2011年09月01日

継続する時間感覚の喪失が原発の事故の要因にも (農業や林業など自然から離れた時間感覚の危険)

 

継続する時間感覚の喪失が原発の事故の要因にも
(農業や林業など自然から離れた時間感覚の危険)

江戸時代の人が言わなかった口癖の一つは「時間がない」。こういう言葉は江
戸の頃にはなかったのです。時間は無尽蔵にある。自分が生まれる前からあったの
だし、死んだ後もずっとあるのだと。
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/sugiura56.html


こういうことは今信じられない、ということは現代が時間感覚でもどれだけ違ったものになっているかを示している。「時は金なり」という感覚も資本主義がはじまったときの時間感覚である。時間を効率的に使い生産力をあげる、金も土地もそうだが時間も資本なのである。江戸時代に効率的時間の使用方法が問題にならないこと自体想像もできない、現代は分刻みで効率化を目指しているのとは大違いである。つまりそれほど江戸時代は異次元の世界になっている。

社会が無数の部品化されるとき時間も断片化されている。時間は継続しているものであり土地も継続しているものでありそういう感覚がなくなっている。その感覚は農民的自然的感覚であった。農家は三代にして農家になるというのもそのためであり林業にしても木が50年で育つとなると一代だけの時間感覚では仕事が継続できないのである。江戸時代の時間感覚はだから子々孫々を考えて生活していた。それは農家であれ山の林業であれ工業的時間感覚とあまりに違っていたからだ。もちろん今の時間給などという感覚とはまるで違っている。人間は今は時間も搾取されている、奪われているのだ。工業的効率的時間の追求になったのはやはり自然から離れた生活が主流となってしまったからである。それは一般的に世界的にも近代化したとき世界共通の時間感覚になった。絶えず時間に追われる生活になった。時間がない、時間がないの生活である。時は金なり、あらゆるものが金なり金なりの生活になったのである。それが工業的資本主義の時代である。


そういう時間感覚が子々孫々のことなど関係ない時間感覚を作り出す、今時間を消費すればいい、今あらゆるものを消費する時だとなる。子々孫々のことを考える余裕もない、今の時間にすべてが費やされるのである。その中では過去の時間も失われている。今という時間があっても過去は消失している。過去からの時間がない、歴史的時間、継続の時間を生きている感覚が消失した。だから慶長地震の津浪がこの辺にあったのは400年前くらいだとするとその記録はあっても全く忘却されていたのである。その津浪は初めて津浪と表記されたから何か津浪を別なものとして認識した時だったのである。継続した時間もない、子々孫々を思う時間感覚もない、ただ今がいいければ今が豊であればいい、あとは野となれ山となれという感覚が今の時代である。だからこれだけの膨大なエネルギ-を消費している。原発に対する考え方も子々孫々のことまで考えない、目先の利益を追求するだけになる。確かにそこには農民も漁民も住んでいたがすでに資本主義的工業的時間感覚になっていて農民すらとても江戸時代のような自然感覚、時間感覚をもつことはできない、時間感覚は単に時間が別個にあるものではなく大地とか自然と一体化して時間もあり、その大地とか自然から離れた生活になったとき時間感覚も変わってしまった。みんな目先の富を求めて急ぐだけなのである。


急いで得た富は減る、少しづつたくわえる者はそれを増すことができる


はじめに急いで得た資産はその終わりが幸いではない-箴言-20-21


欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分のところに来ることをしらない
箴言-28-22


結局原発問題にしてもそういうことが言える。急いで富を得ようとした。原発そのものが急いで建てたものである。その技術も未完成であり危険はわかっていても目先の利益が大きいから原発に頼るようになった。子々孫々まで考える余裕はない、時間感覚はないのである。それは世界に共通している。中国すら高速鉄道で急ぎすぎて失敗した。大陸的時間感覚の国ですら今はそうなっているのだ。文明の時間感覚はだから意識しなくても危険な要素をもっている。

自然から遊離した時間の中でいきているとおそらく時間にも復讐される。歴史をかえりみなかったのも歴史に復讐されたためでもあった。自然を考慮しないものは自然にも復讐される。それが津浪でもあった。漁業権をもっていた漁師は海を原発のために東電に売り渡した。そして金を得た。その漁業権をもっていた海岸沿いの集落は壊滅的な打撃を受けた。それで天罰だったというとき海を守るべきものが簡単に金で売り渡したということにもあった。 海に復讐されたのである。原発によって自分たちの住んでいる土地も山も海も奪われた。それはあまりにもありふれたもの自然への感謝やつつしみなどが喪失したためだろう。目前の富にまどわされたのであく。 そして子々孫々に残したのは核の廃棄物になってしまったのである。

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万葉集の萩の歌の鑑賞


万葉集の萩の歌の鑑賞

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萩の素材はここより拝借
http://www.hagaki.skr.jp/hana/modules/tinyd3/index.php?id=7


娘女らに行相(ゆきあい)の早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩の花咲く


宮人の  袖つけ衣  秋萩に匂ひよろしき  高円(たかまど)の宮    
                          大伴家持


秋萩を散らす長雨の降るころはひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き


鶉鳴く古りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも


秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ぬれば風をいたみかも



高円の地は、風流人の逍遥の地であるとともに、人々にとって忘れ得ない土地でもあった。高円の宮、あるいは峰上の宮などと呼ばれた聖武天皇の離宮が置かれたところでもあるからだ。
http://t-isamu.web.infoseek.co.jp/kosyaji-4.htm


行相(ゆきあい)行合道とかあるときそれは大和言葉だから地名は古いものとなる。早稲は今も作っているけど今は機械だからそうした風景は消えた。人の手で田植えしたり稲刈りしている姿は絵になっているがもはやない。万葉時代の風景は失われた。娘女らに行相(ゆきあい)という情緒もない、娘(おとめ)が農作業している姿も見かけない,そもそも農民自体が嫌われているしそういう野良仕事は醜いものとして今は見ているのだ。ホパ-ル辺りで娘が畑で仕事している姿が万葉の時代かと思った。着ているものは野良着だけど若いから美しいと感じる。若い人が農業にたずさわっている姿が今は見えない、この辺は放射能で今年は稲の実りはない。
ここでは早稲が実るとき萩も咲きだすという季節感が絶妙なのである。


次の高円の宮というのは天皇の宮だった。それで大伴家持が歌にした。宮人の  袖つけ衣  秋萩に匂ひよろしき・・・・とぇさに宮廷人らしい歌になる。萩は袖にふれやすいのである。昔の着物の袖は野を歩いているとふれやすい、高円の宮では聖武天皇の離宮が置かれたからその時世を偲んで歌にしている。匂ひよろしき・・・というのは萩の匂いと故人の聖武天皇の匂いよろしきにもなっている。みちのくではそうした古い歴史をたどることができない、聖武天皇の時代がありそのゆかりの場所に行けば歴史は身近になるのだ。それがみちのくではできない。東北の歴史は古代はない、蝦夷の時代だから歴史が抹殺されているからだ。


