2011年09月23日

カマキリ(俳句は写生だけど背景を読まないと鑑賞できない)


カマキリ(俳句は写生だけど背景を読まないと鑑賞できない)




玄関の戸にカマキリや何気なく


玄関にかまきりとまり客のあり


カマキリの冷徹に餌捕らえ食う


故郷は草茫々と実りなく船の残骸残るままかな

カマキリが玄関の戸にとまっていた。それが何なのだとなるが、俳句は写生なのである。
カマキリ自体が何を示しているのか?カマキリは雌が雄を食うとか残酷なイメ-ジがある。
カマキリ自体がいるということですでにイメ-ジされるものがある。蛇でもそうである。
カマキリはそれほど恐ろしいものとは思っていなかった。カマキリは小さいからそうなる。蛇の方が恐ろしい。これは毒蛇だったら人間も死ぬということがある。でもカマキリも実際は恐ろしいのである。

カマキリが何気なく玄関の戸にとまっている。ただそれだけだったら俳句になるだろうか?何にを言いたいのかとなる。だから写生俳句は背景を読まないかぎりわからない、玄関から入るもの客でも何でもすべてが安全なものだろうか?今や人が家に入ってくることがすべて安全と言えるだろうか?

アメリカでは銃をもって家に入る人を迎える、誰が入ってくるかわからない、強盗かもしれない、
アメリカでは家に入ってくるものは気を許せないのである。それで誤って日本人が殺されたこともある。そういうことは銃社会のアメリカでは良く起こっていることだから異常とは思わない、でも今は田舎でも家に入ってくるもの警戒が必要である。特に家の中に入ってくるヘルパ-とか何か福祉関係でも危険である。そもそも家の中に見知らぬ人を入れること自体が危険になっている。知っている人ならいいが知らない人は日本でも危険なのである。日本では意外とそういう点無防備なのである。
そういうのんびりした時代は終わった。日本も近隣とか家の中に入ってくる人は危険である。
近くでもそういうことで警戒している人がいたからそういう時代になったのだと思った。

日本でももはや安全はなくなった。田舎でも安全はない、介護関係の人や家の中に入ってくる人は一番危険である。家のことがわかってしまうことが困るのである。家族構成やら経済状態とかもわかってしまうのである。近くだから安心という時代ではない、江戸時代辺りで安全だったのはまず小さな村の内でしかつきあわない、外部から人が入ってこない、みんな同じように貧乏であり金持ちはそんなにいない、現代は田舎でも様々な人がまじり住んでいるからわからなくなったのだ。人を見たら泥棒と思えとは昔からあったから外部からくる人はそう見ていた。でも隣の村の人さえ全く交わらない社会では犯罪は起こりにくいのだ。伝説でも隣の村から働きに来た麦踏みの若者が蛇にだったとか言われるのは互いに隣の村でも交わらないで生活していたからである。だから隣の村の人さえ遠い人であるから知らない人だから神秘的とさえなっていたのである。


いづれにしろ俳句は写生である。その見たままが驚異的であり美なのである。それをいちいち説明する必要はない、説明したら俳句は短いからできない、玄関のとにカマキリがとまっている、それだけ暗示するものがある。ただそのためにはその背景を読むことが必須になるのである。

草茫々の中に津波で流された船が残っている。これも別に想像でも何でもない、ありのままを写生したにすぎないのだけど今までとは余りにも変わってしまったから詩になる違った絵になってしまったのである。写生そのものが驚くべきものとなってしまったのである。津波の跡などもいつまで見てもその異常性が未だに現実と思えない、夢でも見ているのかと最初言う人がいたけど本当にそうである。戦争のような異常事態はそれが普通の生活からかけ離れているからどうしても理解するのがむずかしい。平和な日常生活から想像できないことだからである。だからそういうものを未だに現実として受けとめることがむずかしい。映像で見たりいくら話を聞いても理解しにくいのである。おそらく

元のように津波の跡にも家が建って復興したとき逆にそんな津波があったのかと前の津波が忘れられたようになるのだろう。でも今回は津波の被害にあったところには家は建たないだろう。だからいつまでも記憶として残るかもしれない、平和な日常、普通の生活が破壊されること、それは個々にあってもこんなふうに全体に起きることは想像もつかなかったのである。

2011年09月24日

枯れゆく蟷螂(デジカメの写生俳句論)


枯れゆく蟷螂(デジカメの写生俳句論)

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蟷螂の枯れゆくあわれ家の中


良く見れば蟷螂枯れゆくあわれかな


蟷螂も枯れゆくものや介護かな


虫の音や今日も微かに母の声

枯蟷螂は秋の終わりから初冬の季語になっている。この前見たときは緑色していたが早くも色が変わっている。今年は何か寒さが早くきているのだろうか?結構寒くなっている。この時期寒いというのも季節的に合わない感じはする。まだ夏が終わり秋がはじまったばかりである。この頃季節が変わっているから夏が終わり急速に冬が来るかもしれない、すでに北海道の旭岳では初冠雪があったから
冬はすでにまじかなのである。温暖化というのもわからない、寒くなるということもあるからわからない。季節の変化は毎年違っている。

