2011年09月09日

日本の天地とともにあった万葉人 (万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた)


日本の天地とともにあった万葉人

万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


皆人の 命も我れも み吉野の 滝の常磐の 常ならぬかも


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ


天地とともにもがもと思ひつつありけむものを.......


天地と  相栄えむと  大宮(を 仕へ祀れば  貴( たふと )く嬉しき 


天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を


天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ


吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる 山かげにして 」
             巻3−375 湯原王 (天智天皇の孫)




吉野というと桜で有名だがその華やかな表に対して裏側がいつも山陰になる吉野川沿いである。ここは今回の台風でも被害があったところである。相当に山深い場所である。

吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


これは別に吉野川を真野川としてもいい、


真野川の巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


現実にそこに原生岩と名づけた岩があった。万葉人は古代人は清浄な地を知っていたしその清浄な地がいつまでもあってほしいという願いが常にあった。万葉時代なら自然は今とは違い清浄な所が多かった。でも万葉人はいつまでもこの清浄な地がありつづけることを願った。それが現代になるとこうした古代人の清浄への感覚が消えた。清浄を保つ感覚は消えてただ経済的繁栄のみを望むようになった。それが原発事故で本当に飯館村とか真野川の上流も警戒区域となり入れなくなるということにさえなった。自分はそこに清浄の地を見出して通っていた。

自分はまた天地に仕えていた。天地とともにあることを願った。それが原発事故で失われようとしたとき怒りを覚えた。誰がそうしたのか?それは清浄の地域をないがしろにした地元の人の責任もある。ただただ物質的繁栄を求める文明自体にもあった。しかしこの地が自分の住む場所が放射能に汚染されると思わなかった。清浄な地域に通えるものと思っていた。万代までもあるこを通えることを願った。万葉人の願いは無惨に放射能によって砕かれたないがしろにされた。津浪は神の怒りだったかもしれぬ。


日本の清浄の天地を汚したものへの神の怒りだったかもしれぬ、特に東京の都会人は原発を清浄な地域にもってきて汚したのである。もちろん地元の人も悪いのは悪い。地元の人も清浄なものへの感覚が消失していた。ただ目前の金こそがすべてとなっていた。語られるのは望むのは金であり経済的な繁栄であれそれしかない。地元にある自然の清浄さを貴重なものだと思う人はまれである。今故郷を失われた老人は泣いている。その恨みは深い、誰が一体こうさせたのだ。それは自分にもふりかかってくる問題であった。故郷を失うことそれがどれほど辛いことか思いしらされた。こんなになるんだったらなぜ命がけでも反対しなかったのかと思う人もでているかもしれない,自分もそういう強い思いに欠けていた。原発の被害がこれほど広範囲なことに驚いたのである。


天地から離れた人間の傲慢が原発事故に
http://musubu.sblo.jp/article/47762171.html

 
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高齢化社会を直撃した津浪,原発事故


高齢化社会を直撃した津浪,原発事故



東日本大震災で死亡が確認された約1万3千人のうち年齢がわかった7935人を朝日新聞が調べた結果、65歳以上の高齢者が55.4%を占めることがわかった。
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201104090357_01.html


 国道45号を挟んで、海岸から山手にかけて民家が建ち並ぶ岩手県釜石市嬉石(うれいし)地区。寝たきりの高齢者を助けようとした男性8人が津波にのまれ、その高齢者を含む4人が死亡・行方不明となった。「津波てんでんこ」の教訓を知っていながら救助に向かった生還者は「『てんでんこ』はやっぱりできない。ならばどうすれば良かったのか」と自問を続けている。
http://blog.goo.ne.jp/jp280/e/dc6cc4e823657b835b815807efd3b067

 


テレビで救急隊員とか消防隊員が呼吸器をつけている高齢者をタンカ-で運んでいるうちに後ろから津浪がきて何人か死んで二人が屋根の上に逃げて助かった。高齢者の問題がここにも現れていた。高齢者を助けるために祖父母を助けるために様子見るためにとかで津浪にのまれ死んだ話をよく聞く、津浪から助かるためには人を助ける余裕がない、つなみでんでこという言い伝えは具体的にわかった。ちょっとばあちゃんを見てくるとかで死んだ話を良く聞くからだ。助かった消防隊員も89才の老人をおぶって逃げていたのである。幸い後ろから津浪がきて水につかったのだが助かった。それはただ偶然にすぎない、死んでも全くおかしくない状況だった。一見これが平時なら美談になり社会から称賛された。

でも今回はそうともならない、あまりにも死者が多すぎたのである。残酷だけど死にかかった人より市町村を支える若い人が生き残るべきだったとなる。高齢者より若い人がかんばらなければ町は消滅してしまうという危機になったからだ。消防隊員は今回この辺で相当数死んだ。高齢者や自分の祖父母を助けようとして死んだ人がかなりいる。それが何か美談とならないのもあまりにも死者が多すぎたためだった。死んだ消防隊員も救急隊員も看護師も町にとっては貴重な人材だった。
そういう人を失うことは町を再建できなくなる。ただこれも高齢化社会を大災害が襲ったからこうなったのだ。その後も高齢化社会というのが

どこでも問題になる。どうしたら市町村を再建できるのだとなるとき高齢者が主役にはなれない、なぜなら50代以上になると事業をはじめるのにも先が短いとなるからだ。それで第一次産業の人は高齢者が実に多い。農業でも漁業でもそうである。跡継ぎがいないということで困っている。それは南相馬市の原町区の大原辺りでもすでに三軒が廃屋化しているし一人残された老人も5町の田をもはや病気と年でやっていけないからかえって東電に補償された方がいいという状態だった。息子は市役所に勤めているから
跡をつかないからだ。


そこで深刻なのが浪江町だった。すでに13パ-セントが住民票を移している。その人たちのほとんどが子供をもっている子育て中の若い人なのである。そういう市町村を支える若い人がいなくなることは市町村が消滅する危機となることを具体的に知った。最後に高齢者だけ残される姥捨山になる恐怖である。現実に原発事故で避難した人達が故郷に帰ってきても支える若い人がいない、看護師なども相当流出しているのだ。市町村を支えるものは建物ではない、立派な病院という建物があっても南相馬市辺りでは医者が流出して入院もできないのでベッドがあいている。そこは高齢者でうまり収入がそこからあり病院は経営されていたのである。やはり市町村から医者が流出したら他にもいろいろあるが命にかかわるから危機である。だからどうしてもお医者様になることもわかった。医者だけではない看護師も重要な役割をになっていた。
なぜなら今や田畑が荒れて何も作らなくても食糧は他から金さえあれば入ってくる。ただ他から入る分高くは最近なっている。でも米など安いから困ることはない、しかし病院だけは病気だけはどうにもならない、町が崩壊するとき最初に医療から崩壊する。高齢化社会だから余計に医療に頼る面が大きいからそうなった。