秋萩を散らす長雨の降るころは
・・・・こういう歌は当時の時間感覚にならないと鑑賞できない、江戸時代の時間感覚でもある。また言葉の感覚大事である。長雨という時、秋の雨でも長くふっている雨の感じになる。言葉の感覚が大和言葉を万葉集では味わうことが大切になる。


珠洲の郡より舟を発し、治布に還る時に、長浜の湾に泊り、月に光を仰ぎ見て作る歌一首

珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり 大伴家持


長浜というとき長い浜でありこれによって悠長の感じを出している。何かのびのびした感覚になる。かなりの距離を船をこいだことは確かである。漕ぎ来ればというとき人の手で漕ぐのだから実際は遅いのである。能登と月は今もあっている。長浜の浦というのが要点としてこの歌で生きているのだ。月が照って清涼感を出している。ここに見えるのは海と月と長々とした浦しかなかったのである。今はいろいろありすぎて原初の自然の美が損なわれているのだ。 ここは月の光だけに欲している気持ち良さがあるし万葉時代はみんなそうである。全体が自然の美の中につつまれているのだ。

次の鶉鳴くというのも鶉自体が今はいない、何かこの鳥によって素朴な感覚になる。
鶉鳴く里というか村というかそこはのどかな村であり村人は互いに知り合って気心が知れている。何でもないといえば何でもないがそういうのどかな村の風景が喪失したのが日本なのである。


秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ぬれば風をいたみかも


こういう歌も今は作れない、秋萩は見ていても下葉が紅葉する、紅葉色に変わるという細かいところまで見ていない、そういう変化を見ていたのはやはり自然と一体化して暮らしていたからそうなった。あらたまの・・・というときまた季節が変わってくる、荒い風が吹いてくる゛秋が深まってゆく、そういう日本の季節の移り変わりを絶妙に歌っている。そういう日本独特の季節感を喪失している。ただそうした日本人独特の細やかな感覚がもの作りに活かされているといとき伝統は活きているとなる。万葉集でも江戸時代でも時間感覚が違うから、鑑賞するには現代のせわしい時間感覚では鑑賞できないのである。

2011年09月02日

日本人が歴史感覚が欠如している原因 (時制がない日本の言葉にあった)


日本人が歴史感覚が欠如している原因

(時制がない日本の言葉にあった)

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She lived in tokyo for 10 years.

彼女は10年間東京に住んでいたことがある。(今は住んでいない)


She has lived in tokyo for 10 years.

彼女は東京に住んで10年になる。(まだ住んでいる)


I lived with my familyr in my house for a long time

I have been living with my family in my house for a long time

I had lived with my family in my house for a long time



この英語の時制にこだわる言葉は何を語るのか?それは時間の感覚の相違なのである。
日本語の時間の感覚は単純である。過去はあっても昨日が過去でありさらにさかのぼった過去を言葉上で表現しにくい。住みつつけている・・・住み続けていました・・・過去をこうして明確に分けることはできない。あま一定期間住んでいるとき、ある過去の一時点がら住んでいるときは過去完了進行形になる。単に住むといっても過去から住んでいるのか今住んでいるのかでは違っている。過去の時間を重んじる思考があるからそうなる。日本語は単純な過去であり継続した過去としてとらえていないのだ。英語の時制は単なる過去でもない、過去から常に継続している時間、生きている時間を現している。時間のとらえ方としては深い。日本語は時間感覚では浅薄である。ということは歴史的時間を生きることが苦手である。日本人はそれなりに歴史があっても歴史の認識には弱いのである。なぜ三陸であれだけ度々津浪の被害にあっているのに高台に住まなかったのか?そのことが責められている。なぜ責められるかというと今や国民の税金が使われるからそう言われる。江戸時代のような地域のみで生活していたならそういうことは言われないのである。だから今や地域の問題は必ず全国の問題になるし世界の問題にも成る。勝手に地域で自己責任でやればいいのであり他は関係ないから無関心ではいられない、日本でもそうでありグロ-バル化すればグロ-バルな責任問題にもなる。世界で起きることが必ず日本でも影響してくる。中国の原発は安全なのか、勝手に危険なものを作って迷惑かけられては困るとなる。

日本人は歴史感覚にともしい民族だったのか?ヨ-ロッパや中国は歴史感覚が日本とは違っているだろう。それだけの長い時間の集積した歴史がある。ヨ-ロッパでは石の建造物が多いからロ-マ時代のものも明確に残っているからそこから歴史感覚を磨くことができる。日本は木の文化だからなかなか昔のものがそのまま残っていない、家すら10年くらいで建て替えるとなると庶民レベルで歴史感覚が身につかない、外国だったら何世代も住み続ける家がある。パリの石造りの家などがそうである。日本人は水に流すとか過去を留めない民族性がある。過去が昨日の過去であり歴史的なことが過去から継続しているという時間感覚が希薄なのである。そういうことが全般に影響しいるかもしれない、原発にしてもそうした長い目で見る歴史的感覚があったら津浪の対策もしたし安全性を考慮した対策もした。もちろん千年に一度大津浪となると想定外だというのもわかる。しかし日本人は根本的に歴史的時間感覚がヨ-ロッパや中国に比べて浅薄なのだろう。それは肝心の言葉にも現れている。言葉が思考の基だというとき常に歴史的感覚が欠如した思考をしているということになるのだ。過去完了とかには明確に過去を存在化するものがあるが日本語の・・・・したという感覚は過去に重みを置かない表現である。


I have been living with my family  in my house for a long time


これは一見なんの変哲もない文章に見えるが哲学的に考察すると大きな違いがある。
過去から継続した時間を示しているのだ。日本語だったらこういう表現はできないのである。
過去か現在か未来しかない、非常に単純なのである。時間は継続していることに意味がある。・・した・・で終わらないのが時間であり人間の生活である。そして未来はwillだとするとwouldになり意志となる。未来はこうあってほしいというときそれは人間の意志として未来はある。未来は人間の意志によって構築されるものでありまた変えられるものであるという思考になる。そこにはどうになかなるだろうとかなりゆきまかせとかそういう他力本願思考とも違うものとなる。未来への積極的意志が言葉にも現れている。そこには主語が明確にあるから主体が明確でありそういう言葉を使っているから日本人のようなあいまいななりゆきまかせの思考とはならないというのは言える。