前に玄関にとまっていたのは玄関の戸の外だった。その時は緑色だった。今度は玄関の中だった。

外と中でも違っている。外だとまだ元気な緑色の蟷螂だった。でも中になると蟷螂はすでに枯れつつあった。完全に枯れた枯蟷螂ではない、でも色はすでに変わっている。蟷螂の一生も人間の一生でもある。女性でもつくづく人間は怖いものである。死ぬ間際まで斧をふりあげる。自分の主張を通そうとする。欲も深く消えない、かよわそうな女性でもそうだった。人間も斧をふりあげることは死ぬまでやまない、自分を通そうすとるのが人間である。それが何であれ間違っていても何でもそうである。人間は老人になると己を曲げないのである。


ただ最後は寝たきりとかになると弱々しそうな声になり介護されるだけになる。虫の声になる。最後は人間もどんなにがんばっても弱り死につく、それが定めである。それは強い人弱い人も同じである。最後は弱くなりあきらめになる。生き物もそうだけで人間の一生もそうなのである。
いづれにしろ俳句は写生である、日々写生である。だからデジカメが役に立つのである。写真はまさに写生であり写真を見て俳句をよめば一番わかりやすいのである。だからデジカメ俳句の分野が生まれたのである。そして写生俳句何か特別の才能も必要ではない、写生だから何か特別想像することもない、見たままを俳句にすればいいからだ。だから「よく見ればなずな花咲く垣根かな(芭蕉)」に通じている。つまり良く見ることが俳句になる。良く見ると枯れてゆくカマキリだとなる。家の中とか庭だと良くみる。良く観察する。子規は狭い空間から病気で出ることもできなかったから観察するだけだったから写生俳句の創始者になった。つまり病気が子規の俳句を成したのである。啄木も病気になったから後世に残る短歌を残した。病気は人を感じやすくする。感じないものでも何気ないものでも感じるようになる。先がない命であり末期の眼で見るからである。

 
 

2011年09月25日

アメリカの9・11の単純な疑問 (原爆、原発のアメリカの罪)


アメリカの9・11の単純な疑問

(原爆、原発のアメリカの罪)


●原爆とフクシマ原発事故の相違


アメリカについての疑問はいろいろある。9・11のニュヨ-クのテロで3000人死んだこと、日本人も20人くらい死んだことは確かに痛ましいことだった。その衝撃が大きかったことはわかる。でも日本に原爆を落とされたことと比べると桁が違っている。10万人も死んだ原子爆弾ほど空恐ろしいものがなかった。その被害にあったヒロシマ、ナガサキはこの世の終わりと思ったかもしれない、確かにあのテロも凄まじいものだった。しかしアメリカは原子爆弾を日本に落とした。そのことの方が恐ろしい。そして今回も報復としてイラク戦争でイラク人が20万人とか死んでいる。3000人殺されて20万人以上が殺された。アフガニスタンではまだ戦闘がつづき犠牲者がでている。アメリカ人も4400人死んだから3000人の犠牲者にプラスされる。アメリカは真珠湾攻撃でもそうだが敵には必ず報復する。百倍にしても報復する。汝の敵を許せ・・・というキリスト教国でもなんでもない、やられたらやりかえせ、絶対に許すなというのがアメリカである。


原子爆弾ほど恐ろしいものはなかった。そのことを遠いから余り考えなかった。その時世の終わりだと思った人もいたろう。なぜそのことを考えるようになったかというとつくづく放射能の恐ろしさを身近で知ったからである。放射能の怖さを原子爆弾としてしか知らない、原子爆弾は一目見てその恐ろしさに愕然とする。しかし一方で原子爆弾は爆弾であり放射能に関してはフクシマの原発事故の百分の一くらいしか放射性物質が出ていないということがあった。それでも放射性物質は拡散された。

http://www.hiroshima9.com/yougo/yougo.html


フクシマの原発事故は10万人の死人が出るというようなものではなかった。ただ放射性物質が出た量は百倍であった。放射能汚染の広さが違っていた。ヒロシマなどでは集中的に爆心地で10万人が死んだ。その衝撃と比べるとずいぶん違っている。しかし放射能の恐ろしさは別なものとして現れた。土や水や森や山や生活の基盤になるものを汚染したのでそこに居住できなくなったことである。農業や漁業、林業など自然にかかわるものが一番被害を受けた。除染するにしても山や森はできないから一区画を除染しても放射線量は減らせないのである。その期間は長くつづくので居住できなくなった。そしてその被害が今後どのようにでてくるかわからない、放射能は遺伝情報も破壊するのでそれも怖いと思った。子供には大きな影響があることも怖かった。放射能は結局逃れる術がない、聖書では岩の陰や山に逃れよとあるがその山に逃れることもできない、山が一番汚染されていたのである。放射能の危険から逃れることができないというのがその恐ろしさだった。

原子爆弾を落としたのもアメリカであり原発をもたらしたものも最初はアメリカだった。アメリカの罪はやはり大きい。原爆を落としたのだから日本には原発を作らせたくないというのが恩情だったかもしれない、それは日本で望んだことだといえば共犯でもあった。読売新聞の正力松太郎が宣伝して原発を最初に導入する原動力となった。