高齢化社会はさまざまなことで社会に影響している。自分にしても老親二人の介護で大変な目にあった。寿命まで縮まった。自分自身が病気なのに医者に早く行かなかったから悪化していたのだ。今回も動けないから原発事故でも残る他なかった。そうして避難できないと死ぬということが津浪などでは起こりえた。他にもそういう介護で苦労している人がいて避難できなかった。そういうことは自分だけではない高齢者の親の介護のためにいろいろと犠牲にされることがあり問題となっている。社会から介護のために若い人の労働力が奪われるという問題があるのだ。今回の津浪、原発事故は一面高齢者を直撃したのである。再建問題でも高齢者が足かせになっている。高齢者だけでは町を支えられないという深刻な問題が具体的に現れたのである。こんなふうになると余計に露骨に現れた。現実に浪江町では若い人たちと老人化した人達は分断されている。それはもう修復できない深刻なものとなっているのだ。高齢者は早く死んでくれとか隠れていた本音が具体的になっているのだ。
故郷に帰りたいというのもわかるが若い人が支えなければ町は成り立たない、将来もないとなると若い人はすまないから子供もいない、もともと子供すらへりつづけていたのだから更に拍車を欠けた結果になった。


飯館村などでもそうである。老人は早めに帰らせるとか村で二年後とかに住める計画をたてている。でも若い人はもどってこない、そうなるとどうなるのか?本当に姥捨山になる。老人の死に場所となり村の跡を継ぐ人はいないし消滅してしまうのである。老人はもう死に場所としてそこで死ぬのもいいのかもしれない、放射能など気にしない人が多い。ただそこに住んでもいいですが誰ももう手厚い介護はないしそういう所ですから覚悟して住んでくださいともなる。行政の助けもない、細々と生きて死を待つだけの姥捨山になる。そういうことが冗談ではないから笑ってもいられない、姥捨山となり核の廃棄場にされてしまうのである。そして故郷を偲び老人は仮設で泣いている。特に会津とか遠くに避難した人達がそうである。いづれにしろ高齢化社会の問題が今回の津浪や原発事故で具体的に露骨に現れたのである。若い人たちは高齢者と一緒にはやっていられない、命の問題だとか故郷を捨てることがあからさまに表面化したのだ。
代替地は今の時代では無理だろう。だから残るのは老人だけでありそこは姥捨山になってしまうのである。

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南相馬市鹿島区の現在の状態


南相馬市鹿島区の現在の状態

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保育所前の公園の除染

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仮店舗の建設


田は荒れて残れる人や秋薊


復興の希望のひまわり百輪ほど


鹿島区では人の流出はそんなにないだろう。原町区はやはり人口が多い分、子供をもっている人は一部流出している。また仕事がない人も出ている。仕事の問題が深刻なのである。
年金で暮らせる人は残る。老人は故郷に残りやすいのである。田が荒れている、これも湿地帯になるとそうは感じない、湿地帯化すると自然にもどるから荒れた感じにはならない、こういうところも放置したら日本では雨が多いから湿地帯化してゆく、水たまりができて沼になってしまうのだろう。


保育所前の公園では除染作業をしていた。あそこの公園に人がいたというのを見たことがない・・・この辺ではそういうことがある。公園は子供が多ければ集るだろうけどこの辺では公園はあまり利用しない、都会とは違って自然が広がっているからだ。今はたまに子供が公園で遊んでいるのをみかけるがここの公園で人を見たことがない、草や芝生には放射性物質がつきやすい、それをとりのぞいても燃やすこともできない、どこかに埋めることになるがそれでも放射性物質は残るやっかいなものである。除染するにしても河原の茂みやら森やらいたるところにぼうぼうたる草むらがあるのが田舎である。そういうところを全部除染などできない、ほんの一部、人が集りやすいところしか除染はできない、しかし除染しないと放射性物質は消えないから困るのだ。この辺はやっぱり子供がいるから優先的に除染したのだろう。


仮設に盆栽を飾っている。あのくらいの小さなものだったらおける。家では広い庭に置いていたのだろう。仮設住宅は昔の長屋ににている。あんなふうにして狭い所で暮らしていた。隣の声がつつぬけでありプライバシ-がない、自分の家は昔は長屋として貸していたからその話
を聞いているから知っているのだ。ツルハドラッグの前には仮店舗を建設している。おそらく小高区の人がふえたから小高区の人が出すのだろう。鹿島区は店すら何にもない、閑散とした町である。仮設ができてにぎわった感じになっているのも不思議である。


秋薊の季節だけど荒れた田にもふさわしいのが秋薊なのか?農家の人は今何を思っているのだろうか?仕事もしていない、除染の仕事や他の仕事をしているのかもしれない、それにしても
この辺の異常状態はつづく。避難しなくて良かったといえばそうである。それでも一人十万は東電からもらえる。小高区の人は一人十万仮設にいるかぎりもらえるから仕事がなくても生活はできるから津浪の被害にあった人達より恵まれているのかもしれない、ただ復興という点では放射能汚染は延々とつづくのだから不利である。


ひまわりはどこにでも植えられて咲いている。これは復興のシンボルになるのだろうか?
ひまわりは復興のシンボルには最適である。、力強い花だからふさわしいのである。この辺が正常化するのはいつなのか・・・もう正常化しないのか・・・・・なんとか南相馬市は浪江町とかと違ってやっていけるのか?医者や看護師が流出していることは復興するには最大の問題である。仕事もなくなっていることも若い人が流出する大きな問題である。老人はこの薊のように残るほかない、薊は荒れた田にもあっていたのか、薊はたくましい花である。

 
 
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2011年09月10日

原発は東京に作るべきだった (安全ならばそうするのが正論だった)


原発は東京に作るべきだった

(安全ならばそうするのが正論だった)



「原発が本当に安全であるのなら、何も田舎ではなくエネルギー効率、送電効率の一番いい、東京湾にこそ作るべきだ」という至極まっとうな切り口で述べる、反原発の教科書的作品。


「安全」「安全」という言葉が本当ならば原子力推進派の方たちは原発の近くに家を建て居住すべきだ。原子力保安院の職員は、なぜ福島原発現地から逃げだし50キロも離れた郡山市にいるのか?