過去も継続しているし未来も過去から継続している。そういう時間感覚が歴史的時間感覚である。長い間一つ家に住んでいた家族は継続した時間の中で生活していた。そして死んでもその生活した時間は継続している。過去は過去ではない、人間の中では常に継続している。過去は何か・・した・・ということで終わることがないのだ。家というのは建物だけではない、家には長い時間の中で作られた思い出がありそれは家族との思い出があるから認知症の老人でも家に帰りたいというとき実は昔の家族団欒の家に帰りたいという願望なのである。家という建物だけではない、家族がともに暮らした時に帰りたいという願望なのである。だから故郷とか家とかは長い時間を共有したものとしてあるからなかなか離れがたいのである。特に老人ににとってはそうである。老人はただ思い出だけになる。今さら思い出を新たに作ることはできないからそうなる。それで故郷や家から切り離されることが深刻な問題となるのだ。そして遂には墓に入りますと言って死んだ高齢者がいたこともその気持ちがわかるのである。


時制がない日本の言葉
http://www.musubu.jp/jijimondai28.htm#en

posted by 老鶯 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

イノシシとゴルフ場 (イノシシは放射能に一番汚染されていた)


イノシシとゴルフ場

(イノシシは放射能に一番汚染されていた)

●森のイノシシは一番放射性物質をとりこんでいた


 宮城県は19日、県猟友会の会員が捕獲したイノシシの肉から、暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)を超す1キロ・グラムあたり2200ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。


 イノシシ肉は市場に流通していないが、県は野生動物の食用摂取を控えるように呼びかけている。発表によると、イノシシは7日に同県南部の角田市で捕獲され、同会が16日に検査機関に検査を依頼した。イノシシは通常、土中の虫や畑の作物を餌にしている。

野生イノシシからセシウム 最大で基準値6倍以上


福島県は26日、同県二本松、相馬、南相馬の3市で捕獲された野生のイノシシ12頭の肉から、食肉の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える563〜3221ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。

(2011年8月19日23時09分  読売新聞)

ウクライナのチェルノブイリ原発事故でヨーロッパが放射能の雲に覆われてから25年を経た今日でも、イノシシの放射能が高いため、食べないよう勧告が行われている。イノシシの好物のキノコ類も食用に適さない。

ドイツの経験は、もし福島原発の状況が悪化を続ければ、日本でもこれから起きうることを示しているといえる。
ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。
イノシシがゴルフ場に現れ芝生を掘り起こしミミズを食う(南相馬市)


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いわき市のゴルフ場

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福島第一原発事故による放射能汚染とサル、イノシシの生息域=2011年5月25日夕刊
 http://www.asahi.com/photonews/gallery/infographics4/0525_animals-exposure.html



イノシシが近くのゴルフ場まで出てきて芝生を掘り起こしミミズをあさった。原発の放射能汚染で放置されたゴルフ場である。イノシシは街近くまででてきている。近年山に餌不足でそうなった。生息域を見ると広範囲であり街近くまで出てきている。ノウサギも六号線のすぐ側まででてきたのに驚いた。やはり餌を探して街近くまででてくる。今やイノシシや猿などにとっては人が消えた場所は住みやすい、飯館村でも人は住んでいないから格好の住み処になる。自由に人の住んでいる所に出てきても追い払われない、猿もそうである。チェルノブエリでも野生の楽園になったというのはそのことである。しかしイノシシからやはりセシウムにかなり高く汚染されていた。 ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。


これは恐ろしい事実である。森は一番放射性物質に汚染されやすい、森は堆積しやすい、そして放射性物質は森の中で循環して消えないのである。草むらとか木の葉などにも付着しやすい。だから森は放射線量が高い。その森にイノシシが住んでいるのだから当然放射性物質をセシウムをとりこんでいるからこれほど高くなっている。イノシシがそれほど放射性物質をとりこんで将来的にどうなってしまうのだろうか?繁殖はつづけるだろうし数もふえる。その中で奇形のイノシシが生まれるのだろうか?飯館村や浪江の山中ではすごく放射線量が高いところがあるからあの辺だとイノシシも大量の放射性物質をとりこむことになる。宮城県ですら高いからもっと高くなる。放射能イノシシが人のいなくなった自然のなかで生きることの不思議である。


●ゴルフ場は必要なのか?


私達の地域では山のふもとにゴルフ場が出来た後,江戸時代から使われていた地下水路への源泉が枯れ,地下水も汚染されました.
何を持ってゴルフ場の存在を正当化できるのか,教えてください


◆就業4000人超◆

 周辺にゴルフ場が集中する同校には今春、189件の求人があり、うち21件がゴルフ場関連。
就職した卒業生の約4分の1の就職先がゴルフ場だった。ゴルフ関連の就業人口は市内だけでも4000人以上と需要は高く、
同校は芝の種類に応じた管理やグリーンの整備など専門技術を身に着けた即戦力の供給を目指す。



ゴルフ場が必要かどうかというときゴルフ場を経営する人は必要というし自然破壊でもないという、農薬もそれほど影響ないとかともいう、ただ経営者が言うときはこれも信じられない、原発を作る方と同じだからである。それなりの自然破壊はある。それで反対する人もいる。そもそも自分などはゴルフなど無駄だと思う。贅沢であり何で金かけてやっているのかと思う。でもゴルフ三昧の人が多い。退職した人も暇だからやっているしそんなものに良く金をかけると思う。外国まで行ってゴルフをやっていることに驚く。韓国から福島に来る団体客はゴルフのためだというのもそのためである。ゴルフやらない人にとってはゴルフなんか贅沢だと思う。しかしゴルフをやる人にとってはそうではない、車を乗らない人には無駄だと思う点があるが全部を否定はできない、でもゴルフはたかが遊びじゃないかとみてしまうのである。そんなものになぜ金と手間をかけているのだろうと疑問になる。贅沢な時代だからそういうことも許される、多様な価値観に生きる時代だからしょうがないといえばそれまでである。


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●価値観の対立の恐怖


実際に人間の価値観の対立は恐ろしく深刻である。大将生まれの娯楽も何も楽しみを知らない働きづめの人は絶対に無駄な金を使わない、例えば庭を作ってもその庭を無駄だと思っている、死んだように寝ていたと思ったら起きてきて何を言うかと思ったら庭は無駄だとそれだけを言い張る。それは一種の恐るべき狂気だと思った。それは決して当事者になれば笑い事ではない、老人のそうした頑固さは狂気である。そういう人と一緒にいることは狂人と一緒にいると同じだった。認知症もそうだったが老人は自分の主張を絶対に曲げない、それがどんなに異常なことでも曲げない、それが狂気なのである。人生をただ何の楽しみもなくただ働きづめだった人生も恐ろしいと思った。そういう人は花にも何ら美しいと見ないのだ。花を観賞する余裕もなく働かさせられたからである。その生い立ちの不幸がそうさせけいるのだ。だから無駄をしないという価値観を曲げることはない、それが狂気になっているのだ。他人だったらいいが身内だったら笑い事ではすまされない、身内だったら認知症でも他では笑っていても当事者はものすごく深刻なものとなる。毎日狂人とつきあわさせれられるのだからこれほど辛いことはないのだ。だから結婚するときとか共同生活するときで大事なのは価値観を同じくするものでないとだめである。例えば共同生活してゴルフばかりやっているときそのゴルフの価値を認めない人は一緒にはすめないのである。価値観の対立ほど恐ろしいことはないのだ。老人になったら価値観を変えることはもはやできないからである。


