨山となり核の廃棄場にされてしまうのである。そして故郷を偲び老人は仮設で泣いている。特に会津とか遠くに避難した人達がそうである。いづれにしろ高齢化社会の問題が今回の津浪や原発事故で具体的に露骨に現れたのである。若い人たちは高齢者と一緒にはやっていられない、命の問題だとか故郷を捨てることがあからさまに表面化したのだ。
代替地は今の時代では無理だろう。だから残るのは老人だけでありそこは姥捨山になってしまうのである。

posted by 老鶯 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

日本の天地とともにあった万葉人 (万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた)


日本の天地とともにあった万葉人

万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


皆人の 命も我れも み吉野の 滝の常磐の 常ならぬかも


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ


天地とともにもがもと思ひつつありけむものを.......


天地と  相栄えむと  大宮(を 仕へ祀れば  貴( たふと )く嬉しき 


天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を


天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ


吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる 山かげにして 」
             巻3−375 湯原王 (天智天皇の孫)




吉野というと桜で有名だがその華やかな表に対して裏側がいつも山陰になる吉野川沿いである。ここは今回の台風でも被害があったところである。相当に山深い場所である。

吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


これは別に吉野川を真野川としてもいい、


真野川の巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


現実にそこに原生岩と名づけた岩があった。万葉人は古代人は清浄な地を知っていたしその清浄な地がいつまでもあってほしいという願いが常にあった。万葉時代なら自然は今とは違い清浄な所が多かった。でも万葉人はいつまでもこの清浄な地がありつづけることを願った。それが現代になるとこうした古代人の清浄への感覚が消えた。清浄を保つ感覚は消えてただ経済的繁栄のみを望むようになった。それが原発事故で本当に飯館村とか真野川の上流も警戒区域となり入れなくなるということにさえなった。自分はそこに清浄の地を見出して通っていた。

自分はまた天地に仕えていた。天地とともにあることを願った。それが原発事故で失われようとしたとき怒りを覚えた。誰がそうしたのか?それは清浄の地域をないがしろにした地元の人の責任もある。ただただ物質的繁栄を求める文明自体にもあった。しかしこの地が自分の住む場所が放射能に汚染されると思わなかった。清浄な地域に通えるものと思っていた。万代までもあるこを通えることを願った。万葉人の願いは無惨に放射能によって砕かれたないがしろにされた。津浪は神の怒りだったかもしれぬ。


日本の清浄の天地を汚したものへの神の怒りだったかもしれぬ、特に東京の都会人は原発を清浄な地域にもってきて汚したのである。もちろん地元の人も悪いのは悪い。地元の人も清浄なものへの感覚が消失していた。ただ目前の金こそがすべてとなっていた。語られるのは望むのは金であり経済的な繁栄であれそれしかない。地元にある自然の清浄さを貴重なものだと思う人はまれである。今故郷を失われた老人は泣いている。その恨みは深い、誰が一体こうさせたのだ。それは自分にもふりかかってくる問題であった。故郷を失うことそれがどれほど辛いことか思いしらされた。こんなになるんだったらなぜ命がけでも反対しなかったのかと思う人もでているかもしれない,自分もそういう強い思いに欠けていた。原発の被害がこれほど広範囲なことに驚いたのである。


天地から離れた人間の傲慢が原発事故に
http://musubu.sblo.jp/article/47762171.html

 
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連