枝野官房長官は放射能防護服に身を包み、なぜ5分しか現地に滞在せず、すぐに遠くに離れたのか?
原発が危険で制御できないのならやめるしかない。安全なものなら家の隣に建てても問題はない。
新宿に原発を作った方が送電ロスも減りメリットが大きい。


 
もし東京に東電の原発があったなら、こんなめちゃくちゃな運営していただろうか? 
安全対策も指摘されれば直ぐにうっていたんではないだろうか? 
東北(福島)にあったればこそ、安全に対しての危惧、津波に対しての危惧を受け 
ても無視し続けたのではないだろうか? 
もしそうなら、原発は使用すべき自らの登地に作るべきではなかろうか? 

福島県の一部住民は、金に目を眩まず、拒否するべきだったな…今更だけど。 
札束で顔ひっぱたかれて、東電と政府と推進派政治家(知事も含む)に 
屈したんだな。 

清貧を望むべきだったんだろうな…


原発を専門家はみんな危険なことを知っていた。専門家であるがゆえにこんな危険なものをやってられないよと思っている人がいた。だからこそ保安院は危険なことを知っているから郡山市に住んでいた。馬鹿だったのは安全だとばかり思わされていた地元の人だった。よくよく検討などしない、最初に金ありきであり積極的に誘致したという面があった。10キロ圏内などはそうである。富岡町長の金庫が話題になったのもそのためである。それに原発は象徴されていたのだ。湯水のように金が出るのが原発だったのである。町長が郡山市に家を建てたというのも本当らしい。町長が原発で金を得て町を放棄してもいいわけである。もうそこに住まないとしたらそうである。町民が帰りたいという時、お前たちにも責任があったとなる。民主主義では選ぶ方にも責任がある。その選ぶ方も原発推進を望んだのだから同罪だともなる。町民全部の責任だと他から言われるのだ。


原発がどういうものか地元ですら本当に無関心だったし国民も無関心派が多かった。そもそもその危険性を知らされていない、チェルノブエリ事故の時はあれはずさんな国だから起こった。日本は違うよと技術に優れているし日本は管理もロシアのようにずさんではない、日本の工業品と同等のように原発を見ていたのだ。技術や科学に疎い人もそのようにすりこまれていた。地元ではもちろん福島県でも詳しく検討していない、調べてもいない、ただ前の佐藤栄佐久氏だけがプルサ-マルは危険だと何度も警告していた。原子力村と直接対決していたからそうなった。でも選挙で落とされたのである。マスコミも原発推進であり東電から金をもらっていないところはない、それほど東電には何兆円もの利益を出す巨大企業だった。その企業に政府ものみこまれていたのだ。背後にある電事連などは政府を簡単に動かす力をもっていたのだ。そうなるとマスコミから原発は危ないという声は聞こえなくなる。でも原発を東京にという本が出ただけでも話題になっただけでもそれなりに危険を訴える人はいた。ただ単にその時は無謀だと思われていた。


日本の技術を高く評価している研究機関として、PHP研究所や三菱総合研究所などがある。これらの研究機関は、どちらも大手メーカーの御用機関となっている。PHP研究所は松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループと深い関係がある。特にPHP研究所の息のかかった技術評論家や技術評論関係の著作は数が多い。
http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html


出版は何か大きな組織がパックにつかなければできない、出版社自体そうである。だからPHP研究所の本は良く書店でみかける。書店でみかけることは本を手にとる人も増えてくる。だからみんなもその本を読むと日本の技術の優秀さをほめたたえるからそうかと思い日本人は優秀なんだと思いうぬぼれる。PHP研究所は背後に松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループなど深い関係にある。こうした巨大企業をあとおしするものとして出版もしているのである。だから企業の悪口は書かないし原発の推進になるから日本人の技術は優秀だから事故にはならないと洗脳されるのである。メデアでもそうだがそういう洗脳機関が張りめぐらされていた。それは知らなくてもそうなっていた。マスコミでも今でこそ原発の危険性を叫んでいるが事故が起きる前は東電からどこでも広告費をもらっていた。 それは戦争の時と同じだった。戦争に負けたら戦争反対派になった。だから信用できない、その時の時勢にのって宣伝費をかせぐだけだとなる。原発を東京にというときもそういう本を出せるのは左翼系統からの応援があったからだ。原発に反対した人は左翼系統でありあいつらは極端なものとして異端視されていた。それで誰も本当に原発が危険なものだということをまともに考えることができなかった不幸がある。


マスコミからは何か重大なものは知らされない、原発がそうだった。戦前は日本が負けていても勝ったとなっていた。事故は起きない、起きると言ったら非国民にされる。でもこの本が出たというのはやはり日本にはまだ民主主義があったということにもなる。でも何かその時誰も真剣に考えない、酔狂なこととして誰も真剣に考えなかった。今になると原発を東京にというのは正論だった。コスト的にもそうだしそれだけ安全を言うなら東京でも問題ない、そして放射能汚染されてわかったことは原発の放射能汚染は田舎ほど甚大になるということである。土から森から海から汚染されたら除染もできない、何十年と放置するほかない、チェルノブエリがそうなった。あそこは広大なの地域だからまだ移転できたが日本では狭いからできない。都会の方が事故があっても除染はしやすいことがあった。ビルなどの建物なら洗い流すとかできた。放射性物質は土とか水とか森とかそういうところに入ったら死の世界になってしまう。食糧をえられなくなる。幸い他から食糧が入ってくる時代だから生きていられる。都会だったらそもそも食糧を作っていないから他からとり入れているのだからそういう害はないのだ。他から食糧を得ればいい、つまり食糧基地に原発は建ててはならないものだった。食糧を得られなくなるからだ。しかし原発はほとんど食糧基地となる風光明媚な所に建っていたのである。東京に原発を建てられないのなら東電でも保安院でもその近くに住むべきでありそれが安全を証明していたのである。

飯館村の早春(神話の村)
http://musubu2.sblo.jp/article/36056980.html


神話の村が放射能の村になったショックがある。これが許せないのである。それはゼウスの神域を汚した火を盗んだプロメテウスなどの過酷な罰に匹敵する。そういう罰を与えるべきだが誰もそうした罰も与えられない責任をとる人はいない、これも戦争のときと同じだったのである。



科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)

http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html

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2011年09月11日

原発を作らせた福島県の責任 (周辺の市町村長が問われている)


原発を作らせた福島県の責任

(周辺の市町村長が問われている)



原爆が爆発してすぐ福島にマンションを買い家族で早々避難
村民やメディアに対し 安全だと言い続けていたが自分は福島からのご出勤。


双葉町長も富岡町長も原発城下町の町長はみんな悪だが
プル佐藤と飯館村長は「みんなで○にましょう」だから鬼畜だよ


それに飯館村も長年、交付金はもらってきてる
村民は知らない人が多いようだが、村長が知らないわけないじゃん?
なのに完全なとばっちりみたいな態度してるのも、同情ひくためだろ
腹黒さでは知事と飯館村長がずば抜けてると思うね