いづれにしろゴルフ場も原発で存続が危ぶまれる異常事態である。イノシシに荒され元の森に戻ってしまうのか?損害は何百億だと東電に賠償請求をしている。一体この辺は田んぼは草茫々になり人は近くに人は住まなくなり一体どうなってしまうのか?こうした異常事態はいつまでつづくのか?ここに住んでいること自体何か落ち着かない不安に襲われるのである。田舎の生活は基本的に農業がなくなれば成り立たない、そういう農業なしの生活がここで可能なのかとなる。混乱状態もやがておさまってくるのか?そういうことがわからない、先が見えない、かといって老人になると移動するのはむずかしい。正直ここにいること自体何か不安であり落ち着かないからもっと落ち着いたところで生活したいということがある。でも移れないのが現状なのである。

posted by 老鶯 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年09月03日

秋の蝉(井戸の思い出)



秋の蝉(井戸の思い出)



なきやみて余韻の長し秋の蝉


盆過ぎて地元にありて墓参り


我が家を訪ね人の去りしあと雨しととふり秋の蝉鳴く


月見草草むら深く咲きにつつ雨しととふりともに住むかな


遠くより蝉鳴く声のひとつかな静かにひびき秋となるかな


淋しさや昔の井戸の使われず近くにあれど用のなきかも


世話になる女(ヒト)し思いてあわれかな墓参りして秋の蝉鳴く

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お盆すぎて姉が世話になった近くの女性が一緒に自分の家に来た夢をみた。もう一人も幼なじみであり長い付き合いのあった女性が夢に見たからと線香あげにきた。お盆にはやはり死者が訪ねてくるというのは本当なのだろう。二人の間で夢を見たことがリアルなのである。ただ幼なじみの人は姉が認知症になってから二年間全く来なかった。認知症になる前は毎日行っていたのである。でも死んで会いたいとかなったのかもしれない、人間は死んだら絶対に会うことはできない、それで死別の悲しみは消えることないのだ。だから会えるうち会っていた方がいいのだけと認知症というやっかいな病気になって合わなかった。その時姉は淋しがっていた。
今になるともっとあっていればなと思ったのかもしれない、でも終わったことはもう還ってこない、だから生きているときまだ会えるからいいやなどと思っているとその人と二度と会えなくなって後悔しているのだ。

お盆過ぎてもやはり地元の人はその土地に生活するのだから墓所は身近なのである。遠くの人はお盆に来るだけだが地元の人は墓守をしている。死者は常に身近に存在しているのが地元なのである。ただ昔の井戸が近くにあったけどそこには人が住んでいたけど今は住んでいない、そして井戸だけが残されている。この井戸についてはいろいろ思い出がある。子供のときここの井戸の水をバケツで運んで風呂をわかしていたからである。その井戸だったのである。
つまり井戸は昔から共同体の要としてあった。それが枯れて使われない、そのことは今や近くは遠くつながりがなくなった。農村は違っていても小さな町でも町内はつながりがないのだ。
だから介護であれ病気になったりしても無関心である。昔は近所の人が介護でも手伝っていたということもあった。今はそういうことはない、ただ隣近所といってもそこにはいろいろ嫌なことがあり必ずしも昔がいいとはならない、ただこの井戸はそういうことがあったなとつくづく思い出した。この年になるまでこの井戸について思ったことがなかった。それもすぐ近くだから毎日見ていたのである。それでも思うことがなっかた。なぜ今この井戸を思ったか不思議である。人間は意外と近くのことに疎い、関心がない不思議がある。

ただ年になるとあの頃こんなことあったなとか子供の頃でも思い出すのが仕事みたくなっているのだ。人生は思い出なり・・・となってしまったのである。思い出すことによって確かにそういうときがあったということを存在せしめるのだ。それはその場や残っているモノなどによって思い出すことができる。この井戸は残っていたから思い出すことができた。しかしそれも毎日見ていてそういうことがあったなとつくづく思ったのはこの年になってからである。ただ井戸は昔から生活の要だからそこを中心にして共同体があったから井戸の話はいろいろと残されているのだ。そもそも江戸は井戸だったのである。江戸の水をまかなったのは井戸だったからそうなる。江戸という大都会でもそうだったのだから井戸にまつわる話は無数にあるのだ。
 

2011年09月04日

月曇る(相馬市城下町の情緒)


月曇る(相馬市城下町の情緒)


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故郷に老いゆくものや秋の蝉


城下町なおひびきあう秋の蝉


長々と柳しだれて田町暮る


夕風に蓮の花弁やほの赤し


月曇る六万石の城下町


街道に残れる松や月曇る


宇多川に夕風涼し川岸を高校生の歩みゆくかな

秋になっているけど残暑でもあり今日は結構暑い、これはやはり普通の夏であり秋なのだろう。夕風が涼しく感じる。 相馬市は城下町で情緒ある場所なのである。だから原町の新田川の情緒とも真野川の情緒とも違っている。あそこは他から来た人は城下町であったことさえわかりにくいだろう。でも街の雰囲気はそれぞれあるものだと思う。鹿島区と小高区があるがこれも実際は違ったものなのだろう。ただ小高区には細い川しかないから川の情緒はない、真野川は一番川としては大きい。相馬市は宇多川も細い川である。蓮の花が咲いていたり田町に柳がしだれていたりして情緒はある。


人間はみんな老いてゆく、ただ今の時代、60代でも老いを感じない人が多いのかもしれない、病気などにならない限り老いを感じない、まだこんなに欲があるのかと女性でも驚く、個人差があるが老いたら枯れるなどないのが今の時代なのかもしれない、老いということを認めない時代でもある。確かに60代で老いとはならないのが現代である。でも老いるということは自然の流れでありそういう自然の流れに逆らうことはできない、またそれは不自然なことになる。老いることは欲が減退してゆくのだからすべてが悪いとはいえない、でも欲が老いてますます深くなるのには驚く。最後まで人間は欲から離れられないのだろう。60代とかなると犯罪さえ怖がらない、自暴自棄的になる人がいるから怖い。先は長くないんだとなるとやりたいことをやった方がいいとかせこせこみみっちく働くより犯罪でもして金が得る方がいいとかなる。そういう人は本当に老いてはいない、老いるということは欲が減退して枯れることなのである。そういう境地から見えてくるものがある。それはぎらぎらした欲望のむきだしの若い人にはない境地でもある。老いとは団だこの世のことはあきらめて死に向かってゆくことである。でもそうならない人が多いのはどこまでも欲を追求するのだから今の老人は昔の老人とは変わってしまったかもしれない、ただもともと老いとはあきらめてゆく、この世のことから離れてゆくのが普通であった。