●アメリカの属国となった結果としての原発の導入


正力松太郎
http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/19275308.html

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=226482


戦犯であり刑務所から出て日本はエネルギ-で石油でアメリカに負けたから原発は必要だとして新聞を通じて宣伝したことからはじまった。日本は戦争に負けてアメリカの従属国になったのだから逆らえないという弱みがありそこにつけ入れられたとも言える。アメリカにとってはビジネスであり危険なマ-ク1を日本に売りつけた。たいがい後進国は安い武器を売りつけられる。それで内戦とかなると安い武器で戦う。そういう構図が日本にもあった。アメリカから日本に原発をとり入れるとき安全面での指導が不十分だった。日本の風土に適したように作れなかった。地震があり津波がありマ-ク1は地震にも弱いとされていた。それはわかっていたのでありアメリカの技術者も警告していたのである。日本はまた狭い国だから一旦事故が起きたら逃れようがない、それも原発とはあわない風土でもあった。日本がアメリカの従属国となってしまったということそれがまた原発事故の要因ともなっていたのだ。湯川秀樹などは原発を早く導入することに反対だった。やはり危険性を知っていたからである。必ずしも科学者指導で作られたものではなかった。日本の技術の未熟さがありそこに古い型のマ-ク1を売りつけられたのである。それを導入したことも批判されるべきだった。


日本にとってアメリカの害悪は大きいものだった。世界でもそうである。イラクはテロの主犯でもない、今になるとスケ-プゴ-トにされたのである。3000人のアメリカ人が死んだのだから誰かがその犠牲にならねばならなかった。それがイラクだったのである。太平洋戦争では犠牲にされたのは日本だった。それが原爆であり次に原発でまた犠牲にされたのである。アメリカの従属国になったとき日本の良き伝統は失われモラルも失われた。ただ金だけがすべての社会になってしまった。これもアメリカ化した結果なのである。アメリカをまねればアメリカとにてくる。いい面があるとしても悪い面でもにてくるのだ。ともかく10年すぎてやはりアメリカは世界に害悪を与えてもいるのだから自重するべきだった。結局イラクやアフガンで20万人の犠牲者が出てテロが終焉したかというとそうでもなかった。アメリカは自国の防衛のために他国を徹底的に痛めつける。正義もなにもない、ただうちのめすことが目的なのである。それは日本の原爆ですでに証明されていたのである。だからアメリカは
必ず日本に復讐されるということを恐れているというのもわかる。それだけのことをしたのだからそうした恐怖感は消えることはない、殺人者の心理と同じなのである。やましいことかあるからそうなっているのだ。いづれアメリカも神に裁かれるのである。


●時事問題深層の10年前の詩


9・11のテロの詩

耐え難き悲しみに耐えたるあとに

この非道、残酷は何故か知らじ
その暴虐、その無謀、狂気は何故ぞ
一瞬にして3000人の命を奪う
ただ茫然自失として佇むのみ
その悲しみはぬぐいがたし
ニューヨークを死の影が覆う
その怒りは煮えたぎるマグマとなり
敵なるサタンに向い爆発する
一転して敵地を見ればそこも無惨
大旱魃に長年の戦乱に飢えたる大量の難民
その敵に向い押し寄せてくる
ロシアに国土は踏みにじられて
地雷に足をなくす子供
その置き土産は地雷なり
アメリカはかつての友なりしを
その友の送るミサエルは今度はアメリカに向かう
イラクもかつてのアメリカの友
武器は売られ蓄えられまたアメリカに向かう
武器そのものが災いならじや
アフガニスタンはアメリカの敵たるや
その国は疲弊しその民は飢え苦しむ
アメリカは正義の国なりと
原子爆弾を落とし裁きを与える
ベトナムになお爆弾の痕生々し
そして不敵に逆らうイラクに爆弾の雨
アメリカは強者故に裁きを与える
人なれ国なれ裁くべからじ
裁くは神のなすことなり
その耐えがたき悲しみに耐えたる時に
世界の同情はアメリカに集まり
神の哀れみもそこに注がれ
テロの魔の手も神によりそがれむ
また強者のアメリカの裁きを実行すれば
そこに憎しみは残り深まり
またテロがアメリカに向けられる
眼には眼を、歯には歯を
そこに解決の道は平和はこない
その耐えがたき悲しみに耐えたる時
テロの無謀も収まらん
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む
その悪の連鎖は断ち切れぬ
主、キリストの十字架に祈るべきにあらじや
その時その無謀に流せし涙は無駄にならじ
世界の人々の分け隔てなく集う
平和の鳩の憩う都とならん
その耐えがたき悲しみに耐えたる故に
戦争の悲惨さを自らの国で知り
ヒロシマの悲劇にも同情の及び
ニューヨークは再び世界の自由の都とならむ


結局10年前にこの詩を書いた。10年間インタ-ネットで書いてきた。最初は書いて発表することがなかったのでうまく書けなかった。書くことも訓練だった。アメリカはあの時怒り狂った。しかしよくよく自分達のしたことをかえりみれば冷静にみつめればなぜあんなことが起こったのかわかるはずである。あの時感情が爆発した。その結果として20万人がイラクやアフガニスタンで犠牲になったのである。結果としてそうなったのである。アメリカとはそういう国なのである。正義も何もない、ただ結局は大国の覇権争いである。第二次世界大戦もそうだった。アメリカ、ロシア,日本の覇権争いになった。日本は背伸びしてその覇権争いに敗北しただけである。まず「汝の敵を愛せよ」などありえない、「汝の敵を殲滅せよ」これがアメリカだったし今もそうである。