それに村にある老人ホームの老人は避難もさせてもらえず
ずっと村にいる訳だからね。
村長が直属で理事長やってるから閉鎖したら困るもんね。


そういう相馬の立派な市庁舎は原発の交付金で建てられてるからなぁ。


第二原発のある楢葉町の町長は、
公用車がセンチュリーだ。
しかも、いちばん高い12気筒エンジン。

あれを見たら、いまさら東電に文句は言えない。
http://logsoku.com/thread/ninja.2ch.net/newsplus/1300158192/


2009/10/2 太田光秋(自民)平成21年9月定例会10月2日一般質問及び質疑(代表)03号 


 「我が党はこの間、原子力発電対策本部において、耐震安全性も含め、東京電力及び国の安全・安心に向けた不断の取り組みを
 検証し信頼が回復されたものと判断し、プルサーマルを実施しないよう求めた県議会意見書を凍結すべきとの結論で一致している」

2009/12/7 清水敏男(自民)平成21年12月定例会12月7日一般質問及び質疑(代表)02号

 プルサーマル計画について「既に安全性が確保された技術であり、国内第1号のスタートは我が国の原子力史上 大きな意味を持った前進であると我々は認識している」
 

最大会派・森まさこの自民党福島県連が全員一致でプルサーマル推進

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009/6/22 県議会最大会派の自民党 プルサーマル反対の県議会採択の意見書を凍結すべきと申し入れる (福島民報2009/6/23 10:02)
2009/6/25  斎藤健治(自民)県議会6月25日

 「私たちは、7年前にフランスのメロックス社を視察し、MOX燃料を製造している工場も直接見てきました。 フランスの原子力発電所では、既にプルサーマルを実施しており、安全対策をしっかりと行えば問題はありません。
 (中略)6月22日、我が党の原子力発電対策本部会議を開催し、東京電力株式会社から原子力発電所の耐震安全性 評価結果中間報告について説明を聞くとともに、原子力発電問題について検討いたしました。その結果、平成14年10月に意見書を採択して以降、東京電力及び国においては安全・安心のためさまざまな取り組みにより信頼関係は回復し、意見書採択当時の状況と大きく変化しているものと認められることから、我が会派としては この意見書は凍結すべきであるとの意見で一致しており、議長に対し本県における原子力発電問題について協議されるよう要望いたしました。」
 

福島原発が作られた当時の東電社長も福島人

東電関係者の解説 渡部氏は、東電の“中興の祖”といわれる
故・木川田一隆元会長と駝懇の仲だったのです。
渡部氏が一年生議員のころ、当時社長だった
木川田氏が福島出身だったので後援会長就任を打診したほどです。
また、福島第一原発を作ったのは木川田氏が社長の時代でもありました。
正確には原発を福島に誘致したのは、福島が木村王国と呼ばれていた頃
当時県知事の「木村守江」が福島第一、第二の原発を誘致した。
当時の東電社長 木川田一隆と親交が深く雇用対策として誘致した。

http://read2ch.com/r/lifeline/1308733936/
 


これだけ並べられると福島県の責任も重い、だから外から盛んに福島県民も責任があった。金もらっていい思いしたのではないか、今更被害者づらするなとか盛んに言われるのだ。そういう側面は否定できない、飯館村まで交付金もらっていたの?村長が福島市にマンションを買ったということは相当な金があったから金はあった。市町村でも公務員は金が入る。公務員がこんなことだったら福島県に原発建てるべきではなかったとか言った人がまた批判されている。
そういわれてもうかたがない面はあった。金のために積極的に誘致したということを否定はできないのである。渡部恒三氏を筆頭にしてその甥の今の佐藤雄平知事がプルサ-マルを許可した。いわき出身の森まさこ議員もそうだった。いろいろ津波の被害や原発事故で発言していたけどこの人もそうだったことは意外だった。これだけ原発推進派がいれば鬼に金棒ではないか?南相馬市の太田光秋も推進派だった。
原発は自民公明政権が10年の間に強固に利権化していた。だから自民党は民主を原発では責められないのだ。その利権を民主が引き継いだのである。
南相馬市の市庁舎がそんなに立派なのか?南相馬市立病院は一か月入院したけど立派だった。あのような建物を建てられる金はどこから出たのかとも思った。あそこは眺めもいいし気持ちいい所だった。相馬市立総合病院は建物自体が古い。比べるとずいぶん違っている。南相馬市には原発交付金が入り相馬市には入っていなかったのかもしれない、今回もなんとか放射能の被害をまねがれたが一部山の方に被害があった。漁業関係は漁業権をもっているから相当な金をもらっていた。それで磯部に立派な家が建っていたというのは本当だった。新地までもらっていた。その漁業権をもっていたところが軒並み津波の被害があり天罰だったといわれる。なぜならそこに一番原発の金が入っていたからだ。浪江の請戸港では5千万円漁業権をもっている人達がもらい原発御殿を建てた。そういうところはみんな家の土台しか残っていないから悲惨である。


福島県は被害者づらして補償金をふんだくろうとしている、国民の税金がまた使われるとか外から言われる。福島県にも責任があった、金がもらったとしきりに言われる。その恩恵を一番受けているのは誰か?市町村長とかになるからそこが問題視されるようになった。もちろん福島県の公務員も恩恵を受けていたとも言われる。でも公務員は他の県でも同じである。原発なくても同じだからそうはいえない。そもそも故郷を失うなど地元の人も考えたこともないだろう。そして故郷を愛するということはどういうことなのか考えたこともない、でも今現実に故郷に住めなくなったとき故郷に帰りたくても帰れないとなったとき深刻なものとして考えるようになったのである。故郷を愛するといっても故郷を福島県を利権の場としてとらえている人もいる。渡部恒三などがそうである。原発利権の福島県のドンだったのである。前知事の佐藤栄佐久氏が失脚されたのは原発推進にプルサ-マルに反対したからである。その時検察までからんできた。検察によって失脚させられたのである。検察も官僚だとするとき東電の力が背後で働いたしアメリカの力も働いた。渡部恒三の息子はGEの社員だったということでもわかる。福島県の指導する人がこれだけ原発の利権構造を作っていたのである。もちろんその議員を選んだのは県民だから県民にも責任がある。県のマスコミにも責任があった。県内でも原発の危険性を指摘する人はほとんどなかったろう。財界ふくしまなどは最初だけ危険性を指摘していた。でもあとは金をもらってからはしていない、すべてが東電の金で動いていたのである。