俳句でも実際は余りにも単純なものだった。しかしその単純な中に深い人生を現せるのはシンプルなものに変わらない人間の真理があるからのだ。人生はこんな単純に現せるものかと我ながら驚く。故郷に老いてゆく・・秋の蝉の声を聞く・・・ただそれだけではないかともなる。でもそこに深い味わいがある。人間は老いれば年になれば死ぬ場所を求めるようだ。象が死ぬとき象の墓場にゆくということがある。人間にも本能的にそういうことがある。死に場所を求める・・そこがどこなのかとなる。それは長く住み生活したところになるだろう。原発事故で故郷に住めなくなった人達にとって長年住んだ故郷を離れることはかなり深刻な問題なのである。死に場所になるところから切り離されたからである。それで墓に入りますと言って自殺した高齢者の気持ちがわかる。もう故郷からそういう人は離れられないのである。なぜならそこが死に場所だからである。若い人なら別だけど老人の気持ちはみんなそうなってゆくのである。だから故郷から切り離されることは一番残酷なことだったのである。チェルノブエリでも老人が戻って生活しているというのはわかる。農民の場合は先祖代々住んでいるのだから余計にそうだと思う。

 
今日は月曇るだからやはり秋であった。台風でもあったがここはそれほど雨もふらず終わった。

2011年09月06日

天地から離れた人間の傲慢が原発事故に (万葉集時代は天地と一体)


天地から離れた人間の傲慢が原発事故に

(万葉集時代は天地と一体)



天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕(つか)へ奉(まつ)りし 心違(たが)ひぬ」(2-176)


宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)けむ


天地も 依(よ)りてあれこそ 天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ?(の)み



「天地 日月と共に 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継(つ)ぎ来(きた)る」(2-220)、「天地と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変はらずあらむ 行幸(いでまし)の宮」(3-315)
天地と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変はらずあらむ 行幸(いでまし)の宮」(3-315)
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68224


万葉集は天地と密接に結びついていた。天地と離れてはありえなかった。だから政(まつりごと)もそうだった。天地も 依(よ)りてあれこそ 天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ?(の)み・・・・このように訴えるもの乞(こ)うものも天地しかない、天地に仕え天地に依り天地に訴えていた。そもそも歌は訴える(うったえる)から歌(うた)になったというとき天地への呪文の役目を果たしていた。
政(まいりごと)は天地は切り離せずあった。これは古代の文明では天地を祭ることは普通にあった。マヤ文明では太陽に祈っていて太陽が弱り死んでゆくことを畏れていたので生きた人の心臓を犠牲に捧げた。それほど太陽を畏れていたのである。訴えるべきものが天地でありその天地なくして人間の存在はありえなかった。


今の時代、為政者が天地のことを思っていることがあるだろうか?天皇は伝統としてそういう天地のまつりごとを受け継ぐことはありうる。しかし今や人間を支えているのは天地ではない、科学であり技術になったのである。天地をまつったり乞うたりしない、科学と技術力が解決するのであり天地は無力になった。科学と技術が天地をしのいで解決するものだと思っている。病気になれば医学に頼り医者は神様のようになる。それはとりもなおさず天地に祈るより科学の力が天地より大きいし実際に細部では実効力があるからそうなる。天地に祈っても病気は治らない、神に祈っても直らない、これは事実である。奇跡の起きた時代は終わり今は科学の時代なのである。科学万能時代なのである。気象にしても衛星から写真をとり気象は科学的に解析されるものとしてある。天地として不可解なものとしてあった古代とは余りにも違いすぎる。宇宙から天地が解析されているのだ。解析しているのは他ならぬ人間の科学の力なのであ。神ではない、ただ地中のことに関しては解析できないから今回のような地震と津浪に驚嘆したのである。想定外だとして天地を恐れることになった。奈良県の山でも台風で想定外の水が出て堤防は決壊した。それもまた人間に対する奢りに対する神の警告でもあった。人間は天地をなお凌駕するものとしては存在しない、原発もその一つであり人間には操作しえないものをあえて無理して操作した故、事故になり大被害を受けた。天地は汚されて人は住めなくさえなった。人間の奢りが罰せられたのである。


万葉時代の天地を尊ぶ世界とはあまりにもかけ離れているからその時代と今も比べても役にたたないということもある。絶えず政(まつりごと)と言えば天地に訴え祈ることだった世界とは余りにも違っている。人間は今や天地に祈る人などいない、科学力、技術力に訴える。想定外の天地の力にうちのめされば人間の技術力はたりなかったのだとなる。確かに想定外の津浪で高い防波堤は無惨に崩壊した。そこで人間の奢りは打ち砕かれた。でもその堤防を作った人達はその堤防故に安心していたのである。それが徒になり大被害を受けた。その堤防こそ自分たちを守るものであり天地になど祈ることはなかった。天地に祈るときは人間の力ではどうにもならない、神に祈るほかないというとき祈る。しかし現代では科学万能だからそうはならない、科学の力に頼るのである。科学に頼るのが悪いものではないにしろ科学を越えたものとして天地があるということがないことが問題なのである。科学者が天地のことを全部知っているのかというと知らない、そしたら科学者さえ天地に対して謙虚にならざるをえない、そういう謙虚さが科学万能時代に喪失して大事故につながったともいえる。天地に祈るとは人間の力には限界があるからこそ祈る、限界がなくなれば祈る必要がなくなるのだ。


天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕(つか)へ奉(まつ)りし 心違(たが)ひぬ


これは天地にひたすら仕えようとしていたが人間社会では宮仕えではそうはいかなかった。
無垢なる天地とは違う人間社会では心は違ったものとなってしまう。政争があるし天地に仕えるのとは違っている。天地に仕えていれば心は清浄でありえる。しかし政治の人の世界ではそれはありえないものとなっていた。この 心違(たが)ひぬは極端化している。天地から全く離れて政治は動いている。国民総生産とか科学技術の力であり国の力はすべて人間の力でありそこに天地が入る余地などない、原発も国の力を示すものだからこそ国策として推進されたのである。天地に仕えるのではない、科学万能となるとき一番偉いのは科学者であり神のごときものとなる。それが無惨にも津浪で打ち砕かれたのである。その権威は地に堕ちた。放射能は天地を延々と汚しつづける。科学者にその放射性物質をなんとかしてくれと言ってもそれができないのである。火を盗んだプロメテウスのようにその過酷な罰は科学者が受けるものだった。そんな危険なものに手を出すべきではなかったのである。天変地異は神の意志でありだから人間社会も天変地異によって改められるというとき本当にそうだった。人間では暴けない悪を自然の驚異的な力が暴いたのである。人間の奢りを打ち砕いたのである。原発はバベルの塔だったかもしれぬ、なぜなら科学万能の象徴であった、それがバベルの塔が崩壊したときそこに住む人間は離散してばらばらにされた。ただ右往左往してばらばらにされなす術がなかったのである。