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菊と石(秋彼岸にも死んだ正直な人が家に来る)


菊と石(秋彼岸にも死んだ正直な人が家に来る)



大輪の黄菊朝に映え硬き石


我が庭に石の硬さや菊映える


正直の女(ヒト)夢に来て秋彼岸

石と菊はあっている。石が硬いというとき人間が硬いということに通じている。前にもずいぶん石をテ-マにして詩を書いた。石だけの詩集になっている。石と性があっているということがあった。
石は誠実であり忍耐であり正直でありとかそういう徳も表現しているのだ。自然のものは人間の徳としてもある。そこに人間と自然の一体化かある。様々な花があれそれも様々な徳を示しているのだ。スミレとか小さな花は謙虚とか花言葉がいろいろある。自然の美というとき人間のモラルにも反映されるものである。美と義は別々のものではない,一体のものとししてある。石とか岩は聖堂とか神殿を形成した。ただ人間は社会生活で石のようになれというときむずかしい。相当に馬鹿にならない限りできないのである。嘘つかないで生きることもできない、世渡りをうまくやれよというときそうなるし堅物だとかなり敬遠される。でも人間は生きることは徳を高めることである。徳を体得することである。

それでまた正直一途の自分も助けてくれた女性が自分の家に来るのを夢見た。この前は墓参りにも行った。あんな馬鹿正直な女性はいなかった。わずかの金を借りても地道に返していたのである。一見見ていると馬鹿のように見えた。実際は馬鹿ではなかった。同情心があり義理と恩に厚い日本人の昔ながらの気質の女性だったのである。徳ある人だったのである。そういう人は今日本人でもまれだろう。地位ある人には金持ちにそういう人はいないかもしれない、何かとそういう立場の人は悪いことにも目をつぶらねばならないかもしれない、正直な人はまれだろう。地位ある人は権力ある人は徳を身につけることはむずかしいかもしれない、職人とか農民とかはもともと素朴でありえた。利得や権力から遠いからそれだけで素朴でありえたということはある。そういう昔ながらの日本人が消えた。すべてが金一辺倒の価値観になった。これもアメリカに習ったからである。


ただこうしう徳を軽く見るけど実際は人間にとって一番大事なものだということを一生をふりかえって気づくかもしれない、その女性が死んだ時、その人は正直の星となった。正直の頭に神宿る・・・というのはまさにそうだったのである。そういう徳は死んでもたずさえてゆく、死んだあとにも影響してくるのだ。生きている人にも影響してくるのだ。とするとそうでない人はどうなるのか、金持ちでも貧乏人でもどっちにしろ悪徳をもったまま死んでゆく人はどうなるのか?そういう人はやがて記憶されなくなる。地獄に冥府に行ってしまうのかもしれない、そこで罰が与えられるのかもしれない、だから生前に得したということが実は損したことになっている。徳の面で逆転しているのだ。
いづれにしろ嘘つくな、正直に生きろとか現代では教えられない、金になることがいいことだとばかり教えられてきたし現実の生活はそうなっている。別に教えられなくても金がすべてとなっているのだから人もただひたすら金を求めるようになるのだ。


でも人間が最後にふりかえるときあの世に何ももってゆくことはできない、財ももってゆくことができない、「天に宝を積め」というときまさに徳を積んだ人のことになる。経済的物質的には損しても天に宝を積んだ。そして死んでもその人は生者の元にやってくる。それが不思議な経験である。それは家族でも血がつながっていてもそうならない場合がある。あまりにもいいかげん親がいるからそういう人は子供の所にも死んでも現れない、忘れられる。しかし他人でも徳ある人は現れて力となっている。人間は死んですべて終わりかとなると違っていた。死んでもそうした徳を身につけた人は死後の世界からも影響していたのである。

2011年09月27日

今日一日のできごと(除染、農家の補償問題など)


今日一日のできごと(除染、農家の補償問題など)


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謎の鳥、飛べない鳥ではないが高くは飛べない鳥だった。何かの雛鳥だったのか?
こんな大きな鳥がどうしてここにいるのだろうか?草原化したためなのか?
これは海の鳥だろう、迷い込んだのかもしれない・・・・・・


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川子のボランティアのキャンプ場にこの車があった。広島から来ていた。あそこのテントは減っていた。ここでは除染作業をする。車まで特別用意しているから本格的である。


原発有志作業隊
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20110911ddlk34040384000c.html

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原町の小学校の校庭や公園の除染作業をしていた。この土の量がはんぱじゃない、多いから困る。