ともかく川内村の村長は仮設住宅に住んでいる。金庫で話題になった富岡町長は郡山市に家を新築した。飯館村の村長も福島市にマンションを買った。そうなると別にもう故郷に帰らなくてもいいのだ。それで故郷に帰れない人を二年以内に帰らせるとかいうのは行動と言動が一致しない、故郷を愛する故郷の人々を愛するというよりまず自分のことが先であり安全圏を確保してあとは村民の要望を聞く、そうなると真剣味がなくなる。これも指導者は責任はとらない戦争のときと同じだとなる。苦しむのは民だけだとなる。やはり福島県の指導者は戦犯だった。でも責任はとらない、なぜなら民主主義で一番責任があるのは選んだ人達でもあるからだ。ただ
本当に日本に民主主義が機能していればである。報道関係とか厳しく追求していれば原発は危険だと知るから違ってくる。でもそういうことがないとしたら民主主義は機能していないから民衆は判断できないのである。民主主義では報道が大事になるのはそのためである。報道によってマスコミによって判断する人が多いからである。だからマスコミの責任は大きいのである。
そういう責任を今回も全く果たしていなかった。マスコミにしても一企業であり不利益になることは報道しないという理屈もわかる。ただ現実には報道しえるものは特権をもっているものしかできないとするとその責任は重いのである。

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2011年09月13日

壊滅した南相馬市鹿島区烏崎村に残った神社の謎 (湿地帯と化して水葵と別な花も咲いた)


壊滅した南相馬市鹿島区烏崎村に残った神社の謎

(湿地帯と化して水葵と別な花も咲いた)

 

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水葵も増えたし別な花も咲いた、湿原化している。

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八龍神社
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キツネノカミソリと露草が咲く

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360度バノラマ写真

原町区萱浜の瓦礫の山か化した海岸




人皇38代天智天皇の御代大職冠藤原鎌足の末孫 藤原内匠は藤原山の領主であったが、建久2年(1191)に上京するとき、海上で暴風雨にあい、船が難航してあわや沈没しそうになった。内匠は一心に八龍宮を念じ、「私がもし遅滞なく岸に着くことができたら帰国の上は領地宗廟の神として崇め奉ります」。と祈誓したところ、不思議に風波が静まって無事に岸に着くことができた
http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=1317

烏崎村は伝説では鎌倉時代に烏浜とありそれから烏崎村になった。鎌倉時代には人は住んでいない、記録は明暦からあり元禄から人が住みはじめた。戸数83人員と記録にある。だんだん人が増えて人口が文久になると336人になっている。ただここで塩に関する記事が町誌にはない。地名をみると蟹田とか北蟹田になどがるが海外沿いを干拓した名としてはあっている。
それで水葵が咲いて何か白い湿地帯に咲く花が津波の跡に咲きだした。この辺はもともと湿地帯でありそこを蟹が住むような所を干拓して田にした。その田があった所には水葵が咲いていたが田にとっては邪魔なのでとりのぞいていた。万葉集にも水葵が歌われているのは田と密接な関係があった。食糧ともなっていたから田があれば見られたものだろう。これはベトナムの水田などでも見たから田のあるところに常に見られるものだった。もう一つ咲いた花は何なのか?これも湿地帯に咲く花である。


貴布根神社があり文政年中宇多郷坪田村高松より勧請とある。これは宇多郷坪田村から移住した人が勧請した。神も人とともに移動する。八龍神社がいつここに祭られたのか?江戸時代からあった。八龍神社は全国で多い、鹿島区の川子村の小高い丘にもある。これが全国に多いのはなぜか?水とか雨とか水害に関係していた。もちろん水と関係していたから海の守り神であり船の安全を祈ったのもそのためである。ともかく日本は水の被害がどれだけ多いか、津波は最大の水の被害であり台風では山が半分崩れるとか大変な被害になる。それもみんな水のためだったのである。水に恵まれているが水の被害も日本では古来から多いから八龍神社が多いのである。


時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめさせたまへ 源実朝


津波もまた水と関係していた。日本は四方を海に囲まれているから水に恵まれていても水の災害がつくづく多い。それで今回の津波で不思議と神社が高台にあり津波の災害をまねがれたと研究報告があった。松川浦に津(つのみや)神社があって話題になった。そこにのぼって助かった人が50人くらいいた。その津神社が烏崎にもあった。写真に出したのは八龍神社であり津神社ではない。牛島に津神社があるとしたら今回の津波で完全に流された。ただ津神社が津波を記念して建てられたとするとかなりきちょうものだった。神社は何らかの記念碑である。過去の記録である。ただその由来が伝説化して不明なのが多いのである。松川浦の津(つのみや『神社も津波が来て話題になったのでありそれまでそういう言い伝えがあったのかどうかあったとしてもそんなに語られてはいなかったろう。


この辺にはすでに慶長地震の津波から400年とか経過していたから忘れられていたのである。高台に神社があり津波の被害をまねがれたというが平地にも神社は多く流された。その因果関係は明確ではない。事実烏崎村の津神社は海岸沿いの平地にあり流された。牛島辺りは湿地帯であり最も危険な場所であった。なぜそこに人が住むようになったのか?おそらく漁港ができたからかもしれない、最初は袋村があり海岸沿いに向かい干拓した。そのあと袋村はなくなり烏崎村に併合された。福島県では最初から港はない、干拓が田を作ることで海岸沿いに村が生まれた。ただ海老村と松川浦は塩をとったり港の機能が江戸時代からあった。烏崎村にはなかった。確かに八龍神社に逃げればぎりぎりで助かった。崖のようにきりたっている場所に建っていたからだ。なだらかな坂だと津波は這い上がってかなり高い所までくる。三陸のような山の狭間だと40メ-トル近く這い上がったというのはそのためである。また前方に岬や山があると津波の衝撃はおさえられる。海岸から近くても被害が少ない所は地形のためだった。


八龍神社奇しくも残り津波跡キツネノカミソリと露草の咲く

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2011年09月14日

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険 (東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険

(東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)


●人間は権力者同士権力をそぐために争った

人間というものは本質的に変わらないものがある。そうでなければ歴史でも時代が変われば人間のことは理解できない、人間はこういうものだという変わらないものがあるから過去のことでも理解できる。戦国時代になると弱肉強食や下克上とかなり人間の争いがむきだしになるからかえってそれがもともと人間なのだということで現代にも通じる。ただ時代が変わると弱肉強食でも相手を殺したりはしない、でも強いものと弱いものはいつの社会にも存在する。常に弱肉強食の社会は継続しているというときまさに人間はとても宗教の説く世界とはあまりにも違っているからこそ遂に世は欲で滅びるとなる。社会が変わったというとき江戸時代から明治時代になるときの変化が大きすぎた。その大きな変化をまだひきずっているのが現代なのである。江戸時代が何か不思議な理解できない時代になっているのはまさに現代がそれほど変わってしまったこめである。その変わり方が激しいからまるで江戸時代が別な世界になってしまった。