天地は時に怒る

人間の奢りに対して

天地を畏れつつしめ

そして天地と和さしめよ

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2011年09月07日

飯館村も警戒区域と同じか (パトカ-の見回りがうるさいから入れなかった)


飯館村も警戒区域と同じか

(パトカ-の見回りがうるさいから入れなかった)

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南相馬市鹿島区栃窪村で放射性物質の汚染された
土を埋めていた。


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何軒か木蔭涼しき屋敷林


栃窪に名もなき墓群秋の蝉


栃窪の奥や今年も秋の蝉


大岩にスズメバチの巣残暑かな



飯館村の真野ダムの方へ行ったみた。途中の栃窪村で放射性物質の土を埋めていた。結構な量であり放射性物質の土をとりぞくとしたら莫大な量になる。それをどこに置いていいかもわからない。ここに埋めたとしても放射性物質は消えるわけではない、ここから放射線が放出される。放射性物質は燃やしてもなちならないやっかいなものである。除染するといっても方法がないのだ。田んぼが草茫々になっているのは荒れ果てた感じになる。一方津浪で湿地帯化したところは自然が戻ったという感じになりそれほど荒れ果てた感じとはならない、元の自然にもどればそこはそれなり美しい場所となるのだ。


真野川の例の大きな岩に何かついていた。あれはスズメバチの巣だった。大きいからわかった。あんなところにスズメバチの巣を作るものだろうか?ずいぶん目立つ所に作ったものである。家の軒先にも作るからどこでも作るものなのか?なんかすごいと思った。


晩夏から秋にも見られる巨大な巣を見ると信じられないことかもしれませんが,スズメバチの巣は1頭の母バチがその年の春〜初夏に作り始めたものです。どんなに大きな巣でも秋になると空になり,翌年再利用されることは,少なくとも日本ではありません。母バチが1頭でまた一から始めるのです。
http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/kysmr/data/mr0025k2.htm


そんなに前にできていたのか?あそこにはずっと行っていなかったからそんなときに作られていたのか?ここに60年住んでいるけどあんな岩に作られたスズメバチの巣を見たことがない、やはりこの辺に人があまり入らなくなったためなのだろうか?放射能汚染でも野生の動物などが死に絶えたりしない、かえって活動が活発化するのはチェルノブエリとにているかもしれない、ここに熊が出るとあるけど熊が出たのは2,3年前であり阿武隈高原には熊は出たことがなかった。餌がなくなりこっちの方にも出るようになった。熊なども阿武隈高原では放射能に汚染される。
キノコなど放射性物質を吸収しやすい。でも熊は頭数がわずかだからほとんど影響がないだろう。影響があるのはイノシシである。

案の定、真野ダムに来たら飯館村に入るから見回りのパトカ-にとめられた。山口県警のパトカ-だから驚く。その警察官が山口県は鯨で有名ないですよ、学校の給食は鯨だったんですよと言うのは初耳だった。インタ-ネットで調べると長門など江戸時代から鯨とりで有名だった。だから鯨にまつわるものが残っている。鮎川なども鯨で有名だが明治以降であり遠洋漁業の鯨取りで有名になった。女川では鯨の解体作業を見たことがあるし鯨は日本では欠かせない蛋白源だった。なぜか南相馬市鹿島区の烏崎にも鯨の碑があった。鯨をとったのではなく鯨が浜に打ち上げられることがあった。名取で最近もあった。それで碑を建てて供養したのだろう。それは明治以降の碑である。江戸時代となると歴史的に碑でも価値がある。


飯館村は避難するにもあわててする必要はなかった。だから貴重品はもちだしたはづである。でも貴金属を盗む人がいるという。あれだけ警戒しているのだからなかなか盗むにもよりつかないはずである。そんなもの盗んでどれほどの金になるだろうか?金のあるのは双葉や富岡町だった。津浪で流れた町長の金庫には5億円入っていたとか、郡山に家を新築したとか本当だと思う。それくらいの金は東電のボケットマネ-である。玄海町でも町長には巨額の金が建設会社を通して入っていた。玄海町では漁業者にも金は入っていた。反対運動するのは電力会社から金をもらうためだという側面もあった。ふくしま財界などが東電のプルサ-マルを追求する記事を書いて脅して金をせしめたのと同じである。浪江の請戸では漁業者は5千万くらいもらって原発御殿を建てていた。漁業者の権利は大きいのである。三陸でも耕地が結構あっても耕されなくなったのは漁業の収入が大きいために漁業の方に仕事を求めたからだと言っていた。
漁業は魚がとれれば金になる。農業は田を作ったくらいではたいして金にならないのである。
原発の金は福島県の漁業者に配布されていた。その金は大きいからまた責任も重かったのである。飯館村は牛の村だからそんなに金がある村ではない、貧しい村である。


世の中小盗は警察につかまる。大盗はつかまらない不思議がある。犯罪で警察につかまるのはほんの一部である。大盗はつかまらない、罰せられることもない、大盗は確かに本当に大泥棒というのが普通の庶民でもいる。でも本当の大盗は原発で大金を手にした町長とかであろう。こういう人は別に犯罪にならないのだ。もちろん原発にかかわった特権階級も官僚から学者から警察関係もそうである。警察も官僚であり東電に天下っているのだ。東電の用心棒にもなっていたと批判がある。検察すらつくづく権力側につく、だから検察も信用できないものだと思った。検察が動くときそれは権力が変わるときそうなる、検察というのも信用できないのが現実である。盗むといいうとき外から来るものより内部に平然と入ってくる人の方がぎれだけ危険かわかった。家の中に入ってくる人は最高に危険である。トロイの木馬がそれを象徴しているから人間は時間が経っても変わらないものがあるのだ。


それは一国でもいえる。多数の外国人が今は日本に入っているけどその人たちは日本の内情に内通している。だから事あれば簡単にその人たちが動けば内部から制圧できる。原発を人質にとることさえできるのだ。だから外国人に選挙権を与えたら権力の中枢をにぎられますます日本は外国に侵略されやすいのである。内部の敵ほど怖いものはない,日本が安全だったというとき村単位で生活していたからである。その村も小さいから悪いことはできないしよそ者を入ってこなかったからである。
村単位というとき隣の村さえ交流がまれでありよそ者なのである。隣近所だったらなかなか犯罪を起こせない、しかし隣の村や町の人となると危険になるのだ。長く住んでいるだけで信用ができる。今はたとえ狭い範囲でも市町村単位でもそれなりに広く交わっているから治安が悪くなったのである。隣の町から人が仕事に来るなど普通でありそれだけでも実際は家の中に入れるとなると本当に危険になった信用できなくなった。