次に駅前の喫茶店で食事、そこで鹿島区の農家の人がいた。補償の相談のために来ていて弁護士と相談することを話していた。38町歩もっているというのには驚いた。そんな広い土地を一家族でできるのかと思った。15町歩でも一家族で耕作するのには広すぎると思ったからだ。蛙の卵死んでいたとか今年は蛙はほとんど鳴かなかった。補償問題はやっかいである。南相馬市で30キロ圏外でも一人10万は最低もらえることになった。その他は交渉しだいである。実際の損失がない人はもらえない、農家などは確実にもらえるが補償額がどうなるのか、38町歩の補償となるととても個人ではできないから弁護士に頼むことになる。


自分もわからないことがあり東電の係に聞いたが東電の社員に聞いても話しにならない、相手は払いたくないからだ。だからあんなめんどうな書類を送ってきたのである。第三者機関を通さない限りまともに賠償金はえられない、毎月払われる人も来年9月頃で打ち切りとか期間を限定している。2,3年は回復するにかかる。なるべく早期に補償を打ち切りたいからそうなる。一年伸びてもその額が巨額になるからだ。おそらく二年補償してくれても原発周辺の市町村は元のような状態にもどらない、農業でも廃業する人はふえてくる。回りでも医者が二軒やめたし惣菜屋もやめたし廃業する所がふえている。これは原町区だともっとふえている。緊急時避難地域を解除されても人口はへってゆく。


それでもなぜ飢饉のような深刻な状態にならなのか?それはス-パ-に今年の米が福岡の米が積まれていたように食糧は金さえあれば九州であれ外国からも容易に入ってくる時代だからそうなっているのだ。もし江戸時代だったら米を作れなかったら飢饉である。原発事故も大変だが食糧が入ってこなかったら生きるか死ぬかの瀬戸際にたたされる。食糧の奪い合いも起きる地獄になってしまっている。そこまでならないのはそもそも食糧過剰時代であり牛でも米でも牛乳でも日本全国レベルになれば余っているのだ。交通が発達しているから食糧はどこからでも入ってくる。現代は相馬藩とかいう極々狭いなかでの生活ではなくなっている。日本全国の中で経済は動いている。グロ-バル化でも動いている。だからギリシャの財政難がなぜ世界にこれほど影響するのか?逆に経済は世界化しているからそうなる。

でも草茫々の田んぼを見ていると不安になってくる,それだけではない一体ここでこれからまともに生活していけるのだろうかという不安が常にある。自分もだから何か落ち着かなくて困っている。
何か落ち着いて仕事ができないのである。おそらく子供にしても落ち着いて生活できないし勉強もできないとなる。これは全般的に影響している。こういう状態はまだ何年もつづくだろう。するとみんなこの先どうなるのだろうと不安になる。そういう生活は普通ではない、時間のロスが大きいのである。ここでは先がない若い人は出て行くようになるのも困る。


もう一つ問題としてもしこの辺で米作りがなくなったら田んぼがなくなったらどうなるのか?そんなこと考えたこともない、それは食糧を得るというだけではない、風景を作ってきたということもある。江戸時代から何百年という営みがたたれる。生態系を変わってしまう。でも現実問題として農業なくても食糧は他からえられる時代なのである。そこが時代が変わってしまったことである。食糧は全国から補うことができる。別にここで農業をしなくてもそうなのである。ただそれでここで何するのか?田んぼなくなった田舎が考えられないのである。食糧としてだけ田んぼがあるのかという疑問があるのだ。北海道のように牧場になることもありえる。でもそれも放射能汚染で先のことである。
一体この辺は将来どうなってしまうのだろう・・・?????? こんなふうな生活がいつまでつづくのだろうという不安ばかり増大してくるのである。

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2011年09月28日

昨日見た鴫はチョウシャクシギだった


昨日見た鴫はチョウシャクシギだった

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チュウシャクシギ
http://toriz.info/mizube_tyuusyakusigi.html

 


泥中のカニやゴカイを捕らえる。
・草地の昆虫を捕ったりもする。


ユーラシア大陸の高緯度地方に点在して繁殖分布し、
    冬はアフリカ大陸からインド、ニューギニア島、オーストラリア大陸に渡って越冬する。
    日本では、9-10月、4-5月に、旅鳥として各地に渡来する。



鴫 しぎ 鷸 しぎ 田鴫 たしぎ 山鴫 やましぎ 大尺鴫 だいしゃくしぎ 焙烙鴫 ほうろくしぎ 中尺鴫 ちゅうしゃくしぎ 大反嘴鴫 おおそりはししぎ 黄脚鴫 きあししぎ 赤脚鴫 あかあししぎ 鶴鴫 つるしぎ 磯鴫 いそしぎ 草鴫 くさしぎ 姥鴫 おばしぎ うばしぎ 鴫の羽掻 しぎのはがき 鴫の看経 しぎのかんきん 青脚鴫 あおあししぎ 反脚鴫 そりあししぎ 杓鷸 しゃくしぎ 浜鷸 はましぎ 当年鷸 とうねん 箆鷸 へらしぎ 京女鷸 きょうじょしぎ ぼと鷸 ぼとしぎ 青鴫 あおしぎ 鯖鴫 さばしぎ 小鴫 こしぎ 玉鴫 たましぎ 百羽掻 ももはがき 数掻く かずかく 鴫野 しぎの