その一つに会社組織がある。江戸時代には会社が存在しない、個々に職人や農民や商人がいても今のような大きな会社が存在しない、家を大きくしたようなものが会社の前進だった。それは今の会社とは相当違ったものである。会社員で月給もらうとかのとは違う、奉公するということである。これは封建時代には御家に奉公するということからきていて同じエ-トスが共通のモラルとしてあった。下々の者も侍を模範にしていまからそうなった。今日のような東電とかトヨタという大会社は存在しない、その点も大きな相違である。ただその代わりに豪商とかは西では存在した。ただ権力者は武家であり武家は豪商を血書にできた。なぜそうしたかとなるとやはり権力者にとっては権力を持つものを危険視する。それは古代からあったのだ。立派な家を建てたたものを危険視して壊させるとかあった。そもそも社会は常に権力争い弱肉強食が人間社会に変わらないものとしてあるとき権力者は対抗するものの力をそぐことをしてきた。誰かがのしあがって権力者の地位を奪うことを恐れていた。だから敵対するものを弱らせるために力をそぐために非情なことをしてきたのが権力者である。そうしなければ権力が維持できなかったのである。


●敵対する権力者を徹底的に弱体化した信長


織田信長がそれが戦国時代だから徹底していた。誰かがのし上がるのを恐れていた。徳川家康にも非情なことをした。秀吉も織田信長を恐れていたからのしあがるものではないといろいろ手を打っていた。戦国時代は露骨に敵を弱体化するために戦争だけではなく戦っていたのである。経済力をつけさせないとか武器をもたせないとかいろいろした。これは今も同じである。アメリカは世界の権力者たるがために敵対するものを弱体化させるためにそういうことを今もしている。徳川家康にしても全国を治めるというときいかに敵対するものが出てこないようにするために苦心したかわかる。参勤交替もそでありこれで財力をそぎのしあがれないようにした。町は枡形などを作り敵から侵入しにくくした。現代からするとそういうことは経済的発展からすると非効率的なのだけど常に歴史では敵対するものの力をそぐことが大事だった。権力を維持するためにそうすることが必然だったのである。
信長が真宗などと敵対化したのは真宗の組織が強大化していたからである。自分達の権力を脅かすものとして敵対したから殺戮した。それが徹底していたから恐怖したのである。歴史で人間が権力を維持することは常に敵対者に力をもたせないことだった。


そのことが原発事故と何か関係あるのかというとある。権力者とは今は誰なのかということである。織田信長とか秀吉とか家康とか侍ではなくなった。明治時代以降権力者は誰になったのかということである。戦争を起こしたのは財閥だったというときそれは江戸時代の豪商とにている。権力者は豪商を血書にできた。そういう豪商でも国を栄えさせるものというより権力者に敵対するものとして潰すことができた。しかし明治以降は一体誰が権力者なのか?なかなかわかりにくい、財閥だというというときそれはロスチャイルドやロックフェラ-などになるのかもしれない、大会社が背後にあって世界を支配しているというときまさにそうなる。一見政治家のように思える。表面に出てくるのは政治家なのだが実質の権力をもっているものは背後にいる。だから政治家だけでは物事は決められない、前の管首相が突然に原発を全部廃止するとか言ったとき財界からは反発されてとめられる。すると財界が権力者なのかとなる。財界と言っても東電も入っている電事連などは労働組合でもある。財界と労働組合が一体化している。大会社ではそうなっているからだ。現代では政治家は背後にある権力者の操り人魚にすぎないように見える。
信長と秀吉とか家康といった権力者とはずいぶん違っている。実質の権力者は誰なのか、官僚だという人もいるし政治家は絶えず変わるけど官僚は変わらないからそうなのかもしれない、創価なども権力を操作したいがために組織化している。信長だったら真宗信徒などのように殺戮することになる。なぜなら権力の脅威となるものを徹底につぶしたのが信長だったからだ。
宗教団体であれ何であれ権力に脅威になるものはつぶすのが権力者だった。


●東電は第二の国家であり政治家より上の権力者である


現代の権力者は誰なのか?マスコミが第三の権力だというときマスコミも大きな権力になった。
ただ現代の本当の権力者はやはり大会社である。トヨタとか東電の力は国の財力とも拮抗するほどのものである。何兆円の利益を出して莫大な補償に応じるというのにも驚きである。そんな金があったのかと驚いたのである。まちがいなく一つの国家の中の国家である。トヨタとか東電とかは国より大きな力をもっているし国を政治家を動かしているのはむしろ今は大会社であった。トヨタであり東電だったのである。そういうところを見間違いるとなぜ東電があのように力をもったのか理解できないだろう。これだけの権力をもったら横暴なことでも通る。江戸時代以前なら武家など権力者がその力をそぐために方策があったが今はない、王の権力を維持するために会社を大きくさせないような方策はしていたがそれが歯止めが聞かなくなった。その時大会社はすでにもう一つの国家となっていたのだ。


自民党公明党でも東電の下僕にすぎなかった。地元の自民党議員が危険なプルサ-マルに賛成していた。前知事の佐藤栄佐久氏にプルサ-マルを開始するよう再三強く要求していたのである。その結果検察まで乗り出して佐藤栄佐久氏を失脚させた。その背後の力がいかに大きなものかわかる。つまり東電は国家以上の国家だったのである。原子力発電を国策化したというけどそれは東電の力が大きいのである。そうなると東電は鬼に金棒であり国家を支配して会社が国家になっていた。そしたら誰もとがめるものがいない!その権力は増大化してとめるものがいない、それが会社の思い上がりとなりただ儲けを優先させる、安全は二の次になる。なぜなら国家自体の派遣した原子力保安員も東電の社員と変わりないのである。要するに権力に歯止めがかからないとき相互に権力をそぐことができなくなると一面社会にとって怖いものとなる。


それが例え経済を活発にするものでもそうなる。会社が独占化して巨大化することは社会にとって恐怖となるから独占禁止法が生まれたがそれも東電には通じなかったのである。だから東電を弱体化するために送電と発電を分離させるというのは正論なのだろう。独占を阻止しないと原発などのようなものすら作ることをとめることができない、東電は実質上国家だからこそそうなっていたのである。人間社会は何か抑制するものが必要なのである。会社でも監視して抑制するものが必要なのである。しかしそれがないとき会社の横暴に歯止めをかけるものはいなくなるのだ。結果として原発事故が起こったともいえるのだ。巨大権力化するものを抑制するものが必要である。それはカルト宗教団体にもいえる。これらも権力志向であり社会の災いになることはまちがいない、それらは小さい内ににたたかないともうあとは叩くことできない、巨大化して誰も叩くことはできなくなる。それが最後にどうなるのか?それが東電の原発事故だったのである。ナチスなどもそうして巨大化してもう手をつけられなくなった。誰も制御できない、権力の横暴だけが最後にあるだけになった。