いづれにしろ大盗はのうのうとしている。大盗はいろいろある。警察が罰するのは小盗でしかない、大盗はのうのうとしている。もちろん大盗にあてはまるのは誰になるか?ある程度の財産をもっている人は気づいていなくても大盗になっているかもしれない、公務員なんかもそうかもしれないのだ。身内が公務員だったから恩恵を受けたから自分も一部そうかもしれない、つまり大金がある人はやはりなんらか大盗になっいるかもしれないのだ。いくら正当に稼いだとしても億の金とかなるとそうである。地主とかも大盗になるだろう。大盗はそれでも罰せられることがないのだ。


いづれにしろこの辺は飯館村にしても高瀬川でもいい場所だったのに行くことさえできなくなっている。警戒区域だと自分の家があるのに許可を受けてしか入れない理不尽である。飯館村にしてもいつ入れるかわからない、山口県とか他の警察を見回りにきているけど地元だったら回りの市町村でも思い入れがありかかわりがある。そういうかかわりがたたれてしまうことが理不尽なのである。これも全部原発のせいだったのである。飯館村には行けない、大倉の真野ダムでもパトカ-が見回りしていてうるさいからだ。鹿島区内だったらそうはならない、でも真野ダム辺りまで行きたいのに行けないとしたら全くひどいことなのだ。地元に住むものの権利が奪われてしまったということである。

ともかく今日は暑かったから残暑だった。今年は寒暖の差が激しいから困る。夏はまだまだ終わらないのだろう。



大盗について
http://www.st.rim.or.jp/~success/kennji2_ye.html


古式捕鯨の里通(かよい)へようこそ!
http://member.hot-cha.tv/~htc09819/hayakawake.html

 
posted by 老鶯 at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

放射能汚染で無人化する村に猪が増える (周辺に猪が増え広がり害になる)


放射能汚染で無人化する村に猪が増える

(周辺に猪が増え広がり害になる)

●対馬藩の猪対策


対馬藩は10万石の格付けであるが、山がちで平野の少ない対馬では米4,500石、麦15,000石程度の収穫であり、藩収入は朝鮮との交易によるものであった。作付面積のうち最も多いのは畑で、それに次ぐのは「木庭(こば)」とよばれる焼畑であり、検地では「木庭」も百姓持高に加えられた。また、石高制に代わって間高制という特別の生産単位が採用された。
17世紀後半は、日朝貿易と銀山の隆盛から対馬藩はおおいに栄え、雨森芳洲や陶山鈍翁(訥庵)、松浦霞沼などの人材も輩出した
http://tsushima-otoriyose.com/archives/11


「生類哀れみの令」(動物を殺したら死刑だ法)が出ているさなか、それでもイノシシ害に耐えかねて、島ぐるみで9年かけてイノシシを殺しまくり、ようやく全滅させることができた。
 住民は「イノシシ害から解放された」と焼き畑をばしばし広げまくる。
 20年後。
 木は刈り尽くされ、山は荒れ、土砂崩れも起き、土地もやせ、収穫もがた落ちに!
 一世代の間に、ひどい状態になってしまった。
 それに懲りて”焼き畑禁止”の令も出されることになる。
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-397.html


対馬を九つの区画に区切り、柵を作り、農民に銃の扱い方を教え、冬場の農閑期を利用してイノシシを一区画ずつ殲滅していく方法により、9年後には対馬からイノシシが姿を消しました。狩られたイノシシは8万頭、動員された農民はのべ23万人にのぼります。

対馬と島原半島におけるイノシシ害:対馬地区のイノシシは近年人為的に持ち込まれたものである

猪の最新ニュ-ス

対馬か九州から泳いで上陸?



  イノシシの生息が確認されていなかった玄界灘に浮かぶ長崎県・壱岐島(壱岐市)で昨年から今年にかけ、イノシシの
死骸や似たような足跡が相次いで見つかった。


  上陸していれば農作物などに被害を及ぼす恐れがあるだけに、壱岐市は自治会や警察などと連絡会議を発足させ、わなやカメラを設置して本格的な対策に乗り出す。
http://32259407.at.webry.info/201106/article_17.html




●万葉集時代からあった猪の被害


魂合はば相寝むものを小山田の鹿猪田禁((シシタモ)る如く母し守らすも 』(万葉集巻第十二 3000)


鹿猪田は鹿猪が出て荒らす田の事で、禁るとは立ち入らないように監視する事です。
この意味は難解で定まった解釈はない、小山田というのはもともと山間にあり猪が出やすい場所だったのである。


安積皇子が天平十六年正月十三日に十七歳の若さで
亡くなったのを痛み、大伴家持が詠んだ歌六首の中に、


『わご王 皇子の命 もののふの 八十供の男を
召し集へ 率ひ賜ひ 朝猟に 鹿猪ふみ起こし
暮猟に 鶉雉ふみ立て』(万葉集巻第三 478)


とあり、安積皇子が、まだ寝入っている鹿猪を踏み起こして
朝猟をするというのですから、都よりそう遠くないない場所で、
鹿猪は走り廻っていたのでしょうか。

安達太良の嶺に臥す鹿猪のありつつも吾は到らむ寝処な去りそね』(万葉集巻第十四 3428)

鹿や猪はいつも同じ場所に寝る習性があるといい、
そこを襲う方法もありました。習性を知らないと動物の狩りはできない、熊刈りでもそうである。

万葉時代から猪の害は深刻だった。安達太良も鹿と猪の住み処だった

新墾田の鹿猪田の稲を倉に蔵みてあなひねひねしわが戀ふらくは』(万葉集巻第十六 3848

鹿や猪に荒らされる前に多少条件が悪くても
早めに刈り取り倉へ貯蔵しておかなければなりません。



鹿猪垣について
http://www.sukima.com/08_hida00_02/02shishigaki_.html


「小豆島には、万里の長城のミニ版がある。延長120キロに及ぶ、という土塁と石垣の鹿猪垣(ししがき)だ。明治時代初期まで、サツマイモや野菜などを狙って山からやってくる猪の侵入を防いだそうだ。」
長大な猪垣を作っていたからいかに猪の害が大きいのかわかる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●猪が増えすぎても減りすぎても困る(生態系のバランスが大事)


狩られたイノシシは8万頭、動員された農民はのべ23万人にのぼります。


猪の被害は甚大だった。対馬は山ばかりで平地が少ない、その山は高い山ではないから焼き畑に適していた。猪がいなくなって焼き畑が盛んになり自然破壊が起きた。猪がある程度生息するような自然環境が人間にとっても必要だった。だからその島にもともと住んでいた種を絶滅させることは人間にも危険なことだった。焼き畑も稲作も自然破壊だったのである。農業自体自然破壊だった。そうしなければ人間は住んでいけないし人口もふやすことはできない、対馬のような所では平地がまれなのだから稲作もできない、朝鮮との貿易で栄えることくらいしか方法がない、今では韓国人の観光客がおしよせてホテルを建てるために用地が買収されていることで問題になっている。