刈跡や早稲かたがたの鴫の声        芭蕉


「 春まけて もの悲しきに さ夜ふけて
    羽振(はぶ)き鳴く鴫 誰(た)が田にか棲む 」 
                       巻19−4141 大伴家持


越中国守家持は“来春には都へ転任があるかもしれない”と大きな期待に胸を
膨らませていたのでしょう。

翌年にはめでたく念願の都帰りとなりました。
「まけて」は「設けて」で「心待ちにする」。 万葉集中「鴫」の歌はこの一首のみ。


この鴫は田鴫であり小さい鴫だろう。田にいつもみかけるから田鴫なのである。鴫についての言葉が多いということは鴫はなじみある鳥だった。でも万葉集には一つしかない。でもこの歌はいい歌である。都だったらこの鴫がみかけなかったのか?越中に赴任した田舎だからみかけたのか、でも当時の平城宮でも郊外は自然が広がっていた。鴫は字のごとく田に住むのであり田鴫としてなじみある鳥だった。誰(た)が田にか棲む・・・とあるが長く赴任した越中だから誰かの田とか思ったのだろう。田舎に住んでも回りに田があっても誰の田だろうとか意識したことがないからだ。この田は誰々のものだとか家持は役人として意識していたのだろうか?ただの叙情的なものなのか?ただ農民の生活と一体化していたからこういう歌もできたのである。


磯鴫などはみかけたがこれも小さい。鴫がどのように鳴くのかも聞いたことがない、鴫はあまりみかけない、干潟があればみかける、田であれば田鴫はみかけた。でもこの大きな鴫は見たことがない、まちがいなくチュウシャクシギである。これは大きい鳥だった。たまたま旅鳥だから寄ったのをみかけた。時期として「刈跡や早稲かたがたの鴫の声、稲が刈られた今頃にあっていた。ここでも鴫の声に注目している。今年はこの辺では稲がない、茫々の草原だけになっている。ただこういう所にも昆虫はいるから餌を探していたのか? 


こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮


これも田鴫のことだろう。ただその当時はこの大きな鴫も見られたかもしれない、旅人だとこの大きな鴫でもあっている。情緒としては舗装した道ではあっていなかった。

三十八町歩の田主のあわれ秋となる


三十八町歩もの田畑を所有できるものなのか、おそらく果樹園、梨なども所有しているのか?そうかもしれない、宮中に米を献上しているというからこの辺では特別な農家からかもしれない、全国でもそういう農家は少ないだろう。こんなに広さを一家族ではできない、放射能で今年は収穫もない、補償金の交渉だけだとなる。そしてこの辺は一体農家にしてもどうなっしまうのだろうと不安になる。自分も西行のようにここを離れて旅立ってゆきたくなった。いいことがさっぱりないのである。

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える (交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

 

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える

(交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

●物資が外から入らなくなった時


なぜこれほど金の世の中になったかということが今回の原発事故で具体的にわかった。この辺は農家が多い、でも米を作らなくなってもここに住んでも影響しない不思議だった。ス-パ-に福岡の米が積まれていた。九州でもどこからでも食糧は入ってくる。多少は食糧は高くなっているから困るにしても食糧がなくなることはないのだ。これを江戸時代とから比べると全く違っていた。江戸時代は相馬藩内の経済である。飯館村も山中郷であり相馬藩であり飯館で飢饉があったとき相馬藩全体で支援した。でも伊達氏は敵対しているから支援はされない。つまりすべて相馬藩でまかなうとしたらもし米がとれなくなったら即餓死につながってしまう。だから農家でなくてものんびりかまえていられない、ただその時農家が大半にしても自分たちの食べる米がなくなったら餓死につながる。それで飢饉のために郷倉が作り米を貯えていた。原町区に豪倉がありバス停としてあったからそこに確かにあったのだ。


これは各地にあったからめずらしいものではない。それは地域で村で飢饉のために備えて米を貯えていたのだ。南相馬市では一時交通が途絶えた。それで何とか米が多少あったので食いつないだ経験をした。電気が通っていたので一人炊き用の電気釜で米をたいて二週間くらい米だけを食べていた。ノリとかカンヅメとか多少があったがすぐにきれた。それでも米はあったから食いつなぐことができた。十日間過ぎるころ米もなくなった。その時ここでは米を配給したのである。その時は助かった。それから一週間くらいして支援物資が入るようになった。人間は米があればなんとか生きられることがわかったのである。ただ電気が通らなくなったら大変だった。ガスがあったからガスを使うほかなかったかもしれない、そのガスも都市ガスだったりしたらだめである。緊急時の備えに適したものと適さないものがあるのだ。電気も通らなくなった三陸の方では燃料も薪を燃やしたり水も井戸水を使ったり坂を上り何度も運んでいた。水道も使用できなくなることがあった。その時井戸水がなかったら交通も途絶えているから生き延びることができなくなった。そういうとき近くで米を供給してくるれだけでありがたいと思った。