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2011年09月15日

夏菊(老人は福島県産のものを食べるべき)


夏菊(老人は福島県産のものを食べるべき)


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夏菊やコバルトブル-の車体かな


夏菊に夕日のさして街中へ


赤い月海より上り残暑かな


すれ違う夕風涼しサイクル車



この頃暑い、夏である。三十度だったら真夏でもある。この頃の季節は変である。日本の季節感が狂ってしまったら俳句もなくなってしまう。俳句は季語があっても文芸だからである。
秋の菊というより今は夏菊である。車はあまり俳句とかにならないがコバルトブル-と夏菊があっていた。この色は気に入った。自転車で夕方に風を受けて走ると気持ちがいい、夕方に原町の方へ行ってココスで食事した。あそこだけは開店していたけど他は閉じていた。原町はまだ普通ではない、まだ帰らない人が多いし帰ってきた人は老人なのである。若い人は放射能関係でどうしても出て行く。老人はもうなかなか移住はしにくいのだ。そして老人は50以上でもさほど放射能の影響は受けないのだ。老人は放射能に強いのである。何でもマイナスになるが放射能に関しては老人は免疫があるというのも奇妙だった。



梨を地元もので買ったけど安かった、うまかったな
これも相当放射性物質が入っているのかな
うちの親に食わせてやったよ
どうせ先がないんだ、90越えたら放射能なんか関係ないよ
味はいいから食べるよ、地元のものは老人に食わせればいいんだ
子供には食べさせられないけどな

老人は地元の食糧を食べて死んでほんもうだろう
老人には放射能はあんるり関係ないんだよ
あと10年たって癌になったからとして因果関係は認められない

放射能問題はいろいろあるが老人にはさほど関係ないものなんだよ
だから老人だったら飯館辺りでも住みつづけたいという人はいるんだよ
子供がいる若い人は無理だ
でも老人はそのまま住んでもいいんじゃないか

不自由でもかまわないなと住みつづけたい人はいるよ

ともかくたっぷり地元のものを食べて死んでくれ
それが地元につくすことなんだよ
老人も放射能で役に立つことあったんだよ
地元のものをどんどん食べてくれれば農家の人も助かるよ
なげるよりはいいからな



福島県産は自分は不安なんだけど食べている。今年は安いし味もいいのだ。味が悪かった誰も食べない、どうせ10年後にガンになるといってもその頃何らかの病気になり死ぬ確率が大きい。老人の場合は何か放射能に余りにもびくびくして生きているのがどうかなと思ってしまう。
放射能をあまりにも恐れる余りそれがかえって精神に悪影響を及ぼす、放射能は素人にはどれくらい影響するのかわからない、だから風評被害も大きくなる。不安ばかりが増大するのである。そうして放射能にびくびくして生きることが先が短いのに精神にとってはよくない。若い人とが子供は別にしても50代以上の人はあまりに気にすること自体、鬱病のようになってしまう。
地元の果物でも野菜でも50代以上の人は食べるべきだと思う。結局影響は誰もわからないのだ。それも10年後20年後先となるのだから余計にわからない、そんなに長い間びくびくして食べるものを食べられないとしたら生きた心地もしなくなる。それは確実にかえって精神の病に陥ってくるのではないか?その影響の方が大きいのではないか?どうせ人間は死ぬ、60代以上になれば死ぬ確率は相当高くなってくる。だから10年後や20年後を気にして生きていたらそれだけで死期を早めるかもしれない、実際にチェルノブエリでも慣れ親しんだ故郷から移り住んだ人が病気になった。そして一部は老人だけは帰ってきて野菜を栽培して生活しているのだ。だから老人は放射能をそんなに気にしなくてもいいのだからなんとか故郷に住める方策を考えるべきだと思う。

2011年09月16日

故郷とは何なのか? 原発事故で故郷を離れた人に問われる故郷


故郷とは何なのか?


原発事故で故郷を離れた人に問われる故郷



あなたが死んだら、そこは故郷ではない。
何の思い入れもない、ただの土地です。
あなたがいるから、あなたに愛されている。
あなたがいなくなった時、それは終わる。
http://ameblo.jp/c-dai/entry-10923929878.html



故郷とは何か?そのこと自体故郷に住んでいてもわからない、故郷が自分だけのものでもないし故郷は自分が死んでも継続している、土地はなくならない、故郷は継続している、長い歴史があるのが故郷である。一代で終わるのは故郷ではない、歴史とはそういうものである。日本の歴史にしてもそうである。歴史は継続しているから意味があるのだ。長い時間の中で作られてきたから意味があるのだ。自分が死んだら消えるものではない、土地は永続している。そこに土地の意味がある。そもそも万葉集が日本の古典というとき奈良という土地が継続してあるから万葉集もありえる,土地が消失したら万葉集は理解できないのだ。土地の命は人間一代の歴史よりずっと長い、土地は太古からもつづいている。だから奈良の盆地がかつて海だったということも書いた。それほど長い昔にさかのぼるのが土地の歴史である。人間一代の生はわずかにその土地に記すだけなのである。すると人間より土地の方が価値がずっと高いともなる。
土地というものがあって長い歴史が形成されるからだ。土地に人間の歴史は刻まれている。人間の血と汗がしみこんでいる。例えば不毛の地を開拓した土地とかなるとそうである。そこに先祖の労苦が刻まれているのだ。

確かに自分という存在が消えればすべて終わりだというのも真実である。この世のことは終わってしまうからだ。でも歴史で語っているのは死んだ人であり何百年とか千年前とかに死んだ人も語られる。死んでも終わるとは限らない、何かが継続される。受け継がれるのが歴史である。

それは土地と共にある。でも土地がなくても人間のことは受け継がれる。それは土地と結びつかなくても人間として受け継がれるものがある。人間の心が受け継がれることがある。すべてが土地を通じて受け継がれることでもない、聖書はイスラエル人はユダヤ人は故郷を失ったがユダヤ人は今も残っている不思議である。そして二千年後に故郷に帰還して回復されたという不思議がある。それほどまでに一民族が故郷を離れ維持できるのかとなるとこれは例外的なものである。多くの民族は歴史から消えているのだ。人間の故郷が天にあるというとき別に土地にこだわる必要はない、一時的な場所として地はあるだけである。これは遊牧民的発想である。結局人間は旅人でしかないとなる。異邦人にすぎない、これは芭蕉にも通じている。