猪がまた対馬に増えて長崎県・壱岐島(壱岐市)まで泳いできたということは驚きである。猪も増えるとそうなるのか、対馬なでも生存数は限定されるからそれを越えると海をわたる。人間でも北朝鮮辺りから政変があれば日本にヤハな船でも渡ってくる。猪も泳げば鹿も泳ぐ、島なら適当な距離なら泳いでわたるのだろう。つまり猪の害が壱岐島まで及んでくる恐怖がある。

壱岐島は九州に博多などに近いからその周辺に渡ってきて害になることもありうる。そういう恐怖が飯館村に人が住まなくなって現実となる。ともかく原発事故での影響は生態系にど影響するのかわからないし住民はどうなるのだろうかとかみんな困っている。今日もNHKのクロ-ズアップ現代で浪江町の問題を追求していた。町が消失する危機になっている。もし町が消失したら野生の楽園になるとかは猪のことでならないことがわかった。日本は狭いからチェルノブエリのようにならない、猪が消失した町内に増えたら大変である。繁殖力が強いのだから大変である。浪江の山中は放射性線量が特別高い地域なのである。生態系のパランスが崩れるとその周辺にも大きな変化や害を受ける。日本は特に狭いからそうなのだ。対馬の問題は猪を絶滅させたことが焼き畑をふやして自然破壊になった。そして人間も住みにくくなった。猪は害だからと全部駆逐することは危険なことを警告している。ただ増えすぎると人間にとって害になるから駆逐せざるをえないのである。


ここを参照して書きました
http://musubu2.sblo.jp/article/47693562.html#comment

posted by 老鶯 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年09月08日

浪江町は消失するのか? (老人は代替地で住むのには反対)

 

浪江町は消失するのか?

(老人は代替地で住むのには反対)

今この辺で日々起きていることは不思議である。NHKのクロ-ズアップ現代でも浪江町のことを放送していた。若い人は代替地を国から譲ってもらってそこに浪江町の住人が住むべきという案を出した。浪江駅ですら3マイクロシ-ベルトくらいになると結構高いなと思った。除染をしようにもできないとなり若い人たちがそう判断した。すでに散り散りになって全国に住んでいる。浪江町の人を結束するには代替地に住み人とのつながりを求める他ないと判断した。つまりもう浪江町には帰るのはむずかしいと判断した。若い人たちと50代以上の人の考え方は合わない、若い人たちは子育てもあるしとてもこの放射線量では住めないと判断している。一方50代以上の人だと土地への愛着があるから浪江町に帰るべきであるとして結束を保つようにする。
世代間で分断されてしまっている。一方で50代以上が残るにしても若い人がいないなら町は消滅すると言っていることも深刻なのである。その判断はなかなかできない、でもいづれ決めなければならないとしている。


そもそも土地が大事なのか人とのつながりが大事なのかという問いはまた極めて哲学的な問題なのだ。故郷とは土地なのか人とのつながりなのかとなる。両方だというのもわかる。実際は両方だとして何ら問題はないのである。でも故郷はその代々住んだ土地のことである。土地の思い出とともにある。老人が涙ながらに故郷の思い出を語ったことでもわかる。例えば墓などは土地と一体化してある。日本では古来、先祖の霊が山に宿るとしたのは山から水を絶えず供給して田に流れ米の恵みをもたらしてくれたからそうなる。稲作が自然と一体化しているから啄木の「ふるさとの山はありがたきかな」という感情が生まれた。ありがたきかなというのは絶えず山が水を供給してくれるものとしてそうなった。そういう感覚があるから代々の土地に密着して生活してきたから故郷とは日本では土地のことである。土地への愛着が一際強いのである。そうなれば土地を離れて故郷はないとなる。

この感覚は今にはじまったことではない、万葉時代からそうだった。ヤマトが日本の基となったときそれはその土地のことだった。三輪山でも奈良の回りの山々は田に水を供給する故神聖なものとなった。


やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるわし


国のまほろばは土地のことであり土地を離れて国はない、・・・大和し思ほゆ・・・というときそれは土地のことである。土地なくして故郷はありえないのだ。代替地に住めば故郷はなくなるというときそれと同じである。大和の故郷は大和という土地のことだからである。土地から切り離されたとき先祖からも切り離されることになる。なぜなら先祖は土地に住むからである。もはや死んだのだからその土になるというように故郷の土となり霊となったのである。地(ち)と霊(ち)は同じである。でも現実問題として代替地に移るとしたらそこが浪江町の第二の故郷にはなりえる。それは北海道はそうなった。十津川村がある。

1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。


ここでは人とのつながりも保ち新しい土地を得たのだから第二の故郷となりえた。原発もやはり災害と同じである。有利な点は東電から補償が得られることである。ただその人数が多いことである。それも老人が多い。おそらく北海道に移住した人達はまだ若かった。それでもうどうにもならないと移住できたのだろう。その時北海道には土地がありあまっていたのである。でも今回は時代が違う、別に個々に住みやすい所に住んでいいのでてある。北海道のような寒い所に移住する必要はない、今ほど移動している時代はないからである。移動の自由は確保されているからだ。第一代替地として広い土地が確保できるかとなると今やむずかしい。日本にはそんな広いフロンティアは未開の地はないのである。今の産業は農業中心ではない、農業には土地が必要だった。満州までも土地を求めたのは農業中心の社会だったからだ。商工会議所の若い人が集まっていたが農家の人はいなかったのである。


そう考えると代替地案はむずかしいのかもしれない、でも現実問題としてやはり浪江町は若い人が住めないとなる消失する、すると老人は50代以上の人達はどうなるのだろうとなる。取り残されてどうなるのだろうかとなる。そういう高齢化の問題も深刻なのである。若い人たちが放射能問題で故郷から出て行くときもう医療でも看護師やら医者がいなくなり支えるものがいなくなる。その恐怖も自分も味わった。医療を受けられないと死ぬということがある。ちょっとしたことでも管が交換できなくても死ぬ。老人が今長生きできるのは医療が発達したからである。その医療が若い人がいなくなり支えられなくなったから老人は死ぬ。そういう深刻な問題が原発事故で起きているのだ。若い人が去り老人だけが取り残される。その恐怖がここにもある。老人だけでは住めないからその町は消滅するという恐怖である。町の命運は若い人が握っていることになる。若い人に従わざるを得ない面がある。老人だけでは町を支えきれないからだ。そういう深刻な問題にどう対処していいのか、極めて困難な問題に直面しているがいづれ判断せざるをえないのである。

 

予測

代替地案は無理→浪江町から人々は分散して消滅する

南相馬市は人口が半分くらいに減り相馬市が中心になり合併する

posted by 老鶯 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連