●農家近隣が大事にされなくなった理由


それがなぜ回りでも米を作らないのに困ることもない、そうなると農家が大事だとも思わない、近隣が地域が大事だとも思わない、そういう地域社会が喪失していても困ることがないからすでにそうなっていた。それは食糧がどこからでも入ってくるとなると近くの農家すら大事に思わないのだ。近くの農家がなくても別に食糧などどこからでも入ってくるではないかという感覚になっていた。そこで農家の価値はすでに低くくされていた。もしどこからも食糧が米が入ってこなかったら米の価値は百倍の価値も出てくるだろう。米が手に入らなかった死んでしまうからである。現代は飢饉の備えとか災害の備えというときそれはすでに全国規模で備えられているのであり一地域での備えではない、一地域が災害にあっても交通さえ遮断されなければ死ぬことはないのだ。だから現代では交通こそが一番大事なものとなっていた。

南相馬市では一時困窮したのは交通が遮断された、放射能で外部から人が入らず物資が運べなかったためである。内部でそれだけの食糧は今はみんな備えていないからだ。現代では交通は血流であり道路は血管なのである。それが断たれると危機に瀕する。ガソリンがなくなって毎日長蛇の車の列がそれを示していた。車が足となった時代はガソリンがなかったら身動きとれなくなっていたのだ。外から物資を運ぶのにもガソリンがなくなった運べなかったのである。それで放射線の権威の学者の人がまず常磐高速道などを開通して交通で東京と結ぶべきだという意見はそこからでている。道路はたいして汚染されていないからそう言っている。交通の回復がまず復興のたへに不可欠になっていたのである。


●福祉関係などでは近隣の協力が必要


現代の安心安全は交通にあった。全国規模で考えればどんな災害でも交通さえ途絶えなければ助かる。支援物資が届けば助かる。それで物資を運ぶ人がありがたいと思ったのも不思議である。命をつなぐ物資をその時運んでいたのである。放射能など気にせず運んできてくれたらどれだけ助かるのかと心から思ったのである。交通が生命線だというとき東京などでも帰宅困難者の問題も交通が途絶えて帰れなくなるということから起きてくる。交通は血流であり手足だからそうなってしまう。交通の重要性は日頃意識しないけどそれだけ現代では生命線になっている。つまり病気なったとき体のどこでも大事なものだと意識するけど健康なときは意識しないと同じである。一方でこうした交通の極度の発達は近隣を大事なものとしない、近くより遠くが大事だという社会になってしまい、金の力が大きくなる。外部から物を買うというとき金の力が大きくなる。それも全国規模になり世界規模になるときますます金が大きな力を持つようになった。


だから今は地域社会で解体しやすい、地域のつながりが希薄化している。そういうことが原発事故で避難者に起きている。町長自体が五億円入った金庫があったとか話題になったようにそして町長は郡山市に家を新築したように町長自体が自分の住んでいる場所にこだわらない。金さえあれば他の場所に移り住むことができる、飯館村の村長もマンションを買った。江戸時代だったらそういうことはありえないだろう。金さえあれば移り住むことは容易な時代なのである。だから地域社会も意外と解体しやすいのかもしれない、どれだけ市町村のつながりが保てるのかということが問題になっているのだ。

そしてそこに矛盾が生まれた。近隣で助け合うということがなくなった。近隣で助け合わなくても困らないからそうなった。もし自分の生活している土地で米がとれなかったら即飢死だとなれば近隣の農家は大事になる。江戸時代あたりはみなそうだった。なに金さえあれば近隣は関係ないという社会になれば隣同士さら無関心になってしまう。そして福祉の面だと金だけ助けてもらうことはできないことがつくづくわかった。時給とか払って家で働いてもらうことがそのモチベ-ションが皆無なのでできないことだった。江戸時代あたりは普通に行われていた助け合いは喪失した。その時金だけではどうにもならない、金が万能にはならないのである。人間の世の中は便利さを求めるといい面と悪い面が必ずでてくる。原発も悪い面だけではない、いい面があったからこそ作られた。でもその悪い面は最悪でありそれを想定していなかったのである。
便利さを追求している社会は一面大きな危険がひそんでいたのである。だから便利さの技術がいいとして全面的に追求することは危険があった。それを制約するものも必要だったがそれが人間にはできない、車もわずかでも減らすことができない、電気でもなかなか減らせない、それが人間のアキレス腱となって原発事故が起きたともいえるのだ。


 

posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年09月29日

秋となる南相馬市


秋となる南相馬市

秋の灯ややや落ち着きぬ暮らしかな


命日の重みを知りぬ秋彼岸


命日を過ぎるを知らじ秋に入る


故郷や残れる秋の蝉一つ


水葵もともとここに咲きにしを小さき花とともにまた咲く


忙しく姉の命日知らず過ぎ墓近ければ菊をさしにき


森深く残れる蝉の声聞きつ里は暮れにき明日また来なむ


正直なる人は死にしも我が里にまた会うべしや秋の日暮れぬ


80の齢にあわれなにゆえに仮設に暮らして虫の鳴くかな



姉の命日を間違えていた。21日だった。ちょうどこの頃秋彼岸になっていた。人間はやはり生まれた日と死ぬ日は最も大事である。命日とは何を意味しているのか?命日とは儀式的に供養することではない、命日とはその人の一生をふりかえることなのである。だから別に命日を仏教として供養することはしなくてもいいのである。世界的に生まれた人死んだ日はどこでも大事にしている。それは宗教とは必ずしも関係していない、ただ国によって文化の相違はある。命日という言葉はいい言葉である。英語に訳しても訳せないし英語では命日の言葉の意味が現せない。いのちという言葉も日本独特の言葉でありその言葉に歴史があり文化があり重みがある