しかし一方で人間のまともな思想は天地がなくして地がなくして形成されるだろうか?大地があり岩があり樹があり山があり川があり野があり花が咲き種々の生物が嬉々として活きるところに人も和して生きるのである。日本の万葉集の時代はそうだった。だから人間は東京などのように自然がないところに生きていることが異常に思える。そこに一千万も自然がないところに生きることが異常に思える。自然がないところに故郷はない、自然とは土地である。火星のような所で食糧があっても誰も住みたくないし故郷とはなりえない、しかし東京のような所に住んでいる人は自然とは切り離されている、だから人間は別に自然がなくても住める。都会での思想形成は回りがビルとか車とか密集する家の中で形成されるから自然から離れた異常なものになる。


ただ故郷は


埋骨何期墳墓地        骨を埋づむる何ぞ期せん 墳墓の地
人間到処有青山        人間(じんかん)到るところ青山あり


これも真実だから生まれた土地にこだわるたとはない。故郷が自然のあるところならどこにでもなりえるというのも本当である。だから自分の生まれたところにこだわる必要はないのだ。ただ長く生きているところが故郷となりやすい、老人はその土地の土になり死に場所となる。だから離れられないのである。
老人は10年後に癌になると言ってもすでにその頃何かしらの病気になる。放射能でなくても癌になっているのだ。だから今更放射能を恐れてもしょうがないとなる。慣れた土地に住んでいた方がいいとなる。ただこれも個人差があるからいろいろである。別に特別故郷がいいくて住んでいるとは限らない、自分もそうである。自分は東京のような所でなかったら自然がある田舎だったらどこでも良かった。だから別に自然があればどこでもいいと言える。こんなふうになると落ち着かないから嫌になる。もっと落ち着いたところで老後を過ごしたいとなる。だから故郷を追いやられて落ち着かず住んでいる人は悲劇である。老人はどこでも平穏で落ち着きたいからである。

会津の仮設住宅に住むようになった人も不思議である。会津の城で桜をみて今は秋になりつつある。


会津の城に花散りはや秋となりて故郷思ふ人もがな


新潟県と埼玉県に避難した人が一番多い。会津は福島県だから同じ県人としての意識となるのか?会津は会津人であり浜通りとは歴史的に地理的にも別な意識になる。でも会津でも他の県に避難するのとは違ったものとなるだろう。そもそも人間の一体感は江戸時代300年ありその長さのなかで培われたものが基礎にある。だから福島県になってから百年であり福島県の一体感は薄い、福島県は大きいから地理的にも一体感がもてないのである。ただ原発事故で福島県全体が問われたことは福島県人の意識を高めたことは皮肉であるがそうである。知事を選ぶにももっと真剣に考えれば良かったとか原発は中通りまでも影響すると思わなかったから遠い所のものとして関心がなかった。30キロ離れていても影響が大きいのが原発事故だった。
福島県の歴史でこれほど大きな事件はなかった。百年目で最大の危機に瀕したのである。

いづれにしろ人間は何か突然に事件が起きて激変することがある。故郷に住めなくなる故郷が消失するなど考えた人もいなかったろう。しかしそれが今の現実なのである。


限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風 蒲生氏郷


風は吹かなくても花はちる・・・それなのに春の山風が吹いて桜は散ってしまった。山風というのが会津らしい、浜通りだったら春は東風であり海から吹いてくるからだ。人間の命は短い、思わず命は散ってしまう。当時だったらみな寿命は短いから余計にそうなる。蒲生氏郷は近江の人であり会津に生まれた人ではない、ただ思わずに人間は死ぬのは長生きでもそうではないか?津波で死んだ人達がそうだった。そんなふうにして死んだことが信じられない、でも思わずに死んでしまったのである。津波、原発事故は本当に思わざるさとだったのである。そういうことが歴史や人生にはつくづくある。

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2011年09月17日

残暑の蝉の声


残暑の蝉の声

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朝静かすずろに虫の鳴きにつつ庭の石にし我が向き立ちぬ


我が庭に木槿桔梗と咲きにける手水鉢の水澄みし朝かな


森深く今ひとしきり蝉の声ここに満ちにつ夕暮れにけり


街中に蝉の音聞こえず森になお蝉の声満ち夕暮れにけり


盆栽を仮設に置きてあわれかな帰る日いつや秋となりにき

 


秋なんだけど今日もまだ暑い、木槿は一日咲いて散る、それがわかったのは庭に植えてからである。この木が植えて一年くらいだから大きくならない、外で見るのは木槿が一杯さいているから散っているのがわからなかったのである。茶室は介護部屋になってしまったからないが手水鉢はある。
森にはまだ蝉がまとまって鳴いている、秋の蝉という感じがしない、秋の蝉というと一つ二つくらいが遠くから鳴くのが聞こえるとき秋の蝉の感じになる。町の中でもこの辺だと鶯の声も聞こえる。回りが自然だからそうなっている。東京辺りだと街しかない、延々と街しかない、仙台辺りでも街がつづき街が途切れることはない、そういうところは疲れる。回りに自然がないこと自体、人間の生活は異常になる。ともかくちょっと町を出れば森があるからそこに蝉の声はまだびびいている。今年はまだ残暑なのである。
仮設住宅に盆栽を置いているのをみると何か日本はもともと長屋に住んでいたのでそれで盆栽趣味など合っていたのかとも思う、広い庭は必要ないからだ。もちろん広い庭をもっている裕福な人がはじめた趣味かもしれない、でも長屋のような所でも盆栽一つくらいは置けるのである。仮設住宅は長屋の再現だった。実際に相馬市で長屋風の老人の共同住宅を作るというのもその発想からきている。長屋はアパ-トとも違っている。人間は昔のことを相当に錯覚している。長屋だと言っても実際は今になるとイメ-ジできないから勝手にイメ-ジしている。今の時代からイメ-ジするが実際はそういう場所がどういうものか錯覚してイメ-ジしているのだ。


鎌倉市があるがそこは実際は非常に狭い場所であり不便な場所である。要害の地としてあそこが選ばれた。それで錯覚していたのが江戸はその時全くなかったことである。江戸になればもうすでに百万都市であり巨大な都市だった。鎌倉時代は江戸はまだ荒野のような状態だった。そこがイメ-ジできなくなっていた。あれだけ江戸や東京という存在があるとそこが鎌倉時代からあったように思って鎌倉を見ていたのである。そういうことがちょっとした地元の人の指摘でわかった。地元の人はやはりそういう見方ができる。鎌倉時代を考えるとき江戸がなかったということをイメ-ジしない限り過去を誤解するのである。いづれにしろ歴史は今から過去を見るから誤解や勝手に作り上げたものが多くなる。実際の事実とも現実とも違ってみているのである。