2011年09月08日

浪江町は消失するのか? (老人は代替地で住むのには反対)

 

浪江町は消失するのか?

(老人は代替地で住むのには反対)

今この辺で日々起きていることは不思議である。NHKのクロ-ズアップ現代でも浪江町のことを放送していた。若い人は代替地を国から譲ってもらってそこに浪江町の住人が住むべきという案を出した。浪江駅ですら3マイクロシ-ベルトくらいになると結構高いなと思った。除染をしようにもできないとなり若い人たちがそう判断した。すでに散り散りになって全国に住んでいる。浪江町の人を結束するには代替地に住み人とのつながりを求める他ないと判断した。つまりもう浪江町には帰るのはむずかしいと判断した。若い人たちと50代以上の人の考え方は合わない、若い人たちは子育てもあるしとてもこの放射線量では住めないと判断している。一方50代以上の人だと土地への愛着があるから浪江町に帰るべきであるとして結束を保つようにする。
世代間で分断されてしまっている。一方で50代以上が残るにしても若い人がいないなら町は消滅すると言っていることも深刻なのである。その判断はなかなかできない、でもいづれ決めなければならないとしている。


そもそも土地が大事なのか人とのつながりが大事なのかという問いはまた極めて哲学的な問題なのだ。故郷とは土地なのか人とのつながりなのかとなる。両方だというのもわかる。実際は両方だとして何ら問題はないのである。でも故郷はその代々住んだ土地のことである。土地の思い出とともにある。老人が涙ながらに故郷の思い出を語ったことでもわかる。例えば墓などは土地と一体化してある。日本では古来、先祖の霊が山に宿るとしたのは山から水を絶えず供給して田に流れ米の恵みをもたらしてくれたからそうなる。稲作が自然と一体化しているから啄木の「ふるさとの山はありがたきかな」という感情が生まれた。ありがたきかなというのは絶えず山が水を供給してくれるものとしてそうなった。そういう感覚があるから代々の土地に密着して生活してきたから故郷とは日本では土地のことである。土地への愛着が一際強いのである。そうなれば土地を離れて故郷はないとなる。

この感覚は今にはじまったことではない、万葉時代からそうだった。ヤマトが日本の基となったときそれはその土地のことだった。三輪山でも奈良の回りの山々は田に水を供給する故神聖なものとなった。


やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるわし


国のまほろばは土地のことであり土地を離れて国はない、・・・大和し思ほゆ・・・というときそれは土地のことである。土地なくして故郷はありえないのだ。代替地に住めば故郷はなくなるというときそれと同じである。大和の故郷は大和という土地のことだからである。土地から切り離されたとき先祖からも切り離されることになる。なぜなら先祖は土地に住むからである。もはや死んだのだからその土になるというように故郷の土となり霊となったのである。地(ち)と霊(ち)は同じである。でも現実問題として代替地に移るとしたらそこが浪江町の第二の故郷にはなりえる。それは北海道はそうなった。十津川村がある。

1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。


ここでは人とのつながりも保ち新しい土地を得たのだから第二の故郷となりえた。原発もやはり災害と同じである。有利な点は東電から補償が得られることである。ただその人数が多いことである。それも老人が多い。おそらく北海道に移住した人達はまだ若かった。それでもうどうにもならないと移住できたのだろう。その時北海道には土地がありあまっていたのである。でも今回は時代が違う、別に個々に住みやすい所に住んでいいのでてある。北海道のような寒い所に移住する必要はない、今ほど移動している時代はないからである。移動の自由は確保されているからだ。第一代替地として広い土地が確保できるかとなると今やむずかしい。日本にはそんな広いフロンティアは未開の地はないのである。今の産業は農業中心ではない、農業には土地が必要だった。満州までも土地を求めたのは農業中心の社会だったからだ。商工会議所の若い人が集まっていたが農家の人はいなかったのである。


そう考えると代替地案はむずかしいのかもしれない、でも現実問題としてやはり浪江町は若い人が住めないとなる消失する、すると老人は50代以上の人達はどうなるのだろうとなる。取り残されてどうなるのだろうかとなる。そういう高齢化の問題も深刻なのである。若い人たちが放射能問題で故郷から出て行くときもう医療でも看護師やら医者がいなくなり支えるものがいなくなる。その恐怖も自分も味わった。医療を受けられないと死ぬということがある。ちょっとしたことでも管が交換できなくても死ぬ。老人が今長生きできるのは医療が発達したからである。その医療が若い人がいなくなり支えられなくなったから老人は死ぬ。そういう深刻な問題が原発事故で起きているのだ。若い人が去り老人だけが取り残される。その恐怖がここにもある。老人だけでは住めないからその町は消滅するという恐怖である。町の命運は若い人が握っていることになる。若い人に従わざるを得ない面がある。老人だけでは町を支えきれないからだ。そういう深刻な問題にどう対処していいのか、極めて困難な問題に直面しているがいづれ判断せざるをえないのである。

 

予測

代替地案は無理→浪江町から人々は分散して消滅する

南相馬市は人口が半分くらいに減り相馬市が中心になり合併する

posted by 老鶯 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連