命日というときやはりその人が死んだ日だけだったら別にどこでもいい、でも場所も関係している。どこで暮らしていたかということが問題になる。だからどこに墓があるかということが問題になる。墓参りする場所が問題になる。命日からやがけ先祖を大事にするということに通じていた。ただ命日にしてもその解釈はいろいろある。ただ儀式的にふりかえるだけでは命日の意味はない。命日はその人柄や一生をふりかえる日なのだろう。だから歴史的に名を残す人間は命日が知られているのだ。
その他の人は知られないにしても家族として尊ばれた人は命日がかえりみられるのである。


ともかく津波、原発事故から半年になった。まず実りがない、米がとれない故郷など経験したことがない、津波の被害のあったところは米はとれなくても他ではとれたのに原発事故でとれない、草茫々になって今年は終わる。その草茫々の故郷を見ていると心まで荒寥としてくる。例え他から米でも食糧でも入ってきてもこの光景は何なのだろうと思う。この荒寥とした風景が心に大きく影響しているのだ。実りがあって稲が刈られて刈田になるのが順序である。刈田になったとしてもやはり草ぼうぼうの風景とは違っている。こんな風景はありえないのだ。米が他から入ってきてもこの風景は凄まじいと感じてしまう、別に飢饉のようになって飢えるとも違う、でも精神的な影響が大きい。


萩とか芒とか女郎花の季節であるけどそういう四季の花をめでるという気分になれない、また花も映えていない。草ぼうぼうの荒寥とした風景がそうさせているのだ。救いは烏崎の湿地帯に水葵と白い小さな花がともに咲いたことであった。それはもとの自然が回復したからそうなった。八沢浦でも一時、元の自然が回復したとき美が回復したから驚嘆した。ただ田になったところが原発で草ぼうぼうになっているところは荒寥としている。別に農家の人でなくても米が外から入ってきても心が荒寥としてくるのだ。


会津辺りの仮設住宅では八十才の老婆がなげている、この歳になってなぜこんな目にあうのだろうとなげている気持ちがわかる。会津だと遠いから余計そうなるのだ。そうした嘆きが何か一つ一つ重みをもって訴えるのが今回の原発事故だった。普通だったらこんなことありえないのである。一人一人が津波や原発の受難者になっためにそうなったのである。


毎日近くの森に蝉の声を聞きに行っている。町中ではもう聞こえないが森ではまだ鳴いている。今日は確かに一匹だけが鳴いていたのを聞いた。もう最後の一匹かもしれない、・・・・毎日の季節の変化はまだある。

 
 
 
 
 
 


 

2011年09月30日

萩と女郎花(調和する自然と調和しない文明)

 

萩と女郎花(調和する自然と調和しない文明)


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萩に添い女郎花見てなごむかな


津波にて流さる船のそのままに草に埋もれて秋風の吹く

自然は調和する、この花のように調和する、なんともいえず調和する、人間だけが自然と調和しないのである。自然との調和というとき水田と農業は自然と調和してしかありえないものだった。それは自然を相手だからでありどうしても機械化できないところがある。自然と調和してはじめて実りがもたらされるものだった。水田は確かに稲作文明でもあったが自然と調和するものだった。だから水田がなくなったとき自然が消失したように見えた。水田は長い間自然と同化していたのである。水田がないということは自然が消失したと同じだった。もともと湿地帯として北海道のようにあれば別だがそうでないと水田がないということはそのあとに草ぼうぼうになって枯れてゆくさまはかえって人間の住んだ跡が廃墟となっていくように見える。


天地と  相栄( あひさか )えむと  大宮( おほみや )を 仕( つか )へ祀れば  貴( たふと )く嬉( うれ )しき 】                                  大納言巨勢朝臣( だいなごんこせのあそみ )  。


御民吾生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遇(あ)へらく念(おも)へば
(万葉集6)


万葉集時代は人は常に人は天地(あめつち)とともにあった。天地がなくては政(まつりごと)も政治もありえなかった。天地を第一にして人間生活もあった。その天地に仕えるのが天皇であり天皇は司祭であった。天地の意をくむとりなしをする司祭だった。この世の栄えも天地なくしてはありえなかった。まさに稲作、水田は天地ととも栄えるものとしてあった。天地の栄いがなければ人間の栄いもないのである。その天地の栄いから離れた栄いが現代の文明になった。その象徴が原発でもあった。それは天地の栄いとはかけ離れている。だからそれは天地を汚すものとなって最悪のものとなったのである。原発は天地に呪われたものとなった。すでに現代文明は天地から離れていたからそういう宿命だったのかもしれない、いづれは天地に呪われる文明だった。津波も酷いものだったが原発の放射能汚染とは違いいづれは回復する、天地は回復するけど放射能汚染はこれから長い間回復しないのだ。

津波で流された船は半年も過ぎてもそのままでありそれが一つの風景となってゆく、ぼうぼうの草は枯れて秋風が吹く、なんとも不思議な風景としかいいようがない・・